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詩歌全般・日本古代史・たべものコミュのめぐりあひて 見しやそれとも・・・

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ブログ[北極星は北の空から〜ブログの中に] 小倉百人一首

感銘をうけた「名歌鑑賞」 22.


紫式部 ( むらさきしきぶ )57(改)
http://blogs.yahoo.co.jp/nissanr382rc/20572322.html


めぐりあひて 見しやそれとも 分かぬまに、雲がくれにし 夜半の月影



【歌の意味】
何年ぶりかしら、久しぶりにあなたに逢うなんて、ほんとにあなた?もっとお顔を見せてよ。幼顔が残っているような気もする。なんだかあやふやな夢のような思いのうちに、あなたはもうはや雲にかくれる夜半の月のように帰ってしまったのね。

『新古今集』・巻十六・雑・の詞書に「早くよりわらは友だちに侍りける人の、年ごろ経てゆきあひたる、ほのかにて、七月十日ごろ、月にきはひて帰り侍れば」として出ている。
これは『紫式部集』の冒頭にも据えられている。ずっと以前から幼友達だった人、その彼女と、何年かたってずいぶん久しぶりに逢った。けれどもつかの間であったから、彼女は七月十日の、夜半に沈む月と競うように早々とかえってしまった。というのである。

七月十日は大陰暦でいえばもう初秋である。今の太陽暦でいえば八月の半ば過ぎ、日中は暑いが、そろそろ夜の風がひややかになり初める。この「わらは友だち」は女友達である。紫式部は若いころ、同性の友人を多く持っていた。

これは他の王朝女流歌人と違う点であろう。紫式部集には多くの女友達が顔を並べて、そのために式部は女学生のように爽やかで、時には少年ぽくすらみえるという人もあるほどだった。このころの華やかな交流が源氏物語の基礎を作っていたのかもしれない。

紫式部、この『源氏物語』の作者も、残念ながら生没年が不明である。27番の作者、藤原兼輔を曾祖父に持ち、父は為時、文章生出身の学者で、越前守になった。式部は970年代に生まれ、長和三年(1014)ごろ、死んだのではないかといわれている。母は早逝し、年のそれほど違わぬ姉がいたということである。

この「めぐりあひて」の歌には『紫式部集』によると、こう書かれている。「その人遠きところへいくなりけり。秋の果つる日来たるあかつき、虫の声あはれなりけり」とあって
『鳴き弱る まがきの虫も とめがたき 秋の別れや 悲しかるらむ』
その女友達は遠い所へいく、。恐らく地方長官に任じられた父に従って任国へ下るのであろう。

九月末の夜ふけに、式部に別れを告げにきた。式部は友との別れを悲しんだのである。未婚の娘時代、いろんな女友達を持ったことは、式部の情操を豊にしたのではないかと、私はそう思う。これは現代でも同じであるが、大体いい女友達を作れない女に、たいした女はいないようである。

女の友情は当てにはならぬというのは、男性文化がつくりあげた迷妄と偏見であろう。それも家庭や係累に埋没してしまうような女ならば、友情を持つ能力はないだろうが、自我と個性が確立している女なら、女同士の能力をみとめ、嘉するもあるであろう。

されば、互いに認め合い、信じあう女達の間に友情が生まれるのは当然であろう。私は男性の友人も尊重するが、プロ意識に徹した女性の友人の方も共に仕事をしていて楽しい。西も東もわからぬようなくちばしの黄色い娘っ子では、しょうがないが、落ち着いてしっかりしたキャリアを感じさせる女性ならば当てにできる。

それはさておき、式部は娘時代、女友達といろんな物語を論じたり、歌を詠み合って楽しみ、文学的才能を無意識のうちに育てていたのであろう。式部は生まれつき怜悧であった。これは式部が自分で書き綴っていることであるが、兄の惟規(のぶのり)に父が漢籍を教えているのを、よくそばで聞いていた。

式部は兄より早く覚え、父は、「この子が男の子だったら」と悔しがったという。利発な少女の式部はさかしく学問を学んで、血肉としていった。式部の家は詩文を以って立つ一族であった。父は政界ではうだつが上がらないが漢詩文の大家として社交界では重んじられていたようだ。

姉を含む女友達のサークルには、式部に夢をふくらませた、文学少女の集まりがあったのかも知れない。この「めぐりあひて」の歌はその若き娘時代の歌である。少女時代に、女性の友情に恵まれたことが式部の心を深く耕し、人生を、男性の目と女性の目と、複眼で見ることが養われたと見てよいであろう。

『源氏物語』を読むと、女の眼六十パーセント、男の眼四十パーセント、という感じだろうか。とまれ、この歌は若々しい友情がにじみでている、歌で晩年の式部ではこのようには歌わないであろう。

男性諸氏も『原意物語』には手が出ないといわず、一度は読んでみると女性の考えは斯くあるものかと理解がすすむであろう。徳川時代の儒教の影響、明治時代の富国強兵精神、戦前戦時中の皇室不敬罪(皇室に関するものはたとえ文学作品であろうとも国禁の書となった)などの政策が今に尾を引いているのであろう。それ以前の時代では教養のシンボル的存在であったのである。


【作者】
紫式部(978?〜1016?)藤原為時の娘。藤原宣孝との間に大弐三位賢子(かたこ)を生む。夫と死別の後には上東門院に仕えた。清少納言と並び称される王朝時代きっての才女。千数百年読みつがれて英語など数ヶ国語の翻訳され愛読されている、大作『源氏物語』を始め『紫式部日記』家集に『紫式部集』がある。勅撰集入集歌三十七首、中古三十六歌仙の一人。

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