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古寺巡礼コミュの薬師寺(奈良県奈良市)

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興福寺と同じく法相宗の大本山。
近鉄電車の車窓からもよく見える薬師寺のきらびやかな伽藍は奈良を代表する風景のひとつです。
「凍れる音楽」と称される東塔と薬師三尊像、聖観音像は日本の仏教芸術の最高峰のうちのひとつかとも思います。
薬師寺は昭和から平成にかけて伽藍の復興が大いに進み、ほぼ白鳳時代の姿に復帰しつつあります。
これは高田好胤師の行動力によるところが大きいのでしょう。
奈良を魅力を「滅びの美学」にあるとするならば、これは逸脱ともいえるのかもしれませんが。

コメント(24)

ここの修復には台湾は台南県の桧が使われています。もう台湾でもなかなかお目にかかれないような貴重な用材が用いられました。これから千年、2千年と末永くその姿を保ってもらいたいものです。
宮大工の西岡常一さんですね。

ネットで検索していたらこんなツアーがあるそうです。
http://bigtree.maxs.jp/tour/2007/taiwan/kokuti_01.html
昨日の夕方、久しぶりに行って来ました。
閉門30分前だったからでしょうか、薬師三尊の前でのお坊さんのユーモアあふれるトークが行われておらず残念でした。。
しかし、やはり東院堂の聖観音にはシビれました。。
閉門間際で入口がどんどん閉じられて来て、和辻哲郎の気分を味わいました。
確か和辻の古寺巡礼に夕暮れの薬師寺の描写があったような…。竹山道雄の古都遍歴では夕日に映える聖観音が絶賛されていたはずです。いずれにせよ薬師寺は夕暮れが、ベストなんでしょうね。
先日、薬師寺に参拝してきました。
桜が綺麗でした。
西岡常一棟梁が西塔再建で東塔より高く設計されています。
千年後に同じ高さに成ると言ってました(木材の伸縮[乾燥]で)
90%近くが台湾檜産の金堂ですね♪

三蔵法師(玄奘)の墓が奥の院に在ります。
堂には[不東]の文字が掲げています。

白鳳伽藍は、藤原京時代の伽藍を平城京遷都に伴って伽藍その物を一から配置を変えずに藤原京時代の白鳳伽藍を現在地に創建した!
天武・持統の意志を継いで元明天皇が命じた!
台湾産のヒノキは薬師寺以外でも法輪寺三重塔、東大寺大仏殿、平安神宮などの寺社建築に使われているそうです。
東塔が低い理由は、1300年にわたる境内への土砂の流入によって東塔の基壇のまわりが埋まってしまっているのに対して、西塔は現在の地面から基壇を築いているために大きな高さの違いが発生しているということがあります。

東塔の解体修理の際に基壇を現状のままにするか、現在の地面に合わせて本来の高さの基壇にするのか、興味深いです。
1300年間もの土砂が堆積すると相当の高さになりそうですね。
> 池彼方さん

たまに秋篠川が氾濫しては土砂が境内に流入して少しずつ堆積して、現在では発掘調査しないとならないくらいに当初の境内の地面は埋まっているようです。

東塔の基壇が階段なしで登れるほど低いのはそういう理由とうかがいました。

東塔の解体修理は、基壇の高さの復元、各層の連子格子窓、三重の屋根の勾配、塗装、そういった西塔との違いをどうするか、修理委員会とお寺側の意見の調整がどういう結論を出すかが注目です。

修理が終わったら、朱塗りに緑青の連子窓の東塔かも知れません。
> ダルハンチンさん
西塔の隣で発掘調査をしていました!
基壇か遺構を発掘調査していました!
> 児玉総参謀長さん

そうなんですか。

建物がないところは白鳳時代の境内の地盤があるだけでしょうけど、どういう目的なんでしょうね。
なにか意外な発見があると面白いですが。
> 池彼方さん

奈良の魅力を「滅びの美学」にあるとするならば・・

確かに奈良は古代に移転した都、古都と呼ぶにふさわしい都です。

しかし、お寺は博物館でも美術館でも骨董屋でもなく、宗教の伝統を守りそして人々の信仰の場です。

お寺は仏像を収納する建物ではなく、仏様がお住まいになる宮殿です。
仏様を信仰し礼拝する人々が仏様を美しく荘厳する、様々な装飾を施して美しい花を飾るように美しい立派な建物にお住まい頂く。
奈良時代の寺院がきらびやかなのはそういう気持ちが込められていると考えられます。

伊勢神宮が式年造替するのもきっと同じ理由でしょう。

古いお堂が味わいがある風格があるといって人間が小綺麗な家に住んで喜んでいるのはおかしな話、仏様に美しい花を飾らずに枯れた草花を供えるはずはありませんよね。

奈良時代の寺院の姿を目の当たりに出来る薬師寺の存在は、観光にあぐらをかかず生きた信仰と文化のお寺として重要だと思います。

再建された唐招提寺の南大門もかなり風格が付きましたが、朱塗りが鮮やかな時期もあったはず。東大寺も回廊と中門はまだ朱塗りが鮮やか、建築当初の真新しい姿を価値のないものと考えてしまう観光客をいかに理解させられるかが薬師寺の大事な役目ではないかと思います。

見物に来た観光客に参拝して帰って頂く、という薬師寺のお坊さんのお話が心に残っています。
古寺の崩れかかった土塀や破れた障子などに“滅びの美”を見出したのは白樺派あたりからになるのでしょうか。
写真家の入江泰吉師の作品もそんな美学で貫かれています。

しかし、このような感覚は日本人、それも近代の日本人特有の見方なんでしょうね。
中国でも韓国でも東南アジアでも仏教寺院はあくまでも信仰の場であり、それは荘厳であるべきものと考えられています。
(ちなみに韓国には兪弘濬という芸術学の学者が『私の文化遺産』というベストセラーを出し、一種の韓国版“滅びの美学”のような考えを提示していますが。)

ダルハンチンさんがご指摘のように、薬師寺のあり方はいろんなことを我々に問いかけてくれていると思います。
> 池彼方さん

ありがとうございます。

入江泰吉氏が残された滅びの美学の奈良の光景は、皮肉にも高度経済成長によって再び滅びてしまったのでしょうね。

社寺建築に対して骨董趣味的感覚を抱くのは日本人だけなんですね。

以前に話していて気が付いたのですが、唐招提寺はヨーロッパ人好み、薬師寺はアメリカ人好みでは?。

朱雀門に続いて大極殿が復元されてわかりやすくなったのですが、奈良時代の宮殿建築と寺院建築には本質的な差がないんですよね。
大極殿に入ると薬師寺の大講堂とシンクロする感じですし。

唐招提寺金堂が朱塗りになっていたら非難轟々だったでしょうが、薬師寺は薬師寺のキャラクターで明るくきらびやかでいいと思います。

でも、出来れば東塔は今の姿をあまり変えて欲しくないというわがままな私です。
唐招提寺はヨーロッパ人好み、薬師寺はアメリカ人好みというのは面白い対比です。
ヨーロッパには廃墟趣味とか一種の“滅びの美学”がありますからね。
もっとも庭園内にギリシャやローマの古代遺跡をわざわざ作ったりして作為的なところはありますが。

奈良時代の宮殿建築と寺院建築がシンクロするのは、唐文化を直輸入していたからかもしれませんね。
中国の伝統的な建造物は宮殿も孔子廟も仏教寺院も道観も、さらには清真寺(モスク)までもほとんど同じ建築様式で建てられたりしていますから。
> 池彼方さん

インドでもチベットでも中国でも、寺院建築と宮殿建築は本質的な違いがないと言えると思います。
どこの国であっても仏様のお住まいは最高の格式の建築様式にすると宮殿建築になるのだと思われます。

そして伊勢神宮の正殿も古代日本の宮殿建築です。
古代日本の最高の建築様式の建物に最高神をお祀りしたのでしょう。しかも20年ごとに建て替え。

ですから、古びた建物に価値を感じるのは古代日本にはあまりなかったのでしょうね。

侘び寂びの世界の茶道が流行してからという可能性も感じます。

やはり千利休あたりが日本人の美意識のターニングポイントだったのかもしれませんね。
東塔全面改修工事に伴い21日迄、東西両塔の内陣拝観出来ます
この撮影スポットを偶然見つけられたとはすごいです。

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