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チベット密教コミュのダライラマ法王の御言葉

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愛と慈しみこそ、まさに社会の礎となるものです。こうした感情を失ってしまうと、社会に恐るべき苦難をもたらします。人間の存続でさえ危機にさらされるかもしれません

2006/1127

コメント(152)


誰もが皆、幸福を望んでいます。都市においても、地方においても、遠く離れた地域でも、人々はせわしなく活動しています。こういった活動の本来の目的は何でしょうか。皆、幸せをつかもうとしているのです。それは正しいことですが、幸福を手にするには正しい方法に従わなければならないのです。物事のうわべだけでしか理解されていないのにあまり深入りしすぎることは、大きな問題を解決することにはならないということを、心に留めておかなければなりません。

誰もが皆、幸福を望んでいます。都市においても、地方においても、遠く離れた地域でも、人々はせわしなく活動しています。こういった活動の本来の目的は何でしょうか。皆、幸せをつかもうとしているのです。それは正しいことですが、幸福を手にするには正しい方法に従わなければならないのです。物事のうわべだけでしか理解されていないのにあまり深入りしすぎることは、大きな問題を解決することにはならないということを、心に留めておかなければなりません。
日本は広島の原爆によって街ごと全て破壊された。
けれども、望みを失わなかった。だから、日本は今、経済大国となった。
日本人は楽観的に励んだ。
考え方によって未来は変る。今の日本は暗闇に進んでいると思う。
しかし、人というのは望みを持てるものなので、望みをもってほしい。
内なる物に注意をはらわなければならない。ホリステックなものの見方を
していかなければならない。
世界が苦しみに耐え
生類が苦しみつづけているかぎり
この世の苦痛を 取り除く為に
願わくはわたしもまたそれまで
共にとどまらんことを


人間でありつづける限り、人間のコミュニティのなかで、あなたがたは人間関係を築けるのです。私たちは互いに同じ人間であるという絆で結ばれています。そういう人間の絆がありさえすれば、価値や尊厳を築くに充分なのです。あなた方が全てを失った時でさえ、そのような絆こそが慰めの源泉となりうるのです。




人間の心の中には、潜在的に肯定的な思想と否定的な思想が共存しています。従って人間にとってプラスになる唯一の行為は、肯定的思想を発展させるよう努め、肯定的思考力を高めて、否定的な考えを減らしてゆくことです。

幸福を探す最初のステップは、学ぶことです。私たちがまず最初に学ばなければならないことは、否定的な感情や行動がどうして私たちにとって有害なのか、また肯定的な感情がどうして私たちにとって有用なのかということです。
質問者:猊下には対等につき合える仲間だと思える人はいますか。本当にリラックスして自分をさらけ出せる相手はいるのですか。
ダライ・ラマ:ええ、もちろんです。私は概してすべての人が対等な仲間だと思っています。心を開いて、正直に誠実に接すれば、簡単に親密な気持ちになれると思います。これとは反対に、うち解けず、形式にとらわれていれば、親しくなるのは難しいでしょう。ふつう、私はとてもうち解けた性格なのです。これはとても都合がいいですね。



幸福を探す最初のステップは、学ぶことです。私たちがまず最初に学ばなければならないことは、否定的な感情や行動がどうして私たちにとって有害なのか、また肯定的な感情がどうして私たちにとって有用なのかということです。


愛と慈しみこそ、まさに社会の礎となるものです。こうした感情を失ってしまうと、社会に恐るべき苦難をもたらします。人間の存続でさえ危機にさらされるかもしれません。

 


    ダライラマ法王のお誕生日を祝福します(^^ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
ぴかぴか(新しい)星ダライラマ法皇様星ぴかぴか(新しい)
お誕生日星おめでとうございますぴかぴか(新しい)
゚・。*ヾ(´∀`)ぴかぴか(新しい)
ぴかぴか(新しい)(・∀・)♪*・∀・*)晴れぴかぴか(新しい)ハートぴかぴか(新しい)ソフトクリームぴかぴか(新しい)虹ぴかぴか(新しい)バースデーぴかぴか(新しい)
個々人の気質に関しては、考慮しなければなりません。ある人にとっては、この宗教がためになることがあれば、場合によっては別の宗教の方がふさわしいこともあります。環境に応じて、人間社会で様々な考えが見出されることは必要なことであり、有益なことです
幸福を探す最初のステップは、学ぶことです。私たちがまず最初に学ばなければならないことは、否定的な感情や行動がどうして私たちにとって有害なのか、また肯定的な感情がどうして私たちにとって有用なのかということです。
他人への思いやりを持つことは、自分にとっても素晴らしい結果を招きます。他人を思いやることは、自分の心を穏やかにしてくれます。心の中にストレスがあるとき、心の平和は破壊されますが、思いやりがあるとき、心のストレス、イライラは消えていきます。科学者たちの研究結果では、自我が強く、いつも“私、私、私”と言っている人は、心臓発作で死ぬ確率が高いそうです。自分のことばかり考えているから、他者とのコミュニケーションがうまくいかない結果、イライラが募ってくる。孤独にもなる。そうした利己的な人の対局にあるのが、思いやりのある人です。彼らの心はオープンだから、コミュニケーションもうまく、本当の友達ができやすい。だから、笑いながら人生を過ごしていけます。そういう人たちは免疫力が強く、たとえ病気になっても回復も早い。他者のためにも、自分のためにも、優しさ、思いやりを土台にした意義ある人生を送ってください

自分の欠点に1つでも気付くことは、他人の百個の欠点に気付くことより、ずっと有益なことです。人の悪口を言ったり、人の生活に摩擦や不安を生じさせるような振舞いをするのではなく、 相手をできるだけ純粋に理解すべきですし、人のことを話すときには、その人の良い点について話すよう努めるべきです。
自分が誰かを中傷していると感じたら、自分の口に何でも押し込んでしまえばいいのです。そうすれば、すぐにそんな振舞いは やめられます。


 この世とあの世で経験する物事はすべて、
 自分自身の思いによって作り出された幻である。
 だが、こうした物事への執着が、さらに知覚をゆがめるのだ。
 執着を捨てよ。そして、物事が実際に存在しているとおりに観察せよ。
 

 誰かに会うときはいつでも、あなたは、
 慈愛をたたえた微笑むようなまなざしで、彼らにお会いなさい。
 あなたは、人を傷つけようとする意志や、欺こうとする思いを持つことを
 考えてもいけないのだ。


 他なるものを曼荼羅の諸尊が姿を変えて現われたものとみなすような、
 すなわち、あらゆる出来事を、”諸尊が演じるお芝居”であると解するような、
 あらゆる音を、マントラやダラニとして聞くような、
 あらゆる思いを、空性を理解する智慧と一体化した大楽であると見るような、
 純粋な見方を常に保持しなさい。
 これが、密教的な生活の真髄である。



     −−ダライ・ラマ七世

「聴聞を通じて、信心と帰依の気持ちがそなわり、心の内に喜びをいだくことができるようになり、心を揺るぎないものにできます。
また、智慧を磨き、無知をなくすことができるようになるのも、聴聞を通じてです。
ですから、たとえ命を賭してでも、聴聞することには価値があります。

聴聞は、無知の闇を破る灯火のようなものです。
また聴聞を通じて心を豊かにできれば、誰もその豊かさを盗むことはできません。
それは最高の豊かさなのです。」

(『ダライ・ラマ365日を生きる智慧』(春秋社)85頁)

一般的には、私たちに見えているすべてのもののあらわれと、すべてのものの究極の存在のしかたとは、同じではありません。もののあらわれ方と実際のものの存在の仕方とは、一致していないのです。私たちはよく、いろいろなレベルにおけるリアリティーについて、さまざまな論議をしていますが、実は究極のリアリティーは、私たちの目に見えているもののあらわれ方と異なっているわけです

http://jp.youtube.com/watch?v=Q0Mg8_oXSZ0

 祝 来沖
自己中心性


 ある物事が良いか悪いかが分からないとき、私たちは、自らの自己中心性のために、無用な期待を抱いたり、疑念を抱いたりします。自らの自己中心性のために、何とか生き延びようと考えながら戦争に赴いたり、明日の戦いのために生きようと考えながら、自分の命を危険にさらしたりします。

 「思い通りにならない」という取るに足らない問題に直面した時、私たちはいつも僧院長、教師、友人、あるいは両親を非難します。私たちの自己中心性の感覚は、恥知らずなのです。私たちは自分より優れた人には嫉妬し、自分と対等な人には競争的であり、自分より低い人には得意になり、尊大です。褒められれば幸福に感じ、批判されれば怒ります。全く自らの自己中心性のために、煩悩は、轡をつけていない馬のように、抑制が利かないのです。

 私たちは非常に自己中心的であるために、自分の枕の上にネズミが落ちたのに気づいた時、ネズミが耳をかじるのではないだろうかと不安になります。雷のバリバリという音を聞くと、閃光が自分の頭に落ちるのではないかと心配します。悪霊の出るところでは、最初に、そこに住む悪霊にとりつかれるのではないかと心配になります。自己中心性は、私たちの恐怖の源泉です。悪い知らせを聞きたくないことから苦しむ人もいますし、敵を抑えられなかったり、身内の暮らしを援助できなかったりすることから苦しむ人もいます。このようなあらゆる事例において、自己中心性は、一切の「責め」を負うべき根源なのです。

 私たちの不幸はすべて、教化されていない心のために起こってきます。「心」というものは、制御されないままに、自己中心的な態度に起因します。自己中心的な態度は、毒の源泉であるトリカブトのようなものです。それは、希望や不安のような感情の主人を作り出します。そしてこれらの感情のために、私たちは絶えず失敗と災難に直面するのです。

 通常、私たちは、悪くなったことは何でも他者のせいにして、他者を名指しで責めます。しかし問題の本当の根っこ、つまりあらゆるトラブルの根源、すべての不幸なことや悪い前兆の発端は、何ものにも邪魔されずに私たちの心を占拠している「自己中心的な態度」なのです。その始まりすら分からない遠い過去から、私たちは、忠実にその指導力に追随してきました。ですから、自己中心的な態度にすべての過失の責めを負わせるべきなのです。


 ――「ダライ・ラマ 他者と共に生きる」より

自分の欠点に1つでも気付くことは、他人の百個の欠点に気付くことより、ずっと有益なことです。人の悪口を言ったり、人の生活に摩擦や不安を生じさせるような振舞いをするのではなく、 相手をできるだけ純粋に理解すべきですし、人のことを話すときには、その人の良い点について話すよう努めるべきです。
自分が誰かを中傷していると感じたら、自分の口に何でも押し込んでしまえばいいのです。そうすれば、すぐにそんな振舞いは やめられます。

法王 初来沖記念 

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-152417-storytopic-1.html

―沖縄の人々にメッセージを。健康の秘訣(ひけつ)を教えてください。
 沖縄の人々は天候や海からの新鮮な風によって長寿だと聞く。わたしも長生きするために、もっと長く滞在したいくらいだ。
 沖縄では、物質的に快適な暮らしをしていると思うが、人間として意義ある人生のために、物質に完全に依存する考え方は間違いだ。人間の内面に備わっている価値観に関心を持ってもらいたい。
 基本的な愛情というのは、わたしたちがより幸せに生きていくための土台になる。
 知識や教養を得ることに加えて、若い時に母や身近な人から受けた愛情を失うことなく、むしろ高めていくことが重要とされている。人が本来持つ愛情に関心を払うことが、人生をより幸せにし、より健康になって生きていくことができる。


http://www.okinawatimes.co.jp/movie.html?cat=douga


写真は沖縄平和記念公園 「平和の礎」でのスピーチです



無量の功徳の大海という瑞祥を備えられた
寄辺なき衆生を一人子の如く想われる方々
三世の善逝よ 彼の子息よ 弟子たちよ
我がこの真実の慟哭を聞き入れ給え


生死涅槃の煩悶を除くことに円満たる牟尼の教説で
この広大な閻浮提の人々が利楽の栄光へと導かれ
そしてその護り手たる賢者や成就者たちが
十法行の営むことが更に増大せんことを


不穏なる強力な悪しき業により抑圧された
遮られない苦悩に虐げられ疲弊した衆生たち
耐え難き 争い 飢餓 疫病 これらの脅威がすべて
寂滅へと導かれ歓喜に満ちた大海へ流入せんことを


殊には雪域の敬虔な持法の民たちが
暗黒からの野蛮な兵どもにより侵された
無情な凶悪なる破壊で流した血と涙の数々のこの流れを
ただちに止め給う彼の仏の慈悲力の部隊よ 示現し給わえ


煩悩という魔により狂気にとりつかれ
暴力により自他共に滅ぼさんとする
彼の哀れむべき不穏な人々の群れよ
取捨の慧眼を得て慈愛の栄光に住さんことを


我が心に永く抱き続ける目的たる
チベット全域の自立という真の栄光が
自然成就し 政教双運の饗宴のうちに
営まれるという賢き劫が速やかに授からんことを


教説とそれを戴く政事のため 自己の民族のため
その大切な身体と生命と財産をすべて抛った
この苦行を乗り越えてきた人々たちを
彼の補陀落の救世主の慈悲よ どうか守り給え


すべては往古に 救主観自在が
勝者とその子息たちの御前において雪国の地域を
完全に護ろうと誓いし広大なる祈願のすべてが
善果を結びいまここに現出せんことを請い願わん


顕現と空との法性たる甚深なる縁起と
三宝の慈悲の力 真実の言葉の力が
業果の欺くことなき真実の力により
我が真実の請願が滞ることなく速やかに成就せんことを

【跋文】この祈願はダライ・ラマ14世テンジンギャンツォ法王ご自身が、1960年9月10日にインドヒマチャルプラデーシュ州のダラムサラのスワラグアシュラムの中に樹立された亡命政権において御書きになられたものである。このチベット人たちの祖国における平和と仏教と文化と自治権の返還を願う祈願文は、宗教人や一般人たちの総意に従い、チベット政府の官僚たちの委嘱により記されたものである。

訳=ゲシェー・ロサン・チャンパ+野村正次郎
Version:Public Beta 2.0


この世に生きている限り、私たちは数々の問題に出遭わざるをえません。そんな時に希望を失い意気消沈してしまっては、困難に立ち向かう力も減退してしまいます。しかし、苦痛を味わっているのは私たちだけでなく、すべての人間がそうなのだということを思い起こせば、もっと現実的な視野で問題を克服しようとする決意や能力も一段と深まっていくでしょう。まさにこうした態度によってこそ、どのような障害も私たちの心を向上させる貴重な機会として受け取られるのです。


【ダラムサラ(インド北部)栗田慎一】ノーベル平和賞受賞者で、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世(74)は6月の訪日を前に、亡命政府のあるダラムサラで毎日新聞と会見した。自殺者が12年連続で年間3万人を超える日本。ダライ・ラマは「周囲に頼っても何ら問題ではない」「拝金主義から脱し、隣人が苦しんでいる時こそ救いの手を」と語り、病める日本社会にメッセージを発した。

 長引く不況に伴うリストラや借金苦、学校や職場でのいじめ……。自ら命を絶つ人のほか、心を病む人も多い。そして、悲しみは周囲に広がる。「日本は経済成長で(人々の心は)限界に直面し、今では経済の分野でも世界規模の危機の中で苦しんでいる」と案じる一方、「現代社会は人間への慈しみや愛が欠けている」と説いた。

 自殺を減らす方策はあるのか。ダライ・ラマは「祈りだけで問題は解決しない」と断言し「次世代のために内なる価値観を重視する教育システムが必要」と語る。さらに生き方を見失った人々には「恥と自殺を考えるなら、恥を選んだ方がいい。物ごいになっても、それは恥ではない。失敗しても自ら命を絶つ理由などない」とのメッセージを送った。

 ダライ・ラマが中国から亡命して今年で52年目。自身が自殺を考えたことがあるかとの質問に対し「最高機密」とユーモアをまじえつつ「自殺を考えても誰にも言わない」と最高指導者としての苦悩もにじませた。


http://mainichi.jp/photo/archive/news/2010/05/03/20100503k0000m030110000c.html


http://twitter.com/DalaiLama




法王、中国の人たちへの言葉
ダライラマ善光寺での記者会見 2010.6.19

http://ameblo.jp/0404nuu/entry-10568636632.html
私、幸運にもビックハットに行く事が出来ました。法王は日本人に「英語を使えるようになって下さい。世界的に物事を考えて下さい」ようなお話最後にされました。
2010年11月08日

ダライ・ラマが大仏殿参拝  「宗教は愛はぐくむ」

 来日中のチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世が8日、奈良市の東大寺を訪れ、大仏殿を参拝した。法話では「愛や慈悲の心をはぐくむための手段として宗教がある」などと説いた。

 ダライ・ラマは午前9時半ごろ、中門に到着。ほら貝を吹く僧侶らに続いて参道を進み、集まった大勢の観光客や修学旅行生らに笑顔で歩み寄り、握手を交わした。大仏殿では須弥壇(しゅみだん)で僧侶らとお経を上げた後、大仏の周囲をゆっくり1周した。

 拝観後、東大寺内の施設で行われた「これからの宗教者のあり方」と題する法話では、集まった宗教関係者約260人が聞き入った。

http://www.iwate-np.co.jp/newspack/cgi-bin/newspack_s.cgi?s_lifestyle_l+CN2010110801000301_1



「チベット密教の奥義であるゾクチェンの教えには、私たちが修行する時、どういうことがなすべき行いであり、どういうことがやめるべき行いであるかを正しく知る必要があると説かれています。
私の心にはもはや執着はないのだからと言いつつ、心ではもうわかっているのだからという理屈で実際面ではわかっているはずのことをすべて犯すというのは間違った行為でしかありません。
これは、心の中でわかっているというのが偽りであることを露呈するものでしかありません。」


『目覚めよ仏教』(NHKブックス)より
「仏陀ご自身が次のようにおっしゃっています。
『何物かが金であるかどうかを判断するには焼いたり切ったり擦ったりを試みなければならない。
それと同様、修行者や学僧は私を尊敬するからという理由で私の言葉を採用するのではなく、あくまでも十分に吟味して初めて私の言葉を採用すべきである』と。」

(ダライ・ラマ14世)
>>[144]

>法王は日本人に「英語を使えるようになって下さい。世界的に物事を考えて下さい」というようなお話を最後にされました。


この二つのことは、日本人に本当に必要なことですね。
「私たちの心は、その本質において一切を知る可能性を持っています。
しかし過失が心を覆って、一切智からさえぎっている。
必要な対抗手段を発達させて煩悩障と所知障という障害物を除去することができるのは私たちの心に他なりません。
心が完全にそれらの障害物から解放されたなら、心はおのずから一切を知り、人は完全な悟りに目覚めることになるのです。」

(ダライ・ラマ14世)


誰もが生まれつきの敵であったり、
友であったわけではありません。

「敵」も「友」も、
自分が人々とどう接するかで
生まれるのです。
ダライ・ラマ法王はとても素敵な、慈愛のこもった話し方をされるのですね。

目がとてもきれいでやさしい(*^^*)
あなたがたの友人たちに示す愛や慈悲心は、実際には執着心である場合が多いのです。この感情は、「全ての生あるものは幸せになり、苦しみを避ける権利を等しく有している」ということを理解したところより発したものではありません。この感情は、「私のもの」から発しています。
例えば、「私の友人」、「私にとっていい何ものか」というところから出て来ているのです。これは執着心です。その友人なり誰かがあなたに対する態度を変えたら、あなたの彼(彼女)に対する親愛の情はたちまち消えうせます。その人が人類の仲間であり、苦しみを克服する権利を持っていることをシンプルに認めることによって、その人を思いやるべきです。ここが執着心と慈悲心の大きな違いです。真の慈悲心とは、健康的で理性に裏打ちされたものなのです。執着心は偏狭で捻じ曲がったものと言えます。

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