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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュの吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐というらむ

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吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐というらむ  文屋康秀 

<古今集・巻五・秋下・の詞書に「是定親王の家の歌合せの歌、文屋康秀」と、出ているのが出典。>


・・・・・・・・・・・・・・・・
山風が荒々らしく吹きおろすと

たちまち秋の草木がしおれ弱るので

なるほど山から吹きおろす風を

文字通り山風と書いて荒い嵐というのであろうか

これも納得とはいうものの

秋の山風の身に泌むことじゃわい
・・・・・・・・・・・・・・・・

吹くからに;

「吹く」と同時に、吹くやいなやの意。
「吹く」はは動詞連用形。
「からに」は・・・と同時にの意の時間的継起を表す接続助詞。この句は第三句」「しをるれ」に掛るので七五調にばる。

秋の草木の しをるれば;

「「秋」は陰暦(七・八・九月)とあるので、「嵐」が野分となることがわかる。
「の」は主語を表す格助詞。
「しをるれ」は述語で折れたわむ、しおれ弱る意。下二段活用動詞「しをる」の已然形で順接の接続助詞「ば」を接して確定条件を表す。

むべ山風を 嵐というらむ;

「むべ」はなるほど・道理での意(「うべと同意」)の副詞で、多くの推量の語(ここは「らむ」)で応じる。
「を」は動作(「いふ」)動作の対象を示す格助詞。
「嵐」は激しく吹く風で、ここは「嵐」と「荒し」(hげしい意)の掛詞。山。風を一字に組合せて嵐としゃれたもの。
「と」は引用を示す格助詞。
「いふ」は動詞終止形。
「らむ」は現在の理由を推量する助動詞終止形。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    
山風を嵐というらむ、という頓知は、現代では中学生でも興味が薄いだろうがこれも『古今』的な漢字を分析して文章にした、お遊びでの一つで、紀友則の歌にも、

「雪ふれば 木毎に花ぞ 咲きにける いずれを梅と わきて折らまし」

と詠んでいる。

王朝の時代では花といえば、桜より梅であった。
梅という字を分析して「木毎に花」と言いかぶせている。

この歌は、理屈めいて現代人の共感を呼ばないものと貶められがちであるが、名歌佳作ばかり並べられると息苦しくなるものである。時にこういう気を抜いて気楽なのも好ましく、古来、ふしぎに人々に愛されている。
また覚えやすい歌なのでカルタ会の人気も高い。

駄作のように見えつつ、古来、人に愛される歌のふしぎな一徳であろう。
『古今集』の撰者たちとしては、この歌にこもる晩秋の山風の凄さを、とりたかったのではないだろうか「秋歌上」の冒頭にも風の歌を配しているので、それに対応させたのであろう。

秋風の歌は、立秋の日の初秋の風を詠む。
これも人口に膾炙した名作で、私はこの歌が好きである。

「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」 藤原敏行

日中はひざしも強く、残暑さりがたいのに、折々ふと風の肌ざわりが鋭どくなってきている。
おおこの風はもう秋の風だ・・・・・とハッと気づくのである。

いかにも美しい初秋の歌。やがて秋は
次第にたけ、吹く山風の音も物凄くきかれる、そういうときのために文屋康秀 の歌はある。

ところで、このむべ山風の歌、作者は、実際は康秀ではなく、その子の朝康であろうというのが、近来の定説になっている。

何種類かの古写本には「あさやす」と書かれているそうである。

また是定親王は、光孝天皇の第二皇子、その歌合せは寛平初年ごろか(889・890)といわれる。

文屋康秀は、そのころには生存していたとしてもかなりの老齢であって、年齢的にも息子の朝康の作とした方が無理がない。
というもの。
朝康も百人一首に入っている歌人である。
(37番)康秀の方は、生没年未詳であるが、九世紀中ごろの人らしく三河、山城などの三等地方官を経て、縫殿助に至る。

まあ、パッとしないお役人で生涯を終えたが、歌の方では六歌仙の一人に数えられている『古今集』の序で紀貫之の評は、中々からい。

「文屋康秀 は、詞たくみにて、そのさま身におよばず。
いはば、商人のよき衣着たらむがごとし」
康秀は、詩句の使い方巧いが、内容がともなわない。
いうなら、商人が立派な衣装に身を飾ったようなもので、
中身に品がない・・・・・と、ボロクソに言われている。

その上、
「序」にひかれてた「吹くからに」の歌は「野辺の草木のしをるれば」となっており、歌は違うわ、作者は息子とまぎれるわ、で、この歌はなんともあやふやである。
伝承されているうちに、転々と変貌していったのかも知れない。それだけ民衆に愛されたということであろうか。

この康秀、一つだけ色っぽいエピソードをのこしている。
同年代の女流歌人で、同じく六歌仙の一人
小野小町と仲が良かったらしく、
(小野小町のボーイフレンドは、遍照や業平をはじめ多いが・・・)

三河の国の三等官になって赴任する時に小野小町を誘った。
「どうだい、田舎見物に行かないか、
行こうよ、いいだろう、おれと一緒にさ」と


小町は歌で返事を返した。

「わびぬれば 身を浮草の 根を絶えて 誘う水あらば いなむとぞ思ふ」

そうね、面白くないのよ、この頃。浮草みいたいに根なし草になって、水の誘うままにどっかへ出かけたい気分よ。
と思わせぶりな返歌を返した。

だがその思わせぶりな口ぶりとはうらはらに、触れなば落ちんという風情の女に限って、口だけのようである。・・・・・ですよね。
「いなむとぞ思ふ」で、そんなことを空想して思ふだけであろう。
いつの時でも美女たるものは、自分に好意をよせる男に、残酷になれるのである。


【作者】
文屋康秀、生没年未詳。縫殿助宗干の子。朝康の父。微官ながら、機知、技巧に長じた王朝初期の
歌人。伝記、その他不詳。六歌仙の一人。
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【主な派生歌】
冬のきて むべ山風の あらしより 雪ぞ木のはに 散りかはりける
 (慈円)
ふくからに むべ山風も しほるなり いまはあらしの 袖を恨みて
 (藤原家隆)
しをるべき よもの草木も おしなべて 今日よりつらき 荻の上風
 (藤原定家)
木の葉ちる むべ山風の あらしより 時雨になりぬ 峰の浮雲
 (藤原有家「新拾遺」)
山姫の ころも秋かぜ ふくからに 色ことごとに 野べぞなり行く
 (後鳥羽院)
草の原 つゆのやどりを 吹くからに 嵐にかはる 道芝のしも
 (〃)
山かぜの 木の間の雪を ふくからに 心づくしの 冬の夜のつき
 (〃)
ふくからに 身にぞしみける 君はさは 我をや秋の 凩の風
 (八条院高倉「新勅撰」)
あふ坂や 木ずゑの花を 吹くからに 嵐ぞかすむ 関のすぎむら
 (宮内卿「新古今」)
住みわぶる むべ山風の あらし山 花のさかりは 猶うかりけり
 (藤原為家)
神な月 けふは冬とて 嵐山 草木もむべぞ 吹きしをるらむ
 (〃)
草木吹く むべ山風と 聞きしかど 猶ぞかりねの 袖はしほるる
 (〃)
草も木も さぞなあらしの 山風に ひとりしをれぬ 荻のおとかな
 (道助法親王)
草木ふく むべ山かぜの 夕ぐれに しぐれてさむき 秋のむら雲
 (宗尊親王)
吹くからに 秋の光の あらはれて むべ山風に すめる月哉
 (二条為明「新千載」)
吹きにけり むべも嵐と ゆふ霜も あへずみだるる 野べのあさぢふ
 (堯孝)
しをれこし 秋の草木の 末つひに たへぬ嵐の 冬はきにけり
 (三条西実隆)
吹きしをる 秋の草木の 色よりも 冬ぞあらしの 音ははげしき
 (中院通村)



出典・転載元;
<ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に]・小倉百人一首 注釈(千人万首) >等より。

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