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「名もなき詩人」同好会コミュの裁判官への手紙

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平成26年(わ)第11号 大麻取締法違反 被告事件担当 澤村智子裁判官殿
平成26年9月17日  名もなき詩人こと関千尋

9月1日に行なわれた第一回公判において、私が説明を求めた『私の行為において「公共の福祉に反している」と判断される具体的な理由』を、あなたが検察官に説明する必要が無いと判断なさったことについて、今思うことを述べておきたいと思います。
「公共の福祉」とは何か、私なりに調べ下記のような文章にたどり着きました。
<「公共の福祉」ってなんだろう?>
http://www.jicl.jp/chuukou/backnumber/09.html
『 そもそも近代の憲法は、国家権力に歯止めをかけて、国民の人権を守るために生まれました。ですから、憲法は「人権保障の体系」であるということができます。そしてここで人権を保障される国民は、あくまでも個人として尊重されなければなりません。「個人の尊重」こそが憲法の基本的な価値なのです。そのことを憲法は「すべて国民は個人として尊重される」と規定しました(憲法13条)。人権の発想はこのように国民を一人ひとりの個人ととらえることから始まります。社会的な地位や身分関係で国民をとらえるのではなく、あくまでも一人ひとりの個人として、その生き方や存在を尊重し肯定するのです。
 このように「個人の尊重」を根本価値とする人権ですが、実は絶対に制限されないわけではありません。このことを憲法は「公共の福祉」という言葉を使ってあらわしました。12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」とあります。また13条の後段にも、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とあります。他に22条や29条2項にも登場します。これらの「公共の福祉」とはどのような意味なのでしょうか。
 皆さんは「公共の福祉によって人権が制限される」と聞くと、どのようなことを思いうかべますか。「社会の秩序や平穏という公共的な価値のために、個人はわがままをいってはいけない」というイメージを持ちませんか。または、「多数の人の利益になるときには、少数の人はガマンすべきだ」という意味だと感じませんか。実はこれらの理解は、正しいものとはいえないのです。仮に「社会公共の利益」といった抽象的な価値を根拠に個人の人権を制限できるとすると、「個人よりも社会公共の利益の方が上」ということになってしまいます。これでは「個人が最高だ」とする個人の尊重の理念に反してしまうのです。個人が最高の価値であるのならば、その個人の人権を制限できるものは別の個人の人権でなければなりません。つまり個人の人権を制限する根拠は、別の個人の人権保障にあるのです。
 私たちは憲法によって人権を保障されていますが、当然のことながら、他人に迷惑をかけることは許されません。たとえば、いくら私たちに「表現の自由」が保障されているといっても、他人の名誉やプライバシーを侵害してまで表現する自由が無制約に認められているわけではないのです。どのような人権であっても、他人に迷惑をかけない限りにおいて認められるという制限を持っています。私たちが社会の中で生活をしていく以上、ときに、「ある人の表現の自由vs別の人の名誉権やプライバシー権」のように、人権と人権は衝突します。そしてその衝突の場面においては相手の人権をも保障しなければなりませんから、自分の人権はそのかぎりで一定の制約を受けることになります。すべての人の人権がバランスよく保障されるように、人権と人権の衝突を調整することを、憲法は「公共の福祉」と呼んだのです。けっして「個人と無関係な社会公共の利益」というようなものではありません。また「多数のために個人が犠牲になること」を意味するのでもありません。
 「公共の福祉」による人権制限の問題を考えるときには、対立する利益をつねに具体的に考えなければなりません。「誰のどのような利益を守るために人権を制限するのか」をしっかりと意識しないと、「国益」というような抽象的なものでの制限を許してしまいかねないからです。仮に「国益のため」という理由が語られたときには、その「国益」の中身が具体的にどのようなものなのかを考えてみることが必要です。たとえば以前に、イラクで日本人が人質に取られるという事件が起こりました。このときに「自衛隊を撤退させずに国益を守る」というのであれば、「生命という最大の人権を犠牲にしてまで守るべき国益とは何か」を具体的に考えなければなりません。そうでないと、「国益」という言葉に安易に流されてしまいます。国の都合で人権が制限されることがあってはなりません。
 そもそも「公共の福祉」のことを英語ではpublic welfare といいますが、このpublicとは、「人民」がもともとの意味です。つまり「人びと」ということです。ところが、日本語の「公」はもともと、「天皇」や「国家」をさしました。人権を制限するときに「公共の福祉」とか「公のため」という言葉を使うときにも、私たちはあくまでも、具体的な人びとの幸せを想定して考えていかなければならないのです。』(引用ここまで)

 この文章は「法学館憲法研究所」というネットサイトのHPで見つけたもので、運営は伊藤塾という受験指導校であり、公正さを必要とする立場にある団体の作成文章だと考えます。この文章によれば、「個人の人権を制限する根拠は、別の個人の人権保障にある」「誰のどのような利益を守るために人権を制限するのかをしっかり意識するべきだ」と記されています。私の裁判に関して言えば、しっかり意識し重視すべきなのは「私の行為によって誰か迷惑を被った人がいるのか」ということであり、それはまさに私が繰り返しあなたに明確にしていただくことを望んだ事柄です。  
 私の要望を無視し曖昧なままに判決を下そうとするあなたの姿勢は、容認するべきではないと思いますが人情として理解はできます。なんと言っても、人が人を裁くという作業は重大な責任があり、できれば過去の判例などに追従して自分独自の判断は極力避けたいと思うのも無理はありません。でも、こんなふうに考えてみてください。もしも大麻取締法というものが存在せず「公共の福祉に反しない限り、個人の自由や幸福を求めることができる」とする憲法13条のみが存在するのであれば、私は誰の咎めも受けず、大麻を自由に利用することができるはずです。そればかりか、医療大麻を必要な人々と分かち合える、あるいは大麻繊維などを生活の場で有効に利用できるなどといった本当の意味での「公共の福祉」の向上に寄与することができます。そんな状況を容易に思い描くことができるのになぜそれをやってはいけないのか?そういった処々の有益な事柄を排除してまで大麻取締法を守る必要があるのか。あなた方司法者は憲法13条と大麻取締法の板ばさみにあります。どちらを尊重すればいいのか?それは率直に言えば、中学生レベルの学力があれば誰でも判ることです。つまり、司法者ならば法よりも憲法を重視すべきです。それでも、あなた方司法者は単純に率直に考えることができません。誰だって自分よりも強いもの・大きいものには楯突きたくありません。社会的影響力の強い厚労省が「ダメ!絶対ダメ!」とキャンペーンを張っている状況を思えば、国を敵に回し、周囲の司法者たちから孤立してまで大麻取締法を踏み越えた判決をすることなど、できればやりたくないのです。ですから、憲法13条の精神をクローズアップすることになるであろう私の要望を、あなたがスルーして大麻取締法だけ配慮していたい気持ちは、とてもよくわかります。
 私はあなた方司法者のそんなジレンマが判ります。だから、私を犯罪者とする判決を下したとしても、あなたを憎みません。でも哀れみは感じるでしょう。人々が心から良心を締め出して生きる姿、それは私にとって哀れむべき姿です。なぜならば私は、私の良心、つまりあなた方が締め出してしまっている心情のみを人生の指針にしてこれまで行動してきたからです。逮捕そして留置所での生活、保釈が許され日常生活に復帰するという経験を通して、なおさら強く私は確信しています。大麻を解放することが地球と人類の未来にとって今最も大切なことであり、そのために私の人生をささげることが私の良心なのだと。それを公の場ではっきりと宣言するために、自ら警察に捕まりました。且つ又私は確信しています。この逮捕から裁判までのプロセスは、地球のセッティングつまり、この星が宿す見えない力、神性が私の人生を誘い、その道を素直に迷わずに歩んできた結果なのだと。しがらみに怯え良心を殺して過ごす時間は、私にとって命を消耗しているだけの無意味な時間です。人間は心身ともに成長していくためにこの世界に生を受けたのであり、成長するまたとない機会を自ら回避する姿勢は、人間としての誇りを自ら捨て去っているのと同じだと考えます。
 そしてまた、現代社会はあまりに心の影響力を軽視しています。清らかな心・強く優しい心に光を当てない生き方は、次第に心身の健康を損ね、病気を引き寄せ、老化を促進します。政治家、企業家、タレントなど現代社会の成功者と呼ばれる人々はなぜ身なりを装うことに固執し化粧などで素顔を覆い隠すのか。それは素直な心で生きることを学んでこなかったため、自分の本当の姿を人目に曝すのが恥ずかしく、顔や体に現われる醜さを隠さずには生きられないのです。多くの現代人は、そのように心を磨くことを怠り、外見を装うことに煩わされ、かえって自らの命をすり減らしているのです。それは、科学には決して理解できない命の真理です。私はそのように考えて生きてきました。そんな私にとって、自分の弱さに負けてしまう人々は誰であれ哀れみを感じずにはいられないのです。
 第一回公判で検察官は、私が無職であることを鬼の首を取ったかのように、まるでそれが罪であるかのように主張していましたが、私はお金のために自分の人生を犠牲にしていないことを、むしろ誇りに思っているのです。私は自作の歌を歌い、それによって時には援助やお志をいただくことがあります。その意味ではそれが職業であるという言い方も可能です。でも、そんな世間体を気にしたような言い方をするつもりは全くないのです。なぜならば、それを職業と宣言することで付いて回る現代社会のしがらみが馬鹿馬鹿しいからであり、むしろ私にとって、現代社会の資本システムとは一切無縁の者である、ボランティアと物々交換に生きる者だと言ったほうが、心情に合致するのです。資本主義というシステムに組み込まれることは、場合によっては良心を殺して生きることに他なりません。資本主義とは、個人の利益を優先することが容認される思想であり、場合によってはそんな利己的な行為が賞賛すらされる社会です。利益と良心は多くの場面において両立できないのです。ですから、職業として人を裁くあなた方司法者が時として良心に目を伏せることは避けがたい宿命であると言えます。たとえ憲法76条に明記されていようとも、資本主義をシステムとして選択した社会において、司法者の良心や他から独立した判断など実質は綺麗ごとでしかないのです。
 そういう事情は理解するものの、一方で私は良心の勝利を信じています。この先50年も大麻取締法という悪法が無反省に存続していくような国なら、いっそのこと大地震や原子力施設の大爆発で滅亡してしまったほうがましではないかとさえ思います。でも、私はそうはならないと確信しています。なぜならば、日本は神の国だからです。考古学者は日本よりも中国その他の古代文明のほうが歴史が古いと主張しますが、私は信じません。日本の古代文字や天皇家の紋章である菊花紋は南アメリカやエジプトなどの古代文明のいたるところで発見されています。大麻が西アジアのどこかの原産だという話も信じません。四国には大麻神社があり大麻文化に関する豊富な証拠もあります。世界で最も深く大麻の真髄を知るのは実は日本であり、大麻は神の国である日本の発祥だと私は強く信じています。西洋文明が大麻取締法によって封じ込めたのは、大衆の嗜好や産業などではなく、大麻によって解放される日本の真の力・地球本来の神力なのです。もちろんこれは私の勝手な信仰であり証拠を出せといわれても困るものです。しかし、敗戦によって憲法9条が施行され、日本が世界でもごくわずかな徴兵制度の無い国として存続できたことは、この国には何か見えない力が働いているように、私には思えるのです。ですから、よこしまな心を持った者達がいくら解放を妨げようとしても、大麻はいつの日か私たち国民の手に戻るでしょう。それはさほど遠い未来ではないと感じます。その時人々は、誰もが神聖な心を取り戻し、それまでの愚かな生き方を反省し、地球再生への奉仕の仕事を始めることでしょう。そしてまた、大麻解放により地球が歓喜の光に輝く時、私利私欲という悪意の産物である資本主義システムには陰りがさし、次第に消滅していくでしょう。それは、愛と真の英知に導かれた人類進化の時代の幕開けです。
 私の裁判は日本が乗り越えなくてはならない試練の時、禊なのだと考えます。私はあなた方が下す罰など怖くありません。いつ何時でも明るい清らかな心を失うことなく、刑務所であろうが更正施設であろうが、自分の信念のままに乗り切っていくことでしょう。新たな時代の幕を開けるためにはそのような役割の者が必要なのだと思います。有罪判決など全く気にせず、むしろ胸を張って喜びに輝きながら、愛と勇気を武器に司法の矛盾に立ち向かう私の姿を見て、きっと多くの方が真実に気づいてくれるでしょう。それは司法制度と司法者の姿勢が根本から問い糺される時の始まりでもあります。
奇遇なことに、今現在、私と同じように大麻取締法で犯罪を問われハンガーストライキを決行した方が大阪の法廷で争っているそうです。このような手紙を裁判官であるあなたに向けて書けるということも、この方の活動を通じて知りました。
http://dragons-shrine.s2.weblife.me/live_drama_art/
これをあなた方はただの偶然として退けてしまうかもしれませんが、真理は、この世に偶然など存在せず全てが必然なのです。その方も私と同じように、罰を恐れぬ強い心と地球の再生を信じる深い愛に満ちた方のようです。そしてその方も私も、実のところなんら特別な人間ではないのです。ただ、誰よりも心の力・作用を信じ、それを実践してきただけなのです。私たちが始めたことは次に続く者を必ず生み出すでしょう。喜びの力はなえ萎むことは決して無いのです。私は強く信じています。あなた方司法者の中にも、新たなる時代の要請に答え、良心によって正しい裁定をする方が現れることを。もちろんそれがあなたであればどんなに嬉しいことでしょう。もしもそうであれば、私はこの時代に生まれたこと、あなたに判決を受けたことを心から感謝し、司法制度に再び期待をかけてみよう思うことでしょう。
 司法者は主観ではなく客観的な良心に従い判決を下すべきだという話も多少学びました。しかし私は、客観的良心など存在するのか?という点において強い疑問を感じています。社会的な客観性があるとすれば、それは個人の主観の集合であり、個々の主観を廃した先に客観性など存在するわけがありません。頼りにすべきなのは結局のところそれぞれの個人の主観なのであり、あなたの主観に照らして私は犯罪者に思えるのかどうか、そこだけが重要なのです。私の周囲の誰でもいい、ぜひ聞いてみてください。私が社会に有害な人間なのか、周囲の人々になんの愛情も降り注げない人間なのか。あなたの中にも流れる、古来から大麻を信仰の対象として崇めてきた日本民族の血に、伝統に問いかけてください。そして未来、放射能に日常的に曝される環境に住むことを忍従しなければならない私たちの子どもの世代、孫の世代が迎える将来を自分のこととして思い浮かべてください。医療大麻を必要とするのは私たちよりも彼らの世代なのです。そして、カンパCDを手に私が全国を回り歩いた時どれだけの人々が私に期待をかけてくださったのか、どうして六ヶ所村長選挙の供託金50万円の目標を達成できたのか、その意味を真剣に考えてみてください。客観的良心というものが存在するのなら、それは私の姿だと、私は自信をもって明言します。
客観的良心に関してもう一つ言わせていただけるならば、もしそれが実在するにしても、それは単純な多数決で割り出せるものではないということです。なぜかといえば、前述したように現代社会に生きる人々は、常に良心に従って意見を述べ行動をしているわけではないからです。例をあげれば、原子力産業などまさしくそうでしょう。現在に生きる人々の多くは、こんな厄介なものが国中に乱立していることに大きな不安を抱いています。ところが、原子力を受け入れた時代、多くの人々は賛意をもって受け入れたのであり、次世代の困窮など全く想定していなかったはずですし、そこまで見通せる良心を保持していた人はごくわずかでした。戦争も同様のことが言えそうです。戦後の今、当時を思い返して、最も賢明な良心から意見を述べるとするならば、他国の侵略や領地拡大などは考えず、敵国の挑発などは相手にせず、ただひたすら自国への侵略だけを防ぐべきだったというものではなかったでしょうか。当時そんな意見を述べる人はいなかったでしょうし、いたとしても非国民と非難され過酷な迫害を受けたことでしょう。ダム建設もそうです。最近、日本の各地で深刻な水害が多発していますが、災害河川の多くは上流に水害軽減のためのダムがある河川です。実質、ダムによる水害防止などできないのは明らかです。また、ダムに貯水した水は消毒浄水しなければ飲めるような代物ではなく、塩素消毒した水は発ガン性を高めます。百害あって一利も無い、それがダムの実体なのに、今だにダムを造ろうとする人々がいます。このような例は巷にいくらでも溢れ、多数決が常に良心とイコールでと繋がっているわけではないことは明らかです。むしろ、多数決は良心の欠如と結び付く場合が多いと思います。ですから、客観的良心などという幻想を逃げ道にするやり方はもうやめてしまうべきです。良心は常に主観的であり、それはあなたの心の一番深いところに存在しています。あなた自身、本当は気付いているはずです。問題は、いつまで気付かない振りをするのか?ということです。
大麻に関して言えば、現在のところ厚労省やNHKなどが不誠実に喧伝する「大麻は麻薬」プロパガンダが強力で、大麻の絶大な有益性を理解している人々はまだまだ多いとは言えない状況です。単純な多数決では大麻は悪だと考える国民のほうが多いでしょう。それでも、私は大麻の真実を誠心誠意をこめてあなたにお伝えしました。あなたはもう知っています。大麻解放こそが地球の良心だと信じる者が少なからずいることを。そんな者が一人でもいるかぎり、公共の福祉に反しない、つまり具体的な誰かに迷惑をかけない範囲において、その生き方・考え方を尊重するべきです。あなたがその気になれば、大麻に関する正しい情報はいくらでも簡単に手に入れられます。参考として「医療大麻を知ってもらうためのPEACE WALK in 大阪難波」というイベントのパンフレットを同封します。公共の福祉にとって私が有害なのか、それとも大麻取締法が有害なのか、あなたの良心に従ってご判断ください。

 

コメント(1)

裁判官が一人でもこの事実を知ったという歴史的事実!! 

きっと衝撃的だったんでないべか!?  

自分も衝撃的でした!!!  

心を文章に起こせる文章力も驚き!!

遠い昔に感じた奥の心もワクワクしています!!


良心に従うと痛い目に遭う世の中は早いとこなんとかしたいですね!!

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