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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュの筑波嶺の 嶺よりおつる みなの川、恋ぞつもりて 淵となりぬる  ー13−

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筑波嶺の 嶺よりおつる みなの川、恋ぞつもりて 淵となりぬる  陽成院
 
<つり殿のみこにつかはしける 後撰集・巻十一・恋三>

(第五句「淵となりける」)古今六帖・三(作者名なく、第四句「こひぞたまりて」)

「釣殿」は光孝天皇の御所で、「釣殿のみこ」は光孝天皇の皇女安子内親王のことで、陽成院の後宮に入られたが、延長三年(925)四月に薨去された。

(ナ・マ行音による)優しい調べの歌で、陽成院の后となった安子内親王に捧げられた恋歌である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
筑波山の峰の
わずかな雫次第に水かさを増し
一途に流れ落ちる男女川よ
わずかな水が積もって深いよどみになっているように
わたしの恋心も積もり積もって
深い物思いのよどみになったことだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

諷喩・比喩歌。川と物思い)
筑波嶺は東国の歌枕。

つくばねの 峰よりおつる みなの川;

「つくばね」は茨城県筑波山。
峰は男体と女体の二峰に分れ、女体の峰は「歌垣」の場と伝わる。(常陸風土記) 
「峰」は山の頂・
「より」は起点を示す格助詞。
「おつる」は上二段活用動詞「おつ」の連体形。
「みなの川」は筑波山に発し、霞ヶ浦に入る男女川。桜川のこと。

恋ぞつもりて 淵となりぬる;

「こひ」は「恋」と水の「こひ」の掛詞。
「ぞ」は強意の係助詞。
「つもり」は動詞連用形。
「て」は接続助詞。
「淵」は水が深く淀んでいる所で、物思いの深さにたとえる。「瀬」の対語。
「と」は変化の結果を示す格助詞。
「なり」は四段活用動詞「なる」の連用形。
「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形で「ぞ」の結び。

◇みなの川 筑波山から流れ出、桜川に合流して霞ヶ浦に注ぐ小川。後世、男女二峰を有する山に因んで「男女の川」とも書かれる。「みな」は「蜷」(泥中に棲むタニシなど小巻貝の類)と同音なので、そこから次句の「こひぢ」(泥濘)と同音を持つ「こひ」を導く序となる。
◇こひぞつもりて 恋心が積もって。「こひ」は「泥(こひぢ)」を連想させるため、「泥濘が積み重なって」の意を兼ねる。
◇淵となりける 「淵」は水が淀んで深くなっているところ。ふつう「瀬」(流れが早くて浅いところ)の対語。「泥水が積もり積もって深い淀みとなった」、「恋が積もり積もって、淵のように深く淀む思いになってしまった」の両義。なお、百人一首カルタはふつう結句を「淵となりぬる」とするが、後撰集の諸本や百人一首の古注本などは「ける」で、本来は「ける」であったと思われる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この天皇は悲劇的な生涯を送られた。御脳を病んで、物狂おしい振る舞いがあったという。
王朝に世には、冷泉、花山という、これまた変人の天皇が居られて周囲を悩ましたが、陽成院の場合は、同じ変人でも凶暴性があり、始末に困ったものである。

藤原一族は、仁明(第五十四代天皇)・文徳・清和と三代にわたって一族の姫を後宮に送り込み所生の皇子を強引に皇位につけてきた。特に清和天皇のときは、文徳帝には清和皇子の上に三皇子があったのに、それを飛び越えて生後九ヶ月の藤原系の清和皇子を皇太子に据え九歳で即位させた。九歳の幼帝に十八歳の藤原高子姫をめあわせた。

在原業平との恋愛関係で、古来から有名な、スキャンダルにまみれた高子姫であるが、その頃、藤原一族には、ほかに持ち駒の姫は居なかったので仕方ない。十年後に陽成皇子がうまれられた。

陽成皇子が九歳のとき、父帝の清和天皇は退位されたので父君と同じ九歳で即位、高子の兄基経が摂政になる。しかし陽成天皇は長ずるにおよんで矯激な性格があらわになった。温和な父帝より奔放放縦な母・高子の血を多く受け継がれたのだろうか。
動物虐待の趣味があり人殺しの風評さえ立った。
これでは、人主の器とはいえない。その無軌道と凶暴振りには、さすがの権力者基経も庇いきれず、陽成天皇十七歳のとき、基経によって皇位を逐われた。

退位後もたびたび乱暴な振る舞いがあって、都人をふるえ上がらせたという。
陽成院の悲劇の一つは、欲求不満の生涯を、退位後六十五年もの長きにわたって送らねばならなかったことであろう。八十二歳という長寿であった。

【作者】
陽成院(868〜949)は第五十七代の天皇で、清和天皇の第一皇子。御名は貞明、御母は藤原長良の女の高子。貞観十九年(877)九歳で皇位につかれたが、脳病のため、乱行が絶えず、政務は母の兄藤原基経がとり、在位八年で譲位、陽成院に入って、狂態の治まらぬまま八十二歳で崩御、不幸な生涯であられた。勅撰集入集歌一首のみ。

【主な派生歌】
たまさかに 逢瀬はなくて みなの川 涙の淵に 沈む恋かな
 (京極関白家肥後)
小初瀬の 花のさかりや みなの河 峰よりおつる 水の白波
 (藤原清輔「新後拾遺」)
袖のうへも 恋ぞつもりて ふちとなる 人をば見ねの よそのたぎつせ
 (藤原定家)
みなの河 岸よりおつる 桜花 にほひのふちの えやはせかるる
 (〃)
つくばねの 嶺の桜や みなの河 ながれて淵と 散りつもるらん
 (飛鳥井雅有「続拾遺」)
みなの河 ふちにはよらじ つくばねの 峰より落つる 雁の一つら
 (正徹)



* 出典・転載元;
<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に]・小倉百人一首 注釈(千人万首)>等より。

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