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喫茶古 万里一條鐡 石州流茶湯コミュの茶席の禅語

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「喫茶古」

ただ単に「お茶を飲んでいきなさい」といっているだけ。
字数が少ないとかえって意味が深い物になっている言葉ですね。勧める人はかなりの徳をつんでいますとさらに重みのある言葉になりますね。

コメント(16)

「一期一会」(いちごいちえ)

一期は一生の意味。一会は一つの出会いのこと。
そこでこの出会いは一生涯に一回きりの出会いだから
この出会いを大切にしなさい。ということですね。

禅語はどれをとっても意味が深く、また感じる側がの透過が
いくつもの意味を考えさせられます。
「一@一@」というのはいくつかありますが、この語は茶の湯以外でも一般的に使われますのでその意味の大きさ深さは千差万別ですね。

昔勤めていた飲食店の店主がよく言われていたことですが
「お店のお客の接客は毎日のことだが、お客様にとってはそれが一回きりかもしれない。」だから一つのミスもなくすよう心がけることが大切である。とといてます。
茶の湯も同じことがかんがえられますね。

利休さんは同じお客たちに 同じ道具組、おなじ点前で数回茶会をされたことがありますが、これでもこれは「一期一会」になります。「?」と思うがどの会も「永遠の一回」だからです。
たかが4字ですが意味の深さにはなんともいえない魅力があります一語です。
「本来無一物」 (ほんらいむいちもつ)


本来何物も存在しないということですね。
ただあるのは真理のみ。

この真理をもとめて人は行き詰りますね。
また自分と解釈、価値観の違う人と衝突します。
いさかいこそが意味の無いことでお茶でも飲んで
また見つめなおすことが大事ですね。
茶禅一味(ちゃぜんいちみ)


これは禅語ではありませんが、

茶禅一如は茶は禅のようにと同様で「茶=禅」と説いていることがおおいですね。確かにそうでしょうがやや疑問ですね。
たしかに茶と禅は共有するところが大きいようですが、私は少し違うとおもいます。
数学の集合論のように二つの別々のサークル(円)がそれぞれ茶と禅で重なり合う部分が一部あるのだとおもいます。人によってはこの重なり部分がかなり大きいと思う方もいるかとおもいます。だから「茶≒禅」ではないでしょうかね。
白雲自去来(はくうんおのずからきょらい)


白雲というとすみきった大空に真っ白い雲を連想していい意味に思えますが、実は悪い奴なんですね。それが次々とわきおきるわけなのです。

禅風の解釈では
白雲とは、怒りや愚かさ等の心の障害物のことです。
(曇りだとお天道様が見られませんものね)
真実の自己を覆い隠す邪心や煩悩です。

そんな物がいくら来ても自己の心はすみきっていて揺らぐことはないということです。
(雲の上空にはいつでも(夜以外は)太陽は輝いていますものね)

南山鼓北山舞(なんざんつづみ(うちて)ほくざんまう)

南の山が鼓を打てば、北の山は舞いはじめる。という解釈らしい。

先日の茶会でかかっていたお軸です。
私の解釈では簡単に「打てば響く」かな?
もっと簡単にいうと「つーといえばかー」かな?
しかしながらもっと深い意味があるのでしょうね。
「百不思」(百を思わず)

全体を百とすれば満点は百だが、
数字であらわせないものは、百を求めてもいけないのだ。吾唯足知と似てますね。
> にじり口さん

よろしくお願いします。
すでに他のコミュ、ただの「石州流」でお世話になっておりますね。

こちらも新トピック立ち上げて茶席の花をさかせてくださいませ。
> にじり口さん

追伸です。
茶禅一味の理論は、私の持論ではありません。茶道史研究者の数江瓢鮎子先生の受け売りです。先生は和辻哲郎先生の教え子で哲学や宗教学者でもあります。私もそう思います。集合論は私の付け足しですがね。
> にじり口さん

暫定的にあちらのコミュも私が勝手に管理人になりました。そうしないとだれも書き込みができませんからね。しかしあそこは石州系でも奈良の新石州系のかたが管理人にふさわしいのですがね。私はこちらもいっぱいいっぱいですからね。(私の参加コミュ約五十のうち私が管理人もしくは立ち上げたものが約十五あります)



さてとお軸の話ですが いい言葉ですね。
冬が過ぎれば春がきて草花が芽吹きはじめる。この当たり前のことをよろこぶことはすばらしいですね。
「ありがたい」とは感謝の言葉ではなく、めったにないことを意味します。だからうれしいのです。本題は当たり前のことがうれしいのですね。
日本で昔は「水と安全はただ」でした。今はペットボトルのおいしい水をわざわざお金だして飲んでいる不思議な人種が多いです。水道水も昔にくらべおいしいような気がします。当流の茶会でもお取り寄せのおいしい水を使用しています。会記に書かないけどね。
そんな当たり前の定説が崩れ始まる昨今では普通、無事が一番ということを再検討する時期かもしれません。
先年娘が入院して「歩けなくなるかも」と医者に言われたときは頭真っ白でした。そんなときにもう一人の娘を連れ他人から些細な親切をうけたときは世間の優しさを再発見できました。
戦乱をなげいた漢詩の「春望」を思い出しますね。

南半球のオーストラリアからコアラを飼育するためにユーカリの木を輸送して移植したそうだが、ユーカリの木は育たずかれてしまったそうです。季節が春夏秋冬の順でまわって来ないので木がノイローゼになったのかもしれませんね。
心配なさらないでください。
定期的に診断にはいきますが娘は今、元気よく保育園に通っています。
読み返しましたら書き損じていました。
> にじり口さん

三玄は三つの○中玄(○の中の玄)のことですね。禅風の解釈だと玄は真理のことらしい。体は形、句は言葉つまりコトダマつまり心。
浅草〜上野の途中にある仏壇屋のキャッチコピーに「こころはかたちをもとめかたちはこころをすすめる」とあります。また昔別のコマーシャルに「健全な肉体に健全な精神が宿る」(スポンサー不明)とありました。
体と心は一体なんでしょうね。

また「玄」の漢字を調べると「玄」の字は黒色を表す。天空の色とされ、大地の黄色とともに「天地玄黄」と併称される。「黒」との違いは『説文解字』に「黒くて赤があるものを『玄』という」とある。また天から引伸して奥深い玄妙という意味が生じた。とあります。
玄中玄は最初、くろうとの中のくろうとかと思いました。

「白雲自去来」で大空を自己の真理とといたのと同様で玄は天空すなわち真理なんですね。やっぱり玄中玄はプロ中のプロつまりエキスパートのことなのかな!もしくは悟りができた如来様かも?


余談ですが武田信玄(晴信)にもこの漢字がつかわれるています。玄は「はる」とも読み晴に通じているのね。残念ながら彼は一代限りでした。劉備玄徳もそうでしたね。
大事なことが書き損じてました。
玄は「玄武」の玄ですね。
玄武は風水学(陰陽の一部)の四方位の北をまもる亀の神獣です。

南の朱雀の赤(朱赤)・火に対する黒(漆黒)・水なんです。
水が黒とはイマイチ不思議なんですがね。

私の解釈だと西は西方浄土(仏教では死ねば西に極楽浄土があるらしい。太陽が沈む方向からだからかな)で冥。
北はなんでも吸収する闇。てなかんじでブラックホールみたいですね。

一行三昧 (いちぎょうざんまい)

同時に二つのことをするとどちらもものにならない。

例えば試験勉強をするのにラジオを聞きながらするとおろそかになりラジオの内容もうるおぼえになり勉強もあまり進みませんね。

結局は時間の無駄遣いになります。

聖徳太子のような能力があればよいのだがね。

チャンネルを切り替えることと集中させることが肝心です。「ながら」はやっぱりしないほうがよいね。

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