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死刑制度 death penalty コミュの死刑制度の意味 02 

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タイトル通りです。
何のためにあるのか考えるトピックです。
 
トピック『死刑制度の意味』シリーズ https://goo.gl/xvV6as

コメント(18)

管理人さんトピ立てありがとうございます。
<箇条書き・冤罪根拠の死刑廃止の主張>

冤罪はあってはならない。

しかし、

刑罰制度には冤罪リスクがある。
これは客観的事実である。

だから、

我々は、刑罰に冤罪リスクがあることを認めなければならない。

そこで、

刑罰制度の冤罪リスクはどこまでが許容範囲であるのか。
その許容基準はどこに置かれるべきか。

と考えることができる。

冤罪リスクを認めなければならない理由は、我々社会に刑罰制度が必要であるからだ。

だったら、

「刑罰制度の成立」が冤罪リスクの許容基準となる、と考えられる。

死刑がなくても刑罰制度は成立する(廃止諸国のように)。

だから、

死刑は刑罰の冤罪リスク許容基準を超えている。

だから、

死刑は廃止すべきである。

結論、

死刑は廃止すべきである。
こんな主張をすると、前トピの、

>自由刑制度には冤罪自由刑リスクがある。
>それは、無実の人間を拘束することを認めるに他ならない。
>とも言い変えれるでしょうか?

のような反論があるのも当然のこと。
でも、「決める」ということは、そういうことでもある。

刑罰制度として、自由刑が必要である、とするならば、
短い刑期でも、冤罪獄死、もありうるわけで、
私の主張では、冤罪獄死は冤罪リスクとして認める、ということに他ならない。


刑罰制度が必要なものである以上、冤罪リスクを認めねばならないのは仕方ない。
だけど、せめて、冤罪死刑だけでも避けましょうよ、というのが冤罪根拠の死刑廃止の主張。

自動車が必要なものである以上、交通事故リスクを認めねばならないのは仕方ない。
だけど、せめて、死亡事故だけでも避けましょう、と主張するようなもの。

自動車で死亡事故リスクを否定すれば、自動車そのものを否定しなければならない。
だけど、刑罰制度で冤罪死刑リスクを否定しても、刑罰制度の否定にはならないのだな。


また、遺族感情を根拠とする死刑廃止派は、
死刑廃止の主張は遺族感情を無視するものだ、と非難するだろう。

たしかに、それも正しい。
そりゃ、被害者遺族に対しては、別に、公的支援を充実させよう、と主張することもできるが、
廃止派の主張が「犯人を死刑にしたい」という遺族感情を無視するものだ、という批判は当たっている。

冤罪根拠の廃止派にとって、死刑の存廃は、
冤罪死刑リスクと遺族感情を天秤にかけることに他ならない。
冤罪死刑を拒否すれば、遺族感情を無視することになり、
遺族感情を認めれば、冤罪死刑を無視することになる。
死刑存廃は、どちらかを選ぶ、ことになる。

その意味で、冤罪根拠の死刑廃止の主張が遺族感情を無視するものである、という存置派の主張は当たっている。
てーせー

>また、遺族感情を根拠とする死刑廃止派は、
>死刑廃止の主張は遺族感情を無視するものだ、と非難するだろう。

⇒また、遺族感情を根拠とする死刑存置派は、

存置派と廃止派、・・・、よく間違えるんだよなw
>>[3]
>冤罪死刑を拒否すれば、遺族感情を無視することになり、
>遺族感情を認めれば、冤罪死刑を無視することになる。

私は多くの廃止派の人は遺族感情を無視してないと思ってます、
また多くの存置派の人も冤罪死刑を無視してないと思います。
少数そういう人はいるかもですが・・・

後者の話ですが
そう思えるのは他人事ではないからです。
存置を望む私自身にもその冤罪死刑に合う可能性はあるわけで
そういう意味で多くの存置派は冤罪リスクへの問題意識が低いかというと
そうではないと思うんですね。

リスクを認める。仰る例え話の自動車社会というのがそうですね。
私もその例えを前の返信で書くかどうか悩んでました。
わりとこういう議論をしてると自動車の例え話は出てきますね。
原発存廃問題でもこの例え話を挙げる人もいます。

死刑制度が車社会や原発問題と大きく違うのは
恩恵というと語弊があるのですが
車や原発はリスクはあれど幅広い人に恩恵があるが
死刑の場合、自分や身内が殺されて犯人に極刑を望むような局面に
なるのはほんの一握りの人たちという違いですね。
ほとんどの人間は死刑の恩恵(←語弊があるのは承知の上で)を
受けることはないですね。
死刑自体も恩恵と言えるものでもないので
そういう意味で自動車に例えて話すか悩んでたということですね。
「冤罪を根拠に死刑廃止主張することは、交通事故を根拠に自動車を廃止せよと主張するようなものであり、ナンセンスである」

死刑存廃を自動車に喩えるのは存置派に多いんだけど、

事故死の否定は自動車を否定することになるが、
冤罪死刑の否定は刑罰制度の否定にならない、
という視点に欠けている。

それに、

自動車をなくせば日本経済は成り立たないし、
社会的大混乱を引き起こすことになる。

一方、死刑を廃止しても、我々の社会生活は、ほとんど何も変わらないのだろうね。

だから、

「冤罪で死刑を廃止することは交通事故で自動車を廃止するのと同様ナンセンスである」

という存置派の主張がナンセンスなのである、・・・、と言える。
>>[6]
死刑制度はある種保険のようなものだと考えたほうがいいです。
『我々』という多数的観点から見て先にもいったようにその恩恵に
授かることは大多数の人がありません。

しかしその『我々』は自分が身内が被害にあった時のためにという想定
はできるのです。その上で死刑を容認、存置希望している
というのは私は頷ける理由ではあります。
補足ですが
ある種というのは応報に保険という言葉が不適切かなという意味で

自分が冤罪死刑に合うかもしれないから死刑をなくそうといのは真っ当な意味での保険ですね。
でも冤罪無期刑で冤罪を晴らせず一生牢獄もまっぴらです・・・

確率的な意味では死刑執行の中からまれに冤罪があるかもしれないので
自分が冤罪死刑に合う確率よりも加害者に応報できる可能性のほうが高いといえます。
まあ、冤罪死刑に合うことと 加害者に応報って全然違う事柄なんですけどね。

今後もし冤罪の確率が上がり リスクが増大したなと感じれば
確率が戻るまで一時的に廃止すべき という考えは持っています。
>>[2]

久々にこのコミュニティーを見てご意見を拝読し、反論を書かせていただきます。

引用’-----------
冤罪リスクを認めなければならない理由は、我々社会に刑罰制度が必要であるからだ。
だったら、
「刑罰制度の成立」が冤罪リスクの許容基準となる、と考えられる。
死刑がなくても刑罰制度は成立する(廃止諸国のように)。
だから、
死刑は刑罰の冤罪リスク許容基準を超えている。

’---------

この部分が全く論理的では無いと思います。
死刑がなくても刑罰制度は成立するは正しいですが、死刑があっても刑罰制度は成立します。
死刑の有無は刑罰制度の絶対条件では無く、充分条件なのです。
従って、刑罰制度の成立と冤罪リスク許容基準を結びつけて論じることは間違いと断じます。

ハムラビ法典の「目には目を」、織田信長の「1文盗んでも首を切る」だって、制度としては成立しているのです。

極端なことを言うと”そらいろの”さんの主張は、

「2度と帰ってこない時間を奪う禁固刑が無くても刑罰制度は成立する。だから罰金刑だけにしましょう。」

と主張されることと同義に聞こえます。

別の論点で「禁固刑は良いが、死刑は刑罰の冤罪リスク許容基準を超えている」を立証してください。


”そらいろの”さんが[3][4][6]にて、それについて言及されていることは承知であります。

刑事罰を考える場合、

「冤罪の発生確率をゼロにすることが出来ない」

は共通認識であることは理解できましたが、その他が良く判らない。


これは、そもそもリスクという概念についての認識が共通化されていないのが原因では無いでしょうか?

リスクをマネイジメントする際に考えるリスクとは

「危害の発生確率及びその危害の程度の組合せ」

と考えるべきです。

とするならば

「刑罰制度から冤罪を完全に排除することは不可能である。
従って冤罪リスクの許容基準はと冤罪の発生確率及び冤罪による刑罰程度の組合せがどこまで許容できるか。」

ということになります

この冤罪による刑罰程度は、裏を返すと

「冤罪リスクがあることを承知の上で、冤罪でない場合の刑罰がどの程度であるべきか。」

でもあります。

私は昨今の冤罪の発生確率からすると死刑制度を有することは十分許容範囲であると考えており、積極的に廃止する合理的な理由を持ち合わせておりません。
勿論、冤罪リスクを限りなくゼロに近づける努力はさらに必要だと思いますが。
恩赦というものがあり、今回天皇の退位、即位において実施させる見通しがあります。恩赦は、法廷で結審した刑罰を減刑したり、受刑者の社会復帰を認めるものです。その背景には、よい世の中を迎えたい。そのためには、罪を赦すことが寛容であるということなんでしょうか?かように、反省が認められる受刑者に対しては社会復帰の機会を検討するということは、本来はそれが望ましいと考えるからではないでしょうか?死刑制度は社会復帰が叶わない唯一の制度ではないでしょうか?罪を憎んで人を憎まずを理想にした場合、死刑制度は罪も人も憎む結果に終わり、また再発防止に必ずしも死刑制度が貢献しているとは言えないのならば復権が不可能な死刑制度は廃止するべきではないでしょうか?
>>[11]

なっちさん お久しぶりです。
死刑制度はもともと王政の下で生まれ、フランス革命では再考されましたが結局そのときは存続され王が断頭台に立たされましたね。
市民革命の主旨からしたらその死刑制度の継続は惰性であったと考えています。
ただし、この恩赦という制度もそれは同じです。
存置論も廃止論も、歴史的な伝統を持論に利用してはならないと考えます。
その意味では、恩赦という制度は民主主義化で再考すると、相応しくないものだと僕は思います。
>>[12]

ご意見ありがとうございます。

貴殿の見解にも一理ございます。司法で判断した見解を行政で変更してしまうわけですから、三権分立が
おかしなものになりますので、いかがなものかという意見は至極当たり前だと思います。また、この恩赦は特別な時期にしか行われないので、不公平な側面もあります。

ただ、現実に恩赦はあります。その見解は、よい時代を迎えるためには刑罰を赦すということが寛容だという精神だと思います。

この精神を世界中の政権が大切にしたいからこそ、恩赦は存在するとしたら、死刑制度の考え方において、赦すということを加味した刑罰が望ましいとなるのではないでしょうか?

懲役も罰金もその期間や金額が受刑者により全うされたら、前科はつきますが社会復帰ができます。刑罰は社会復帰を加味したものでなくては本来駄目なんではないでしょうか?

従って、社会復帰が叶わない死刑制度というものは、本来刑罰に含めてはいけないとする考え方も出来ます。

それについて死刑制度存置の立場の人はいかがなものか意見をお伺いしたい。
死刑制度は必要です、然し制度が有っても犯罪は無くなる事は無い。
【武田鉄矢 今朝の三枚おろし死刑に関して参考の為に下記のアドレス見て下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=YVaOUGjAxCE
少し年齢を重ねたので考え方が若干変わりました。死刑制度はなぜあるのかについての意味合いは凶悪犯罪者の処罰には違いありません。しかし、死刑制度が存続すべきことなのか廃止すべきことなのかについては主権者たる国民の生命を国家に奪える権利を与えてもよいのかということを議題にすべきだと思います。ヨーロッパ諸国が死刑廃止したいきさつは色んなことが言われておりますが私は国家が国民を殺せる権利を持つことが危険だと感じたから廃止した点が大きいのではないでしょうか?王朝時代に反政府運動をしたものを王は殺したり島流しにしました。復権がかなわないような手段を取ったわけです。その後、特に植民地支配においてヨーロッパ諸国は反政府運動をする現地民を殺戮しました。このように権力者が反対勢力を威圧するのには死刑制度があると大変に有利でした。また、現在の独裁国家とも言える北朝鮮や中国では同じように反政府運動の活動家や独立運動家に対して死刑があれば罪を被せて殺せる権利があります。このような国家の横暴はファシズム国家でも見られたことです。そこで、ヨーロッパは国家に死刑の権利を与えてしまうと為政者は反対勢力を鎮圧する手段として悪用する危険性があるために廃止したと言うのが正解なのではないでしょうか?死刑制度の存廃について議論する時に刑罰は罪刑法定主義から成立している手前、被害者感情の有無で議論するのもおかしいですし、死刑に犯罪抑制力があるかについても、それは刑罰に犯罪抑制力があるのであって死刑が特別に優れた犯罪抑制力をも持ち併せていないのは死刑廃止国の犯罪が増加傾向にはないことでもわかると思います。反対に死刑にはも 何人も殺して死刑が確定的な犯罪者や自殺願望者にとっ 
ては、逆に犯罪を促進してしまいます。これらは今迄数多くの議論の末に出た結果であり死刑を存続させる理由にはなりません。現在の日本においてクーデターが起こるとか民意が反映されないとかの非民主主義的な行為は実現性がないのですが、死刑制度を残しておくと為政者が反対勢力を鎮圧する手段として悪用しかね無い危険性が全くないとも言えません。日本でも過去には赤狩りや軍部の強硬的な政治もありましたからゼロではないでしょう。圧倒的人気のカリスマ首相が出たらどう転ぶかわかりません。現に日本は小泉政権や民主党議員政権をブームで後援してしまった近い過去もありますから。しかし、ヨーロッパ各国よりは江戸時代から人権に対しては野蛮なことはしなかった日本ですから、国家が主権者たる国民の生命を奪える権利を持っていても危険性はないと考えることも出来るかも知れません。武士は刀を持ちながら民衆を無意味に殺したりはしなかった国ですから。最も古い日本の時代には死刑が廃止されていた時期もあり身分制度はあったものの人権には配慮していた国ですから為政者が死刑制度を悪用することなどは可能性がないかも知れません。そうだと断言出来るなら死刑制度は存続してもよいでしょう。なぜなら、死刑制度を廃止すると数人殺害しているような凶悪犯罪に対してはその場で射殺せざるを得なくなります。それが背景にある犯罪動機や犯罪組織の立証を妨げる要因にもなり犯罪予防の観点からは不適切です。なので、一概に死刑廃止を支持は出来ませんが死刑存続を希望する方は一度国家に主権者たる国民の生命を奪える権利を残しておいて今後為政者による悪用の危険性が全くない。心配ないと言い切れるのか伺います。長文失礼しました。
>>[16]
お元気なようで何よりです。
すごく久しぶりにコミュニティを除いてみたら、御意見があったようなので反論してみます。

至極簡単な論理です。
現行の死刑制度を悪用する為政者が現れそれを止められない状態が発生するようなことが起きるなら、例え死刑制度が無かったとて作り出すことは容易に考えられる事態。
従って為政者の死刑制度の悪用の心配などは意味が無く、現行の死刑制度を廃止するための論理的根拠には成り得ません。

欧州の方々の死刑廃止的思考を為政者の死刑制度の悪用の心配と結び付けたようですが、全く無縁とは言い切りませんが「神が与えた命を人が奪って良いのか」と言う宗教観がベースで原理主義的思考に陥っている可能性の方が高いと思います。

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