ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

詩歌全般・日本古代史・たべものコミュのたれをかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
ー34−

たれをかも 知る人にせむ 高砂の 松も昔の 友ならなくに  藤原興風

<題しらず 古今集・巻十七・雑上>

・・・・・・・・・・・
一体誰を知人にしよう

年老いた高砂の松さえも

昔からの友ではないことだなあ
・・・・・・・・・・・

理想である長寿が、そのまま老いの嘆きとならねばならない人生のかなしさ。
心を許しあった友は、一人逝き二人逝きして今はもうだれもいない。
一体だれを友としたらいいのか、高砂の松は、私と同じように年古りているというけれど、松も昔しなじみの友ではないのだもの。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
たれをかも 知る人にせむ;

「誰」は不定称人代名詞。
「を」は動作の対象を示す格助詞。
「か」は疑問の係助詞。結びは「む」。
「も」はは強意の係助詞。
「か」「も」いずれも所謂係助詞で、それぞれ疑問と詠嘆をあらわす.

「しる」は四段活用動詞「知る」の連体形で、「知る人」は自分を理解してくれる友人・
「に」は動作の対象を示す格助詞。
「せ」はサ行変格活用動詞「す(為)」の未然形。
「む」は意志の助動詞「む」の連体形で、「か」の結び。
二句切。

高砂の 松も昔の 友ならなくに;

「高砂」は兵庫県高砂市。(山の意とも。)。「高砂の松」は歌播磨国の歌枕。今の兵庫県高砂市、加古川河口付近。古今集仮名序に「たかさご、すみの江のまつも、あひおひのやうにおぼえ」とあるように、古来松の名所とされた。
「も」は添加の係助詞。
「昔の友」は昔からの友人。
「なら」は断定の助動詞「なり」の未然形。
「なくに」は一括して打消・感動の終助詞。・・・ナイコトダガナア。
上代の打消助動詞未然形「な」に、体言的ないを添える接尾語「く」、「に」は感動の終助詞。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
【本歌】よみ人しらず「古今集」
かくしつつ 世をやつくさむ 高砂の をのへにたてる 松ならなくに

【参考歌】紀貫之「貫之集」「拾遺集」
いたづらに 世にふる物と 高砂の 松も我をや 友と見るらん

【他の代表歌】
契りけむ 心ぞつらき たなばたの 年にひとたび 逢ふは逢ふかは  
 (古今集)
きみ恋ふる 涙のとこに みちぬれば みをつくしとぞ 我はなりぬる  
 (古今集)

【主な派生歌】
高砂の をのへの松や 君がへん 千代のともとは ならむとすらん  
 (藤原俊成)
うき身をも 思ひな捨てそ 秋の月 むかしより見し 友ならぬかは  
 (藤原隆房「続後撰」)
高砂の 松も昔に なりぬべし なほ行末は 秋の夜の月
 (寂蓮「新古今」)
いかにせん 鏡のそこに みづはぐむ かげもむかしの 友ならなくに
 (鴨長明)
高砂の 松をともとて 鳴く千鳥 きみがやちよの こゑやそふらん
 (九条良経)
高砂の 松もかひなし 誰をかも あはれ歎きの しる人にせん
 (藤原忠定「続拾遺」)
冬きては 雪の底なる 高砂の 松を友とぞ いとどふりぬる
 (藤原為家「続拾遺」)
友と見し よそのもみぢは 散りはてて ひとりしぐるる 高砂のまつ
 (藤原為家)
みよしのの 吉野の宮は ふりにけり 松も昔の 松やすくなき
 (順徳院)
月だにも 老の涙の へだてずは むかしの秋の 友とみてまし
 (一条実経「続拾遺」)
子の日せし 代代のみゆきの あとふりて 松もむかしの 春や恋しき
 (宗尊親王)
知る人と 松をもいかが たのむべき うきよをいとふ 友ならなくに
 (〃)
高砂の 松を友とも なぐさまで 猶妻ごひに 鹿ぞ鳴くなる
 (尊円親王「新拾遺」)
風かよふ 松もむかしの 友とてや おなじ軒端に にほふたち花
 (飛鳥井雅世)
年こゆる 色やはかへん 高砂の 松もむかしの 沖つしらなみ
 (正徹)
さきやらぬ 花の梢は たかさごの 松を友とや つれなかるらむ 
 (直明王「新続古今」)
したふなよ 松もむかしの とばかりに あだなる花の 春の別れは
 (後柏原天皇)
君が代は 雲井はるかに 高砂の 松もむかしの 友づるのこゑ
 (三条西実隆)
高砂の 松をためしも 雪のけさ いたづらにふる 友とやはみん
 (木下長嘯子)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この歌は、おめでたい歌のようにみえるが、実はさびしい歌なのである。
ただ昔から、高砂の松は、住吉の松とともに長寿とされ、めでたいものとして歌にも詠まれ、親しまれてきた。
高砂は今の兵庫県高砂市加古川市の海岸住吉は大阪市住吉付近の海岸である。

古代はどちらも老松が生い茂り、風景美しい名所ということになっていた。
謡曲「高砂」には「高砂の尾上の松も年ふりて、老いの波も寄り来るや、木の下影の落葉かくなるまでいのちながらえて、なほいつまでか生きの松、それも久しき名所かな」老人夫婦、尉と姥があらわれて、相生の松のいわれを物語る、おめでたい謡曲である。

「知る人」は、女ではなく男友達のようである。興風は、肝胆相照らした親友をうしなった寂しさを訴えつつ、そこに高砂の老松を持ってきて、人生の老いの悲しみを毅然と耐える男のイメージを透かせている。それが、この歌に挌調の高さを与えているのであろう。

『古今集』ではこの歌の前に、よみびと知ずとして、

かくしつつ 世おや尽くさむ 高砂の 尾上の上にたてる まつならなくに

高砂の松は老いてもがっしりと枝を張り、風雪に耐えて変わらぬ色を増している。私も老いたが、屈せず雄々しく生をおわろうと思う、高砂の松ではないけれど・・・というような意味であろうか。
ついでに老いににかかわる古来有名な歌を少しばかり抜き出してみよう。

われ見ても 久しくなりぬ 住之江の 岸の姫松 いく世経ぬらむ
世のなかに 古りぬるものは 津の国の 長柄の橋と われとなりけり
今こそあれ われも昔は をとこ山 さかゆく時も あり来しものを

無常感がないのは時代の風潮のせいであるが、その嘆きがドライでシンプルでからっとしている。もう、ダメじゃよ、この年では」といいながら、案外人ごとのようで、自分はさして老いを自覚していない。気は若いようである。
女の老いは、容色が衰えるという嘆きに重ねられるので、

小野小町の「花のいろは 移りにりな いたずらに わが身世にふる ながめせしまに」など複雑な陰影に飾られる。

自我を育てて生きれば、子や孫の肉親の情愛では埋められぬ、自分のキャリアにを研いたり、職務に没頭している時はそんなことは意識しない、でもふと感じる時に人生の寂寥感と孤独を知るであろう。さればやがて日本の女たちも、こういう歌を詠むようになるであろうと思う。

【作者】
藤原興風、生没年未詳。この人の詳しい伝記は未詳、日本最古の歌学書『歌経標式』(浜成式ともいわれる)の著者。
貫之と同年代の歌人である。官位は低かったが、当時有数の歌人だったとみえて『古今集』にはたくさんの歌が入っている。 
京家浜成の曾孫。正六位上相模掾道成の子。相模掾・上野権大掾・下総権大丞など地方官を転々としたらしい。最終官位は正六位上(尊卑分脈)。
 歌人としては、寛平三年(891)、貞保親王(清和天皇皇子)の后宮(藤原高子)の五十賀の屏風歌を詠進したほか、寛平御時后宮歌合、昌泰元年(898)の亭子院女郎花合、延喜十三年(913)の亭子院歌合・内裏菊合などに出詠して活躍した。
三十六歌仙の一人。家集『興風集』がある。勅撰入集は四十二首。琴の師で、管弦にも秀でたという。

 百人一首では34番目、紀友則と貫之の間に挟まれているが、百人秀歌では31番目に置かれ、32番の春道列樹「山川に 風のかけたる しがらみは…」と合せられる。列樹の歌に無常観を見て、興風の老いの述懐と取り合せたものか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「釈迦と女とこの世の苦」瀬戸内寂聴

釈尊の声が静かに流れた。
「可哀相な女よ、よくお聞き。元気を出すのだ。お前の打ち重なる不幸には
同情するが、人間はもともと、親兄弟や、夫や子供を拠りどころにしては生きていけないのだよ。遠い過去から今に至るまでの長い長い輪廻の中で、人間が愛する彼らを失って嘆き悲しみ、流した涙ははかり知れず、大海の水にもたとえられる」

「バターチャーラーよ。人間が拠りどころとして頼れるものは、法と自分しかないのだ。生まれた者は必ず死ぬ。会った者は必ず別れる。人間は生まれ、老い、病気になり、みんなみんな死んでゆく。おそかれ早かれ、わたしもお前も死んでゆくのだ。落ち着いてまわりを見廻してごらん。愛する者と別れなかった者など、一人だっているだろうか」

<ブログ[山と読書 ]、ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に] ><千人万首>等より転載あり。


コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

詩歌全般・日本古代史・たべもの 更新情報

詩歌全般・日本古代史・たべもののメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング