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宮脇 檀コミュの出会ったきっかけは?

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僕は大学入試の小論文で。
やたらと洒脱でニヒルな文を書くなぁ〜、
と思ってたら実は結構な有名人。
気付くまで2年くらい。

一週間くらい前から
「目を養い 手を練れ」を読んでます。

みなさんの出会いはどんなですか?

コメント(74)

はじめまして☆
僕は好きな建築家の方が、「宮脇檀の住宅設計テキスト」を薦めていたので読んでみました。しかし、未熟者だったので読みにくかったので「目を養い 手を練れ」を読んだところこちらは読みやすく住宅設計の参考になりました。
皆様の話を聞き、僕ももっと勉強しないとアカンなと痛感…
はじめまして@w@

僕は出席率がやばかった「住環境デザイン」の追加課題で宮脇さんに会いました。
そのころまで日本の建築家には興味がなく、コルビジェやミース、リートフェルトなどにワクワクしてました。
レポート10枚ということもあってとりあえずインターネットでの検索だけで調べつくしたんですが・・・。
やられました。。
本を買うことのない僕が自分の意思で買ってしまった。
宮脇さんのすごいことは建築家としてだけではなく人としてとゆう面でしょうか。
生きていたら是非一緒に酒でも呑みたかったなぁ・・・。
日大居住コースの2期生です。入学当時は宮脇先生のことをまったく知らず、ただ住宅がやりたくて入りました。ものすごくたくさんのエルメスのネクタイ持ってましたね〜。お洒落で粋な人でした。
先生の偉大さに気が付いたのは実は亡くなった後で、著作もほとんどは卒業後に読みました。とにかく出来の悪い生徒だった私はせっかくすぐそばにいたのにろくに学びもせず卒業してしまったのです。なんともったいないことをしたのだろうと思っています。
はじめまして
宮脇さんとの出会いは、彼の大学のゼミに入ったのがきっかけです。
当時「デザインサーベイ」という手法で日本の伝統的な集落や、地方都市の実測調査を行っていました。


「宮脇ゼミ-デザインサーベイの記録」というHPに当時の調査した図面などを公開していますので参考にしてください。
http://www.boreas.dti.ne.jp/~msemi/

これからもよろしくお願いします。
 はじめまして、建築系学科の二年になります。
 大学の課題で住宅を設計する事になり、図書館であれこれ本を漁っている時に吉村先生に続くような形で、宮脇先生の作品に出会いました。
 一年の時のトレースと模型が「軽井沢の別荘」で、その良さは感じていました。宮脇先生の住宅もそこに通じるようなものを感じ、丁度今月に発売した「住宅建築」の特集に出ている写真ですっかり魅了させられてしまいました。特に、住宅の内部空間の作り方には写真だけで、何とも言えない衝撃を受けました。
 今は図書館にある宮脇先生の著書を漁っている所です。
 亡くなられるのが早すぎですよね…。
はじめまして。
住宅系の設計をしています。

学生時代に建築に関する本で読みやすそうなものを探していて
「それでも建てたい家」を購入したのがきっかけです。

不真面目な学生でしたのでそれまで宮脇氏のことは知りませんでしたが、本を読んでから住むこと、生活することに対する意識の持ちようがひっくり返された感じがしました。

部屋の寝てごろごろできる大きなソファーは宮脇氏の影響です(笑)。

吉村順三、宮脇壇の両氏は私が住宅を設計する際の道しるべです。
はじめまして。
私も全く建築とはかけ離れた分野の者です。
「菅野BOX」で知り興味を持ち、
「最後の昼餐」で大好きな存在になりました。
素人目ですが、人としての魅力が建築に反映されてる
ように思います。
大阪の設計事務所に勤めた、かけだしの時に
たまたま事務所にあった”住宅設計テキスト”でしたねぇ♪
あの頃は分けも分からずながら
一心不乱に読みふけっていたのに
10年程経って、再度自分で購入して読み返すと
当時と受ける印象がまるで別人のような感覚でした。
設計・・。この山は高いですね♪
まだ、麓に立ったばかりです。
へっぽこ管理人です。

現在、現場監督業で設計には距離がある立場ですが、
改めて施工を知らないといいデザインはできないなぁと感じています。

現場管理を早く設計に生かしたいものです。
一応設計人のはしくれではあります。
最後に住宅の設計に関わってから既に9年が経とうとしていますが、再び住宅設計に関わる事をあきらめてはいません。

共著である「吉村順三のディティール」が最初でした。
宮脇さんが師匠である吉村さんの作品をディティール、特に矩計を中心に読み解いていく内容です。

私の場合、いわゆる作品集よりもエッセイの大ファンでした。
ライターとしても一流であった宮脇さんが紡ぎ出す、独特の文体や生活の描写が好きで出る本を次々に購入していました。

「父たちよ家へ帰れ」と娘さんの著書「父の椅子 男の椅子」がマイフェイバリッツです。

大急ぎで大騒ぎで駆け抜けていった宮脇さんに比して、私はこれからが始まりです。
初めて出会ったのは、建築を勉強しようと大学に合格したときに、
父から渡された「いい家の本」です。
そのときは本嫌いだったので、読んだのは7年後くらい(;^_^A
今にして思うともっと早く読んどけばよかったって感じです。

ちなみに写真は、先月行った「木村ボックス」です。
こんにちは。
ダン・ミヤワキとの出会いは、大学院の頃。M1の後輩が、「先ぁ〜輩、ダン・ミヤワキ、イイッスよねぇ〜」と言いながら、私の前に、写真集を突きつけたときですね。それ以来、気になってます。今は、住宅を主に扱っているので、彼が著書で述べていることには、かなり共感します。

日本人で、最も尊敬する建築家のひとりです。
はじめまして。
ワタクシは、インテリア畑の人間ですが、
十数年前に、初めて、たまたま「それでも建てたい家」を読んで、
ユーモアのセンス溢れる軽い読み口で
住宅業界に携わる人間の一人として、
「あ〜、わかるっ!すっごく、よくわかるっ!」なんて
思いながら読み、すっかりファンになって、他の本も読み漁りました。
読み口は軽いけど、軸にある仕事への信念が感じられ、
お人柄も伝わってくる気がしました。

私の父も、料理好きで、ものすごく上手なので、
宮脇先生の料理好きで、ダイニングキッチンに拘る部分にも
大変、興味を持ちましたね。

男手ひとつで、お仕事と家事をこなしながら
育てられたお嬢さんがお嫁入りする際のエピソードには、
思わずつられて、ポロポロ泣いてしまいました。

癌の告知を受けた後に書かれた本も読みましたが、
「なんて強い精神力とプロ意識なんだろう」と深く胸に響きました。

いろいろ著名な建築科の先生のセミナーも聞きましたが、
宮脇先生のお話、直接、1度聞いてみたかったなぁ。

昨年、とあるキッカケで、宮脇先生?事務所?が携わられた「コモン」を
見に行き、ハウスメーカーのお仕事にも関わっておられたらしい意味が
わかったような気がいたしました。
宮脇先生は、きっと建物単体でなく、
人の住む街並み作りというものに
いち早く着目して、実行なさっていた建築家なのではないかなぁ?などと
あまり詳しく無いながらも、感じました。

お初にお邪魔致します
京都でデザインをやっているものですが、先生とは私の両親(建築家の父と日本画家の母。両方とも故人になりましたが)仲良くさせていただいており家族ぐるみでいろいろお付き合いがございました。確か栃木の烏山?にも私も一緒に旅行に行きましたし、母の葬儀の際は多忙なのにまっさきに駆けつけてくださって・・・「旅は俗悪がいい」のなかで一行だけ母について触れているところがあります。
先生はひとことでいうとダンディでともかくカッコイイ。まだコドモだった私からは目標にしたい大人のひとりでした。
あまりになつかしく、時折寄らせていただきます。
初めまして(A・ω・ADです
大学にギャラ間の宮脇展が保管されていたのがキッカケでした。
昨年の宮脇展に作品を展示することになり、そのための準備として物品のリスト作りや模型の修理をやらせてもらいました。
恥ずかしながら大学四年間を終えM1にして初めて触れ、図面や模型から設計にたいする情熱を感じました。
うちの大学は宮脇さんと関わりがあるらしく、自分が学部の時は娘さんが講義に参加して、昔の思い出話をしてくれたこともありました。
とてもいい経験ができたと思います。
「最後の昼餐」はキッチンに置いて時々見ています。

昭和56年(1981年)に横浜の朝日カルチャーセンターで
「教養としての住居を考える」というセミナーがありました。

毎回、建築家がひとり、話をする物でしたが
宮脇檀さんと渡辺武信さんのお話が
面白かったです。
はじめまして。

私もまったく建築関係、インテリア関係とは無関係のただのオフィス・クラークです。
そしてぼうちゃんさん(1年以上も前の書き込みの方を例に挙げるのもナンですが)とは全く違い、こどもの頃からずっと図画工作は最も苦手、絵心ゼロです。

で、出会いは工作社「室内」のエッセイです。
何のエッセイだったのか忘れましたが、料理の話がやたら出てきて面白かったです(確か中学生くらい)

そのうち本を買って読むようになって、確か「それでも建てたい家」が最初だったような・・・。

完全な文系人間で、周囲にも建築系の人なんかいない環境にいたのに、留学先で偶然に出会った建築学科の学生に、初めて会った頃、
「私、宮脇檀が好きなんだー」
と言ったら、
「へー、俺キライだね」
と言われました。

宮脇檀がキライと言った意匠建築をやっている男は、なぜか宮脇檀が好きな建築と無関係な女と結婚して、今では宮脇檀ファンになっています。

「あの時キライってはっきり言ったよね?」と言うと、
「よく知らなかったけど、キザな男だと思って頭から嫌いと決めつけていた。いやー、良いねえ、宮脇檀!」だそうです。

宮脇檀さんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいほど××な男です。





はじめまして。
出会ったきっかけは「宮脇檀の住宅設計」です。
納まりの参考図面を探していると、一番基本に忠実でありながら美しいところに魅かれました。
一昔前の雰囲気はありますが無理の無い納まりと、新しいことに挑戦する姿勢、ベースを重視するスタイルは自分の設計にも影響をいただきました。
最近では一級建築士の試験問題でもお会いしますねウインク
はじめまして、現在建築設計の専門学校に行っていますが、宮脇さんの住宅に対する思いが著書を読むたびに深く純粋であることに感動します。
出会ったきっかけは、娘さんである宮脇彩さん著「父の椅子、男の椅子」です。
最も身近な存在である娘の目から見た父、椅子コレクターの宮脇さんを思い出のある椅子一つ一つで綴って生活の大切さを教えてくれる本でした。
そこから宮脇檀のエッセイを読み始めて、宮脇檀さんの家作りに感動しました。
現在自分なりに宮脇さんの建物を研究中です。
はじめまして
宮脇さんを知るきっかけとなったのは以前勤めていた設計事務所にあった書籍で
"まゆみって読むんだ〜"が始まりです
その後書店でエッセイを見つけその文章に惹かれました
とてもお洒落でお仕事が大好きで知識が豊富で…と少し亡くなった父を想わせるので新しく本が出るのを楽しみにしていました
ですが癌の告知やその後娘さんが出された本はすぐには読む事が出来ませんでした(父も癌だったので)
今は一応建築士の端くれに居り理想は宮脇さんのように…と思いつつ知識が及ばず苦戦しておりますが少しでも住宅にかける思いが近付けば…と思いながら仕事をしています
"ii ie no hon" was my first book to read Mayumi's works. Ever since I keep reading his works for more than 10 of them!! When I refurbish my apartment in Kobe, I referred to his book a lot. Thanks!!
居住空間コースは女性のみでしたが、
ちょくちょく顔出して、お話させてもらったりしてもらってました。

卒業してすぐ亡くなられて、すごいショックだったのを思い出します。
あの黄色い花に囲まれた祭壇は今でも忘れられません。

お洒落で、パワフルで、おちゃめな先生でした。
出会いの話でなくてすいませんが・・・宮脇先生ネタです。

昨日車で岐阜県郡上八幡からせせらぎ街道を通り飛騨高山へ行きました。途中、風景に溶け込んだ素敵な喫茶店ラズリーに入ると、元丹下健三事務所の吉島忠男氏の作品と判明。

吉島邸と言えば日下部民芸館と並び建築家必見の重文。
雨中、早速お尋ねし直々に挽いて頂いたコーヒーを頂いていると、期待通りに出ました宮脇檀先生のお話。

名古屋市千種区のご自宅へも何度もお尋ねになった話の他に・・・。
少し後輩の吉島氏が芸大を目指して通っていた阿佐ヶ谷美術学院で何と宮脇先生に指導して頂いたそうです♪
意外なエピソードが聞けた飛騨高山建築の旅でした。
70番の投稿から間が空いてしまいますが、「宮脇檀」の経歴書(1936-1963)によると、
その阿佐ヶ谷美術学園建築科講師に就任したのは1956年で、20歳の時。
その前年には、浅草寺街路灯コンペで受賞し、M邸計画案(自邸)など、建築計画も建築誌に発表していました。
東京芸術大学美術学部建築科(入学は1954年)に在籍中のことです。
初めまして。あまりに懐かしくてかき込みます。
宮脇さんは、母は高校から、両親は大学で同級だったので、幼い頃は、よく家族ぐるみでバーベキューへ行ったり、家を行き来したりしていました。
コミュを発見して嬉しくなりました^^
こんにちは、はじめまして〜

宮脇さんは、「目を養い 手を練れ」を読んでから、興味が出て、いろいろと調べるようになりました。

情熱と、繊細さに惹かれ、最も尊敬する建築家になりました。

みなさんの書き込みを読んで、改めて、すばらしい住宅作家なのだと、嬉しくなりました。

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