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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュの1−5 倭奴国を倭の奴国と読む誤り

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<リンク先転載記事>
 

1−5 倭奴国を倭の奴国と読む誤り 
http://www.geocities.jp/yasuko8787/1-1-5.htm

暗号「山上憶良」目次 
http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-mokuzi.htm

第一部 邪馬台国ファンを惑わす誤り
1.学界の常識の誤り
http://www.geocities.jp/yasuko8787/0-041.htm 

☆ 記事抜粋転載
金印第1号に関する学界の常識にも、許しがたい誤りがあります。
その最たるものは、「漢倭奴国王」を「漢の倭の奴の国王」と読むことです。
「後漢書倭伝」には、後漢朝の記録によったらしい、次のような年代付きの記事があります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
建武中元2年(57)、倭奴国の使者が、貢ぎ物を奉げて光武帝のもとに挨拶にきた。
使者は大夫と自称した。倭奴国は倭国の一番南の地である。
光武帝は倭奴国王に印章と下げひもを賜った。
安帝の永初元年(107)、倭国王の帥升は奴隷160人を献上して、
皇帝の謁見を願ってきた。
  (中国の古典17 『倭国伝』 藤堂明保監修 学習研究社 による)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この記事の疑問点を解決したとして市民権を得たのが、上記の学界の常識の誤りなのです。
その疑問点とは、無論、「倭奴国は倭国の一番南の地である」ということです。
九州の地図を見れば、倭奴国(前原市あたり)や奴国(博多あたり)は、一番南の地どころか、一番北の地といってもよいぐらいだからです。
ところで、最近、出雲大社の巨大神殿跡が発見されて、日本海沿岸に高床建物を出土する港が点在することが話題になりましたが、南北の差は気温などにもハッキリ表れるので、上の地図のように、大陸側に立って、日本海沿岸に点在する倭国の港を眺めるならば、奴国や倭奴国は、倭国の一番南の地である、といっても、間違いではないことになります。
『後漢書』の著者范曄(はんよう)に、倭国について、このような地理的認識があったかどうか分かりませんが、上の地図は、視点を変えることによって、常識という目隠しがとれて、真新しい風景が見えてくることを象徴しているようです。
それはさておき、1784年(天明4)に、志賀島で発見された「漢委奴国王」金印については、委奴国とは「後漢書倭伝」の倭奴国のことで、博多湾西側の糸島半島の、8世紀以後、怡土郡とよばれた地域、すなはち、「魏志倭人伝」の伊都国である、と見られるようになっていました。
しかし、倭奴(ヰド)をイトと読んでよいか、という問題と、「後漢書倭伝」に「倭奴国は倭国の一番南の地である」とあるのはなぜか、という疑問が残っていたのです。
この問題に対して、1899年(明治32年)、三宅米吉が、次のような答を出しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(1) 「委」は「倭」の略体である。
  聖徳太子の著書に、「大倭国」を「大委国」とした例がある。
  だから「漢委奴国王」金印は、57年に倭奴国王が授かった印章である。
(2) 「魏志倭人伝」にいう奴国は、『日本書紀』にいうところの、
  儺県(なのあがた)・那津(なのつ)で、
  いまの博多(福岡市)あたりである。
  したがって、志賀島の対岸にあり、金印出土地に最も近い。
(3) 「倭奴国」を「倭の奴国」と読めば、
  倭奴(ヰド)をイトと読むような無理がない。
(4) 「魏志倭人伝」には、二つの奴国がある。
  一つは、博多に相当する奴国、
  もう一つは、女王の支配する領域の一番南にある奴国で、
  その南には狗奴国がある。
  范曄は、奴国を後者と考えて「倭奴国は倭国の一番南の地である」
  という誤った解釈を添えたのであろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この(1)〜(4)までの理由によって、「倭奴国」という3文字は、「伊都国」ではなく、「倭の奴国」を表すものとして、学界にスンナリ受け入れられてしまったのです。
 以来、100年を経た今も、この誤りだらけの説が、学界の常識として通用しているのですから、学者は一体なにを研究しているのかと、腹立たしくなります。そこで、以下において、(1)・(3)・(4)の誤りを順次指摘し、
その後、あらためて(2)に触れることにします。

(1)に関して
「漢委奴国王」金印は、57年に倭奴国王が授かった印章である、ということについては、異論はありません。
しかし、「委」と「倭」は、東夷の「ヰド」という国名を表記するために用いた、「ヰ」にあたる同音の文字だから、略体かどうか分かりません。
 同様の例としては、邪馬台国の女王の名があります。
その名は、「魏志倭人伝」では卑弥呼と表記されていますが、「少帝紀」では、「卑」と同音の文字「俾」を使って、俾弥呼としています。
 しかし、これは、「ヒミコ」という名の表記の仕方がまだ流動的だったというだけで、「卑」は「俾」の略体である、と考えなくてよいわけです。

また、聖徳太子の著書に、「大倭国」を「大委国」とした例があるからといって、聖徳太子の時代より500年以上古い1世紀半ばに、中国で「倭」の略体として「委」を用いていた証拠になるでしょうか。

(3)に関して
倭奴国を倭の奴国と読むようなことは、日本人でないと思いつかないことです。言い換えると、中国の史官は、決してそのようなつもりで書いてないということです。
まず第一の理由は、「後漢書光武帝本紀」の中元2年(57)正月の項に、
「東夷倭奴国王が、使いを遣わして奉献した」とあり、
「後漢書安帝本紀」の永初元年(107)の項に、「冬十月、倭国が使いを遣わして奉献した」とあることです。

二つの記事を比較すれば、東夷倭奴国王と倭国王とは同格であることが分かります。

それに、「倭奴国」が「倭の奴国」という意味ならば、「東夷倭奴国王」とは、「東夷の倭奴国王」ではなく、「東夷の倭の奴国王」ということになり、
「極東の日本国王」というべきところを「極東の日本の福岡県知事」とでもいうのと同様に、間延びした表記になります。
また、「後漢書倭伝」の記事から、倭国の中の一国に過ぎない奴国王には金印を授け、国を代表する倭国王帥升には、印章と下げひもを授けなかったことになります。
こんなにバランスが取れないことをするでしょうか。
金印の価値を重視すれば、そのようなことは、到底考えられません。

第二の理由は、次のようになります。

「東京は、昔の江戸である」というのは正しいですが、「日本は、昔の江戸である」というのは間違いです。
ところが、「旧唐書」以後の中国の史書は、歩調を揃えて、次のように記しています。

「旧唐書倭国伝」  倭国は、古(いにしえ)の倭奴国である。
「新唐書日本伝」  日本は、古(いにしえ)の倭奴国である。
 「宋史日本国伝」  日本国は、もとは倭奴国であった。 
「元史日本伝」   日本国は東海の東に位置し、昔は倭奴国と称した。
 「明史日本伝」   日本は、古(いにしえ)の倭奴国である。

例えば「元史日本伝」にいう、「日本国は昔は倭奴国と称した」を
「日本国は昔は倭の奴国と称した」と読めば、「日本は、昔の江戸である」と同じことになります。

昔の倭奴国は日本国ですから、逆に日本国が昔の倭奴国といえるのであれば、
論理的に、「日本=倭国=昔の倭奴国」という等式が成立することになるのです。

それゆえ、中国の史官は、「倭奴国」を「倭の奴国」とは考えてなかったことになります

(4)に関して
范曄が、「倭奴国は倭国の一番南の地である」といった理由は、分かりません。
しかし、大陸側から日本列島の沿岸を見れば、この捉え方は成立します。
それはともかく、三宅米吉の説が100年間通用していた、ということは、
古代史学者の念頭には「魏志倭人伝」しかなく、「後漢書倭伝」さえも、上の空で見ている、ということではないでしょうか。

まぜなら、三宅説では、范曄は、「魏志倭人伝」を読んで、二つある奴国の内、
女王の支配する領域の一番南にあり、その南には狗奴国がある方の奴国を、倭奴国と考えて、「倭奴国は倭国の一番南の地である」という誤った解釈を添えたことになっています。

だから三宅説では、「范曄は女王国の南に狗奴国があると考えていた」ことになります。
けれども、范曄は、自ら、「後漢書倭伝」に、「女王国から東へ、海を渡ること千里余りで拘奴国に至る」と記しています。

ご覧のとおり、三宅説は、「後漢書倭伝」さえ、ろくに見ていないナンセンスな思いつきに過ぎないのです。

こんな説が、なぜ、学界の常識として通用するようになったのでしょうか。
日本古代史学界は、権威ある学者の説を無批判に受け入れる体質なのでしょうか。

いずれにしても、その結果、義務教育の中学校で使う歴史の教科書においても、金印についての解説に、<「委」は「倭」のことで、奴国は、現在の福岡市あたりにあったと考えられている>と記されているのです。

このような現状は、一日も早く改善すべきではないでしょうか。

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(マイ ブログ);http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08
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