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ミイラ・ミイラ・ミイラコミュのペルー

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イイヨー(・∀・)イイヨー!!

ペルーはインカ帝国の中心部であり、さらにパラカスやナスカやチャチャポヤスといったミイラを作る風習のある前インカ文明が栄えた地であり、それらの文明の遺跡からミイラがざくざく発見されているということで、南米一ミイラ人口の多い国かもしれませんね(・∀・)

コメント(142)

(・∀・)イカー くコ:彡

女性ミイラの背中が!!(・∀・)
最後の画像のミイラは足や腕の黒っぽい部分は刺青のような虫食いのような??
>>105の2枚目のミイラの大きめの画像がありましたが、やはりポツポツとあるのが刺青なのか虫食いなのかよくわからないですな。
ナスカの地上絵がメインだったらしく
気持ちここにあらず
わっ ミイラだ( ꒪⌓꒪)
でパシャパシャ撮られたみたいで、詳細は不明です。
しかしイカ🦑行きますかw
ナスカの地上絵は飛行機が気持ち悪くて観れなかったらしいです
高度が相当らしく高山病みたくなるそうな

飛行機から見るのができなかったというのは残念ですな…(・∀・;)

ちなみにナスカの地上絵といえば、地上絵の研究で有名なマリア・ライヒェの博物館がナスカとイカのあいだあたりにあって、そこにもミイラが展示されています。
マリア・ライヒェ博物館のミイラ、顔面など。
マリア・ライヒェ博物館のミイラ、特徴的な文身。
こちらの画像のミイラは腕の文身や顔面の皮膚の状態からマリア・ライヒェ博物館のミイラと同一と思われますが、ポーズが違うという…(・∀・;)
ナスカのミイラ

西暦100〜700年ごろのナスカ文化のミイラで、リマの黄金博物館(Museo del Oro)所蔵とのこと。
こちらもリマの黄金博物館(Museo del Oro)所蔵。
ちなみに黄金博物館(Museo del Oro)といえばコロンビアのボゴタの黄金博物館(Museo del Oro)のほうが有名っぽいです。

画像は↓のブログより。
セマナサンタ2019 リマ3泊4日〜2日目、パチャカマック遺跡と黄金博物館など
https://4travel.jp/travelogue/11487311

左下のミイラも何のミイラか気になりますが詳細は不明。
>>117のミイラは、↓のキャプションによると紀元前3世紀のパラカス文化の女性ミイラで、紀元前200年ごろのもの、とのこと。

Pre-Inca civilization, Peru, 3rd century b.C. Paracas culture. Mummy of a woman wearing a bone necklace and a feather headdress, circa 200 b.C . Lima, Museo De Oro Del Perù Y Armas Del Mundo (Gold And Weapons Museum)
https://www.agefotostock.com/age/en/Stock-Images/Rights-Managed/DAE-11127958
2月23日放送の「世界遺産」で、生贄にされた子供のミイラが紹介されていました。
いちおうミイラと紹介されていましたがほとんど骨でした。

チャン・チャン遺跡地帯 〜 アメリカ大陸最大!土でできた古代都市
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20200223/

ペルーの太平洋沿岸に続く海岸砂漠にある、土で造られたアメリカ大陸最大の古代都市チャンチャン遺跡。沖合いを流れるペルー海流の水温が低いため、雨雲が出来にくく日干し煉瓦による建造物を可能にした。一方、同じ海岸沿いにある丘、パンパ・ラ・クルスからは近年、200体を超える子どもの埋葬遺体が見つかった。それは、かつてこの土の都市を襲ったエルニーニョ現象による大雨を鎮めるための、神への捧げ物だったのである。

2018年、パンパ・ラ・クルスの丘(チャンチャン遺跡から8kmほどの距離)から200体を超える子どもの埋葬遺体が見つかった。海の方向を見るように埋められ、エルニーニョの大雨を鎮めるために海の神に捧げられたもの。その中には、鮮やかな装飾品をともなった位の高い子どもたちの姿まであった。


チャン・チャンはペルー共和国北西部トルヒーリョ近郊にある遺跡で、約500年前にインカ帝国によって滅ぼされたチムー王国の都。
こちらはパンパ・ラ・クルスの丘で発見された貴族と思われる子供のミイラ。
1、2枚目画像が男の子、3枚目が女の子。
パンパ・ラ・クルスの丘で生贄にされた子供たちは胸をナイフで切り裂かれて死んだと考えられています。

1枚目の画像は水平に切断された胸骨、2枚目は胸を切り裂くのに使われたというナイフ。ナイフの左の丸い部分は空洞で、中に玉か何かが入っていて、ナイフを振るときにカラカラと音が鳴ります。
パンパ・ラ・クルスの丘に埋葬された遺体のうち、いくつかはミイラ化していた、とのこと。
パンパ・ラ・クルスの丘には子供のほかにリャマの子供も埋葬されていました。

パンパ・ラ・クルスから132人の子供と260体のリャマ、パンパ・ラ・クルスの数km南にある「Las Llamas」からは137人の子供と206体のリャマの遺体が発見されています。

リャマは高価な供物であり、また、茶色のまざった毛のものが多くて白や黒の毛のものは少なかったことから何らかの理由で選別されていたようです。
「Las Llamas」は「ウアンチャキト=ラス・リャマス」というのが正式名称で、生け贄の子供の遺体発見は、この「ウアンチャキト=ラス・リャマス」の砂丘で人骨が露出していたのが見つかった(地元民が付近で寺院の発掘作業をしていた研究者に人骨の露出を知らせた)のが端緒だったそうです。

画像は、リャマの子供と一緒に埋葬されていた子供の遺体。
子供たちは顔に赤い顔料を塗られたあと、胸を切り開かれて心臓を摘出された、と考えられているようです。


史上最大規模、子ども140人の集団生贄を発見
遺体には心臓を取り出された跡も、南米ペルーのチムー王国遺跡
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/b/042800176/

前代未聞の遺体の数、子どもたちはなぜ殺されたのか
生け贄か? チムー王国の謎
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/012900067/

What made this ancient society sacrifice its own children?
(この古代社会が自分たちの子供を犠牲にした理由は何か?)
https://www.nationalgeographic.com/magazine/2019/02/chimu-people-sacrificed-children-llamas-peru-mystery/

140人近い子どもが殺され神に捧げられた儀式の詳細が明らかに、心臓が取り除かれた可能性も
https://gigazine.net/news/20190307-mass-sacrifice-children-and-camelids/
エルギン博物館のミイラ

スコットランドのエルギン博物館(Elgin Museum)で展示されているミイラ。
ペルーの王女のミイラだそう。

時代や地域については不明。
縄で縛られたミイラ

縄で縛られたミイラ発見 800〜1200年前に埋葬か ペルー
2021年12月1日
https://www.afpbb.com/articles/-/3378582

ペルーの首都リマの東24キロにあるカハマルキリャ(Cajamarquilla)で、縄で縛られている珍しいミイラが発掘された。800年から1200年前のものとみられる。

ミイラは男性で、死亡時は18〜22歳だったと考えられ、両手で顔を覆うような姿勢だった。深さ1.4メートルの場所にある長さ約3メートルの墓室から見つかった。

ミイラの横にはアンデス山脈(Andes)に生息するモルモットと犬とみられる動物の骨があった。墓室からはトウモロコシなど野菜の痕跡も見つかった。



「有吉の世界同時中継」では「嘆きのミイラ」紹介されていました。
縄で縛られたミイラ その2

縄でしばられたミイラ発掘、当時の重要人物か
https://www.cnn.co.jp/fringe/35180082.html

ミイラは縄でしばられ、両手で顔を覆っていた。研究チームによると、これはペルー南部の葬儀の習慣だという。ミイラの年代は、スペインに征服される前の時代、さらには15世紀のマチュピチュ遺跡で知られるインカ文明よりも前の時代にさかのぼる。

発掘を率いた考古学者によると、今回発見されたミイラは山間部からカハマルキージャにやって来た25〜30歳の男性だった可能性が大きい。カハマルキージャはかつて商業中心地として栄えていた。

発掘は10月中旬から始まった。しかし探していたのはミイラではなかったことから、今回の発見は予想外だった。

ミイラが埋葬されていた墓の前では複数の海洋軟体動物も見つかった。カハマルキージャは海岸から約25メートル離れており、これも研究チームにとって予想外だった。

「遺体が墓に安置された後も、持続的な行事や活動があった」と研究者は解説する。「長年の間、子孫が戻って来ては、軟体動物などの食事や供え物を置いていた」

墓の外ではラマの骨も見つかった。当時の人たちは普通にラマを食べていたことから、死者のためにラマ肉が供えられていたのだろうと研究者は推測する。

発見された状況から推測すると、このミイラは一般市民ではなく、当時の社会で地位の高い重要人物だったと思われる。有力な交易商だったとする説などがあると研究者は言い添えた。
縄で縛られたミイラ その3

縄で縛られたミイラの付近で子どものミイラが6体発見されたというニュース。
「有吉の世界同時中継」ではさらに2体発見されて8体となっていました。

子どものミイラ6体発見、いけにえか ペルー
https://www.afpbb.com/articles/-/3390084

子どものミイラ6体が発掘された。約1000〜1200年前に墓に埋葬されていた高位の男性の従者として、いけにえにされたとみられる。

子どものミイラは墓の出入り口の何か所かに積み重ねられていた。
付近では、大人7人の遺骨やラマのような動物の骨、土器なども見つかった。
縄で縛られたミイラ その4

続報で、子ども8体を含む20体のミイラが公開されたというニュース。
成人ミイラ12体の画像や情報は無し。

インカ帝国以前のミイラ20体公開
https://www.afpbb.com/articles/-/3391461

カハマルキリャ(Cajamarquilla)遺跡群で、ミイラ20体が公開された。うち8体は子ども。いずれも約800〜1200年前に高位の人物の従者として、いけにえにされたとみられる。
こちらのミイラも縄で縛られてますが、"Mummy of an Incan Nobleman from Chaplanca, Peru, 12th Century, Taylor Collection"(12世紀、ペルーのチャプランカ出身のインカ貴族のミイラ。 Taylor Collection)とのこと。

12世紀ということは、おおよそ900年前なので、800〜1200年前とされる「縄で縛られたミイラ」と近い年代のミイラかもしれません。
子どものミイラ顔面

CNNの写真特集から。

Bringing life to Peru's ancient mummies
https://edition.cnn.com/2015/07/16/world/gallery/cnnphotos-peru-mummies/index.html

写真家 Lorry Salcedoは、母国ペルーの海岸を旅して、1000年以上前のミイラを記録しています。この顔は、ワリ帝国(紀元550〜1000年)の8〜10歳の子供のものです。
縄で縛られたミイラ その5

画像を見ると背中から腰にかけて結構布が残ってるので、縄で縛られたというより、普通に梱包されてたのが、布だけ崩壊して縄が残ったという感じに見えますな。
パラカスミイラ

2000年以上前のパラカス文化のミイラ。
1920年代にペルーの考古学者Julio C. Tello(フリオ・C・テロ)が墓泥棒から買い取った、とのこと。

頭部が大きいのは頭蓋変形ではなく生まれつきだった可能性がある、体の下半分が無くなっているのは墓泥棒が金目のものを探してミイラを破壊したのかもしれない、とのこと。
アレキパ地方で発見された男女ミイラ

スイスのドレモン博物館所蔵のミイラ。以下の記事で紹介されています。
(記事中のチリの男性ミイラは「チリ」トピックの>>99で紹介しています。)

1100年前の南米のミイラ、残虐の限りを尽くして殺されていた! 最新3DCTスキャンで判明した怖すぎる最期
https://tocana.jp/2022/09/post_241118_entry.html

ドレモン博物館のミイラは男性と女性で、ペルーのアレキパ地方で発見された。女性の方は放射性炭素年代測定の結果から西暦1224年〜1282年のものであることが判明し、男性の方は西暦902年〜994年の間に生存していた。

ドレモン博物館の男性のミイラは、後ろから強烈な力で殴られ、首が折れて(2つの頸椎が脱臼して)即死であったと考えられるという。

女性ミイラも骨格に損傷を受けていたのだが、これは彼女の遺体が埋葬されたときに起きたものと考えられるということだ。
アレキパ地方で発見された男女ミイラ その2

男性ミイラの頭部。
アレキパ地方で発見された男女ミイラ その3

男性ミイラ。
アレキパ地方で発見された男女ミイラ その4

女性ミイラ。
イヌのミイラ

ペルー南部、モケグア県イロ近くの古代墓地で80頭のイヌが発見された。
イヌは約2,000人の遺体とともに埋葬され、その毛皮と組織はこの地域の乾燥した気候によってよく保存されており、一部のイヌは非常によく保存されている。

現在、地元に生息するイヌと同じ品種と考えられ、チリバヤ・シェパードという名前が提案されている。

犬の年齢は子犬から成犬まで多岐にわたり、ほとんどが自然死だった。
これらのイヌはラマやアルパカの群れに対して使われていたと考えられている。

約30頭はラマの毛の毛布に包まれていた。イヌたちはそれぞれ個別の墓穴に埋葬され、鼻の横にはラマの骨や魚の骨が置かれており、飼い主があの世で楽しむためにおやつを残してくれたことを示している。
イヌのミイラ

首都リマにある動物園、パルケ・デ・ラス・レイエンダス(伝説の公園)は、リマ文化 (西暦 100 〜 650年)、イヒマ文化 (900 〜 1470年)、インカ文化 (1200 〜 1500年) の遺跡のある公園に1964年に造られました。

2012年にイヒマ文化の時代の126(134?)人の人間と 128(138?)頭の犬の遺体が発掘されました。
人間の遺体は20〜40歳代で頭蓋骨や肋骨に激しい損傷が見られ、彼らは戦士だったと推測されました。
犬の遺体は首にロープが巻かれ、喉を切られたり首を絞められて殺されており、死んだ人間の供物・生け贄として捧げられたと考えられています。

犬たちが死後の世界で人間の案内をすると信じられていた、みたいな説もあるようです。


Why are these 1000-year-old dogs buried under the Lima zoo?
https://www.science.org/content/article/why-are-these-1000-year-old-dogs-buried-under-lima-zoo

1,000-year-old remains of strangled dogs are found buried next to skeletons of slain warriors in Peru
https://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-3835921/1-000-year-old-remains-strangled-dogs-buried-skeletons-slain-warriors-Peru.html
リッペ州立博物館のミイラ

ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州リッペ郡、デトモルト市にあるリッペ州立博物館の女性ミイラ。

調査により西暦1319〜1361年という年代が判明した。死亡当時はおそらく40歳以上だったと思われる。出所が不確かで、入手履歴がない。
とのこと。

顔と胸に文身(いれずみ)があるとのことですが、いまいちよくわからないですね。
リッペ州立博物館のミイラ その2

全身。

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