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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュのあまつかぜ 雲のかよひぢ 吹きとぢよ 乙女のすがた しばしとどめむ ー12ー

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ー12ー 


あまつかぜ 雲のかよひぢ 吹きとぢよ 乙女のすがた しばしとどめむ   僧正遍昭
 
<古今集巻十七(雑上)「五節のまひひめを見てよめる よしみねのむねさだ」>
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空を渡る風よ

雲をたくさん吹き寄せて

天上の通り路を塞いでしまっておくれ

天女の美しい姿を

もうしばらく引き留めたい
・・・・・・・・・・・・・・

あまつかぜ;  大空の風よ、と呼びかけの意で、成分上は独立語。
「つ」は古代に「の」と同義の機能を持っていたが、この時期には「天つ風」は一語(名詞)となる。

雲のかよひぢ 吹きとぢよ;
「雲のかよひぢ」は雲の切れ目(雲間)の通路。
「吹きとぢよ」は上二段活用「吹きとづ」の命令形で、擬人法の表現。成分上は上の句の述語。

乙女のすがた;
「をとめ」は、宮中の豊明節会(陰暦十一月第二丑の日)に五節の舞が行われ、その舞姫を伝説(天武朝に天女が吉野に下って舞ったという)になぞらえて、天女に見立てたもの。

しばしとどめむ;
「しばし」は状態の副詞。
「とどめ」は下二段活用動詞「とどむ」の未然形。
「む」は意志を表す助動詞終止形。
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◇あまつかぜ 天つ風。天空を吹き渡る風。
◇雲のかよひぢ 雲や月、鳥などが通ると想定された、空の道。「天上と地上を往き来する、雲の中の道」などと注釈する書があるが、誤解である。天女は天上(=内裏)で舞っているのであって、地上に降りて舞っているのではない。
◇吹きとぢよ 「天つ風」に対し、「雲をたくさん吹き寄せて、天の通り道を塞いでしまえ」と願っている。
◇乙女 天女。五節の時に歌われる「天人の歌」、「乙女子が 乙女さびすも からたまを 乙女さびすも そのからたまを」に由り、舞姫を「乙女」と呼んだもの。五節は新嘗祭などで舞われた少女楽で、公卿・国司の娘より美しい少女を四、五名選んで舞姫に召した。
◇すがた 「ちゃんとした恰好。人ならば、きちんと着物を着た様子に多くいう」(岩波古語辞典)。「乙女」の美しく装った様を言う。
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作者は俗名良岑宗貞(よしみねのむねさだ)。桓武天皇の孫にあたる。
仁明天皇の寵臣として蔵人・蔵人頭などを務めたが、三十五歳の時、天皇崩御に殉ずるかのように出家した。花山の元慶寺や雲林院に住み、仁和元年(885)、僧正に任じられる(ゆえに花山僧正の称がある)。同年、光孝天皇より七十賀を賜わった(藤原俊成が後鳥羽院より九十賀を賜わった先蹤である)。
平安時代初期の代表歌人の一人。六歌仙・三十六歌仙。後世続出する風流歌僧の先駆者のような人である。
貫之の仮名序では「うたのさまはえたれども、まことすくなし。たとへば、ゑにかけるをうなを見て、いたづらに心をうごかすがごとし」とリアリティの欠如を批判されているが、定家は『自筆本近代秀歌』の秀歌例に遍昭作を三首も引くなど、余情ある作風を高く評価していた。
 百人秀歌では15番目に置かれ、次の蝉丸と対になる。天女の通り路である「雲の通ひ路」に、下界の人々が往き来する「逢坂の関」を配した、味のある合せである(【鑑賞】参照)。また、前の組の奇数番、小野小町が容色の衰えを歎いた「花の色はうつりにけりな」に、「乙女の姿しばしとどめむ」の句が呼応することも面白い。因みに遍昭は小町と親しかったらしく、名高い贈答歌を残している。

【他の代表歌】
いそのかみ 布留の山べの 桜花 うゑけむ時を しる人ぞなき   
 (後撰集)
末の露 もとのしづくや 世の中の おくれさきだつ ためしなるらん    (新古今集)

百人一首の中でもとりわけ人気の高い歌ではないか。舞姫を天女に見立て、空の風に向かって呼びかけるという趣向には柄の大きな華やかさがある上に、結句「しばしとどめむ」には一種すがすがしい哀情が籠もる。しかも一首の声調は、朗々と吟ずるにふさわしい、強く明るい響きを持つ。そういう歌は百人一首に意外と少ないから、よけいこの歌が目立つのだろう。
 五節の舞は古来の宮廷舞楽で、『続日本紀』天平十五年五月五日条に天武天皇の創始と伝える。また延喜十四年(914)の三善清行『意見十二箇条』(『本朝文粋』所収)には五節の由来につき「旧記」を案じて「神女来舞」と記している。鎌倉時代の『年中行事秘抄』などになると話がもっと具体的になって、吉野行幸の際、天武天皇が琴を弾き、「高唐神女」の如き「雲気」が髣髴として曲に応じて舞ったのを起源とする、と言う。遍昭の歌でもこうした伝承を背景として舞姫が天女になぞらえられたと見るのが通説だが、かかる伝説を離れても、一首の理解に不都合はない。そもそも内裏自体が「雲の上」なのであるから、舞台がしつらえられた庭を吹く風は「天つ風」と呼ばれ、舞姫が舞台を出入りする道は「雲の通ひ路」と見なされるわけだ(むしろ、五節起源説話に遍昭の本作が影響を与えている可能性はないだろうか)。
 古今集では作者名を良岑宗貞とし、遍昭出家以前、仁明天皇に仕えていた頃の作である。但し、詞書を伴わない百人一首の歌として味わう場合、「乙女」を五節の舞姫とする制約はなくなり、文字通り天津乙女の姿が空にある、幻想的な光景を思い描いてよいことになる。それを眺めているのが僧侶としての遍昭であっても少しも構わないわけだ。百人秀歌での蝉丸との合せからは、そう読んだ方が面白くもある。逢坂山の隠者は地上の人々の流転のさまに会者定離の感慨を催し、一方花山の僧正は、空の彼方に消え去る天女との別れを名残惜しんでいるのである。<記事転載[千人万首]より。>

【主な派生歌】
乙女子が 雲のかよひぢ 空はれて 豊のあかりも 光そへけり
 (藤原俊成「玉葉」)
天つ風 氷をわたる 冬の夜の 乙女の袖を みがく月影
 (式子内親王)
あまつ風 さはりし雲は 吹きとぢつ 乙女のすがた 花ににほひて
 (藤原定家)
しろたへの あまのは衣 つらねきて をとめまちとる 雲の通路
 (〃)
ふかき夜に をとめのすがた 風とぢて 雲路にみてる 万代の声
 (〃)
天つ風 をとめの袖に さゆる夜は おもひいでても おねられざりけり
 (〃)
天つ風 雲井の空を 吹くからに 乙女の袖に 宿る月かげ
 (後鳥羽院)
忘れめや 雲のかよひぢ 立ちかへり 乙女の袖を 月に見し夜は
 (後鳥羽院「続古今」)
天津空 雲の通ひ路 それならぬ 乙女の姿 いつか待ち見ん
 (八条院高倉「新勅撰」)
天津袖 ふるしら雪に 乙女子が 雲のかよひぢ 花ぞ散りかふ
 (藤原家隆「新後撰」)
月のゆく 雲のかよひぢ かはれども 乙女のすがた 忘れしもせず
 (藤原公経「続後撰」)
天つ風 今朝や涼しき 乙女子が 秋の衣の 雲のかよひぢ
 (正徹)
天つ風 ちりくる雪を 吹きとぢて 雲のかよひぢ 春や立つらん
 (後水尾院)

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