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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュの天璋院とは天照の国ということ

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<日本の古代史が白日のもとに>以下記事転載。

歴史徒然:日本の誕生・日本語のルーツ・ウバイド・ウワイト・遷都
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara
スメル八千年
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/50410249.html
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天璋院とは天照の国ということ
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/51192172.html
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「11章 アンチ・エィジングと始皇帝の憧れ」

 篤姫は、夫の将軍・家定が死んだあと、落飾して天璋院を名乗った。これも無意味につけたものではない。薩摩は天孫降臨の国である。その国の姫が、我が国の最高の地位に昇り、その任務を終えて余生を神として送る。
 それに相応しい名に改めたのである。当時最高の学者たちが深慮討議した名で、いい加減な思いつきの名ではない。
 天照大神は間違いなく鹿児島の神だったのであり、おカミさんだった。
 だから篤姫も、共通点を沢山もっていた。だから「テンショゥ」は天照で、そのままの文字では恐れ多いので、同音の玉=璋の字を用いたのである。

真意は「天照の院」ということだったのである。
夫・ソナカ=仲哀天皇の死後、神功皇后として君臨した聖女・天照¬=卑弥呼は、篤姫となって、国難におびえる将軍の妻として、新しい日の国、日本を再生させるために、人心が怯え、君主が恐怖に死に急ぐ、未曾有の嵐吹き荒れる幕末にも現れたのである。
 もうすでにおわかりのように、篤姫の嶋津家の家紋はカディキウスである。
 関ケ原合戦の絵巻を見ると、嶋津勢の旗差物に描かれた紋章は、丸に十の字ではなく、長い十字形をしている。これはいつまでもなくカディキウスである。
 ではなぜそれを丸の中に十=プラスを書いた図柄に変えたのであろうか?
 それはカディキウスを変えたのではない。「丸に十」の文字はギリシャ文字の「ヒ」である。
 「ヒ」は「日」で、その形でわかるようにギリシャでも太陽=日を意味していた。
 日を(ヒ」と発音していたのだから、やはり日本語の先祖なのである。だから当然、日の丸の原型で、嶋津家ではそれを船印に用いていたが、赤と白の、くっきりしたコントラストで遠目にも、はっきり太陽だとわかる日の丸に変えたのである。
 この嶋津家の船印「日の丸」が、斉彬の提案によって、我が国の国旗になったことは、戦前は教科書にのっていて学校で教えていた。

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