ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

管弦楽のスコアリーディング好きコミュの【感想】美しいと思うスコア

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
本当にオタクな話なんですが、あなたがみてこの曲スゲーなと思ったスコアを教えてくださいませ。直筆でもいいですよ。

コメント(6)

僕の場合は、有名曲に限りますが、浄書の美しさに目覚めたという意味で

・ハルサイ
・ペトルーシュカ
・ダフニスとクロエ
・中国の不思議な役人
・バルトークのピアコン1番
・トゥーランガリラ
・イサン・ユンの交響曲

あたりです。メシアンの楽譜はきちんと浄書されているので
美しくて、読みやすくて、曲はわりと難解w

バッハの手書きのスコアも美しいなぁと思います。そのまま弾けちゃいますね。
う〜ん。

少なくとも小生には、自筆譜が美しいかどうかに、何らかの価値を見出そうとしたことは一度もないですね。

そういうところに価値を見出そうとするのは、書道の文化のある日本くらいなものなんじゃないかって風に思ってます。

例えば、欧米の作家の肉筆原稿。っていうか、欧米人で、書道的な意味じゃなく、最低他人がパッと見て判読可能な程度って意味ですら文字をちゃんと書こうって意識してる人って、もの凄く少数派な気がするんです。ラブレターくらいはちゃんと書くんでしょうけど(笑)

欧米人て、兎に角字が汚い。アルファベットなんて平仮名の半分、数字(もちろん算用数字です)だって10コしかないんですし、文字単位の画数だって、日本語に比べたら遥かに少ない労力で書けるんですから、綺麗に書きゃいいのに。

それは、活版印刷の技術が開発された当初は、目的によって字体(フォント)を使い分けられていたことが関係しているのかも。もちろん、その頃は、印刷物なんて宗教的な出版物か、かなり身分の高い人の間でしか流通していませんでしたし、一般庶民が普通に文字を書くようになったのなんて、ここ数世紀。きちんと書く必要があるなら、タイプすりゃいい……。庶民の書く字なんて適当でいいって、そんな意識が欧米人はどこかにあるんでしょうかね?

特に数字なんて、個人の癖がもろに書体に表れて、小生にはもう1だか2だか4だか7だか9だか判読不能です。昔ある国の人たち(その国は数字が汚いので有名)といっしょに仕事をしたとき、いちいち確認していたら「日本人は漢字は読めるのに数字は読めないのか」ってバカにされましたよ。ええ、数を間違えたら、とんでもないことになりかねかったんで、悪いのはそんな字しか書けない君らの方ですから!斬り!古っ!

えっと、何が言いたいかと申しますと……

そんな感じで、さすがにヤナーチェクくらい汚いと問題はあるでしょうが、小生はアクセントとデミヌエンドの判別が困難なシューベルトくらいの汚さなら全然OKな人なんで、デザイン的にも実用的にも、手書き楽譜の「美しさ」なんて考えたこともなかった!

まあ、バッハの手書きの譜面が、それを見てそのまま演奏できるくらい綺麗なのは、音楽は神への捧げ物っていう意識があったんじゃないかと思うのと、とにかく締め切りまでに間に合わせて、そのまま演奏してもらうためにも綺麗に書く必要があったんじゃないかって思いますよ。

シューベルトの場合も、自筆譜を見ながら演奏するような時であれば、「これ、クレッシェンドなの?アクセントなの?」って直接作曲者に訊くことだって可能な状況なんでしょうし。文学でも、編集者は皆担当してる先生の字は、酔っ払って書いたみたいに(それこそ泥酔して書いても)どんなに汚くても判別できたそうですが、楽譜の写譜屋も、どんなに汚い自筆譜でも「ほとんど」間違えずにちゃんと写植できたんでしょう(ヤナーチェクのはどんなベテランでも困難だったらしいですが)。

まあ、「ほとんど」ってところがミソで、皆さんご存知のような状況になっている訳ですが(笑)

あ、でも現代の作曲家の名誉(?)のために付け加えますが、今、この瞬間にでも作曲しているような作曲家の方たちは、それこそそのまま印刷可能なくらい(っていうか、そのまま印刷されてる場合も多いですが)非常に譜面を書かれますよね。

以前、デュティーユの仕事場の写真を見たことがあるんですが、ペンの横にカミソリ(両刃の危ないヤツ!)が置いてありました。それがずっと不思議で考えたんですが、あれってきっと、間違えた時にその部分を削るんじゃないかと。漫画の原稿ならホワイトで修正すれば印刷には出ませんし(吹き出しの中の台詞も、編集者が写植を切り貼りするんですよ)、今はコピーに出ない修正液も売っていますが、自筆譜原稿も一つの独立した作品なんだ考えた場合、昔の作曲家みたいに間違えた所をペンでグチャグチャっと書きつぶすなんてこと、しないのは当然でしょうけど。

あ、でも、《春の祭典》の「スケッチ集」を古本屋で見つけた時には感動で足が震えましたよ。っていうのは、デュトワがN響との初競演だったのかな、定期演奏会で《春の祭典》をやった(その時の演奏はキングレコードからCDになってます)映像が、N響アワーで放送されたんですが(その際、後プロでラヴェルの《ダフニスとクロエ》をやったんですが、その放送の枠内では流れませんでした。合唱団が4楽章になってからステージに入ってくる《第九》みたいに、事情を知らない視聴者はなんで後ろに空のステージがあるんだ?って不思議に思ったでしょうね。極力無駄なスペースが映らないカメラワークにはなっていました。今でも時々散見される現象ですが、ステージ・マネージャーの大チョンボですよ、ああいうのは)、前説っていうか解説のコーナーがありますよね、そこで、芥川也寸志先生がそれと同じ「スケッチ集」(先生の私物だったらしいです)を使って説明されていたのを、その少し前に見ていたんで、なんとなく運命的な出会いを感じました。

美しい楽譜じゃなくて、美しい思い出のお話でした。スマソ。
お。心のこもったレス、ありがとうございます。

僕自身も手書きにはまったく興味がなく、
エングレーバーが浄書したもののことを指しています
>上記の楽譜

手書きで美しいと思えるのはバッハくらいですね。
全音の出す現代日本作曲家のスコアがひところすべて手書きだったことがありますね(今でもか?)。
まあ、味はあるし、作者の意図がよく見えるという点もあるのでしょうが、はっきり言って読みにくい。音符が線の上に載っているのか線の間なのか読めないような楽譜はやはりいただけないと思います。
そういう意味で言うと、スコアの美しさというのは作者+浄書家の共同作業といえるかもしれませんね。
フーゴー・ヴォルフのオペラ「お代官様」と未完のオペラ「マヌエル・ヴェネガス」の自筆譜がきれいです。
(「自筆譜がきれい」と解説付きの本で見ました。)
歌曲作曲家の自筆譜はきれいなことが多いみたいです。直感で推敲しないからでしょうか。
>Lazy Fiddlerさん
全音の編集責任者とこの手の話を何度もしたことがありますが、特に深井史郎のパロディなんかは長く紛失していたものが発見されたりという資料的な価値のほうが優先する場合もあるので、ケースバイケースといったところのようです。

もちろん浄書には莫大なお金がかかるので、年間数百冊すら売れないスコアに浄書するより手書き出版のほうが・・・という意図もあるようですが、、、。

僕はもちろん、エングレーバーがしっかり浄書したもののほうが好きです。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

管弦楽のスコアリーディング好き 更新情報

管弦楽のスコアリーディング好きのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。