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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュのこれやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも あふ坂の関

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これやこの 行くも帰るも わかれては、知るも知らぬも あふ坂の関  蝉丸
 
<あふ坂の関に庵室をつくりて住み侍りけるに 行きかふ人を見て 後撰集・巻十五・雑一>(第三句「わかれつつ」)
・・・・・・・・・・・・・・・
これがまあ

東国へ下る旅人も

都へ帰ってくる旅人も

別れてはふたたび逢い

たがいに知っている人も知らない人も

逢うては別れて行き交う

ここがゆかりの逢う坂の関であるよ
・・・・・・・・・・・・・・・

「これやこの」と指示をくり返し、つづいて「行くもかへるも」「別れては あふ」「しるもしらぬも」とそれぞれ対の句を重ねて、円滑な調べを展開しながら、 人の世の別れと出会いを暗示する、その名も、逢坂の関。
この世は会者定離・諸行無常であるとともに常住不変でもある、といった
思想の表現に適応している。


これやこの;

「これ」は指示代名詞。「あふ坂の関」を指す。
「や」は間投助詞で詠嘆を表す。
「こ」も指示代名詞、
「の」は格助詞。
「この」は「あふ坂の関」にかかる。

行くも帰るも;

「行く・帰る」は共に動詞連体形。体言に準じ「人」などを補う。」
「も」は共に並列を表す係助詞。
「行くも帰るも」は対句表現で、係詞「あふ」の主語。
 
わかれては;

「て」は接続助詞。
「は」は係助詞で、「ては」によって動作の反復の意を表す。

知るも知らぬも;

「知るも」「知らぬも」は対句で「行くも帰るも」と文法的関係は同じ。
「ぬ」は助動詞「ず」の連体形。

あふ坂の関;
京都府と滋賀県の境の古関。
「あふ」は「逢う」の掛詞。述語となり、「あふ坂の関」として体言止。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

蝉丸が逢坂の関に、庵を結んで住んだ盲しいであり、琵琶の名手としてしられていたことは、『今昔物語』に詳しく記されている。
物語では、蝉丸は敦実親王(宇多天皇の皇子)の雑色ということになっている。(雑色とは、高貴な人の雑役に従事する人)

親王は音楽家として著名で、琵琶をよく弾かれた。
蝉丸は長年お仕えしてその音色をおぼえ自分もいつしかその道の名手といわれるようになった。
のち盲しいて法師となり、逢坂の関に庵を結んで暮らしていた。

都にお住みになればいいのにと勧める人がいたが、

世の中は とてもかくても 過ごしてむ 宮もわら屋も 果たしなければ
 
と詠んだ。どこに住んでも同じこと、宮殿もわらぶき小屋も、永久に住み通せるものではない。いつかはお迎へが来るのでございますと。

源博雅は、それを聞いて、おくゆかしく思い、蝉丸の琵琶が聞きたくなった。それで自身、逢坂の関まで通いつめ、夜、庵の外からこっそりとうかがっていた。
名人というものは気難しいから、自分がその気にならなければ、いかに懇望しても承諾しないであろう。博雅は、自分も名人であるだけに、名人かたぎをよく理解していた。そしてはや三年たってしまった。

三年目の八月十五日の夜。月はややかげり、風吹き、あわれ深い夜となった。
博雅は、また逢坂へ出かけた。果たした蝉丸は見えぬ目に月を仰ぎ、物思いにふけりつつ、琵琶をかき鳴らす、博雅は嬉しく耳を傾けていると、法師は歌を詠んだ。

逢坂の 関のあらしの はげしさに 盲ひてぞゐたる 世を過ごすとて

博雅は、「わたしは、都に住む博雅と申すもの、そなたの琵琶を聞きたさに三年通いつめたものです」
蝉丸は博雅の熱意と音楽の対する愛情を愛でて、心を開いて博雅を招き入れた。
そうして請うに任せて流泉・啄木の名曲を弾き鳴らしたのであった。
博雅はそれをよくよく聞いて教わり、「返す返す喜びにけり」と『平家物語』の本にある。


【作者】
蝉丸、生没年未詳。伝記不明であるが、一説に宇多天皇皇子、敦実親王の雑色で逢坂山に住み管弦の名手、源博雅に秘曲を伝えたといわれている。勅撰集入集歌四



<記事転載元>
[北極星は北の空から〜ブログの中に ]・[千人万首]等より。

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