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「名もなき詩人」同好会コミュの裁判官への手紙 Part2

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仙台高等裁判所第一刑事部 嶋原文雄様 大川隆男様 早川幸男様
平成26年(う)第168号事件を担当する裁判官の皆様へ
                        名もなき詩人こと関千尋

1月13日はお疲れ様でした。控訴審の経過を振り返って、結審の前に感じたことをお伝えしておきたいと思いましたので、ここに記します。署名も捺印もしておりませんが、一応は目を通していただけるものと期待しております。この文書はあなた方を批判するために書くのではないので、構えずに気楽に読み流していただければ幸いです。大麻という地球の将来を左右する問題を私と一緒に心を砕いてくださるあなた方に、私の忌憚のない思いをお伝えしておきたいのです。
 訴えを起こした本人の正式な控訴趣意書が審議されないことに、私は強い驚きを感じました。普通教育を受けた人なら誰でも読めばわかるものを、私たち大衆には全く合点の行かない司法者独自の取り決めで、読まないことにしちゃったわけですよね。しかも、担当弁護士さんに聞いたところ、「署名捺印がないから(私の作成した)控訴趣意書は受理できない」という連絡をいただいたのが、もうどうにも手の打ちようのない前日だったそうですね。これはちょっと不親切だと思います。なぜ、間に合うように通達してくださらなかったのでしょうか。
正式な趣意書が取り上げられなかった事実は、今後の経過次第では再上告する理由が生じたことになりますし、あなた方独自のテクニックで読まないことにしちゃった行為は、まさに「裁判官は憲法76条に反し、全く良心に従って判断していない」という趣意書内容を裏付けるものと感じました。これらのことについては、もっとふさわしい場で触れたいと思いますが、そんなくだらね〜裁判の費用払う必要あんの?という思いは多分にあるということは知っておいてほしいものです。

 というか、そんなに扱いが困難でしたか?あの趣意書。まあ、あなた方の気持ちが判らないわけではありません。「裁判官は憲法に違反している」などと訴えられて、対応に困らない裁判官はいないでしょう。これまでの人生への反省を求められているようで気詰まりな感じもします。それに、憲法に従ってたら裁判なんかやってられない、といった状況も多々あるわけでしょうし。憲法違反が平然とまかり通っている現代社会では、法律の多くが金儲けしたい有力者の意向に沿う形で施行されています。だから、あなた方の複雑な心境は重々お察しします。
 現代社会がなぜ憲法違反だらけなのかといえば、それはまさしく資本主義システムで出来上がった社会だからなのでしょう。憲法は民主主義を謳っていますが、それを守らないこの国は経済支配主義とでも言いましょうか。自由とか平等などというものはどこを見回しても見つかりませんし、国策は率先して公衆衛生を破壊しています。その最たる例が原発です。たった40年発電できるだけで、あとには永久に使えない土地と大量の核廃棄物が残る。しかも、そこまでして作った電気。大切に使われてるかといえば、自動販売機やら人っ子一人歩かない夜道の照明やら、言わば「電気を捨てるための電力供給」ばっかりなわけです。
 ほんの数日前の新聞記事でこんなものがありました。↓
『原発事故 東電元会長ら改めて不起訴 再審査へ 
 福島第一原子力発電所の事故を巡って、検察審査会が「起訴すべき」と議決した東京電力の元会長ら3人について、東京地方検察庁は、再捜査でも「原発事故の前に今回の規模の津波が発生し原発の主要機器が浸水する危険性を認識すべき状況にあったとは認めがたい」と判断し、改めて不起訴にした。(中略)これについて東京地検は「東京電力は平成20年に東日本大震災と同じ規模の高さの津波をみずから試算していたが、原子炉建屋付近の実際の浸水の深さは試算 結果の数倍になっている」としたうえで、「原発事故の前に今回の規模の津波が発生し、原発の主要機器が浸水する危険性を認識すべき状況にあったとは認めが たい」などと不起訴の理由を説明している。』(引用ここまで)
いや〜、裁判をする前に「裁判」があるとは知りませんでした。「君たちの訴えは裁判に値しない」って、裁判前に蹴られちゃったんですよね。さぞかし、裁判官の方々はほっとなさったんじゃないでしょうか。面倒臭そうだもん、この訴訟。でも、全国民にとって本当に大事なことが審議すらできないっていうこの国のシステム、うわ〜腐ってるな〜庇いあってるな〜〜と思わずにはいられません。
もしも、この訴訟が認められて裁判ができるとしたら、私が考える「憲法76条を遵守する裁判官」はこんなふうに判決するでしょう。↓
「事故の責任を個人がとることは不可能であり刑罰によってこれを償うことはできない。ただし、人類が原子力をコントロールできるはずだという信念は完全な間違いであった事実は厳粛に認めなければならない。この事実が導くもっとも賢明な判断は「原子力を利用することは人類の科学レベルでは荷が重過ぎる」というものであり、且つ又もっとも賢明な選択は原子力の永久廃棄であることを示している。司法者の使命に則り、私はあらゆる原子力施設の運転の一切を許可しない。日本国憲法の代弁者である私の裁定を無視して、原子力の運転を継続することは重大な憲法違反に値する。」
裁判官の権限がどれだけあるかとかそんなことは詳しくありませんが、もしも日本の裁判官がしっかり憲法76条に従って裁判していたら、日本の原発はこんなにも増えたりしなかったし、もうとっくに廃絶に向っていたのではないでしょうか。
私はこの訴訟、違憲で訴えたらどうなのかと思います。告訴理由は、たとえば憲法19条違反。「原子力は安全に制御できるという信念を持つことは自由だが、それを実行することにより公共の福祉に多大な損害を与えた。」ってな感じです。判決は、「今後一切。原子力を安全だと主張することを禁じ、その信念に基づく経済活動の一切を禁止する」ではどうでしょう。こんな判決があったら、安倍総理は間違いなく憲法違反者ですね。「福島原発はコントロールできている」とか「廃炉は可能だ」とか信念だけでものを言っているわけですから。なんだか、こんな社会見てますと、「法律に違反したからどうなの?おれは憲法は完全に守ってるぞ!」ってな感じで、威張ってやりたくなります。

ところで、あなた方が私の趣意書を受理しなかったことは明らかな矛盾です。あなた方もそれなりの地位を得た方ですから、社会一般的な常識はわきまえているはずですよね。署名捺印が無いという理由で正式な趣意書を受理せずに、同じく署名捺印がないにもかかわらず参考的な意見書を受理する。この矛盾は、あなた方なら十分わかるはずではないですか?というか、そこまでしてかばいたいものって一体何なのですか?あなた方が守ろうとしてるものって、そんなに価値あるものなの?それはやっぱり、あなた方の社会的立場とかいったものなのでしょうか。こんな言い方をすれば憤慨なさるかもしれませんが、私はあてずっぽうでものを言っているわけではありません。というのも、現代の学歴社会では学力も当然必要ですが、それと同時に社会はある種の柔順さを当事者に要求するわけです。学歴社会で生き残るには、この社会に柔順な態度を保つ必要があるわけです。
例を上げましょう。ここに生意気な不良少年A君がいます。彼は別に頭が悪いわけではない。ただ、学校規則や先生が大嫌いなだけです。だから、よくサボるし成績もよくならない。そして成績優秀な生徒B君がいます。彼は先生や親の言いつけを守り、放課後は塾に通い、暇さえあれば予習をします。ある日、彼らに共通の友人が二人に記憶力テストを持ちかけます。ただ単純に時間内にどれだけ形を憶えられるかといったような簡単なテストです。いつもは予習に余念がなく遊びなど見向きもしないB君も、「愛しのC子さんの前でAのやつをギャフンと言わせて、いいとこ見せてやろう」ってな感じで、テストに応じます。「スタート!はいおしまい!」二人の成績は拮抗していましたが、わずかにA君のほうがリードしていました。悔しさのあまりB君は、もう絶対テストでは誰にも負けないことを心に誓い、ひたすら勉強に打ち込みます。大好きなテレビや漫画を見ることもすっかりやめ、親が塾通いの日を増やしても文句一つ言わずがんばり、ついには一流大学に合格、出世街道を突き進みました。ってなところでしょうか。
そんなエリートたちで構成されたのが、この社会の権力構造なわけです。エリートになるためには、遊んだり笑ったりといった心が大好きなことに目を背け、親や先生や上司にかわいがられるためにネコをかぶらなければいけません。でなければ、出世レースでライバルに先を越されてしまいます。ですから、エリートつまりあなた方のような地位にある方というのは、従順という性質が必然的に備わってしまうわけです。
しかも、エリートは頭脳の優秀さとは無関係です。頭の出来だけならヘタすりゃA君のほうが良いという可能性もあるわけですから。つまりエリートというのは、現代の競争社会システムに対する適応力が人並み優れている方なのだということです。ですから、学業の成績優秀者であるエリートが、同時に優れた知恵の持ち主かといえば、それは必ずしもイコールではないのです。知恵とはすなわち、憲法前文にある「人類普遍の原理」に根ざして物事を捉え活動する能力だと考えます。「命を謳歌する力」とも言えます。あなた方は知恵に関しては、これまで全く学んでこなかったでしょう。知恵のテストなんてありませんものね。そればかりか、あなた方の人生は命を謳歌することを制限され続けてきたようなものです。「もう少し遊びたいな」「だめだめ、予習が終わってからね」ってな感じです。そして、良心に根ざした正しい判断力というものも、おそらくはさほど磨いてこなかったのではないでしょうか。
そんなあなた方エリートたちが作り上げたこの世の中、成功してると思いますか?福島原発事故に手も足もでないこの社会、成功してますか?日増しに水も空気も汚れていく社会は成功ですか?自然破壊は進行し道路だけが不必要に広くなっていく社会、これって理想なんですか?このお粗末な欠陥社会の根本原因の一つは、確実に、この社会の勝ち組になろうとする人々がこの競争社会に適応するために身につけた性質にあるんじゃないでしょうか。あなた方は苦労してとりあえずは今の地位につくことができました。しかし、この社会が抱える様々な問題を解決する力がありません。この状況を継続して行けば、地球人類が滅亡してもおかしくないような大惨事が起こったりして、どう転んでも楽しい結末にはなりそうもありません。
そして、この社会に誰か満足している人がいるのか?といえば、国民の一人としてそんな人はいません。多くの国民は労働で人生の大半を消耗し、「人生とは労働することだ」と思い込んでいます。「いや、一部の富裕層だけは何不自由なく満足しているはずだ」と言う方もいるでしょうが、でも、もしも高度な進化を遂げた地球外生物がこの星を見たら、あまりにレベルの低い満足に鼻をくくるでしょう。この世の中に満足している者がいるとしたら、私に言わせれば、それはただの勘違いです。本当の満足、もっと大きな満足があることを知らない、哀れで気の毒な人です。
 日本の最善の選択は経済成長だという人々がいます。それは、私に言わせれば、この愚かな社会以外に私たち人間が生きられるシステムはないのだという狭い想像力に囚われた人々の言い分です。この社会しか選択できないのだという近視眼的な思い込み。これは集団感染した病気のようなものだと、私は感じます。日本国民全員がこの病にかかり、盲目的にその道だけを進もうとしています。生きるということは辛いものであり、辛さを和らげる便利さこそが文明の進歩の象徴なのだ。人間は時間とともに老いて行き、これに逆らうことはできないのだ。そんな宿命的な観念に囚われ、漠然とした恐怖心と退屈の中で人生は進行していくのだと、日本人の誰もが信じて疑おうとしません。この社会システム以外にも進む道はあるということへの想像力の欠如。私たち人類は知恵を忘れているようです。人生はこんなにも可能性に満ち、命はこんなにも活力に溢れているのに、それに気付かない、気付こうとしない。それを活かさない、活かす術を忘れている。人類はバカです。過去現在未来バカなのです。

コメント(7)

 この人類のバカな病気は、ここ数十年、特に大麻を取り上げられてからいっそう激しさを増していると思います。歴史を紐解けば、日本民族が大麻を神として崇め、身体を麻で包み、麻の実を食べていた縄文時代が、もっとも心身ともに健全で、生き物らしい、地球という環境に住まうものとしてふさわしい生き方をしていたと思います。麻の雌花を食べたことがおありでしょうか?私はあります。ひどい花粉症が一気に治まりました。種は栄養満点で、それだけ食べていても必須栄養素を全て補えるそうです。麻は日本の風土ならどこでも生育し、肥料も農薬もいりません。衣服にも家の建材にもなります。かつての日本がそうだったように、麻が日本中に生い茂れば、人はお金を稼がなくても、とりあえず生きていくために最低限必要なものを全て手に入れられます。
 大麻には覚醒作用があるといいます。大麻を吸うと正気でなくなると普通の人は思っています。でも、冷静に世の中を見回し、客観的に評価してみてください。正気であるはずの私たちの社会は、なぜこれほどにも愚かさで満ち溢れているのですか?大麻を吸うと、人は愛に満ち優しく、そして正直になります。子供のように笑い出し、希望と好奇心で未来を見つめます。果たして、正気の状態と大麻を吸った正気でないはずの状態とを比べて、どちらが好もしい精神状態だといえるでしょうか。戦前の小学校では「麻のようにまっすぐ育て」と教えていたそうです。清廉潔白を良しとする大和魂を受け継ぐ日本民族の一員として考えてみてください。イエスが洗礼の儀式に使用した香油は大麻成分を含んでいたそうです。仏陀が断食の苦行をした6年の間、毎日口にしたのは米一粒と麻の実一粒だそうです。聖者たちが神性に至る時、大麻が大きな働きをしていたことをうかがわせるエピソードです。私は大麻を吸った時の精神状態に、正気とか狂気とかを超えた気高さをいつも感じます。
大麻を一旦手にしてしまうと、それに依存して廃人になってしまうと、普通の人は思っています。そんな方々には、私を見ていただきたいと思います。私は、大麻を日常的に使用しています。私が留置場に入れられていた時、定期的に健康診断がありました。私は担当医に「あなたは人の健康より、自分の健康を心配したほうがいい」と言いました。二度目の健診の時も、私は同じ言葉を繰り返しました。三度目、その担当医は現われず、彼の代役が診察しました。私は現在51歳になります。現代医学の実践者である医療関係者の中で、私より健康だ、私より若々しいと自信をもって言える方がいるならお会いしたいものだと、私は常々周囲に言っています。「私は正気だ、大麻などに興味はない」という方全員にお聞きしたい。私よりも愛と喜びと希望に満ちた人生を歩んでいると、自信を持って言えますか?いらっしゃるのなら、ぜひお会いしてみたいものです。私があなた方に送るこの手紙は、狂人の戯言ですか?現代社会は失敗しているという私の観測は間違っていますか?っつ〜か、楽しいですか?自分を偽って。心から良心を締め出して。

 私は大麻のお陰で、この世界が「さかさまの世界」であることに気付きました。人々の心は、教育と宗教とテレビと欲望と退屈で屈折しすぎたあまり、正気であると思っている通常の状態がむしろ狂気なのです。この人類の集団的病気を治す薬は大麻だけです。大麻が解放されれば誰もがそれに気付き、つまらない人生に囚われていた自分の愚かさを改め、愛と希望に満ちた地球再生の人生を歩き出すでしょう。誰もが内心その時を待ち焦がれています。だから、大麻解放は必然だと私は考えます。医療や産業の分野で大麻が見直され、世界的に解放気運が高まり、アメリカワシントン州やコロラド州、ウルグアイなど次々と合法化されている状況。これは地球の意思なのです。福島原発事故や御嶽山噴火も地球意思の発現です。かく言う私が、逮捕にも刑罰にも全く失速することなく、むしろかつてよりも声高に大麻解放を声明し活動し続けていられること自体が、何よりも地球の意思を物語っているのです。 
1月13日の前回の裁判の時、私は「大麻解放」の背旗を背負ってギターを弾き歌いながら、仙台の街中を行進しました。受動的ながらも街は「大麻開放」を受け入れてくれたと、私は感じています。警察による妨害もありませんでした。通行人はそれぞれ私の行為に驚きながらも反感を覚えることもなく、そういうものだと納得してくださったように思います。もしも背旗が「大麻解放」ではなく、「覚せい剤解放」とか「北朝鮮ばんざい!」ならば、街の同意を受けることも警察が素通しすることも無かったと思います。「大麻解放」は今や大衆の共感を得ているといっても過言ではないと感じます。私は今のやり方・生き方を続けていくつもりです。だから大麻解放は時間の問題なのです。そして、仙台行進を誰にも咎められず無事終えることができたことは、私に対する一審の判決理由である「大麻の薬理作用が害毒であることは公知の事実である」という裁判官の主張が翻されたことを意味していると考えます。この点についてはよくよく考慮して判断してくださるようお願いします。私が裁判官ならば、検察あるいは国に、公正な第三者諮問機関を設置し、大麻の薬理効果の検証をさせることを命じます。
今や私は、警察が大麻取締法を楯に私の行く道を阻むことは金輪際無いだろうと確信しています。警察は私が手繰り寄せる未来を静観しているのです。そして気付いています。私を捕まえても、火に油を注ぐだけであることを。ましてや、下手に逮捕などしたら、むしろあなた方裁判官が困り果てるのではないでしょうか。執行猶予中の逮捕ですから、最高刑の懲役5年ぐらいは行くのでしょうか。人を殺したわけでも誰に迷惑をかけたわけでも無いのに牢屋に5年入れられる私を見て、世間はどのように反応するだろうか。それを試してみるのも、それなりに面白いと思っております。留置所でハンガーストライキをした時は、マハトマ・ガンジーの偉業に近づいていくような、そんな気持ちでおりました。次はネルソン・マンデラの偉業にならって、獄中で自叙伝でも書いてやろうかと思っています。とにかく、そんな訳ですので、私を止めるには、ジョン・レノンのように撃ち殺すしかないのです。でも、私を殺してこの社会を存続させて、それが何のためになるのでしょう。このつまらない社会、あなた方だって相当うんざりしてるんじゃないですか?
 私は社会に逆らいたいのではありません。人々の良識を土足で踏みにじり、愉快犯的に社会を笑いものにしたいわけでは無いのです。私は人々の目を覚ましたいのです。この愚かな資本主義社会しか道がないと思い込んでいる集団精神病の人々に、ほら、こんなに簡単に喜びと希望に満ちた生き方はできるんだよと、気付いてほしいのです。そして、できるだけすみやかに自然破壊や環境汚染などの愚行をやめさせ、命を尊ぶ共存共栄の社会へと軌道修正させたいのです。病から目覚め、良心に立ち返れば、誰もが私の言葉に同意してくださるものと信じています。私は見たいのです。人類が地球と和解し、この星の住人としてふさわしい社会を実現していく過程を。
大麻解放はその手始めであり、5年後の実現を目標としております。大麻取締法がこの先100年も存続するなど、もはや絶対にあり得ません。たとえ、あなた方司法者や政治家・官僚たちの未練がましい権力や欲望への執着によって、大麻取締法が完全に撤廃される形にはならないとしても、5年後にはすっかり形骸化して、誰が大麻を持とうが吸おうが、それが当たり前、誰も通報しない、誰も罰せられないといった状況になっているものと確信しております。あなた方司法者も、もうそろそろそういった状況を想定しておいたほうがいいのではないでしょうか。そして私は、私が大麻取締法で被った迷惑は、取締法が撤廃された際、憲法40条に則り、いつの日かきれいに国に弁償していただけるものと思っております。大麻解放の岩戸はすでに開かれたのです。私の命を奪おうとも、この流れは変えようがありません。
そしてこの流れは、あなた方をも含む人類全体のためでもあります。大麻解放が実現したら、ぜひ医療大麻を試してみてください。体が健康になるだけではありません。仲良くなりたい人やつまらない仲たがいをした人がいたら、一緒に大麻を吸ってごらんなさい。夫婦仲が冷え込んでいて、もう一度やり直したいと思うなら、やってごらんなさい。大麻を吸えば、寝たきり老人だって生きる気力を取り戻し、そのうち起き上がって歩くことができるようになるでしょう。人生の使い方が上手になります。退屈で時間を苦痛に感じることなど一切なくなります。やりたいことが沢山ありすぎて、テレビやパチンコや仕事なんかで人生を無駄に消耗してなんかいられなくなります。
法廷でのあなた方裁判官の声はとても小さくて、私には全く聞きとれませんでした。資本主義特有の利潤追求型思考をする人々は、言動すら節約的で必要最小限の声や動きしかしないようですが、あなた方もそんなタイプの典型ではないかと思いました。しかし、それは良心に従って行動する司法者にふさわしい姿ではないように思います。良心に従って生きる者は知恵に従い生きる者です。知恵を知る者は自分の命をおろそかにしません。己の肉体・能力を適正に使う方法を心得ています。その者の声は心の中心から発せられます。だから朗々と響き、聞くものに強い印象を与えます。心のありようは姿に表れるのです。良心は声を出すのにもいちいち損得勘定したりするような邪心から、最も遠いところにあります。あなた方は良心を職業としているのですよね。だったら、人々に強い印象を与える明朗な声で話すべきです。それだけでなく、小さな声は健康によくありません。心にある鬱積した気を吐き出していないのです。地球との循環ができていないということです。あなた方は日常的に小さな声で話す癖がついているようですが、それでは命は輝きません。病気を呼び込んでしまいます。「そんなこと医学書には書いていない」とおっしゃるかもしれませんが、医学書をどこまで信じられますか?一度大麻を経験してみたらいいのに。率直にそう思いました。
あなた方は非常に面倒な仕事を与えられたものだと、私の裁判に対し感じていらっしゃるのかもしれません。いつの日にか大麻取締法は撤廃されることになるかもしれないが、それは私の役目ではない。そんなふうに思っているような印象を持ちました。そうではありません。ほんの一瞬でも「大麻はいつか解放されるだろう」と思ったなら、それはあなたの役目なのです。あなたの心、つまり良心が「それが当たり前じゃん」と認めているわけですから。あとはそのインスピレーションに、あなた方が真摯に向き合うかどうか。それだけです。
あなた方が私の裁判に選任された、これは大きな縁、必然なのです。ここにも地球意思が働いているに違いありません。子供の頃、私は漫画やテレビのヒーローに憧れました。あんなふうに人の役に立ちたい。人に喜んでもらいたい。そんな気持ち、あなた方も判っているはずです。わかる方だからこそ、日本の麻を開く私のイベントに招集されたのです。内心、あなた方もこんな出来事を望んでいたはずです。「俺の心などわかってたまるか!」とあなた方は思うでしょう。でも、心のアンテナをいつも正しい方向に向けている者にはわかるのです。心のアンテナに則した衝動、欲求。それこそが憲法前文に謳われる「人類普遍の原理」なのです。人はなぜこの世に生まれたと思いますか?それは体験するためです。これも「人類普遍の原理」です。私はそれを留置所の中で学びました。人生は高みにいることが勝利なのではなく、常に変遷していることが尊いのです。苦悩の時があるからこそ、喜びがひときわ輝くのです。だから苦しい体験も喜びの体験も同じ価値を持っています。私はあなたの心に潜む変遷への渇望を知っています。なぜなら、私たちは心で繋がっているからです。心とは私たちが内側に持つ地球です。あなた方にとって、その心に素直になる時が来たのかもしれません。あなた方は義務教育や社会やテレビから、地位やカネや名声がある状態に居座り続けることが勝利なのだと教えられてきました。そんなものくだらない。屁です。あなたがその椅子にしがみついて、動きたくてしょうがない肉体を脂汗をかきながら制御している最中も、私はサッカーボールのリフティングの上達に命を燃やします。そして日々上達しています。とは言っても、プロのサッカー選手には遠く及びません。でも、そんなことは全く関係ありません。他人との比較なんてどうでもいいんです。要は自分が目指す場所に向かっているかどうか、それだけです。向かってるという気持ちがうれしいのです。51歳という年齢が上達を妨げることはありません。老化は必然というのは嘘です。心にそぐわない時間、良心に背いている時間が老化を招くのです。
あなたは怖がっています。「世間が麻薬だと思っている大麻を認めるなんて、変態って思われたらどうしよう」ってな感じに。良心に生きるのは確かに怖いものです。なにしろ、この社会は良心を非常に粗末に扱います。良心に従って言動しようものなら、「目立ちたいだけだ」とか「気がふれたんじゃないか?」とか、とにかくいろんな罵声を浴びせかけられます。私など、この数年というもの罵声の浴びせられ通しでした。それでも私は、私の活動が地球意思に従ったものだという確信が揺らぐことなく、時には怯え、時には面倒くせ〜〜と思いながらも、なんだかんだここまで来ました。今私は、数年前より遥かに精神的に強靭になった自分を感じています。命の目的はここにあるのだと思います。体験を通じて進化成長するために命はあるのです。さあ、あなた方も荒野へ踏み出しなさい。自分の行いが世の中を善くしているという実感ほど甘美なものはありません。5年後の自分を思い浮かべてください。5年後のあなたはこの裁判を、「俺のあの時の決断は正しかった」と、喜びをもって思い出すことができるでしょうか。それとも苦い気持ちだけが湧いてくるでしょうか。あなた方がこの果実をどのように味わうことか、ワクワクしますね。
2月3日にお会いすることを楽しみにしています。それでは、くれぐれも声は大きめに。
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全文(途中嫁が起きて来たので声だして)読ませていただきました。

笑ったり途中で声を詰まらせたり、とても生き生きとした方と感じます。

2月3日氣合いですね!! 節分の鬼退治よろしくお願いします。
工場長! さんへ
応援ありがとう。がんばるべ〜〜。

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