憧れのイタリアコミュの農場に住む

先日ミラノの書店で「アグリ・トゥリスモ」についての本を見つけた。

一口で言えば農家や農園、もしくは郊外の邸宅などに観光客を滞在させる一種の民宿、もしくは家族経営のホテルである。イタリアの都市は見学するもの多いので面白いのだが、騒々しい上に部屋が狭いホテルが少なくない。

また安普請の割には料金が高いホテルにもよくぶつかる。そこで田園地帯の民宿に泊まり、その地域で取れた野菜や地酒に舌鼓を打つというアグリ・トゥリスモが最近イタリア人だけでなく外国人の間でも、人気を集めているのだ。

ミラノで見つけた本をたよりに、ミュンヘンから南へ一二００キロ車を走らせて、カプア郊外の田園地帯にある民宿「マッセリア・ジオ・ソ−レ」に行ってみた。

民宿とは言っても、四０ヘクタ−ルもの敷地を持つ。この宿を経営するナポリの貴族の末裔パスカ氏によると、先々代がタバコの栽培で巨額の富をなした時に買った土地で、一００年前に建てられた館は、この一家の別荘として使われていた。

現在も農園ではトマトやキウイ、オレンジなどが栽培されている。ベージュ色の洋館の外壁には、風雨にさらされた痕が残り、歳月を感じさせる。

さすがに貴族の別荘らしく、一階の居間兼食堂だけで広さが一００平方メ−トルはある。壁にはご先祖様の肖像画、暖炉の上には八世紀にまでさかのぼるパスカ家の家紋が、誇らしげに飾られている。

食器にまで家紋が焼き込まれている所が、伝統を重んじるヨ−ロッパらしい。南イタリアは北部に比べると犯罪が多く、カプアの町でもドイツの車を長時間路上に停めておくと、盗まれたり傷つけられたりする恐れがあると町の人に言われたが、農園は高いフェンスで周りを囲まれており、鍵を持っていないと電動式の門を開くことはできないので安心である。

この民宿に泊まって最初の朝に気づいたのは、にぎやかな鳥のさえずり声である。私が泊まっていた部屋の前には樹齢が一００年を超える、大きなユーカリの木があったが、まだ暗い内から小鳥たちの大合唱である。

都会から来た者には、目覚まし時計や自動車の騒音ではなく、鳥のさえずりで目覚めるというのは、一種の贅沢である。

また私がこの農園を訪れたのは四月だったので、ラベンダ−や菜の花が一斉に咲き出し、春の到来を告げていた。木に大きなレモンがたわわに実っているというのも、ドイツでは見られない、南国ならではの光景である。

ナポリやポンペイの喧騒に疲れたら、パスカ家が飼っているベージュ色と黒の二匹の犬とともに、農園を散歩する。南イタリアでは、枝や葉が上の方に固まって、ビーチパラソルのような形をした樹木が、よく見られる。その木が並んだ小道や、畑の中の一本道を、犬に先導されて散策する。

鎖でつながれることもなく、農園で放し飼いになっている犬は、つねに自由を満喫しているせいか、訪問客に吠えかかることもなく、人なつこい。むしろ泊り客が散歩に付き合ってくれると、大喜びである。

農園の一角には、円形の広場のようなスペースがあるが、これはかつてタバコの葉を干すために使われた場所である。

今では、地元の人たちが結婚式などのパーティーを開く場所として使われている。私が訪れた時にも、巨大な天幕の下に、テーブルと椅子が置かれ、パーティーの準備が行われていた。

緑の中で赤ワインのグラスを傾ける祝宴は、さぞ優雅なことであろう。ヨーロッパ映画には、屋外でのパーティーの場面がしばしば登場するが、田園の中での宴は、私には欧州の生活の豊かな一面を象徴しているように思われる。

もしもあなたがこの宿に来られることがあるとしたら、テラスと台所のある二階の部屋に泊まるべきだ。広さが三０平方メートルはあるテラスは、赤茶色の敷石でおおわれている。

イタリアらしい、暖かい色調である。ここにテーブルと椅子を出し、雲雀のさえずりを聞きながら、南国の太陽を浴びる。テラスの前には、鬱蒼としたユーカリの木。

眠りを誘うようなけだるい午後のひととき、木陰で遊ぶ犬や子どもたち、植木仕事をする使用人たちを見ていると、かつて富を誇った貴族階級の生活ぶりが、彷彿としてくる。

アグリ・トゥリスモは、こうした一種のタイム・トリップをも可能にしてくれるのだ。