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哲学・思想 読書ノートコミュの目を通した、通していて、こんなことも想ったということなど

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コメント(3)

この何週間かで目を通したものなど

文学界 2006年 8月号


インタビュー 柄谷行人  グローバル資本主義から世界共和国へ
             
             途中まで少しづつ目を通しているものの長らくこの人のものを読んでいなかったから探求I、IIなどのことも頭の片隅をよぎり、時間の経過とこの人のあまりいい読者でない自分の繰り越しを想い、世界を把握、理解するための材料として、また、それを論じる人の推移を想像するのに「世界平和への道は」と編集部がつけたキャプションにホントかなと疑問もわいたのだが、、、、。


佐藤優  連載 私のマルクス

             知人がこの人の上司であったことから興味をもった。外務省の若い外交官たちとは親密ではないものの仕事柄時々挨拶程度の話をすることはあるが、この佐藤のように危うい人物に不幸なことに会った事はない。 昨年か、朝日新聞の月間小冊子「本」連載の対談に出ていて興味を惹かれていたことから自分の精神史とでも言うべきこの連載が始まったことを嬉しく思う。 このような経歴の外交官が続出するようになれば面白いのにと勝手に期待するが、官僚志望を何人も見ていてこの人は官僚になれないと自分が喜んだ事からみて、佐藤のような外交官が仕事が出来る土壌ではないとも聞いたことからも、また、あからさまに佐藤をはじく言葉も聞いたものの、私の悲観が若い外交官にたいする過小評価であることを願う。



文学界 2006年 9月号


論評 音色と文体     橋本治

             いつもながら橋本の文は面白い。 この文では浄瑠璃語りの男性性を女性が語り、その不可能性と看做されていたところを逆転して物語を生成させる、自分自身を含む、ジェンダーを意識した目でもともとそのヒネリが不可避的でありそれが芸術の発生の舞台でもある歌舞伎、浄瑠璃の世界を自分のものとして語る橋本の読みに興味をいつも喚起されるのだ。 様々なジャンルでテキストと演じられるものとの緊張関係に惹かれるものにとってはこの人の炒れ込み具合に親近感を持つものである。

創作  トーチンス!  安斎あざみ

             まさか、Tot ziens(「じゃ、また」、とか「さようなら」の意)がトーチンスと表記されるとは殆ど毎日この言葉を使って生活するものにとっては蓮見重彦、反日本語論の「ゾケサ」に匹敵するほどの大笑いでもあり、オランダ語表記に日常、ああでもないこうでもないと苦心するものには珍しくオランダ語が出てくる話として読んだのだが、熟年夫婦のオランダに旅行するために夫が通う語学教室に来る不思議な女性をめぐってのファンタジー物語というようなものだった。 読後はオランダの地名程度の名前が出てくるぐらいで読者のエキゾチズムをくすぐる程度の、当地に住むものとしてはどうということにないものである。 ただ、ここでも旅行、生命力に関して女性の圧倒的優位が描かれており、作者の依って立つ位置も見えそうだ。


夜汽車でこれらを読んでいるときどこかで拾った一言メッセージ活動として人気のある配布はがきの文字が浮かんだ。

Palliatieve Zorg

Leven Doe Je
Op je Eigen Manier

Sterven Ook

Loesje



一時しのぎのケア;

生は自分のやり方で生きるしかなく、
死も自分自身のやり方で死ぬしかない  

ルーシェ(架空の女性)
文学界 ’06 10月号




久しぶりに予定もない日曜日、朝10時ごろ満タンの腹の水を下でリリースしてまた3時間ほど眠り腹も減っていなかったので起きるのも少し寒くなっていた折からずるずると寝床にい続けて読んだものがこれだ。

車谷 長吉 「大庄屋のお姫様」 

この何週間か寝床で少しづつ読んでいたものだが、それまでにどこかで読んでいた車谷、高橋夫婦の世界一周のクルーズ旅行記の連載も読んでいて、生家の近郷の文化史物語的なものに興味をひいたのだが、その中でチョコリと覗かせる自我、はヒッチコックが自作で覗かせる像に比べて何かを主張するものだ。 それは郷土史の聞き語りを刻む作家の、例えば画家の自己の投影がカンバスに残り作品と同化しようという欲望なのか。 そこでも車谷のテーマともなっている、家族、兄弟姉妹の確執が色濃く刻まれている。


黒沢清とは何者か、 対談; 黒沢清、 蓮實重彦

黒沢清の映画はまだ観た事がないが何年か名前と作品は朧に又聞きで知った作家がこれも作品を観たかどうかわからない青山真二という作家を意識しての退官総長の蓮見との対談を久しぶりに読んだのはこの手の作家のものを簡単に観られる環境にないからの興味本位だったのだろうが、蓮見のイーストウッド論を未読のものにはとりわけ興味を惹くものではなかった。


私のマルクス 第三回 やぶにらみのマルクス像

外交官、情報収集、国益などというキーワードでこの何年かか話題の人であり、世界に対するアプローチが面白いと感じ、あちこちの雑誌でこの人の対談、書評などを読んで、自叙伝形式のこの連載には読み続けていくうちにいままでのこの人の発言なり態度に納得の行くことが多く、この高校生で旧東欧を旅する佐藤少年の70年代を思うとこのような日本の若者をどんどん沢山見たいものだと願うものにはもしそのような若者が将来沢山現れたら果たして彼らの発言が将来が日本国内でどのように受け取られるのか、「何でも見てやろう」の小田実と40年以上を隔てて日本への提言が変わっているものかを比べるのは興味のあるところではある。

高校生の当時の観察がここでは自分の現在までの経験と照らし合わせて書かれているので再構築、整理されているのは当然であり健気なものであるのだがそれに加えて感覚の揺れの深部まで記されるような位相の記録も読んでみたいと想うのは、それは今のところ書き手の興味の想定外なのだろう。
犬身

松浦理英子 著

朝日新聞社 刊

2007年 発行、 2008年 第三刷 505ページ


私は松浦理英子や笙野頼子のいい読者とはいえない。 読中いつもどこかで違和感を覚え、その違和感に惹かれて読み続けるものの、時にはもう堪らないな、と放り投げたりするような種類の読者だ。 ただ、この人たちは、余りにも凡庸な作家たちで満ち満ちた出版界の中で純文学を支える最良部分の作家であるから放り投げた作品もそのあとゴソゴソと拾い集め、改めて読み直し、またぞろ行を追うことになるのだ。

「親指Pの修行時代」上下を手にしたのは94年ごろだっただろうし、それを読了したのかどうかの記憶もない。 もともと想像力に乏しく、SF物には食指が動かず、理屈が見え始めればあくびが出る。 好色であるから官能物は好むし、性の世界には昔ほどではないけれど未だに興味を持ち続けている。 たとえば学生のときにかつては官能の禁書といわれたから興味をもったサドのジュスティーヌの話、悪徳の栄えを読み、その権力に対する嫌悪や官能よりも哲学的な言説に惹かれ、性の或る局面に目を啓かれた思いもある。 

性に関して、もし、足の親指がペニスになってしまったら、、、というような昔のほら話にあるような、けれどそれが女の親指にだと、、、という話には興味があったものの、今も残る乏しい印象では、Pの物語はさまざまな性を巡るオデッセーの旅、女性性から性の両方の形を俯瞰するような構造であり、その直裁な描写に少々辟易したことと性急に走るようなところで放り出したのではなかったか、というような気がする。 何か消化できないようなことろがあったのかも知れないがそれが何だったのかその顛末の記憶も一切ない。

性を巡っての真面目な書き物だ、とは思っていても、その辟易する、というところからP上下は本棚に安置されている。 今、本書を読了したのだからこれと比べる意味でもそのうち再び「親指P,,,]を手にとって読んでみようと思うが果たして読了できるかどうか。 高校生の読書会で「第二の性」に接して以来自分の男性性と同じく女性性の社会的局面は自覚しており、その後、学生生活の各局面でその社会性に加え生理、身体性にもいささか経験するところもあって後年、たとえば女性学なりジェンダースタディーなどに連なる書き物にも男性の眼から目を留めているのだが、その中に本書の著者の名前が時には見られることも承知している。

スペースが小さすぎるようです。
残りは下記のサイトをご参照ください。

http://blogs.yahoo.co.jp/vogelpoepjp/59944760.html

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