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「名もなき詩人」同好会コミュの大麻所持日記

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さて、ネット復活宣言をしたからにゃ〜、毎日1行でも2行でも書き込みをしてやろっつ〜気持ちではおる。したども、やっぱ長い間書き込みしとらんと、調子が出ね〜べ〜〜。昔はよくマメに書いとったな〜と、我ながら褒めたくなるべ〜〜。こんな時はよ〜、何を書こうとか頭で考えずに、ただただじんぐうたいまさまの導くままに書き綴るしかね〜んだべ〜〜。名づけて、「大麻所持日記」っつ〜のはどう?

おらが今回ネット復活した目的の一つは、どこまでもこの態度で居座ってみたらど〜なるべ?っつ〜実験を兼ねているんである。持っとるど〜〜!吸っとるど〜〜!何が悪いんじゃ〜〜!と言い続けて、果たしておまわりさんは我が家を訪問しに来んだべが?っつ〜実験。

ご案内そんなの来るに決まってるじゃない。持ってるのって違法なんでしょ?

ってな印象を抱くのがごくごく一般的なんでね?
したども、おらは警官は絶対来んと高を括っとるんである。
なぜならば、おらの行為は違法であっても違憲ではないからなんである。
ついこないだ。警官さんに久々に取り囲まれた。↓



警官は法を楯に、おらの行為を禁止しようとした。したどもおらは憲法を掲げて、おらの行為が保障された自由の枠内にある行為だと撥ね付けたんである。
当然幾許かは逮捕っつ〜可能性も考えてはおったべ〜〜。したども、誰からも苦情がない行為を警官が取り締まることはできないんである。なぜならば憲法違反だからである。

憲法13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


おらだは、「公共の福祉に反しない限り」において、遠慮なく人生を楽しんでいいんである。
それこそ何をやってもいい。とおらは解釈する。
車が通行しない赤信号は無視していいんである。そもそも地球である。おらだが行きたい場所へ行くのを停めるほうが間違っているんである。
浮気をしようが援助交際をしようがいいんである。お互いが合意してるんならなんの迷惑もないんである。
自殺したっていいんである。遺体をいつか自然が後始末をしてくれるやり方だったら。ちゃんと遺書を書いて、探さないでと書いとけよ〜〜。

ご案内え?!そんなのいいわけないじゃない。社会常識に反してるし不道徳だわ。

ってなこと思う人もおるでしょう。
でも、「公共の福祉に反しない」ことは認めるべ?いっくらダンナに隠れて若いツバメと交際しとっても、「あなたごめんなさい。ご馳走作るから許して」ってな気持ちで料理作ってくれるんなら、むしろ福祉的にゃ〜向上しとるのかもしれんし、死にたいっつ〜もんが社会から消えてくれりゃ〜、それはそれである意味平和だし。
結局は死ぬも生きるも、誰とエッチすんのも、個人の自由。それを「いけない」って言うのはおめはんの信条。「いけないから止めさせる」っつ〜のは信条の押し付け。これは憲法違反。↓

憲法19条
思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。


街中を背旗立ててギター弾いて大声で歌いながら歩いてもいいんである。ほかの通行者がそれを見て目が潰れたとか、鼓膜が破けたとか明らかな損害が発生しない限りにおいては、保証された自由なんである。しかも結構チラシ受けとってくれたし。
どっからも苦情がないにもかかわらず、警官がおらを捕まえるならば、それは警官の勝手な信条の押し付けなんである。

ご案内え?!でも、心の中じゃうるさい!って思う人もいるんじゃない?

いや。それは先回り自己規制システムの押し付けなんである。勝手に架空の迷惑をこしらえて、それによって保障された自由を剥ぎ取ってやろうっつ〜魂胆である。支配者達の巧妙な罠なんである。
大麻取締法も本質はこれなんである。
「大麻吸ったら廃人になるに違いない」っつ〜先回り危機をでっち上げて、「社会のため」を装って、社会を私物化しとるんである。
だから、持っとるど〜〜!吸っとるど〜〜!何が悪いんじゃ〜〜!と開き直られたら、先回り自己規制システムが崩壊しちまって、これを覆すだけの正義を主張できないんである。

おらは日本国憲法に守られとると、心から思う。こんなにありがたい憲法は無いと思う。これを変えてしまおうっつ〜輩はあやしい。絶対に魂胆があるんである。日本国民の皆さんはそんただ怪しい輩を信じてはいけませんよ。
おらはワニ警官どもが手ぐすね引いて待ち構える大麻取締法の大河を渡りきったデビルヌー悪魔 である。今おらは日本国憲法のサバンナでのんびりクサを食みながらへらへらなんである。
警官はおらを何とかしてやりたいと思いつつも、手が出せないんである。反省しないもんを何度捕まえても、効果がないどこころか、自分らが惨めになっちまうんである。

留置所に入れられた時、一人の看守が「俺はこの道40年だ」と言った。「へ〜、したらばもうすぐ定年け〜」とおらは答えた。「こんなところに40年。気の毒な人生だの〜〜」。この看守の枯れて乾ききった表情がなお一層乾いたべ〜〜。
留置所なんつ〜もんは、「逃亡させないため」っつ〜理由は表向きで、実質は懲らしめのためにあるんである。「どうだ。お前は無力なんだぞ」っつ〜屈辱を与えて、憎ませ諦めさせ、「反省してます」っつ〜態度を引き出すためにあるんである。
絶対に反省しないおらみたいなもんを前にすりゃ〜、逆に警官のほうが人生を反省しちまうんである。だから、おらを進んで捕まえようっつ〜警官はいないんである。

おらみたいなもんを捕まえたら、裁判官も大弱りである。
おらは今度最高裁に上告したわけだども、これまで二回裁判を体験したべ〜〜。そんで二回とも、裁判官に手紙を書いた。
一回目は、おらと同い年ぐらいの女性の裁判官。傍聴しに来た人方からは、「なかなかの美人周ピー」っつ〜評判だったべ〜〜。チダダなんか、「君の法衣を脱がせたい光るハート」っつ〜歌ができたとか言っとったし。
おらはこの人に、「あなたは私を裁く心の準備ができてませんね」と書いて送った。↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1536428&id=77561651
次の裁判官は真ん中の人が60ぐらいの男性だった。何を言ってるのか全然聞こえんくれ〜小さな声。
おらはこの人に、「話し言葉をケチるような態度では、あなたの良心などたかが知れたものです。あなたは憲法76条の精神を理解していません」と書いてやったべ〜〜。↓
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1536428&id=77676737

憲法第76条
すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。


さて次はどんただ裁判が行なわれるんだべ?
大麻で裁判する人は異句同音に、裁判官はそう簡単に前例を翻さないと言う。でも、おらはそんただことまるで気にせん。裁判は宣言の場である。最高裁の記録に、おらの宣言が残される。それが尊いんである。
おらと同様の主張をするもんがあと3人も現われれば、裁判官泣き出すんじゃね〜べが?ってな感じにおらは思っとる。大麻取締法時代はそこで終わる。

限界。今日はここまで、

コメント(25)

いつも 楽しく読ませてもらってます(^.^)
ありがとうございます〜(^-^)
個人を守ってくれるのが憲法で支配層を守っているのが法律って事なんですね! 
ここ読んで裁判官の方へ飛んで、コメントしてから戻ったのでとっちらかってしまってますが!!




けい さんへ
ど〜もあんがとね〜〜。反応してくれると、書いた甲斐があるべ〜〜。
工場長! さんへ
>個人を守ってくれるのが憲法で支配層を守っているのが法律って事なんですね!

ルール破ってもマナーは守るぜっつ〜感じかの〜〜。コメントあんがとね〜〜。
ある娘綾小路麗華さんが、道端で女の人に声をかけられたんだと。

スー(正面)すいません。私お金がないんです。助けてください。


綾小路麗華さんはとってもやさしい子での〜〜、自分も対して楽な仕事してるわけでもね〜し、給料もいいわけでもねがったんだども、そんただ頼まれごとをどうしても断れんタイプだったもんで、持ってた財布からいくらかお金をあげたんだと。



おらはその子綾小路麗華に言ったんだべ。


悪魔 あなたがその場しのぎで幾許かのお金をあげたところで、その人の急場は凌げたにせよ、根本的な解決にはなっていません。
今度そのようなことがあったら、こう言ってあげなさい。

綾小路麗華 まず公衆トイレにでも行って、汚れた顔を洗い、髪を整え、身なりを小奇麗にまとめなさい。
  次に、街で一番おいしい料理店に入り、好きなものを注文し、おなかいっぱい食べなさい。
  十分満足したら、店員さんに「とてもおいしかった」と心から礼を述べて、お金を持っていないことを正直に告げなさい。
  店の人はあなたに激怒するかもしれませんし、事情を知って許してくれるかもしれません。許すかわりに何か要求するかもしれません。
  許していただけたなら、心から感謝して立ち去りなさい。何かを要求されたなら、自分に納得できる場合は引き受けなさい。できない時にはできないときっぱり言いなさい。店の人は怒ってあなたを警察に突き出すかもしれません。その時は逆らわずにされるままになさい。
  警察に行ったら、決然とした態度でこう言いなさい。


スー(正面)私は日本国民であり、日本国憲法によって生存する権利を保障されたものです。
  しかしながら、この日本社会においては、私は全く私として生きることができません。 
  社会は、住む場所がほしいと言えば金を出せといいますし、おなかがすいたといえばまた金を出せと言います。何をやるにもカネ・カネ・カネの世界です。
  お金がかからないものは空気だけですが、これも日増しに汚染が進行し、車の排気ガスの臭いに私は我慢がなりません。
  私は日本国憲法に保障された生存の権利のもとに、社会に要求します。私が生存するための場所を提供しろと。私が誰にも追い出されることなく眠れる場所。生きていくのに必要な穀物や野菜を自分の手で作ることができる場所。あなた方社会と一切無関係に生きられる場所を要求します。それがどのように辺鄙な場所であろうと、過酷な環境であろうと、あなた方に煩わされることに比べたらずっとましです。そこでどのような死に方をしても、私は一切あなた方社会を恨みません。お願いです、私を私として生きさせてください。


悪魔 あ。ちなみに、留置所のメシは仕出し屋が配送してくるもんだから、そこそこ食えるべ〜〜。
  したども、朝食が菓子パンと牛乳っつ〜ところが、まあ終戦から続くアメリカのポチズムがまだ消えとらんっつ〜ことなんだべな〜〜。



飽きた。今日はここまで。サッカーしにいこ。
飲みすぎた朝。頭が痛い。こんたな時は、何はともあれじんぐうたいまさまにおすがりするんである。
体がふわふわとなってきて、昨日のほろ酔い加減の感覚が戻ってくる。
おらは今幻覚を見とるのかもしれん。幻聴を聞いとるのかもしれん。だからなんなの?
確かに言えることは、今おらがじんぐうたいまさまにどんだけ救われてるかっつ〜こと。
以前のおらなら、こんたな時どんだけ昨日の深酒を後悔したことか。したども、今のおらは昨日の夢の続きなんである。昨日のお陰が継続中なんである。
じんぐうたいまさまが世界でどれだけ人を救ってるか。吸ってみりゃ〜判るんである。

うちのカミサンは、たばこもはっぱも吸わんから仕事の憂さ晴らしは専ら酒である。
付き合い始めの頃は、毎晩のように居酒屋に通っとった。だから、義理立てして月に1〜2度顔出さにゃ〜ならんなじみの店もあるんである。
でも酒は体に悪い。じんぐうたいまさまに懇意にしてもらって、おらは次第に酒から心が離れていく。つまみも肉類が多くて、肉を食わんおらだは注文が限られてしまう。
居酒屋では、なぜか朝のNHKのドラマが話題になることが多い。日本国民がいかにテレビによって洗脳されてるかっつ〜ことである。
何でも今やっとるのは「マッさん」っつ〜題名で、ウイスキーの工場の話なんだそ〜な。ちまたじゃ〜、しきりにウイスキーのうんちくをど〜たらこ〜たらいう人が増えとるらしい。
そんたな出来事を目にすると、おらはつくづく文明社会の愚かさを感じるんである。
誰だって本心は、目の前にはっぱがあれば、酒なんざやめてぷかぷかするに決まってるんである。だって体にも良いし、気持ちもいいし。
本当はみんな吸いたいんである。でも吸えない。吸ってる奴がうらやましい。だから大麻取締法で吸ってる奴を懲らしめるんである。
現代社会はとどのつまり、足の引っ張りあい社会である。ばがくせ〜〜。誰が仕事なんかやってられるか。
毎日一服してギター弾いてサッカーしてりゃ、でっかい家もでっかい液晶画面も、安楽椅子もメイドもグルメもいらないんである。ニンゲンにゃ〜、社会からほっとかれる権利があるはずである。おれをほっとけ〜〜。


限界。ギター弾こ。
昨日は温泉に入った。おらが行く温泉は、源泉かけ流しと看板出しとるところだけである。それ以外は温泉と認めん。漂白剤臭い湯とか循環は、おらにとっちゃ〜〜どぶ川と同意である。

おらと入浴を共にする客は度肝を抜かれるんである。
おらは40度程度のぬるま湯は、全然刺激がなくて入った気がせん。好みは45度もしくはそれ以上の肌にめらめらと刺激を伝えてくれるぐらいのやつである。風呂が広くて低めに温度調節しとるような時は、お湯の注ぎ口に背中を当てて、「お!効く効く!」などとやるんである。
しかもおらは石鹸シャンプーの類は一切使わん。これらは人類っつ〜下等動物の愚かな習慣である。石鹸の臭いが良い匂いだと勘違いしとるもんが多すぎて困る。一緒に湯船に浸かっとって、頭からオーデコロンの悪臭を発散させとるオヤジがよくいるども、たばこの煙が迷惑なら、こいつも立派に迷惑なんである。
湯から上がると、今度は掃除用のホースがついた蛇口から冷水を頭から浴びるんである。もちろん水風呂があればそれに越したことはないども、これもやっぱそれなりにきりっと冷たくなければ気持ちよくないんである。
水浴びがすんだら、露天に行って風に当たりながらストレッチ。東北地方の風は冷たい。とことん体を温めたら、今度はとことん冷やさなくてはならんのである。そこを現代医学は全くわかっとらん。
通常おらはその行程を2回繰り返して、最後に汗があとから出てこんように冷水をかぶり、露天で髪の滴りをボブ・マーリィのようにぶるんぶるん首振って飛び散らすんである。髪の毛はきっと首の運動のために生えてるんだとおらは思う。

そんなおらを見て、大抵の人は修験者はたまた狂人でも見るような目で、そそくさと早々と風呂場を退散していく。別におらは、心の導くままにやりたいようにやっとるだけなんだども、現代医学信仰にすっかり囚われとる人々にとっちゃ〜、常識の通用しない異教徒のオキテ破りように感じるんだべな〜〜。
はっきり言って現代医学は人間の体を河川改修と同じ方法論で扱っとるば〜がな学問である。なるべく偏らず平均値を維持することが健康の条件だと勝手に吹聴し、それを自浄努力を放棄した患者に押し付けるんである。血圧は高すぎても低すぎてもいけません。血糖値やコルステロールもです。激しい運動なんてとんでもありません。適度な無理のない運動が最適です。食事も食べ過ぎてはいけませんが、かといって食べないのもいけません。毎日決まった時間に決まった量だけ食べましょう。入浴はやや温めのお湯にゆっくりと浸かりましょう。急に体を動かしたりしてはいけません。ってな感じ。
これは川にダムを造る方法論と一緒である。川の流れが速くなったり緩くなったりするのは危険だ。だから、ダムで流量調節しよう。川の流れを一定にする、それが理想だ。っつ〜感じ。
して、このダム治水、今や全国津々浦々で悲惨な水害を乱発させる元凶となっとる。川は長年定量流動を強要されるあまり、自然の活性能力を低下させられ自浄力が無くなってしまい、どんどん流れは濁り、生き物は消え去り、害虫だけが我がもの顔で氾濫する結果となっとる。
しかも、人間が無骨なコンクリートで作り上げたものは、その土地土地が持つ霊的な形態をまったく無視しとるから永続性がない。ほんの少し流れが変わったぐらいでガタガタと崩れだし、血管がぷっつりと切れるみたいに、堤防もぷっつりと切れて、市街地の低いところ一帯を水浸しにするんである。
これと同じことが、現代医学信仰の患者の体内で起こっとるわけである。患者は医者の言うとおりにすればするほど、自分で考えることと自浄能力を失って、廃人化を進行させ、干からびるように死んでいくんである。
っつ〜か、殺されてるんである。老人には早く死んでほしいんである。「なんでも中庸」の生活指導は早く廃人化させるためのテキストである。
現代医学信仰に囚われとる人々は、もしかしたらおらが眩しくて直視できんのかもしれん。おらの清廉さ健全さに、薬やシャンプーや散髪なんかの力を借りてでっち上げた己の外見だけの健全っぽさを浮き彫りにされて、心で悲鳴を上げながらも表面的には平静を装いつつ退散するのかもしれん。
っつ〜か、人はおらに神を見るのかもしれん。こんたなことを言や〜、何うぬぼれてんだ!とお叱りを受けることは間違いないべども、あえて言うんである。おらは自分が神であることに気づいた。って。
日月神示の中にこんたな言葉がある。↓

新しき世とは神無き世なりけり。人(ひと)神となる世にてありけり。世界中人に任せて神々は楽隠居なり。あら楽し世ぞ。

「人(ひと)神となる世」とは何のことだと思う?それは今この時のことだべ〜〜、
これまでの世の中は人間の世の中だった。人間が人間どおしで足を引っ張り合いいがみ合って、誰も進化に目を向けん愚かな世の中だった。
したども、今やおらが神として進化の道を歩む者として目覚めたから、100匹目の猿が始まるんである。
21世紀は徐々に、誰もが仕事に人生を消耗することを止めていく時代。2050年にもなりゃ〜、人々は今の時代を振り返り、「当時の人は気の毒に、自己開発つまり進化することを知らずに、お金を集めることに人生を費やしていたのです」ってな言われ方をするはずである。
大麻を吸うも吸わないも、それぞれの人の選択の自由だ。と、現代人は言うかもしれん。
したども、現代人の心つまり神はきっとこう言うに違いない。そこに選択は無いと。
なぜならば、人は進化するためにこの世に生まれてきたから。大麻を体験しないつまり覚醒しないつまり進化の願望に耳を塞ぎ目をつぶり続ける状況に、人は永住できないっつ〜こと。いっくらそこで時間をつぶしても、道があるからにゃ〜向わずにはいられない。っつ〜か、向うためにこそ、おらだは生まれて来たんである。
大麻の煙は心の栄養である。現代医学的には無価値。でも将来、霊的医学は高らかに認証する。「さああなたの心の健康のために、大麻を吸いなさい」と。
進化の道は、寝たきり老人の目の前にも広がってる。希望は誰の前にもある。老人は老人なりに、自分の寝ている布団を少しでも前にずらさずにはいられない。それが呼吸、必然なんである。
おらは目覚めた。だから世界は徐々にやさしくなっている。それはこの世が物質の世界だから、目に見えて変化が感じられるにはまだ少し時間がかかるども、向っているのは確か。おらがおらとして、無傷で堂々としていられることがその証拠。神が実在する証し。
もしも、おめはんの前に広がる世界が歪んでいるなら、それはおめはんが歪んでいるから。なぜなら、おめはんだって神。世界は神の心の現われ。目覚めれ。すぐによくなっからよ〜〜。


おらの能天気はどこまでもヒートアップするど〜〜!文句あっか〜〜。
今日はみなさんにAKOちゃんを紹介すっかの〜〜。去年の二戸のOKEIでやった映像なんだども↓




AKOちゃんにゃ〜悪いども、何度見ても笑っちまう。AKOちゃんにからんどるもんはOKEIの常連客なんだどもよ〜、このとおりの性格なもんだから、どこ行ってもいい顔されん、その点OKEIは、来るもの拒まずだし、えれ〜安いし、ついつい寂しい夜は顔出しちまうっつ〜、そんただ感じのオヤジなんだべ〜〜。
そんで、とにかく知識をひけらかされたり、自慢されたりすんのが、これっぽっちも我慢できん。
言うなれば、コンプレックスを見栄っ張りで完全武装しとっる〜っつ〜か、そんただ感じ。
イベントのたびに顔出すんだども、必ず演者にダメ出しすんだべ〜〜。
したども、ここまで執拗にダメ出ししたのはこん時ぐらい。よっぽどAKOちゃんにはこの客を刺激する何かがあったんだべな〜〜。

したども。これはAKOちゃんにとっちゃ〜かなりいい経験になったんでね〜べが。
おらはAKOちゃんに歯がゆさを感じとったことが一つあって、それは、相手の主張をすぐ肯定しちまうこと。心に思ってもいね〜のに、「そのとおりです」と言っちゃ〜いけね〜んだべ〜。
なんつ〜か仏教に心酔しちゃっとる方々に多い症状。目立ったり主張したりしないのが美徳だと思いこんどる方々。ま〜、多かれ少なかれ、大抵の日本人の生活態度として浸透しとるよ〜に思う。
一般的にゃ〜その態度しとりゃ〜思慮深い人としてわりと好感を得ることができるわけなんだども、そこはOKEIセオリーは通用しません。
おらはよ〜、OKEIに来るミュージシャン、パフォーマーそんただ方々に、いっつも言っとる。ここで客の心をつかめたら日本中どこ行っても通用するって。
おらもOKEIじゃ〜かなり学ばされたべ〜。歌謡曲いっぺ〜覚えるようになったのも、ここのお客がおらの自作の曲を最初はほとんど聴いてくれなかったから。客がよく知ってて喜んで聞きそうな歌謡曲から始めて、少しずつ心を開いてもらう。腹が立つことも、逆におらが相手を怒らすこともあったども、それはそれで少しずつ受けとめる度量を鍛えてくってな感じに、とにかくOKEIは人と接する能力を高めるための実践道場っつ〜感じにおらは考えとる。
とはいえ、この客は特別。っつ〜かこいつと渡り合えれば、日本国内の誰と議論してもそこそこやれるんでね?こいつは後でみっちり言い負かしてやったから、最近はおとなしいもんだから心配すんな〜〜。
いいお客さんもいっペ〜おるからよ〜、みなさんも岩手に来た際はOKEIにも顔出してやってくんろ〜〜。

第2部


OKEIではしこたまへこまされたAKOちゃんだども、次の日なじみの居酒屋に連れて行ったんだべ〜〜。AKOちゃんは酒飲まね〜ども、AKOちゃん見て話しかけてくる客は結構多いべな〜と思ったんでよ〜〜。
案の定、いろんなお客に興味深々に話しかけられとった。知り合いの娘なんざ、AKOちゃんを見習って、私も肉食やめようか?なんてマジに考えとったし。

とはいえ、おらもAKOちゃんを買っとることは買っとるんである。っつ〜のも、AKOちゃんは江戸時代末期に黒船来襲でもたらされた西洋の悪習に汚染されない、日本古来の清き風習を持ち続けたまま生きとるから。
西洋の悪習とはつまり、肉食とざんぎり頭。
肉食はもは言うまでもない。あらゆる病気のもと、殺伐とした精神状態のもとでもあると思う。肉食のあとのウンコは臭い。消化器官が汚されとるんだと思う。肉を食べ続けると消化器官が老化していくんだと思う。気ぃつけれ。
もう一つのざんぎり頭。これもなかなかの悪習。かつて、江戸時代までの日本人は、体にあぶくを擦り付けて、過剰に汚れを取り去るっつ〜風習がなかった。石鹸でぴかぴかの肌を美とは思っていなかったんである。髪を切る風習はすべて外来文化である。仏教も含む。理由はわからんが、日本人は太古の昔から髪を伸ばしてきた民族である。ちょんまげはずっと新めのヘヤースタイルだべ。きっと。
今やおらだ現代人は、山から流れてきた木屑や雑菌の水を汚いと思い、塩素の入った水道水をきれいだと思って平気で飲む。石鹸の人工臭を良い臭いだと本気で思っとる。雑菌っつ〜もんを過度に恐れ嫌っとる。
したども、
女性の陰部は雑菌の臭いである。納豆や味噌と近い臭いである。髪の毛や服だって、ドライヤーやコインランドリーのなかった時代にゃ〜、大抵半乾きで、搾った雑巾のような臭いがしとったはずなんである。
だから、本当に汚れた時以外は洗濯しなかっただろうし、汗臭さ、雑菌臭さは生活のいたるところに満ちていたはずなんである。
かつての日本人は雑菌の臭い、汗の臭いを自然として受け入れとったんである。
したども、現代の日本人にはそれができん。それがとんでもない不潔なこと恥ずかしいことだと思い込まされて、毎日過度に入浴し、過度に洗濯し、自然環境を洗剤で深刻に汚染させるんである。どぶ川が現代のようにいたたまれん人工的な悪臭を発するよ〜になったのはそのせいである。江戸時代にはなかったんである。

江戸時代までは人の性器は信仰の対象だったんである。ありがたい子宝つくりの神様である。日本人は性器の臭いを愛し、その香りの中で深々と眠ったんである。
現代人はそれをすっかり忘れとる、だからSEXがしょぼいんである。
セックスレスの夫婦なんざ恥と知れ。


はい今日はここまで。

今年の冬はかなり太った。最高63kgまで行った。肉食をやめて以来56〜7kgぐらいが平常値だったから、とんでもないデブである。おら的には。
なぜ太ったか。原因はいくつかあれど、一番はやっぱり、裁判用の文書を書き上げるために、コタツに座り続けたことである。
なんせ、控訴審の日取りが決まって、控訴趣意書を書いて、裁判官へ手紙を書いて、不服申し立ての際に申し立て書を書いて、今年に入って固い文書を3つも書いたことになる。
いや〜なかなか大変なものである。心から納得できる文書を書くっつ〜のは。まずは、文書を書ける心境まで高めるのが大変。遊び慣れたおらの心は、物書きなんつ〜退屈なことのために、じっとコタツに座るなんつ〜ことはいやなんである。じぐううたいまさまに大活躍してもらって、なんとかむずがる心をなだめてコタツに座らせる。
したら次は、この文書を読んでくれる裁判官とかに対し、友人のように愛をもって接する気持ちを高めねばならん。えれ〜厳しい文章を書いとるように思うかもしれんども、本質は愛なんである。厳しさの中にも深い愛を感じるから、裁判官らは平静でいられないんである。


留置所でハンストした時は、47kgまで体重が減った。カンパCDのパンフレットに書いた公約を守るつもりならば、本当は水も一切飲まないはずなんである。これはできんかった。やろうと思えば、もう2〜3日ぐらいはできたかもしれんども、おらはそれよりも、しっかりとした事情聴取を残したかったんである。
そのうち警察に情報開示を要求して、この時の調書を読み返してみたいと思う。

最初の調書は交通違反についてだった。若い警官が、おらと机をはさんで勝手にスラスラと書き連ねて、「こんなもんでいかがでしょう」と、あとは署名と拇印でいっちょ上がりです的に差し出してくる。おらはそっからダメ出しするんである。

悪魔 ニュアンス的にまったく納得できないね。

じゃ〜そこをなおしましょうと、指摘した場所に線を引き、その脇に細かな字で追加する。

悪魔 そんただまどろっこし〜ことしね〜で、ワープロでやりゃ〜手間かかんね〜べさ?

なぜだかパソコンは使えないといい、あくまで訂正個所は線を引いて脇に書こうとする。

悪魔 あのさ〜。おらは根本のところで、そのやり方に納得しとらんのよ〜〜。最初から書き直してくれる?

それはできないと言う。それじゃ署名と拇印は拒否すると、おらは言う。
若い警官は顔を高潮させながら、追加分を下に書き足すので、それで納得して欲しいと言う。
おらはこう付け足させた。

悪魔 そもそも、人も通行車もまったく見かけない山道で、たとえ一時停止の標識があったにせよ、そこで完全停止するのは著しく不合理である。減速停止による燃料のロス、そして時間のロス。それに見合うだけの合理性が、この標識の指示にはない。そんな標識を守る必要性はまったく感じないし、それによって免許を減点されたり、罰金を払わされたりする処分を受ける過失も感じない。
また、物陰に隠れて違反をこっそり見張るというやり方も卑劣である。あなた方警察は、世の中を良くするために働いているはずなのに、やってることはただの点数稼ぎである。あなた方の交通取締りの多くは、交通を円滑にするためのものとは言いがたく、ただただ国民から罰金を絞り上げるためにしかないと思えるものばかりである。いつまでも国民がそんなやり方黙ってると思うなよ。

ってな文書をしっかり追加させて、おらはおもむろに「名もなき詩人ことセキチヒロ」と署名し拇印を押したんである。

留置質に戻されしばらくすると、看守がやってきて、「釈放だ」という。
え。まさか。とは思ったども、こみ上げるうれしさに疑う気持ちが押し付けられ、平静を保とうと思いつつも、口元が緩んじまうんである。
留置者用のダセ〜ジャージを着替え、もとの服を着て、取調室へ。
そこには刑事課の長っぽいオヤジが待っとって、「お前50か。俺と同い年だ」ってなことを言う。
して、「悪ぃ。釈放の前に手続き上、罰金だけは払ってもらわんといけないキマリなんだ」ってなことを言う。
口元のほころんだおらは、「ま〜釈放してくれるんだから、それくらいはしょうがないか」ってなことを言って、罰金公布書に署名拇印する。
ごきげんよう、またいつか会いましょうってな軽口を言いながら、取調室を出ると、そこには刑事が二〜三人立っとって、「大麻取締法容疑で再逮捕だ」という。やられた。
ちくしょ〜とは思ったども、ま〜警察の手口を見せてもらったから、この場は良しとした。
空腹と喉の渇きと2つとも我慢しながらじゃ〜、この先の大麻に関する事情聴取を納得に行くもんにできるとは思わんかった。命の危険に怯えながら水さえも拒否し続けるよりは、断食だけなら人は絶対死なないっつ〜確信があったおらは、ハンストだけ継続して、とにかく心から納得できる事情聴取書を残したかったんである。
結局、おらの大麻に関する事情聴取書は内容別に3つに分けられ、その一部には大麻に対するおらの信条を心行くまで反映してもらったんである。

まだ、日取りは決まっとらんども、最高裁の控訴趣意書はこれまでの総決算的な文書を書こうと思っとる。言うなれば控訴趣意書の最高傑作である。流行作家みて〜な下らん文章書浪費しとったら、人生も浪費してしまうんである。本当に書くべきものをびしっと書く。それが正しいんである。
留置所におった時、劉シャオポっつ〜中国のノーベル平和賞作家の本を差し入れしてもらって読んだども、なんだおらのほ〜がレベルの高い文書書いとるんでね?ってちょこっと思う。
次なる文章は、おら的にはでき当がっとるんだども、これを「この世のもの」にする作業が大変なんである。今んとこおらの頭ん中にだけあるこの文章が、最高裁の記録に保存されるっつ〜だけで、裁判やった甲斐があると感じる。
言葉は時代を進めるんである。ま〜楽しみに待っとれ〜〜。



いかんいかん。体重の話だったべ〜〜。
現代医学は、いつもベスト体重を維持するのが健康の秘訣みたいだ物言いをするども、おらはそれを信じね〜〜。日本は四季折々の環境が違う風土であり、そこに住む生き物も、四季ごとにコンデションが違うんである。大抵の生き物は、実りの秋に腹いっぱい食べて、冬は脂肪で膨れるんである。それが当たり前なんである。
日本人はそれをよく知っとるから、和服は胴回りの変化に対応できる作りになっとるんである。
だから、冬は好きなだけ太ればいいんである。毎日サッカーしとりゃ〜、知らぬ間に贅肉なんざなくなっていくんである。
そんただ四季折々の変化を許容できない昨今の美容洗脳は哀れである。寝ても醒めても贅肉はダメみたいな体調維持は、ストレスで老化を促進するんじゃね〜か?とおらは思う。




今日はここまで。
こないだの日記で、答え甲斐のある意見をいただいたんで、今日はそれに答えるべ〜〜。


>>大麻を体験しないつまり覚醒しないつまり進化の願望に耳を塞ぎ目をつぶり続ける状況に、ひとは永続できないっつ〜こと。
>覚醒について、「大麻」が必要不可欠というのはちょっと違うんじゃないかと思います。

「大麻」は十分条件かもしれないが、
必要条件ではないと考えます。

古くは、修行、座禅。
近年では、瞑想、セラピー、等々。
色々なアプローチがあり、それぞれ美しいと思います。

それとすべての人が覚醒しなければとも思いません。
動物、草々もあるわけだし、
無生物にも命はありそうです。


  〜引用ここまで。



おらなりにこれを要約すっと、「覚醒すんのに別に大麻を使わなくても、ほかのやり方がある。むしろ、覚醒に大麻を使うのはやや反則っぽい。人間はもっと高尚な覚醒方法を知ってるのだから、そっから向うのが正道。大麻は邪道。」ってな感じになる。後半は推測で付け足した。おそらく、こんただ思いが多少なりともあるから、こんただ意見が発せられたんだと思う。



おらの回答は、んだそのとおり。瞑想やセラピーで到達できるもんが覚醒と呼べるんならな。ってな感じ。
これは他の言い方でたとえれば、「人間には自己治癒力があるんだから、医療大麻を使わなくても、自力で緑内障を治せるはずだ」と言うよ〜なもん。だったら、病人は全員、患ってね〜でさっさと完治しろって。
ビートルズが音楽的にすげ〜進化をするキッカケになったのは、ボブ・ディランに大麻を伝授されたからだっつ〜のは、結構有名な話だども、果たして、ビートルズが大麻に出会わなかったら、音楽的進化はあったんだべが。
ビートルズの精神的な進化は、初期の「彼女は君をスキだってよ〜〜」的な歌詞から、「目を閉じてごらん。人生なんかマボロシに過ぎないさ」ってな歌詞に突き進んじゃってることを見りゃ〜、誰も否定できね〜と思う。こ〜いった歌詞的進化、技術的進化が、ボブ・ディランとの出会いから始まったんである。
そんただビートルズが、大麻無しで同じよ〜な境地まで達することができたと思うけ?思うんなら、君にゃ〜医者はいらん。さっさと完治せ〜〜。
ボブ。ディランは若い頃家を飛び出して、黒人達にいろんな歌を教わったそ〜な。多分大麻を知ったのもその頃だと思う。果たして、超人的なリリックの重ね合わせは、大麻なしに獲得できたんだべが。
ジミヘンのギター上達にも大麻があったに違いない。はっぱでどこまでも飛ばんと、ギターもぶっ飛ばんのよ〜。
「大麻以外のやり方があるじゃないか」っつ〜意見の回答は、ま〜できる人もおるかもしれん、一億人に一人ぐらいは。君がその一人だったらいいね。ってな感じ。
お釈迦さんは、その人生で最も過酷な6年間の断食修行の間、毎日米一粒と麻の実一粒だけ口にしたそ〜な。
http://chaichan.lolipop.jp/chai/hokke_shaku.htm#shakuson05
イエスさんも洗礼(つまりは覚醒体験)の時、大麻入りの聖油を使ったそ〜な。聖書じゃ〜大麻取締法に配慮して「においしょうぶ」とかっつ〜名前に刷りかえられてるども、実は大麻のことらしい。いいのけ?聖書っていや〜聖なる書物だべ?そんただ人間の都合で勝手に書き換えてよ?
この人類史上最高峰の覚醒に達したお二方も、庶民にゃ〜知らされてね〜ども、実は大麻の力をお借りしていたんである。
大麻無しでも覚醒できるかもな〜、それなりには。したども、そこにあるのに使わんつ〜選択は賢明だべが?
っつ〜か、そんただ意見言っとる時点で、対してわかってもおらんのに、判ったよ〜なこと言っとるっつ〜印象を、おら的にゃ〜感じずにはおれんのよ〜。
まさしく、その意見ってすり込み。どっかのだれか、大麻をたいしたもんだと思わせたくない誰かからの受け売り。自分で編み出した意見じゃね〜。うまく操られてる。
っつ〜か、一番その手の言い方すんのは、仏教心酔者だよな〜。取締法以前は、座禅だなんだと修行の時にゃ〜随分と大麻のお世話になっときながら、いざ取り締まりになると、手のひら返して、はっぱ吸うのは破戒僧だ〜ってな態度に豹変する。あ〜きたね〜。宗教はみんなきたね〜べ〜〜。


断言するども、大麻を吸うと吸わんとじゃ〜、景色がまったく違う。窓があって、それを開けて顔を出すか、部屋の中に留まるかぐらい違う。自分っつ〜狭い殻を、あなたは着たまま人生を生きますか?それを脱いで一回自由になってみませんか?っつ〜ぐらいの違い。殻を脱いだことのね〜人は、いくらわかったよ〜な態度しても根本じゃな〜んもわかっとらん。
しかも、一回脱いだ経験は大麻無しでも忘れちまうことはない。おらが留置所内で、開けた意識を持ち続けていられたのは、別に不思議でも何でもない。一度窓を開きさえすりゃ〜、目に焼きついた景色をいつでも思い出せる。
「覚醒なんかしてもしなくてもいいじゃん」ってな言い方をするもんは、まだ本当に生きとらんのである。生きるっつ〜ことに目覚めとらんのである。だから人生がしょぼいんである。


おらは、早いとこ皆さんもおらの境地に達して欲しいと心から思う。でね〜と話がかみ合わね〜んである。
おらは、「いや〜めでたい。福島原発は本当にめでたいですな〜。あんなふうに完全に爆発するでもなく、かといって人間が処理するには適度に不可能な状況だからこそ、人間はいずれ反省せざるをえないわけですからね〜」
「いや〜まったくです。まだまだ薬の利かない愚か者もいますが、どっち道最後はあきらめて、しぶしぶながらも進化の道を歩き出すでしょうね」ってな意識高い系の会話を周囲の人々としたいんである。
おらの周囲は、お父もお母も意識が眠っとって、口を開けば「マッさん」ばかりである。
おらは言いたい。

ほれ!引きこもり老人ども!さっさとはっぱ吸って外で遊んで来〜〜!
今週になってまた雪が積もっちまったども、先週はもは春が来たかっつ〜くれ〜晴れた日が続いて、おらは久々に河川敷の乾いた芝生の上でボールを蹴って遊んだんである。
おらを見ると、近づいてはヤバイってな感じで、服を着た小型犬を連れた一団がそそくさと場所を開ける。して、彼女らの正常ルートである芝生の周りの舗装道へと戻っていく。
おらはそんただ風景をぼんやり見ながら、リフティングを続ける。毎日やっとるせ〜か、いつのまにやら2〜3分は続けられるよ〜になった。
「たった2〜3分?」とか思う人もおるかもしれんども、社会人リーグに参加しとった二十代の頃、2〜30回続けるのがやっとだったことを思えば、おら的にゃ〜すんげ〜進歩なんである。
おらがそ〜やってボール遊びしとる間中、大股で規則正しく手を振りながら、舗装道をぐる〜っと通過していく人がおる。かっちょいいジョギングウェアを着て両目が繋がったサングラスつけたぐらいにして、颯爽と走り過ぎる人がおる。七十代ぐらいの老夫婦が並んで歩いとる。デートする若いカップルがおる。
でも、芝生を縦横無尽に駆け回っとるのは、おら一人である。
おらがいい感じで一息ついとる間も、かっちょいいジョギングウェアの兄ちゃんは、時計に目をやりながら、いかにもペースで走ってますってな感じで、ややしんどそう。っつ〜か、つまんなそう。
きっと兄ちゃんは、ココロの中で思ってるに違いない。「俺もボール蹴りたいな〜」ってなことを。


おらが小学生の頃、休み時間!となりゃ〜みんな一斉に校庭に出たもんである。ぼんやり座っとるスペースなんざまったくないくれ〜密集して遊んどったんである。
おら以外の、現代人を自称する人方は、数十年の社会生活を経て、校庭の真ん中で遊ぶっつ〜ことをすっかり忘れちまったわけである。
多くの人は子供の頃より馬鹿になっとる。おらにゃ〜そうとしか思えん。
そんで、このぐるぐる回るだけの人々の大概は、大麻は麻薬だと信じて疑わないんである。覚醒体験?なんか危険そう。ってな印象の牢獄に自ら入り込んで、あとは思考停止。でも医者の助言には忠実。
おらにはこの光景が、歯車社会で不要になったロボット人間たちが自らスクラップになるためのオートメーションのベルトの上を移動してるよ〜に見える。
これが覚醒を知らない人の姿である。



覚醒とは心の目を覚ますことである。心に正直に思い行動することである。
心でちょこっと思っただけで、行動が伴わなければ、覚醒とは認めんのである。おらは。
みんな心で思っとる。ボール蹴って遊びたいって。でも、それをやろうとしない自分を普通だと思っとる。当然だと思っとる。なぜ?思考停止。
覚醒なんか別にしなくていいじゃないか。これは巣立ちをしたくないひな鳥たちの意見である。
それを見て親鳥は言うんである。そんじゃ、もはおめに餌はやらん。巣から出てきたもんにだけやる。
だって怖いんだもん!ひな鳥たちはめそめそ泣きながら言う。
いいから出てこい!勇気を出して!ほらこれをやるから!
親鳥が差し出したのは、青々と匂う大麻のジョイントである。
ひな鳥たちはジョイントを回し、深々と吸い、次第に落ち着きを取り戻し、目の前の試練を直視するんである。心が目を覚ますんである。
ひな鳥たちは思う。なんか飛べそう。体はもう反応してるんである。ばたばたゆさゆさ翼を動かしたくてたまらない。
そこに突然、白服を着た医者鳥がやってきて言う。「君!危険だから止めときたまえ。覚醒なんかしなくていいじゃないか。」


覚醒は必然である。雛鳥がやがて飛び立つくれ〜必然なんである。
大麻は神の草だった。かつての日本では。神として崇めるくれ〜必然だったんである。
むしろ、覚醒状態こそが平常だった。校庭は真ん中で遊ぶもの、それが平常。だから古き良き日本民族は、朝夕神の香りを嗅ぐために神社に参拝し鈴縄を振ったんである。
別にいいんである。覚醒しなくていいっつ〜人は、校庭の隅をいつまでも回ってればいい。そんくれ〜日本民即の心、大和魂を忘れちまってるんなら、忘れ続けていくのも人生。人生いろいろ、結局は個人の選択。
でもやっぱ馬鹿だと思う。だってぜって〜おもしれ〜もん。ボール蹴ってるほ〜が。舗装道を通行する人は時間を殺してる人。生きた時間を満喫しとるのはおら一人。
おらは、この状態、ど〜見ても長続きしね〜と思う。誰が始めるかわからんども、きっといつか、頭の薄くなったオヤジとかがボールを蹴りながら芝生に侵出してくるに違いないんである。それが必然。


何が言いて〜か?っつ〜と、「覚醒なんかしなくていい」っつ〜人は、心が寝ぼけとるっつ〜こと。
寝ぼけたもんにゃ〜、じんぐうたいまさまは厳しいお言葉を賜るんである。
覚醒は、してもしなくてもいいなんつ〜選択を挟むべきもんじゃね〜んである。
まだわからんのかの〜〜。
万民にとって覚醒が必然なら、大麻も必然なんである。

いつまで寝とるんじゃ〜!精神的ひな鳥ども〜〜!ガキは外出て遊べ〜〜!
今日は天気は良いし、外でいい汗かいたから、おらの脱法ハーブ体験でも書いてみっかの〜〜。
ありゃ〜、代替ハーブと言うほうが正しいように思う。大麻が自由に吸えれば、誰も手を出さね〜んである。大麻は薬草だども、脱法ハーブは化学薬物。つまり麻薬である。習慣性があるかど〜かはわからんども、薬物だから、どんただ飛び方すんのかが予測不可能な部分があって、そこが怖い。

あれは、去年の春だった。まだ、例の池袋の暴走事件が起きとらんかったころ。天気もいいしのんびりすべ〜〜っつ〜ことで、○○さんの車で海さ行ったんだべ。
この○○さん、大の脱法ハーブ好きでの〜〜、「アメリカの極上医療大麻が手に入った」とか言って、おらに一服吸わせたんだべ〜〜。ま〜、ど〜見てもハッパらしくね〜んで、うすうすはわかっとったども。
海辺でサッカーボールでも蹴るべ〜〜って、海水浴場の駐車場に停めた車を出た途端、体を動かせなくなった。べったりと地面に座り込んじまった。頭も痛い。手足の動かし方を忘れちまったっつ〜感じ。それも唐突に。
おらもそれなりに大麻体験積んどって、効きの強い大麻をいくら吸っても、ま〜そこまでへたることはなかった。うわ〜やべ〜〜って思ったども、おらだ以外に人がおるんでもなし、せっかくだから、脱法ハーブの旅をじっくり味わってみることに、腹を決めたんだべ〜〜。
頭がくらくらする。上半身が揺れとるのをコントロールできん。両足の間に頭を挟んで、アスファルトの地面を見ながら、じっと耐えた。
すると。
おらの居る場所がどんどん高度を上げて、まるで雲の合間から地上を見下ろすような錯覚が広がり始めた。アスファルトのツブツブが高度1000mから見下ろした小さな建物の集合のように見える。

そんただ感じでどんくれ〜座っとったのかはわからんども、少しずつ手足を動かせるよ〜になってきたんで、まだ頭はウィスキーのボトル一本一気飲みしたみたいにくらくらしとったども、とりあえずせっかくの海だ、泳いでくるべ〜と、おらは歩き出したんだべ〜〜。
べろんべろんの千鳥足で、とりあえず海まで数十歩ぐらいのとこまでたどり着いたおらは、服を脱ぎ真っ裸になって海へと入って行った。
いや。入ったんだと思う。たぶん。ざぶんざぶん荒波にもまれながら、脱力したまんま、海の中に数分漂っとったよ〜な記憶がある。はっと我に返って、服を脱いだ場所に戻り、大の字になって横たわった。
まぶしい日光。まぶたの裏の真っ白な世界。そこにおらは幻を見たんだべ〜〜。とってもリアルなマボロシ。
海から神が現れる。と思った。
一歩ずつ安定感のある足取りで、波の中から地上に現れた神。
もしかして!そう思った瞬間、神の顔が見えた。その顔はおらだった。



おらは別に、「おらは神だ!崇め奉れ〜!」ってなことを言いたいんではないんである。
その時、強い確信を持っておらは悟ったんである。この世界は、おらが見たマボロシの神の心そのものなんだっつ〜ことを。
して。おらの心を世界として生きるおらの写し身。そいつにとっちゃ〜、おらこそが神。そんでまた、そいつの心を世界とするおら。その逆も。果てしなく続くおらと神の重なり。心と世界の重なり。
だから、おらは人であるとともに神なんである。そして、これを読む皆さんも、おらと同様に神人。それがミロクの世の秘密。開かれた岩戸の正体なんである。
だから、この世界が悪いとしたら、その原因は皆さん自身にあるんである。
この世界が悪いとしたら、それを改善できるのは皆さん自身だけなんである。
おらはそのことに痛切に気付いちゃったんである。だからおらはこの世界をおらの意志によって善くすることに決めたんである。だから、おらの世界は日々善くなっているんである。
それからまた数日して、また○○さんと車で移動。途中で運転を交代して、その前に一服ってな感じで、脱法ハーブを吸ってみた。大丈夫、当分一本道だべ?ってな感じ。
数分後、手足が動かせなくなった。運転中に。
そん時実は、おらは六ヶ所村村長選挙の供託金50万円のカンパ集めの旅の最中で、この一年間苦労に苦労を重ねてようやっと50万円到達の目処もついたっつ〜頃だった。
ひえ〜〜!こんただクライマックスが用意されとったのけ〜〜!
おらは純粋に、なんかものすげ〜スリリングな小説を読んでいるかのよ〜に、おらの人生の結末に感心しとったんである。
ま。いいか。これはこれで。おらは簡単に諦めたんである。カンパ集めが導く未来は見てみたかったども、ダメならだめで、それも許すか〜〜、っっ〜感じ。
おら自身はそれで納得しちまったんだども、隣におる○○さんをまき沿いにするわけだから、それなりのことわりを入れとかねば。
悪ぃ〜。なんか無理みたい。
○○さんは、最初何言ってるんだかわからんよ〜だったども、次第にことの重要さに気付いて、「いいから停めろ!」と叫ぶ。
停め方がわからん。その瞬間、車の操作方法が完全に頭から消えちまっとって、「停めるって何?」ってな感じだったんである。
幸い、数分後車はどんどん速度が落ちて行って、自然と停まってくれた。したども、この間赤信号が一つでもあったら、大事故が勃発しとってもおかしくなかったと思う。



脱法ハーブ。それは確かに危険ハーブだった。したども、この2つの体験は、おらにとって非常にかけがえのないものだった。死にかけたからこそ、留置所に入れられても、まったくめげなかったし、これからもそ〜簡単にゃ〜めげそうもないんである。
そんで、よい経験も悪い経験も命的にゃ〜、同価値である。命にとって最悪なのは経験しないこと。だから、退屈な仕事を何十年も繰り返すなんざ〜最悪の人生。そんで、その最悪に忍従できるのは「現代人」だけであって、地球生命の一員である「人」は一日たりともそんな時間は過ごせないんである。
しかも、おらだは神である。この世界を心とする神。まさに、地球はおらだの心なんである。
地球が汚されていくのは、おらだ人類の総意的心が穢れているからである。
でも、もしもおらが善に立ち返るなら、おらから善を始めるんなら、この善は地球っつ〜心全体で共有されるんである。なんて絶妙なこのシステム。だから君も始めれ〜〜。

おらは事故を起こしてしまった人、人を殺してしまった人、そんな人々に言いたい。
決して後悔はすんな。したども、自分が世界そしてもっと大きな世界あるいは小さな世界に与えた影響を隅々まで実感しれ。して、その経験を生かせ。
そんで、自分の人生を好もしい方向に導きたいんなら、祈れ。神に託せ。神にその命を使ってもらえ。祈りだけが正真正銘の守護なんである。

今日こそはなんか書いてやろ〜っつ〜決意のもとに、今コタツに座っとる。
正直言って書くことはかったるい。体がうずく。ボールもって外に行きたい。書きたいことはわんさかあるんだども、この気持ちが先立つと、もは落ち着いてものを書くなんてできるもんじゃね〜んである。

それでもあえて日課的にものを書いとる理由は、ミロクの世実現に必要だと思うからである。
現代社会のくだらなさ、先の無さを、まだ気付いとらん人に気付いてもらうことが今一番有意義な活動だと思うし、おらがこのように違法行為の実況中継を続けることこそが、そん中でも最も効果的なイワト開き活動なんだと感じるからである。
いやよ〜警察だって気づいとらんわけはね〜んである。逮捕の時パソコンを押収して、洗いざらいチェックしたし、おらはこのブログをしっかり紹介したから、読んどらんわけはね〜んである。いや。もはすっかり降参して忘れたことにしとるかもしれんども。

警官こいつは何とかせねばならん!

おまわりさんも一時はそ〜思ったかもしれん。したども、あまりし自信満々のおらの態度に、

警官様子見をしとくのが一番賢いかな〜。

ってな感じで、結局は静観を選ぶんである。


おらだはいつも「中今」におる。
「中今」っつ〜のは、ひふみの神様の言葉である。

一切の未来も一切の過去も、総てが現在ぞ。中今ぞ。このこと判るが善ぢゃ。神は総てを知っているのぞ。現在は永遠ぞ。何処からともなく感じて来るもの尊べよ。
黄金の巻第七帖


留置所におった時、ハンストでめげそ〜になった時、いつもこの言葉を思った。
縄を解かれ自由になり、うま〜いザルソバをつるつるっと食べとる自分。これは間違いなく実現できると確信できる未来である。今はそこに到るまでの途上。「中今」である。
「中今」の辛さがあるからこそ、ザルソバが胃袋にきゅっと沁みるんである。
未来を手にした時、豊かな経験の糧として満足を与えるのは、「中今」があるからこそなんである。


今世界は、愚かな資本主義社会からミロクの世へ向う「中今」である。
そして日本は、大麻取締りの時代から、無条件開放に向う「中今」である。
おらはこの「中今」を心行くまで味わいたいんである。
おらの言葉が、おらの行いが、未来を引き寄せる力になったと、胸を張りたいから、「中今」を鮮烈に生きたいんである。

おらの心ん中には、もしも再逮捕された場合っつ〜シミュレーションは当然あるんである。そんただ考えが未来を引き寄せる。だから逮捕はあるかもしれない。
したども、それはそれで悲観はまったくないんである。
おらは書きたいことが山ほどあるんである。
まずはこれまでの半世紀を書いてみたい。おらは高校時代、ロックバンドに憧れるものの、ギター一つ弾けない、弾くことをはなからあきらめ、友達の演奏をうらやましげに眺めとる、そんなやつだった。サッカーだって、部活ってきつそ〜ってな感じで、引っ込み思案だったやつである。親が進めるままに、進学校に入学したものの、勉強についていけず、赤点すれすれで辛うじて卒業できたやつである。大学進学できずに東京でアルバイトしとったさえないやつである。
そんただおらがなぜ今こんたにも自信に溢れ人生に満足できとるのか?それはちょっとしたコツである。ちょっとした気付きである。それを皆さんに伝えたいんである。
それから、小説にしたいテーマが2〜3ある。誰もがあんぐりするよ〜な奇想天外な小説を書いてみたい。
でも。
それよりもっとギターが弾きたいし、ボールで遊びたいんである。だから、シャバにおるうちは、おそらく一生書けないんである。
したども、刑務所なんかに入れられりゃ〜、ギターもサッカーも許されんだろ〜から、ものを書くしか楽しみはなくなるんである。
しかも、おらの予想じゃ〜、大麻取締法の存続は長くないから、刑期中に釈放なんつ〜可能性もありそ〜なんである。おらの釈放はもんのすげ〜センセーションを巻き起こしかねない。まるでネルソン・マンデラみたい。
だから今は、そ〜なるまでの「中今」。ど〜転んでも、おらは「喜び組」に在籍するキマリなんである。

だから、は〜やく来い来い再逮捕〜っつ〜気持ちもわりとあるんである。
ここまで書いたら、おらを捕まえようなんつ〜気持ちは、完全になえ萎んじまうはずである。
あとは裁判官だけなんである。彼らはまだまだその時じゃないと思っとるんである。

おじいさんまだまだ津波が来るまでは時間があるだろう。

ってな感じで悠長に構えとったら、思ったより早く来たんである。

製薬会社とべったりの官僚たちも、予想外の進展の早さに驚いとるはずである。

表情(あせり)何の権力も持たない名もなき詩人風情に、社会の仕組みを変えられるわけがない!と思ってたのに・・・

だから「今中」なんだって。
時代はどんどんミロクの世に代わっとるんである。その「今中」。
ミロクの世には、権力よりも正しい言葉、正しい行いがものを言う時代である。
この世界は神であるおらの心である。その神が、心の優等生であるおらの希望を叶えないわけがないんである。
表情(あせり)いやそんなはずは!と思うんなら捕まえてみ。さあさ〜〜あ〜〜〜、ぺんぺんぺん。


こんただおらに共犯者になってほし〜もんがおったら、遠慮なく。
職質とかで警官に見つかった時、怖かったら、一人じゃめげそ〜だったら、共犯者になってもいいど。
警官に言ってやれ。

ディーコン名もなき詩人が薬草だ、体に良いってくれました。 へ〜これが大麻だったんですか〜。

もちろん、胸張って「中今」を鮮烈に生きたいっつ〜気持ちで、おらの名を上げてもいいど、
さっさと開くべ、日本のアサ。
はっしーを応援しよう!(草案)

来る3月29日から4月12日は、半年前から予定しとった、広島市長選挙に出馬するはっしーこと橋本征俊の応援にいくべ〜〜!
おらが応援に行くからにゃ〜、そん所そこらのありふれた手伝いでねぐ、「ほ〜!こりゃ〜すごい選挙が始まったもんだ」と広島市民が注目するよ〜なことも、可能な限りやってみたい。ま〜本人の考えは十分尊重した上でだども。
まずその手始めとして、こんただパンフレットを作ってみよ〜かと思う。これを見て本人が喜んでくれればいいども。



昨年11月、訪中した安倍総理は習近平国家主席と握手を交わしましたが、終始表情は固く、心から親愛の情をこめて交わした握手ではないことは、誰の目にも明らかです。なんと無意味で恥ずべき握手なのだと、私は感じました。
内心で彼らはこのように思っているのでしょう。
「本当は敵国のこんなやつは嫌いなのだが、経済成長のために仕方なく手を握るのだ。」
彼らの行為は金で体を売る売春婦や臓器提供者と、考え方の上でなんら変わりありません。もし情勢が変われば、こんな誠意のない握手など忘れ去られてしまい、彼らは敵意をむき出しにして争い始めることでしょう。
そしてまた、彼らは私たち国民にこう伝えたいのです。
「俺たちはお互いの国のために嫌なことでもしなければならないのだ。それが現代社会の義務なのだ。国民も嫌なことを我慢して義務を果たせ。」
でも、嫌なことを我慢して作り上げたこの社会に満足している国民は果たしているのでしょうか?私にはこの社会がどんどん悪くなっていくようにしか思えません。誰もが我慢を強いられ、そして誰ひとり現状に満足できない社会。私はもうこんな社会真っ平ごめんです。
私には、彼ら政治家たちが外交というものをまったく理解していないように思えてなりません。彼らは言います。「見張りをつけて武器を持たせ、外敵が侵入してこない領域が国土なのだ」と。
私はそんな国土など嘘っぱちだと思います。国土とは本来、家に鍵もかけずまったく無防備でいても、誰も危害を加えない安心して生活できる領域なのではないでしょうか。人類が本当に賢明な生物であるならば、そのような理念をもって外交政策を推進していくべきです。
もしも私が安倍総理の立場だったなら、このような真心の伴わない握手など絶対にしないでしょう。安易に手を差し出す前に、何時間でも何日でもあるいは何年でも、じっくりと時間をかけて、心から理解ができるまでじっくりと話し合うでしょう。主席ばかりでなく、大衆のだれとでも会って話をし、「あなたに免じて、これまでの日本に対する憎しみの一切を水に流すことにしよう」という言葉を引き出すために全力で取り組むでしょう。そして北朝鮮にも韓国にも出向いて、相互間に武器は不要なのだということを熱心に説得して歩くでしょう。どこかの企業が金儲けできるための握手より、そんな努力のほうがよっぽど日本国民のためになるのではないでしょうか。握手には心が伴っていなければなりません。正しい心による正しい行いによってしか、正しい社会を形成することはできないのです。
選挙で人を選ぶ時、あなたは何を基準にしますか?政治の経験?経済的基盤?知名度?おそらく大抵の人はそのようなものを基準にして候補者を選ぶことでしょう。でも、その基準が正しいのなら、なぜ社会はこれほど問題に溢れているのでしょうか。
私は岩手県盛岡市の出身ですが、まるでセンスの感じられない開発によって、古い家屋は高層マンションに変わり、広くなった道路のおかげで車が増え、きれいだった空気は汚れ、排気ガスの臭いが立ち込めています。街の特質・個性といったものは失われ、日本のどこに行っても同じような町並み、同じような食べ物、同じような大型店舗といった状況です。これはおそらく、広島市にも当てはまることでしょう。
私たちはそんな環境を望んでいたのでしょうか。確かに歩道は整備され石につまずくことはなくなりましたが、反面、愛着のある町並み・人々・草木、そういったものを失いました。子供の頃、身近にいた生き物達は姿を消し、今では動物園や図鑑の中でしか見ることができません。
そんな街づくりを推進してきた政治家たちを選んできた私たちは、本当に正しい選択をしてきたと言えるでしょうか?2011年3月の東日本大震災で、私の住む岩手県は甚大な被害を受けました。街はすっかり津波に破壊され、後には膨大なガレキが残りました。まさしくこれが現代社会の正体です。コンクリートで造られたマンションやアスファルトの道路、ダムや堤防、そういたもののことごとくがいつか必ず壊れ、自然に還元できないガレキや粉塵として環境に残ります。膨大なゴミと汚れた水と空気。それらは野放図に無反省に次の世代に引き継がれます。このままでは、いつの日か社会はゴミを始末しきれなくなくなり、私たちはゴミと隣りあわせで生活しなければならなくなるでしょう。
そんな街づくりに手を貸してきた従来の政治家たちは、何か根本のところで思慮を欠いていたのではないでしょうか。彼らを先導してきたのは経済成長という号令です。欧米に追いつけ、追い越せ。その結果、街に現れたのは、人を個人として扱うのではなく、営利を重視し無駄を省くために集団として扱う画一的な生活環境です。
誰もが、働くこと・経済に奉仕することを優先させる生活スタイルにはめ込まれ、子どもたちが気ままに遊べるような広場や自然散策の場はなくなり、規則に縛られた小さな公園と、人工的に植えられた観賞植物が立ち並ぶ遊歩道が整備されまていきす。戸外に自由がなくなった市民は自然と引きこもりがちになり、心と体の健康を枯れさせていきます。物価は上がり生活費はかさむ一方、賃金は変らず年金は先延ばし。誰もがこんな生活真っ平だと思いながら、そこから抜け出す術をもちません。
引きこもり市民の情報源はテレビと新聞です。でも、マスコミは決して公平ではありません。経済力のある候補者は宣伝広告を出し、有力政党の候補者は露出度も多くなります。そしてそれらの情報源は政治に大切なのは経験と資金とコネなのだと視聴者に印象付けます。テレビっ子市民たちには見慣れたテレビタレントは俄然有利です。そうやって私たちは正しい人選を誤ってきました。だから社会はこんなにも愚かでつまらないのです。
従来の政治家は誰も彼も似たり寄ったりです。自民も民主も「経済」という旗頭の前では同類です。共産も社民も大きな違いはありません。それらの政治家の誰もが、政党の思惑に縛られ、「嫌なことでもやるのが義務」という押し付けられた理念に動かされ、自らの判断力というものをおろそかにしています。没個性的な街づくりは、知恵もアイディアもない政治家たちが、機械的に誰かの思惑に従って運営してきた結果なのです。
私たちはそろそろ違った人選を考えてみるべきです。それは、心から納得できない握手は絶対にしない人です。自分の心の正しさを信じて疑わず、良心に従ってものを言い、行動する人。今社会に望まれているのはそんな人です。そしてそれが、私が橋本征俊氏を応援する理由です。
私が橋本征俊氏と出会ったのは昨年の春でした。活断層の上に高レベル放射性廃液を貯蔵する青森県六ヶ所再処理工場の愚行を終わらせるために、工場反対の六ヶ所村長選挙の立候補者を擁立しようと、供託金のカンパ集めの旅をしていた時でした。氏は経営するお好み焼き居酒屋「おきらくや」で小宴を開いてカンパ集めに協力してくれました。そして広島市長選挙に立候補する意志を私に伝えました。彼の純粋で力強い意志に心打たれた私は、選挙の時には何をおいても駆けつけ、全力で応援することを約束しました。私の応援は、氏から頼まれたわけでもお金をもらっているわけでもありません。私の良心に従って行なうものであり、一切の責任は私自身にあります。
彼は政治経験があるわけでもないし、経済力や知名度があるわけでもありません。従来の選択基準で考えたなら、彼に有利な要素は一つもありません。でも、それが市民の先導役になることに、何の不足となるというのでしょうか。経験は重ねればいいのです。能力のある人物をブレーンに召集すればいいのです。カネもコネも必要となれば必要なだけ備わってくるはずです。あらかじめそれらを手にしていなければ、選挙に出る資格すらないように思い込んでしまう気風にこそ問題があるのです。
彼には他の候補者にない資質があります。それは夢を見る力です。愛と喜びに満ちた社会を想像し、それが実現できることを心から信じて疑わない心です。これは他の候補者には備わっていないと断言できます。なぜなら、彼らは少なからずカネやコネといった拠り所をあてにして立候補しているからです。拠り所は強力なサポートではありますが、半面候補者から自主性を奪い、偏った要望を押し付けます。多くの政治家はヒモ付きであり、独自のアイディア・ビジョンといったものを磨いていません。
拠り所をあてにせず、肩書きのない一人の人間として立候補しているのは橋本征俊だけです。正しい心ただそれだけを掲げて彼は広島市民の皆さんに要請しているのです。「さあ、一緒に始めよう!愛と喜びで広島を再生しよう!」だから皆さんも正しい心で彼に答えてください。


まだまだ膨らます必要があるども、今日はここまで。

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