ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

詩歌全般・日本古代史・たべものコミュの<日本の古代史を白日のもとに>鰹節とコンニャク

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
≪リンク先の表題転載≫

歴史徒然:日本の誕生・日本語のルーツ・ウバイド・ウワイト・遷都
日本の建国&日本人のルーツ及び日本語のルーツについて
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara
・・・・・・・・・・・・・・・・・

鰹節とコンニャク  
http://blogs.yahoo.co.jp/matmkanehara/29803119.html 

ウィキペディア百科事典によれば「鰹節(かつおぶし)=カツオを原料とする日本の保存食品。基本的には魚体を三枚以上におろし、「節」(ふし)と呼ばれる舟方に整形してから加工された物を指して鰹節と言う。
 加工工程の差異によって、鰹を茹で干したのみのもの(なまり節)、それを薫製したもの、さらに黴を生やしたものがある。通常よく知られている鰹節は黴まで生やしたものであるが、広くは何れも鰹節と呼ぶ。「鰹節」の称は薫製法ができる江戸時代以前から既に用いられている。
 うま味成分のイノシン酸を多量に含有し、調味料として好んで用いられる。ビタミンB群など栄養分を豊富に含む。
 また、黴を生やした枯節(かれぶし)と呼ばれる種類の鰹節は、うま味成分やビタミン類が他の鰹節より多く含まれ、高級品として扱われている。
 モルディブなどにも類似した加工食品が存在する。
 コンニャク(蒟蒻)=サトイモ科の植物。あるいはその球茎から製造される食品のこと。
 コンニャクを食用としている地域は日本、中国、ミャンマー、韓国で、農産物として生産され、市場に流通しているのは日本のみである。日本での主産地は群馬県で国内産の9割を占める。」と書かれている。
・・・・・・・・・・・
 「カルデヤ→インド→稲敷→殷の大量の証拠群が復元」

 <カルデヤ人>は国を作る500年も前に、そんな進んだ文化をもっていたはずがない、偶然だ、間違いだという者が必ず現われるからある。
本当に<カルデヤ人>が<レイライン文化>をもってきたのであろうか?。
まず<殷墟>と<稲敷>との間に2200kmの<レイライン>が実在することは、地図で計ってみればすぐ確認できる。

 その<レイライン>は以後の日本列島に定着して、5世紀に築造配置されたことの確実な<仁徳天皇陵>から<応神天皇陵>、<景行天皇陵>、<伊勢元宮跡>までが、全く同じ11の倍数単位で測定配置されている。

 <その他の古墳>はもちろん、<神社仏閣>まで同じ配列になったものが、
 8世紀以後の建造物にまで実在している。

 だからこの<レイライン文明>は<日本の古代文明>だと主張できるから、なにもカルデアと結びつける必要はないのだが、前記のように<殷>と<稲敷>の結びつきが明瞭で、その稲敷と九州との間に<イン>・<イナ>の地名遺跡が現存して生きている。しかもそれはインドとつながって<イン>・<イナ>という地名のルーツを立証している。
 それと同時に、そのルートを結ぶ、<カルデヤ>の名からしか生まれない地名や国名の一族が、<ミャンマー>から我が国まで見事に分布していて、その関連を疑う余地がない。
 そのコースは<鰹節>や<宝貝貨幣>といった<特殊な海洋産業遺物>によって、殷帝国の誕生史を裏書きしている。

 「インド→イナ(稲)→イン(殷)の移住は史実」

<殷人>は本当に<シュメール人>だったのであろうか?。その名からみて、インドの方が深い関係がありそうである。その答は我が国の特産物のように考えられている<鰹節>にある。それは古代から、インド西岸にある<ラッカデヴ諸島の名産>だったのである。この諸島はまた<宝貝の宝庫>でもある。
日本の鰹節やコンニャクなどはスリランカ原産である。それらは日本建国以前から作られていた。八俣の大蛇と共にやってきていたのである。

 コーレイの名を生んだインド、ことに南海のスリランカとの交流もあり、カツオ節やコンニャクを運んだり、山鉾の神事を伝えたのも、彼らと彼らの交易相手であるインドの人々である。

 <日本の鰹節>と、殷帝国を支えた<古代沖縄の宝貝通貨>が、
 シュメール人の移動コースを記録している。
それは<ラッカ>という発音で<サッマ>に結びつく。彼等はインド人として我が国へきて、次第に北へ東へと拡大して分布圏を拡げた。その歴史を今ある主な地名でたどってみると次のようになる。

 まず『後漢書』が書く

 後漢の光武帝が授けた印綬=福岡の志賀の島出土金印の「漢の委奴国」=稲築(いなちく)(福岡)。 
 因の島(広島)。因幡(いなば)(鳥取)。稲美(いなみ)(兵庫)、伊南(いなみ)(兵庫・徳島)。
 稲(いな)・猪名川(兵庫)。員弁(いなべ)(三重)。稲沢(愛知)。伊那(岐阜)。
 引佐(いなさ)(静岡)。稲城(いなぎ)(東京)。印旛沼(千葉)。稲敷・伊奈(茨城)と続き、
 小地域名には<稲>、<稲葉>、<稲荷>、<稲田>など<稲のつく地名>が
 多数あるが茨城以北には分布しない。

 <殷墟>と<稲敷>を結ぶ<レイライン>は、<殷>から真東を求めて、偶然そこに稲敷があっただけだという人もあったが、それだと、こんなに移動コースに匹敵する地名分布だけ残り、それ以北に分布しない、 こんな現象は絶対に起こらない。 インド→イナ→インの移住は史実である。

 ※加治木義博「日本人のルーツ・保育社(カラーブックス):66・123頁」
       「言語復原史学会・大学院講義録28:17・21頁」

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

詩歌全般・日本古代史・たべもの 更新情報

詩歌全般・日本古代史・たべもののメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング