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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュの「卑弥呼と壹與(いちよ)の二女王の都」発見

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≪リンク先の表題等転載≫

歴史徒然:日本の誕生・日本語のルーツ・ウバイド・ウワイト・遷都
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara
スメル八千年
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/50410249.html
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「卑弥呼と壹與(いちよ)の二女王の都」発見
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/50762777.html
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出典:篤姫を生んだ鹿児島こそ
    スメル八千年帝国の理想郷だった
   『言語復原史学会:加治木義博』
    KKロングセラーズ 90頁

「4章 邪馬壹国の守護が嶋津家の任務」

 「鹿児之国(かるしま)」と当て字したものが鹿児島という地名の起源で、これが「オオヒルメ」が連れて来た八幡様(やばなー)の都市国家で政府であり、その後を継いだのが応神天皇で、「名乗り」も引き継いだので、名が変わった。それが「応神天皇の名替え」と呼ばれるものに合う。とすると、応神天皇は「倭の五王」の初代、倭王・讃の父だから四世紀の人、オオヒルメは「海幸・山幸」の豊玉姫の妹・玉依(たまより)姫であり、さらに整理すると、垂仁天皇の皇后の狭穂(さほ)姫が生んで自殺したあと、オオヒルメ=天照大神の肩書きをもつ壹與(いちよ)が、種子島から隼人へ連れて来た八幡(やばーな)なのだから、三世紀の人であって全然、時代が合わない。これは前の八幡は同じ品陀でも品陀真若=ホンダ・マワカ王で、四世紀にその名を受け継いだのが「品陀和気天皇」すなわち「誉田別=応神天皇」だったのだ。
 八幡はその時入れ変わったのである。こうみると不合理なところがなくなって、生きた歴史が蘇る。
 『正八幡縁起』がオオヒルメと書いたのは、壹與(いちよ)女王の一般の呼び名で、彼女は姉の狭穂(さほ)姫=豊玉姫が生んだ誉都別(ほむつ)皇子を連れてくる。
 これが正確な原型なのである。『記・紀』の記事では、卑弥呼と壹與は、二人の女王が一人の皇后として混乱している神功皇后であり、邪馬壹国の女王であって、八幡宮こそ卑弥呼が都にしていた倭人連邦の中心であった。
 これが八幡領の歴史であり、卑弥呼が政権を譲った壹與女王の都で、それ以前は「卑弥呼の都」巴利(はり)都(大隅語でハイト)だから住民は「ハイト=隼人(はいと)」と呼ばれたのだということになる。

 『参考』

 小林登志子『シュメル−人類最古の文明』:中公新書
 『メソポタミア世界』
 http://www.orient-matsudo.com/kobayashi-shumel.htm

 シュメル−人類最古の文明
 http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/folder/1602066.html

 ウワイト(倭人)ウバイド
 http://matmkanehara-momo.blogspot.com/

 歴史回廊(遷都)
 http://bloghistorygallary.blog10.fc2.com/


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