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死刑制度 death penalty コミュの死刑制度の意味

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はじめまして、わたしも死刑制度に思うところがあるので、このコミュニティに参加させていただきます。


死刑制度は誰のものか?
被害者のため?
遺族や友人のため?
心情としてはそう感じられるけれども、正しくは違います。
死刑制度は、わたしたち国民のためにあると思うのです。
しかも、大前提として、「殺人は悪である」という共通の認識の上に成り立っているのです。

殺人は悪に決まっているという考えは、あくまでわたしたちの感情論でしかないことを理解しなくてはいけないのです。
哲学的でややこしい話ですが、
「長い人間社会の中で、理性的にも感情的にも社会通念上も、殺人は悪だ、という説を採用するのが望ましい」
というだけで、殺人を悪だとする明確な根拠はないのです。

現に、今の社会が成立する過程で多くの血が流され、その遺産、子孫が権力を維持しながら生きながらえています。
殺人が悪だとするなら、彼らは滅亡していなければなりません。
多くの血を流して手に入れた権力なら、同じように奪われても文句はいえないでしょう。
でも、殺して政権を奪うなんて事は今の日本ではありえません。
殺人は悪とされているからです。

話がそれましたが、つまり、国民総意の中で殺人が悪と認識され、死刑制度が成り立っているのです。
そして、さらに重要なことなのですが、死刑の執行も国民の手で行われているのです。
本来は、死刑執行を国民が持ち回りで行うのが筋なのですが、現実的ではないので、法務大臣や刑務官が代行しています。
でも、死刑囚の首に掛かるロープには、わたしたち一人一人の手が掛かっているといっていいのです。
そうでなければ、死刑も同じ殺人、悪となってしまいます。
死刑は国民による罰であって、個人や行政、団体のものではないのです。

死刑は殺人ではないので、殺人といういい方は適切ではないのですが、死刑が執行されるたびにわたしたち国民は、人を殺しているのです。
これは比喩でもなんでもなく、死刑制度を持つ国の背負った重い十字架なのです。
もし話の分からない閻魔大王がいたら、みんな地獄に落ちるかもしれません。

死刑に対して、わたしたち国民の認識が甘いために、どこか人事のように思っているだけなのです。
鳩山法務大臣を死神と揶揄するジャーナリストがいるあたりも、考えの甘さを示す指標になるでしょう。

そういう意味では、死刑制度に反対する人達は、意識的にか、無意識かは別にして、死刑を執行する本当の意義と重さを感じとっているといえるではないでしょうか。
自分の手が血に染まっているような感覚を味わっているのかもしれません。

だからといって、死刑制度は廃止すべきか、といったら絶対に廃止してはいけないと考えています。
なぜなら、死刑制度は加害者を罰するためでも被害者の無念を晴らすためのものでもないからです。
加害者、被害者うんぬんは、それはあくまで執行後の結果であって、先にいったように、前提は殺人が悪という説の維持のためになくてはならないものなのです。

仮に、死刑を廃止し終身刑としたらどうなるか考えてみましょう。
殺人の罪が終身刑という罪に軽減されるのですが、それ以上に国民が死刑=殺人に手を貸さなくて良くなります。
国民に課された重い十字架を降ろすことになるのです。
と同時に、重大犯罪に対してなにもできない憤りを持つことでしょう。
やがて、犯罪に対する認識は、加害者や被害者だけが感じるものとなり、わたしたちの関心から無くなってしまうのではないでしょうか。
酷いいい方をすれば、何人殺そうが所詮、終身刑程度の罪なんだ、ということです。

今現在、死刑そのものが抑止効果としてどれほどの効果をあげているかは分かりません。
死刑執行によって国民にどのような影響を及ぼしているかも分かりません。
死刑を廃止すれば、それがどれほどの影響を与えていたかは分かるでしょう。

でも、確かめたいと思いますか?
殺人を悪と説くわたしたちの概念に、その罪が終身刑でいいはずはないのです。

コメント(1000)

>>[960]


概ね同意しますが

�“神�府組織に対する抑止効果といった場合、必ずしも反政府組織が悪ではなく正義の時もあるが
国家としては、それを
国家権力により反政府組織を打倒するために死刑制度を運用する可能性もあるから、国家に人を殺せる権利を与えてよいのかと
いうのが死刑制度の捉え方のひとつであると私は主張したのであって

反政府組織=悪とは限らないということを考慮してください。

�⊆,忙犒裟�度の抑止効果についてですが、

こちらは、他の刑罰と比較して際立った抑止効果はないと思います。他の刑罰と同じ程度の抑止効果だと思います。
死刑の方が他の刑罰より抑止効果があるなどということは全く根拠のない空論です。何か実証出来る理由を述べてください。

逆に死刑制度が犯罪の促進力になることだってあります。
一人を殺害して逃げる犯人は一人殺すも二人殺すも同じとばかりにさらなる殺人をしでかすかもしれないし自殺願望で殺人を起こす人が現にいるように
死刑制度があるから
起こる殺人もあるでしょ?
犯罪ってのは環境が左右するんですわ?
社会環境、家族環境、地域社会など自分を取り巻く環境が自分にとって不都合だったり不愉快だったりした場合、またはその環境が全く監視されていない場合に弱肉強食の世界が反映されて犯罪になる。

これは、ブロークンウィンドウズ理論といいますが
>>[961]

御返事ありがとうございます。
私の論説は反論に値しないのかと思っておりました(爆)

さて、色々言及したいのですが、論点がはっちゃけ無いように反論があったもののみに言及したいと思います。


�“神�府組織=悪とは限らないということを考慮してください。

単純に言えば野党や政府の方針に意義を唱える市民団体も反政府組織と言えましょうが、それらの成立に死刑制度の有無が関与するとは思えません。
死刑制度があることによって成立が抑止されるような組織は、非合法の活動を行う組織では無いでしょうか?
勉強不足かも知れませんが、近年、思想犯のみで死刑なった例を知りません。

死刑の執行は死刑の刑罰規程とそれを適用する法律の2つが無いと実行されません。
?なっち本店さんのご心配している国家権力による死刑制度を乱用の為には、適用する為の法律を大幅に政府に都合良く改変しないと乱用することは不可能です。
これは相当ハードルが高く、もし易々とそれを乗り越える政府があったとしたら、例えその時点で死刑制度が無くなっていたとしても、また作るでしょう。
つまり、死刑制度が乱用されると困るから無くせと言う議論は意味がないと断じます。


�∋犒裟�度の抑止効果について

他の刑罰と同じ程度の抑止効果ということには、ほぼ同意します。
というか、際だった抑止効果があるという主張はしたことがないのですが・・・
個人的には心理効果や教育効果が他の刑罰よりあると思っていますが 、おそらく統計的にみて有意な差は出ないのではないでしょうか。
まあ、犯罪を止めましたということが統計処理にできるとも思いませんし。

また、一人殺すも二人殺すも同じ・・・という心理状況については刑罰を受ける時点で同じです。それが終身刑であろうと有期刑であろうとそう考えるヤツは考えると思います。
ことさら死刑制度だけでなく刑罰全体に係わる処理しがたい命題ではないでしょうか?

同じく自殺願望で殺人を犯すヤツがいるから、制度を無くせも暴論です。
「太陽が眩しかったから」といって殺人を犯したヤツが居たら太陽を無くせと言うのでしょうか?
ここまで極論で無くても動機などは千差万別です。
それはそれは衝撃的なことでありましたが、ブロークンウィンドウズ理論が適用出来るほど同じ理由で殺人を犯すヤツが出て来ているとは思えません。


以上のことから、上記2点は私の様な死刑制度を無くす必要が無いと考えるものの考えを改めさせる論点となり得ないと考えます。
補足

◎反政府勢力=悪とは限らないについては、例えば
西郷隆盛や白虎隊、あるいは忠臣蔵などは当時の政権に楯突いた反政府勢力であります。これを悪とみなして当時の政権は打倒するわけですが後世に検証してみれば必ずしも悪の組織ではなく国をよくしたいがための決起した組織です。地元などでは英雄扱いです。
このような国をよくしたいと望む組織が当時の政権の都合により国家反逆者の濡れ衣のもとに死刑を与えられかねない懸念が死刑制度にはあるという危惧です。
死刑制度がなくて懲役刑であれば復権の望みもありますが、世の中から抹殺することでその望みをたち
政権安定をはかる手段を
国家がもちうるということです。

◎死刑に特別な抑止力はなく他の刑罰と同様程度の抑止力であろうと考えているならば、それは違いないと思うのでそれでよいです。
問題は刑罰を処する目的の一つに深い反省を促す機会を犯罪者に与えることが
あると思いますが
死刑制度は社会復帰を絶望的にさせ更正させるという社会の責任の放棄にあたり国民主権の世の中であるならば、これは国家の怠慢な方策ではないでしょうか?
>>[963]

◎反政府勢力=悪とは限らないについては、例えば について

合法的に政権を奪取する法体系が無い時代の例を出されても困ります。
西郷隆盛や白虎隊、あるいは忠臣蔵などは、主義主張を通すには殺人もやむを得ぬと言う時代、それこそブロークンウィンドウズ理論が完璧に適用出来ます。
法律により主義主張が実現出来る道筋があり、それを模索していたにも係わらず弾圧され処刑された例を出して貰わないと説得力がありません。

正義と悪、合法と非合法は同じではありません。
言ってることは正しくともやっていることが正しくないことは多々あります。
やっていることが正しくない場合は罰せられる。当たり前のことです。

死刑を乱用するような政府は、死刑制度が無くても自分達で作る。
死刑制度が無ければ乱用出来ない訳では無い。
これについての見解を御願いします。


◎死刑は更正の機会を奪うについて

意見の分かれるところでしょうが、そもそもすべての犯罪者に更正の機会や社会復帰をさせる必要があるのでしょうか?
私は物には限度があると思っています。
従ってその限度を超えた場合は死刑もやむ無しであります。
>>[964]

砕けて書きますが

国が上か国民が上かと
言えば現憲法下においては国民主権であり国民が上であるので、

国は、国民にお伺いを立てながら国政を運営するものであり、国民の代表者が国民からの選挙により議員となり議会を構成して国の運営に対する制限や国民相互の公共の福祉実現のために法律を作る。

現憲法の規定にある国民の生存権を保証するならば、本来は国に
殺人の権利を与えては
ならないと解釈すべきでしょう。

しかしこれは、ご承知の通り、死刑制度の合憲性については裁判があり、その時点での国民の総意で判断されると判決されましたから
現状では死刑制度は合憲扱いにはなりますが、司法としては死刑制度の是非については言及していないわけです。

さて、死刑制度の是非という難問を解釈すれば
それは千差万別で是であるとも非であるとも解釈出来ますが

日本で大多数が死刑制度賛成であっても世界世論から見れば死刑制度存置と言うのは極めて少数派であって
民主主義が成立すると言った道筋からすれば

国民の生命を国が奪うことは出来ない

と規定するのが本質的な
民主主義であろうかと思います。

国民主権〉国なのだからね。

死刑制度に依存して臭いものには蓋的な、または
犯罪者を村八分にすることでの事件解決は犯罪と言うものが社会をとりまく環境から派生しているものであるのに社会はなんら反省をせず個人に責任転嫁をしてしまう無責任な対処ではありませんか?

責任ある態度は犯罪が成立した環境を分析してその要素を改善することにあります。ならば、犯罪者の社会復帰の可能性もなくしてはならないと考えるのですね。

犯罪抑制は法律があるから抑制されているよりも
環境が左右している部分の方が大きなウェイトを占めるわけです。

それを死刑制度は
環境整備を放棄して
個人責任で終わらせて
いることに問題があります
これではいつまでたっても犯罪は減りませんよ

犯罪を減らせるために

死刑制度をなくそうと
いうのが
もう1つの主張です。

もう犯罪者だけの村八分はやめませんか?

我々の環境作りにも問題はあったととらえて環境作りをする

それが国家であり
民主主義なのではないでしょうか?
↑表現が難しく
またまとまりがつかなかったので
うまく書けませんでしたが
大まかにとらえていただければ吉です。
死刑制度は憲法で「公共の福祉に反する行為」として刑事訴訟法で手続きされるものです。
法律なので国民のためです。

刑法は加害者の処罰を決めるもので被害者のためではありません。
その為に被害者遺族には民事訴訟法があります。
だから死刑は遺族や友人のためではありません、それは民事になるので。

日本は六法全書の通り6つの法律に分かれてるので刑法や民法を混ぜて考えてはいけません。

憲法で絶対的生命研は含まれてません。
病死、事故死、他殺、自然死、自殺、死刑を同じ死としてません。
だから死刑は殺人とは意味が違います。

人権があるからそこ逮捕して刑罰を与える事ができるのでもちろん人権は大事です。
加害者を野放しにするわけにはいかないので。

カナダは死刑を廃止して犯罪が増えましたが南アフリカは減りました。
それは死刑廃止のせいなのか、それに付随する様々な理由なのか、たまたまなのか、、、
それを実証する事はできないし、死刑は犯罪抑止を目的としてません。

死刑が正しいかどうかは個人の哲学なので答えは無く永久に平行線です。
メリットもあればデメリットもあるので正解はないです。

過去の判例と相場、死刑制度はその国の歴史と国民性です。
先進国は死刑廃止に向かってます。
宗教も国民性も違う海外と比べるのはナンセンスですが、日本の歴史で培ってきたものなので今は存置。
いずれ廃止になるかは分かりません。

犯罪の根は深いとこにあり、一番は本人の責任、さらに親や友人、環境の責任、それを辿るといつか必ず社会全体の責任にたどり着きます。
だから刑務所には国民の税金が使われます。

刑罰は償いではありません。
罰でありペナルティです。

償いとは賠償と補償を言います。
それは遺族のため。

償いすら、する資格がない。
それが死刑です。

刑罰は更生と社会復帰を目的としてますが、死刑は「我が国はこの人物を更生させる術がない」最後の手段。

死刑と終身刑どっちが重いかもまた、個人の哲学と価値観の違いになってしまいます。
有りか無しどっちかしかないので、いつかは死刑廃止になるでしょう。
司法は市民感情に流されてはいけないので、死刑がなくなりたとえ終身刑になったとしてもそれを最高刑とするしかないでしょうね。
>>[965]

>現憲法の規定にある国民の生存権を保証するならば、本来は国に
>殺人の権利を与えては
>ならないと解釈すべきでしょう。

二年以上前のコメントにレスで恐縮ですけど・・・
この解釈はおかしいと思います。現行憲法は生存権というかもっといえば
人権を保証してるのでこの理屈なら
死刑のみならずすべての刑罰に正当性がなくなってしまいます。
懲役刑で自由権にペナルティ掛けたり罰金刑で財産権にペナルティ掛けてます。

13条引用
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

公共の福祉に反した場合これらの権利は尊重されなくなると
解釈すべきでしょう。
>>1
こういう死刑とはなんぞやって問は別に死刑でなくとも
すべての刑罰に同じ疑問を持てると思うんですよね。
まず善悪の大まかな決め方ですが自分がされて嬉しいこと、嫌なこと
個人によって差異はありますがざっくり言えばそうじゃないですか?
殺人は悪ってのはだれもがされて嫌だというものが根拠になりえると思います。
安楽死や尊厳死など本人や遺族が願って殺して欲しいという話はまた別です。

死刑に限らず国民一人一人の手で懲役という名の監禁をして1人の人間の自由を奪ったり
罰金で財産を奪ったりします。刑罰とは人権侵害をするものなんです。
でなきゃ『罰』にならないですからね。
懲役は人権侵害というか更生の目的がって意見もあると思いますが
結局、いち民間人が更生を名目に個人を拘束し強制労働なんてさせたら犯罪ですからね。
でも国家は犯罪者にそれをするわけです。
犯罪と刑罰を同じ目線で見ては刑罰の正当性がなくなってしまいますね。
国民が国会議員を選挙で選び国会で法律を作りっていう民主的プロセスを
得てるのでそこで正当性が生まれる。
だから私は刑罰に疑念を持ちません。
>>[968]

コメントありがとうございます。刑罰は必要です。社会を維持するための犯罪者へのペナルティです。しかし、死刑は他の刑罰と違い、復権がかなわないのです。一時的に財産権や自由権を剥奪される他の刑罰に比べ生命権の剥奪は復権できません。これを冤罪のおそれもあるのに刑罰として存在させるのは不適切ではないでしょうか?
>>[970]
お返事ありがとうございます。
復権できないのは死刑だけでなく無期刑もです。
低確率で仮釈放の可能性はあるもののあくまでも仮で
生涯にわたって拘束を受けます。
呼び方が違うだけで終身刑と内容は同じです。
よく死刑を廃止して終身刑を導入しようという声がありますが
すでに日本にはあるのです。
私は死刑も無期刑もとくに問題視してません。
復権が許されないほどの重い刑罰だということです。

また有期刑でも高齢者が長期的に拘束を受ければ
社会復帰出来ずに寿命を迎えるのも目に見えてます。

冤罪問題ですが自由刑で冤罪が晴れるまでに
寿命を迎えてしまう可能性についてはどうお考えでしょうか?
例えば数十年自由を奪われ生きていれば
奪った時間分の国家はその人に賠償できますが
死んでいるのでそれができません。
>>[971]

そうですね。私は無期刑を死刑の代わりに提案しています。非常に困難ながら釈放の可能性もあります。 現状の無期刑ですと禁固刑なので懲役刑にして労働の対価で刑期の国庫負担を軽減します。労働意欲を持たせる意味合いで釈放は必要です。現状の金の係る死刑囚を改善でき復権も可能です。死刑執行を早めれば国庫負担軽減にはなりますが冤罪の危険性もあり、また法務大臣の許可が必要という問題もあります。終身、労働させ対価を得て国庫負担軽減をはかり復権の可能性も加味した終身懲役に変更するのが良いのではないでしょうか?囚人の年齢や健康に配慮もします。内職程度の労働の場合があるかもしれませんが無料で禁固より国庫負担は軽減します。
と考えていきますと死刑は犯罪者の抹殺であり、この犯罪者を産み出した社会にも責任があるにも関わらず個人責任に押し付ける無責任な制度で国庫負担も係る制度ではないでしょうか?また、被害者の仇うちを助長させる精神衛生上に問題もあります。さらに、犯罪抑止力を発揮する反面、自殺願望者には犯罪の促進力になってしまう危険性もあります。罪刑法定主義の観点から言えば被害者の感情の考慮は死刑制度の存廃とは別の問題なのに日本人は絡ませすぎます。
国庫負担軽減という点では現状の死刑のみという制度から懲役をプラスしてやれば
死刑執行までの懲役で国庫負担を軽減できるのではと考えています。

死刑制度が存在する現状、仇討ちって問題になってるでしょうか?
むしろ死刑制度をなくすことがそれにつながるような気もします。
『国家が死刑にしないなら私が殺す』という本村洋さんの言葉が印象に残ってます。
私も自分の愛する人が殺されたそういう衝動になるかもしれません。
必ず死刑が下るわけじゃないですが仇討ちすれば逮捕され罰を受けますし
できる限り国家に代行してもらいたいです。

自殺志願者もいますが刑務所で暮らしたいと言って犯罪をする人もいます。
この手の人達は通常の犯罪者より比率が少ないのでこれを理由に刑罰の
有無を論じるものでもないかと、
なっち本店さんが言うように周りのとりまく環境が犯罪に走らせたのかもしれません、
なのでより良い社会を目指すべきではあるが
行った悪事にはしっかりお咎めをというのが私のスタンスです。

最後はなんかおかなしな話になってませんか?
被害者の感情を考慮しないというのは裁判、判決における話だと思います。
罪刑法定主義って要は予め民主的に定義した罪と罰でもってして
裁くものであって情を挟まずルールを運用しようってやつですよね?
存廃議論はルールそのものというか罪と罰の定義を議論してるので
そこに感情論はあっていいですよ。
例えば私達は主権者で間接的にも司法のあり方を決める存在ですよね。
自分が、他人が被害にあったら加害者にはどういう目にあってもらいたいか
そういう観点からルールを作るのは全然ありですよ。

>>[972]
先のコメントは『返信』という形で書くべきでした。すいません
それと冤罪について話してませんでした
取り調べの可視化など改善すべき点はありますが
それでも可能性が0になるわけではありませんが
確率が低いのであれば私はそのリスクよりも存置を選びます。

自由刑の冤罪についてのお考えも聞かせてもらえると嬉しいです。
体調などを考慮してとありますが
例えば冤罪で30年刑務所で過ごし高齢を迎えてるから
社会復帰させたとします。しかし亡くなったあとに冤罪が発覚します。
奪われた30年を補償することはもうできません。
こういう問題もありえる話ですがどうすべきだと思いますか?

私は冤罪を減らす努力をするとしか答えが浮かんできません。



>>[976]

ちょっと書いていい?

>確率が低いのであれば私はそのリスクよりも存置を選びます。

確率が低ければいいのか、そうか。

でも、

冤罪で死刑になってしまった当人にとっては、100%の冤罪なんだよなあ。
>>977
それは自由刑や他の刑罰にも言えることですね。
>>[978]

>それは自由刑や他の刑罰にも言えることですね。

うん、

「競馬映制度には冤罪リスクがある」
これは客観的事実であって否定しようがない。

つまり、

我々は、刑罰の冤罪リスクをは認めなければならない、
となるわけ。

で、

なんで、冤罪リスクを認めなければならないのか、ってゆーと、
我々社会に刑罰制度が必要だから、

と言えると思うんだよね。

だったら、刑罰制度の成立が冤罪リスクの許容基準になるのではないか、
と考えることができる。

そして、死刑がなくても刑罰制度は成立する(廃止諸国のように)。
そう考えると、

我々が認めなければならない冤罪リスクとして、死刑はその許容基準を超えている、
となるでしょう。

だったら、死刑は廃止してもいいじゃん、

となると思うんだよね。
>>[979]
成立というのはたぶん治安維持ができている
ということだと思いますが

ノルウェーなんかだと無期刑もなく最高で21年の有期刑
刑務所は快適と聞きます。
案外自由刑が無くてもは言いすぎですが最高10年
ってくらい刑の上限を軽くしても
凶悪犯罪率はそれほど上がらないかもしれません。
そらいろのさんの考え方から行けば
治安維持ができるギリギリまで刑の上限を
軽くすべきだ、という考えでしょうか?

私は刑罰に治安維持効果は期待してませんし
豊かにすることが治安の良し悪しに関わると思ってます。

加害者には罪相応の罰を受けてもらいたい
というのが刑罰に対する私のスタンスですので
全然現行の死刑は許容範囲です。むしろ無差別に大勢の人を殺した
っていう罪では現行では足りないというかもっと苦痛を与えた上で
死に至らしめるというのがあってもいいくらいだと思ってます。
>>[980]

まずは現実的に、終身刑導入の死刑廃止を主張する。

ノルウェーの場合、教育刑が徹底している。
極刑が禁錮21年。テロだと30年だったかな。

ノルウェーは、出所することを前提として刑罰制度がある。
だから、刑罰の目的は、犯罪者の更生と社会復帰。
刑務所に入所した初日から、更生プログラムが始まる。

外出できないだけで、外と変わらぬ生活。
いや、模範囚なら、休暇、と言って一時帰宅することさえできる。
その理由は「出所後社会復帰しやすくするため」なんだそうな。

あの最悪の銃乱射事件を起こしたブレイビクは、
「プレステ2じゃなくてプレステ3にしなきゃ人権侵害だ」
と刑務所の中から文句を言ったとかw

銃乱射事件後、犯人のブレイビクをどう扱うか、ということについて、
被害者遺族も交えて話し合いが行われた。
なにせ、ノルウェー史上最悪と言えるような事件だったから。
被害者遺族の意見もまとまって、ブレイビクも他の犯罪者と同じように扱うことが決まった。

これは、日本人には理解しがたい。
日本人なら、被害者遺族なら、「ブレイビクだけは例外だ。死刑にしろ」と叫ぶのが当然じゃなかろか。

日本人には信じがたい、人権意識の高さ、と言える。


ノルウェーは60年代、少年犯罪の増加に悩まされ、刑罰を厳罰化していった。
ところが、再犯率が90%になってしまう。

そこで発想を変え、罰するよりも寛容へ、更生と社会復帰をめざす刑罰制度になった。
その結果、再犯率が20%と、世界最低と言われるようになる。

犯罪者への寛容で犯罪が抑えられることを、ノルウェーは実証してしまった。
この事実を無視することはできないだろう。


ノルウェーでは、出所することが前提となる刑務所になる。
だから、刑罰の第一目的は、犯罪者の更生と社会復帰になる。

でも、日本の刑務所も、ほとんどの囚人は出所することになる。
だったら、日本だって、更生と社会復帰の刑務所であるべきではないのか。

だけど現状は、「日本の刑務所は更生なんかできない。人間が悪くなるだけだ」
とホリエモンが言うような刑務所のようなんだな

・・・、と言うことなのでありますよ(と今さら丁寧語)
>>[980]

>加害者には罪相応の罰を受けてもらいたい

つまりは、死刑存置の応報刑論なのね。

私は、けっこう死刑の議論なんぞをしていると、
死刑の意味がわからなくなってくるのですよ。

死刑が正しいのか間違ってるのかわからない。
一方、冤罪死刑だけは、これはもう誰が何と言おうが、間違ってると思う。

一方は正しいのか間違ってるのかわからなくて、一方が間違ってると断言できるのだから、
どうしたって、死刑廃止の主張になってしまうワケです。
>>[980]

>成立というのはたぶん治安維持ができている
>ということだと思いますが

いや、単純に死刑廃止国にも刑罰制度が成立しているでしょ、という「客観的事実」を言ってるだけ。

「治安が維持できてなきゃ刑罰制度とは呼べない」というのとは違う話。
それは、刑罰制度はいかにあるべきか、の「価値観の議論」になるから。
>>[982]
仰る終身刑とは仮釈放の無い無期刑ということでしょうか?
ノルウェーの犯罪への寛容さと再犯率の低さを挙げながら
なぜ終身刑の導入を希望されてるんでしょうか
ノルウェーと同じように社会復帰を前提に有期刑を最高刑に
しようという意見ならば賛同はしませんが言ってることに理解は出来ます。
ノルウェーが有期刑でも十分ということを実証しているのなら
そらいろのさんの言葉を借りて言えば終身刑も
許容の範囲を超えてるんじゃないですか?


死刑が正しいかというのはどういう物差しかにもよりますが
民主的プロセスを得ているなら正当性はあるとは思います。
なんのためにあるのかといえば存置を望んでる人によって
理由はさまざまだと思いますが
私にとっては自分が、また愛する人が殺されたら加害者にも
死んでもらいたいという意味での存置で
そこに正しいとか間違ってるとか
正義のためでもなんでもないんですね。
>>[983]
うーんとそれは究極的に言えば
治安がどうであろうとも刑罰の種類が例えデコピンだけだったとしても
運用していれば刑罰制度として成立しているという意味でしょうか?
>>[984]

もともと私は仮釈放なしの終身刑導入、死刑廃止の主張なの。
更生不可能の思われる反社会的人物を社会から永久に隔離する必要から、
死刑の代替刑として必要だと思われるから。

そして、今の日本の現状からすれば、それが可能性のある刑罰改革であろうと。
実際、世論調査でも終身刑導入の死刑廃止への支持は、存置派にかなりせまっている。

実は、ノルウェーの事情を知ったのは、ごく最近、一か月くらい前?
(それにしちゃあ、語ってしまったものだw)
今の日本じゃ、理想論、にしか見えない。

それでも参考にできることは、どんどん、マネしてかまわない、と思う。
更生と社会復帰を目指す刑務所改革、とかね。
>>[984]

>民主的プロセスを得ているなら正当性はあるとは思います。

まあ、民主的プロセスは踏んでるのだろうけど、ほとんどの廃止国は世論に反して死刑を廃止してしまった。
死刑支持が高かったのに廃止した、という意味。

民主主義としては民主的プロセスを得ているということなら、正当性はあるね。
欧州で極右政党が台頭するのにも正当性がある。
ヒトラーが独裁者になったことにも正当性がある。
民主主義が民主主義を否定することも正当性があることになる。。

どんな酷い社会になったとしても、その責任は市民に帰する。
それが、民主主義の意味、でもあるわけだ。
(と、アニメ銀河英雄伝説のヤン・ウェンリーは語るのだった)
>>[984]

>私にとっては自分が、また愛する人が殺されたら加害者にも
>死んでもらいたいという意味での存置で

何も考えてなかった私なら、そう思ったかもね、
でも、私は死刑について考えてしまった。

「死刑には冤罪リスクがある」

この客観的事実を否定できない以上、死刑を認めるということは、無実の人間が死刑になることを認めることに他ならない。

自分の身内を殺した犯人の死刑を望むとしてら、冤罪死刑を拒否する私は自己矛盾に陥る。

それがわかったしまった、・・・、ということ。
>>[985]

>うーんとそれは究極的に言えば
>治安がどうであろうとも刑罰の種類が例えデコピンだけだったとしても
>運用していれば刑罰制度として成立しているという意味でしょうか?

そういうことになるかな。

法律として刑法があり、
刑事司法が存在し、
行政として刑罰執行機関(刑務所など)が存在してれば、
刑罰制度は成立する。
それを、客観的事実として刑罰制度が成立する、と言う。

その治安維持できてるのかは、その刑罰制度の評価であり、刑罰制度はいかにあるべきかの価値観の議論でもある。

価値観で「刑罰制度はいかに成立するか」と議論を始めたら、客観的結論などでるハズがない。
刑罰の考え方には、応報刑や犯罪抑止論や教育刑など、さまざまある。

応報刑によって「刑罰制度は成立する」と言っても、犯罪抑止において成立するとは言えない、かもしれない。
犯罪抑止で成立しても、教育刑としては成立してないとなるかもしれない。

「日本より治安が悪いから廃止国では刑罰制度は成立してない」と主張すれば、
「じゃあ、日本より治安の良い国から見て、日本に刑罰制度が成立していると言えるのか」と反論される。
「戦後直後は日本も治安が悪かった。じゃあ、そのとき日本に刑罰制度は成立してなかったことになるのか」なんて主張もあるだろう。

価値観の議論として「刑罰制度が成立する」を始めたら終わらない。

私は単純に、廃止国にも刑罰制度がある、という客観的事実から、死刑がなくても刑罰制度は成立する、を導出しただけ。

じゃあ、実際のところ、死刑を廃止した国では治安が急激に悪化した、などという事実はあるのか。

ないでしょ。

ここで、客観的事実として刑罰制度が成立する、と、評価としてそれで困ったことになるわけではない、とも言えると思う。
平成28年版犯罪白書によれば「平成27年の地方裁判所の殺人罪判決は、

2件・死刑
7件・無期懲役
44件・懲役15〜30年以下
167件・懲役3年〜15年以下
94件・懲役3年以下
(この年は死刑が少なかったのかな)

殺人事件の判決314のうち、死刑は2件、0.6%。

現代日本において、応報刑による、殺人には死刑を、という主張はもう通らなくなってるのではないか。
それとも、年間300件以上の死刑を出すべきだ、というのが存置派の主張なのだろうか
>>[986]
そらいろのさんのように更生不可能な人間もいるという人もいれば
そんなことはわからないのだから社会復帰できるように
国家は努力すべきという人もいますね。 ノルウェーなんかは
後者だと思いますね。私も不可能な人間はいると思ってますが
神のみぞしると言ったところですね。
ただ、更生したしてないって判断はすごく難しそうですね。
日本の再犯率なんかみてるとその判断ガバガバそうですね。

>>[987]
ええ、ナチスの例から民主的プロセスがいつも正しいかということを
過去にも考えたことがあります。
私は過去に他所でこの話題とはまた違った議論をしてたことが
あったのですがガチガチの相対論者だから相手にしても
無駄と言われたこともありました。
私の視点からみてホロコーストは良くないことだと思いますが
やはり当時のドイツ民は良いことだと思ってたんでしょうかね。
その時みんながそう思っていればそれが正しいということに
なってしまうと言えるかもしれません。
今の私達の倫理観が未来の人たちからしたらありえないと
一蹴りされるかもしれませんしね。

前期のリメイク版銀河英雄伝みてなかったな~・・・
>>[990]
個々の事件のケースによるので
先にに300件執行せよという数字がでてくることはないですが
日本もずいぶん寛容な国だなと思いますね。
かつて、こんな投稿をしたことがある。
---------------------
凶悪事件のニュースは表面しか伝えないけど、
「この人、なんでこんなことしちゃったんだろ」
と、思う時がある。
私は、犯罪者を理解したい、と思うことがあるらしい。

犯罪者を理解する必要はない、という人もいるだろう。
凶悪犯なら、さっさと死刑にしてしまえばよい。
そうね。犯罪者を理解する必要がないなら、簡単に死刑を支持できるかも。

だけれども、

人間は、環境を選んで生まれるわけじゃない。
育つ環境が違えば、今の私の人格・考え方、も違ってたはずだ。
私が犯罪者の環境に育ったとして、そこで犯罪を犯すか否か、と「今の違った人格の私」が考えてもしゃーないことだ。

世の中にはいろんな人間がいる。男もいれば女もいる。
容姿端麗な奴、ブサイクな奴。価値観・考え方の違う奴。

国民の圧倒的多数の支持のもと、大通りを堂々と歩く死刑存置派もいれば、
少数派であるがゆえに、路地裏で石をぶつけられながら、惨めに座り込む廃止派もいる(ノ_・。)

そして、犯罪者になる奴もいれば、ならない奴もいる。

いろいろな人間を知ることは、人間を知ることだ。
犯罪者を理解するということは、人間を理解することでもある。
少しでも理解すれば、簡単に、死刑になれ、とは言えなくなる気がする。
そういう人は死刑廃止派になるかもね。


それから、


「景気が悪くなると犯罪が多くなる」と言われる。

もちろん、犯罪者が責任を逃れることはできないのだが、
犯罪の背景に社会的側面があることを無視することもできない。
犯罪を知ることは社会を知ることでもあるのだ。


犯罪者を理解する必要がないのなら、凶悪犯は簡単に死刑にできる。
反社会的凶悪犯だから抹殺しました。あとは、忘れてしまいましょ。
そうして、死刑に賛成するのだろうな。

でも、それって「臭いものに蓋」ってやつなんじゃないのか?

犯罪者を知ることは人間を知ることである。
犯罪を知ることは社会を知ることでもある。
人間を知り、社会を知れば、我々が為さねばならぬことも見えてくるだろう。

犯罪者を死刑にして「はいおしまい」では、
我々が本当に考えなければならないことを考えない「思考停止」にも見えるのだ。

(と、路地裏の廃止派として考えたのだった)


・・・なんてな(*/∇\*) キャ
----------------------------
最後の(*/∇\*) キャ、は、
こんなクサイことを書いてる自分の(*/∇\*) キャ、であるw

そして、一か月前、ノルウェーの刑罰制度を知る。
ノルウェーの刑罰理念は、私の書いたものと、考えが合致するんだな。
だから、興味を持った。

やってたんだねえ、すでに。 ノルウェーや北欧諸国は・・・
>>[993]
私はすべての殺人を死刑にすべきとは思いません。
被害者から嫌がらせをうけて
長年恨みがあって犯行におよんだというのなら理解もできます。
もちろん大切な人が殺されたから仇討ちで殺した
という殺人も理解できます。

ただ殺すだけでなく死体をバラバラにしたり
快楽のために無差別に人を殺したりっていう人は
死刑にすべきだというのが私の感覚です。
加害者に同情できるような事件を想定するより
最高にゲスい加害者を想定しないと
同情できるようなケースを想定して廃止してしまったら
最高にゲスい加害者の死刑はなくなってしまう。

やはりそらいろのさんは
『臭いものに蓋をする』というワードからみて思ったのですが
終身刑にもそれは同じことが言えるので
終身刑導入よりもどんな人間でも更生させるべきという考えの
立場になるべきだと思いました。

死刑にして忘れましょというのがありますが
死刑制度の有無とは関係なしに事件に関係のない人は忘れるでしょうし
被害者やその関係者は忘れることはできないと思います。

私は決定論者でして、次に起こる出来事は人間に予測できなくとも
決まっているという立場の人間なので環境が人格を作り行動も
決まっていくというのはすごくわかります。
しかしそれは被害者や遺族にもいえることで不幸な目に合わされた
境遇にあった、だから犯人に重い刑罰を望むようになるのも
また決定論の内だなあということを過去に考えたこともあります。

ちと話を続けます
最高にゲスい加害者と関係ある話なんですが
あくまでも例え話です。
自らの快楽のために強姦して殺して遺体をバラバラにして
そんな殺人を何十件もやった男がいたとします。
法定でも一切の反省の色を見せずそれどころか遺族に対して中指を立てるばかり。
そういう人間でも生命権を奪ってはいけない
人権意識を高く持とうと言う人もいると思いますが
私にはそれが逆に人間臭くないというか機械なのか、無機質てきなもの感じてしまいます。
遺族が極刑を望んでいたらその遺族は人権意識が高くないのでしょうか?
わたしはそうは思えません。
私の思ってる人権と彼らの言ってる人権は
別のものなのかもしれないと思ってしまいます。
死刑と終身刑の違いは、殺す刑罰と殺さない刑罰であること。
殺さないでも刑罰制度の役割を果たすことができるなら、それでもいいだろう、と思うが。
 
私が思うに、死刑存置の理由は、ほとんどが、終身刑導入で反論できるのよね。
反論できないのは応報感情だけかな。

冤罪根拠の廃止派としては、応報感情について、

死刑制度には冤罪死刑リスクがある。
それは、無実の人間を死刑にすることを認めるに他ならない。
だから、応報感情によって死刑制度を認めるということは、
遺族感情によって無実の人間を死刑にすることを認めるに他ならない、
となる。

でも、死刑存置派には、冤罪死刑に対する問題意識が低いことが多いから、
説得力を感じないのだろうな。
決定論者であるということは、そもそも、刑罰を否定することになる。
だって、そうでしょう。決定論では自由意志が否定されるんだから。
犯罪を犯すしか選択肢がなかったのだから、自由意志が存在しないことを含めて、責任能力がない、ということになる。

バラバラにするのは死体処理に困っての場合もあるが、
それ自体に快楽を感じる犯罪者もいるのだろう。
そうなったら、サイコパスだね。

サイコパスは、もう、病気よ。たぶん、脳に機能的障害を抱えてる。
だとしたら、本当は刑罰に処すことができない。
脳に機能的障害を持って生まれたことに、当人の責任はない。
責任能力なし、ってことで、本当なら無罪。
治療施設に収容すべき。
決定論的に考えれば、特にそう。

以前裁判で、
「殺す衝動を抑えることができない。自分は死刑になっても当然だと思う」
と語る被告がいた。サイコパスなんだろうな。
サイコパスは、自分がサイコパスであることを悩むこともあるのだろう。
だとしたら、彼に必要なのは罰ではなく治療である。
死刑になったけど。
youtubeに「ノルウェ  刑務所」という14分38秒の動画がある。
マイケル・ムーアのドキュメンタリー「世界侵略のススメ」の一部らしい。
これって、違法アップロードじゃろ。視聴した私も共犯者なのかw

マイケルがブレイビク事件の被害者遺族にインタビューする場面がある。起こしてみよう。
----------------------------------------
(ナレーション)彼はトロンド・ブラットマン。配管工員だ。2011年7月22日。17歳の息子を失った。54人の少年少女とともに殺された。ノルウェーの島のサマーキャンプで。犯人はネオナチで人種差別主義者。子供たちを殺す前に、オスロの政府系ビルを爆破した。

トロンド「息子が島から電話してきて、『パパ、大変だ。誰かが銃を乱射してる。どうしよう?』。驚いてこう言った。『他の子たちも一緒なら隠れなさい。離れずに助け合って。気をつけて』と。電話は5時20分。死んだのは6時過ぎ」

マイケル「息子が銃を持ってたら、と思う?」
トロンド「泳げたらよかったのにと思う」
マイケル「泳いだ子は助かったからね」
トロンド「ノルウェーに死刑はない。大量殺人者も他の容疑者と同じ扱いだ。司法制度が裁き、判決が下る。」
マイケル「公平さを?」
トロンド「望むよ」
マイケル「心から?」
トロンド「そう」
マイケル「犯人を殺したいとは?」
トロンド「No」
マイケル「チャンスがあったら?」
トロンド「No」
マイケル「可能でも?」
トロンド「No」
マイケル「息子の仇だ」
トロンド「復讐は望まない」
マイケル「仇は討たない?」
トロンド「討たない」
マイケル「息子の仇だ」
トロンド「そうだとしても、犯人と同じレベルに下りてこう言えと?、『お前を殺す権利がある』と?、そんな権利はないさ」
マイケル「相手がクズでも?」
トロンド「たとえ相手が、最低のクズでも、私に殺す権利はない」
マイケル「凶悪なテロ事件後も制度は変わってない。反テロ法運動はしない?、自由を奪う気もない。警官を武装させたいが、それすら煩わしいのかな」(ノルウェー警官は銃を携帯しない!)
トロンド「ちょっと言い方を変えよう。この件では首相から国王ご一家まで、ノルウェー中の当局者も、メディアもこう言った。ノルウェーを大事にしよう。お互いを大事にしてきたように。力を合わせ、心を開き、開かれた社会で民主主義と言論の自由を高める。収監しても物事はよくならない。憎しみを増すだけ」

ノルウェーでは、一般市民の配管工員でさえも人権意識高が高い、ことがうかがえる。
だからと言って、「犯人を死刑にしてほしい」という遺族感情を間違ってるとは言わないが、

たぶん、日本だとトロンドのような主張は、
「偽善者だ」「息子が殺されたというのに、それでもお前は父親か」
と、非難されることになるな。

日本には、被害者遺族は死刑反対と言ってはいけない、という空気がある。
その空気を作ってるのは、死刑存置派というよりも死刑愛好家なんだろうけれど。

死刑存置派と死刑愛好家、区別は難しいねえ。
トロンドにも精神的な葛藤はあったに違いないんだけどね。

トロンド「この件では首相から国王ご一家まで、ノルウェー中の当局者も、メディアもこう言った。ノルウェーを大事にしよう。お互いを大事にしてきたように。力を合わせ、心を開き、開かれた社会で民主主義と言論の自由を高める。収監しても物事はよくならない。憎しみを増すだけ」

これもちょっとすごいんだよな。
日本でブレイビクのような時間が起こったら、ニュースやワイドショーなどでの、文化人による、犯人へ憎しみの集中を浴びせることになるだろう。

この、日本とノルウェーの違いは何なのだろうね。

私は終身刑導入の死刑廃止派である。
それは、日本の現状からすれば、現実的主張になる。

ノルウェーは、まだ日本では、理想論だな。
>>[996]
自由刑制度には冤罪自由刑リスクがある。
それは、無実の人間を拘束することを認めるに他ならない。
とも言い変えれるでしょうか?

すべての刑罰をなくすべきだという人間からみれば
そらいろのさんの冤罪に対する問題意識が低いという
ことになるので絶対的な話でなく相対的な話だと感じます。

決定論の話ですが
申し上げたように私が存置派であることも
またこの日本に死刑制度があることも決定論の内にあるんですよ。
あれやこれやとあった結果今も死刑制度があるというだけの話です。

トロンド氏の考えはそれはそれでいいと思います。人それぞれですから
トロンド氏から見て私は殺人犯と同じレベルということに
なるのでしょうね。

次のトピ なければ立てておきます。

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