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万波誠医師を勝手に支援するコミュの病腎移植をどうとらえるか?難波紘二

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病腎移植をどうとらえるか?難波紘二
難波先生が病理関連の雑誌に載せられた論文を転載します。

「私の視点」 病腎移植をどうとらえるか?
鹿鳴荘病理研究所 所長 難波紘二
1)初めに:日本の移植医療のあゆみには、三つの大きなエポックがある。第一は1968年の「和田心臓移植」事件1, 2)で、移植医療に対する拭いがたい医療不信を招いた。第二は89年の「生体肝移植」3)で、脳死体からの臓器提供が進まない状況下で「日本型移植」に先鞭をつけた。第三が今度の「病腎移植」で、「廃棄される臓器のリサイクル」という新しい発想を生み出した。最初の事件は日本移植学会の主導的会員によるもので、後の二つは移植学会の会員でなかったからこそ可能となった、という皮肉な歴史がある。
2)「病腎移植」問題との出逢い:昨年10月2日に宇和島市で摘発された「腎臓売買」事件についで、11月2日宇和島徳洲会病院が「病気の腎臓を移植に使った」例が11件あることを公表すると、連日嵐のような「万波バッシング」が生じた。11月4日その中に「癌が3件ある」という事実が判明すると、報道論調はより厳しく見出し活字はより大きくなった。「癌の臓器を移植」というので初めはびっくり仰天したが、報道内容を詳しく検討してみると、用いられたのは「直径4cm以下の腎細胞癌のある腎臓」だと分かった。この腫瘍については径4cm以下のものは「臨床的に良性」ということが確立している。だから腫瘍部を切除すれば、残りの腎臓はほぼ正常なので移植に使用できる、と気づいて眼からウロコが落ちた。彼らは「逆転の発想」で臓器移植に「第三の道」を拓こうとしているのだ。
 そこで、「ただ非難するだけでなく、病腎移植がまず全体で何件行われたかを明らかにし、結果を医学的に評価することが重要だ。結果次第で、第三の道になりえる」という論旨の評論を書いた。「今は悪魔呼ばわりされているが、将来、万波医師はブルー・レーザーの発明者中村修二氏のように、評価されるようになると思う」というメールに添付して、M新聞学芸部にいる知人のI氏宛に11月8日送った。この問題を担当していたのは「科学環境部」であり、原稿はそこに廻された。翌日、「現時点で万波擁護論は掲載できない」、という意味の返事が来た。しかし異論があることを世の中に知ってもらわねばならない。
 で、中国新聞の知人Y氏に無理を言い、11月14日の文化欄に原稿を掲載してもらった。そこに「自然発生癌の細胞は、遺伝子異常により抗原性が正常細胞から大きく逸脱している。だから特殊なタイプを除き、臓器移植に用いても再発・転移しないはず」、と病理学的予測を述べた。その後、病腎移植騒動に巻き込まれるのは、まったく「想定外」だった。
3)信じられない移植学会の対応: 新聞に論評が掲載されたら協力者が続出し、病院に永久保存されている病理検査報告書を検索できた。するとカルテの大部分が廃棄されていた市立宇和島病院から25件が見つかり、呉共済病院(6件)を含めた3病院で、少なくとも42件の病腎移植が行われたことが明らかとなった。急遽、追跡調査し、患者予後を調べた。同時に呉共済病院の症例については、光畑直喜医師をせっつき、癌の4例について論文を米国の専門誌に投稿してもらい、採用された4)。42件のデータは万波医師の友人藤田士朗フロリダ大学助教授が、今年度の全米移植外科学会(ASTS)の演題に応募し、採用された5)。
 3月1日の新聞でこれが大きく報道されると、これまで「学会発表も、論文発表もしてこなかったのがいけない」と非難してきた移植学会は、信じられないことに、ASTS会長宛に手紙を送り、演題を却下するように圧力をかけた。3月13日付で送られ、日本移植学会会長の署名が入っているこの手紙は言論の自由・学問研究の自由を組織的に圧殺しようとする歴史的文書だ(写真)。内容は、臓器売買事件は12月26日の宇和島地裁判決ですでに判決が確定し、万波医師に責任がないことが明らかとなっているのに、「警察が捜査中」と書き、さらに「日本病理学会が調査委員会に加わっている」(学会代表委員が入っているのは、5つの縦割り委員会のうち、宇和島徳洲会病院の調査委員会のみ)、「日本病理学会も統一声明に参加する」(病理学会は3月12日の理事会で不参加を決定済み)などと虚偽を述べており、卑劣としか言いようがない。そして「この論文をASTSの年次総会で発表するのは適切でないと判断される」と結んでいる。情けないことに、このレターを受けとった会長は3月24日、「今年の発表としては不適切なので、来年にしてはどうか」という却下通知を送ってきた。
 しかし光畑論文に関しては雑誌編集部の態度は変わっていない。今わたしたちは、42件の病腎移植についてフル・ペーパーを書き、国際的専門誌に投稿する作業を急いでいる。
4)移植された病腎はなぜ機能するのか?: 病腎移植の詳しい成績にふれる紙面がないが、生着率・生存率ともに死体腎のそれに匹敵している。なぜ病腎が移植するとちゃんと機能するのか? それが最大の病理学的疑問だ。一般的に病気は、「(臓器という)部分」と「(個体という)全体」の不調和により生じる。ところが臓器は個体のもつ生活習慣という環境の影響を絶えず受けている。だから病気臓は、移植により適切な環境下におかれると、自己修復機能が働いて正常に戻る。これが病腎移植成功の最大の理由だろう。
 癌化をもたらす突然変異は、異なった生活習慣をもつレシピエント(臓器の受け手)に移植されるともうそれ以上に進行しない。だから免疫抑制剤の使用により生じる二次癌は、すべてレシピエントの細胞由来である6)。「ネフローゼ」というのは大量のタンパク尿を来す「症候群」であり、単一の疾患ではない7)。万波医師が切除し、移植に用いた4例のネフローゼ腎は、SLEと糖尿病を合併していた1例を除いて(この2個の腎臓は、いずれも早期に拒絶反応を受けている)、「タンパク尿が多量で全身浮腫が著明なわりに、他の腎機能が正常」という珍しい症例で、腎臓病の教科書にも記載がない。可能性としては糸球体基底膜を標的とした自己抗体を産生している一種の自己免疫病で、「万波病」とでも呼ぶべき未知の疾患なのではないか。それなら自己抗体を産生していなレシピエントに移植してやれば、やはり自己修復機構が働いて正常に戻るはずだ。
 650例以上という腎移植の経験、82歳の老人に腎移植を成功させたという実績(いずれも日本記録)をもち、多数の腎臓病患者を診てきた医師だからこそ見つけられた症例だろう。新症例が見つかり詳しく調べることができると、腎臓病学に新知見が加わるかもしれない。
5)終りに: 福沢諭吉は、『文明論之概略』(明治8年)の中で「文明とは人民を幸福にすることである」と定義し、「古来文明の進歩、その初めはみないわゆる異端妄説である。…昔年の異端妄説は今世の通論なり、昨日の奇説は今日の常談なり。…学者は…異端妄説のそしりを恐るることなく、勇をふるって我が思うところの説を吐くべし」と述べている8)。永末直文医師による生体肝移植をいち早く評価し、誌面を提供した本誌9,10)に、私が異端妄説を吐く機会を与えられたことに感謝したい。
【引用文献】
1. 和田寿郎:ゆるぎなき生命の塔を −信夫君の勇気の遺産を継ぐ. 青河書房, 1968
2. 共同通信社社会部移植取材班(編著):凍れる心臓. 共同通信社, 1998
3. 中村輝久(監修):決断 −生体肝移植の奇蹟. 時事通信社, 1990
4. N. Mitsuhata et al.: Donor Kidneys with Small Renal Cell Cancers or with Low-grade Lower Ureters Can be Transplantable. Am. J. Transplantation (in press)
5. M. Mannami et al.: Last resort for renal transplant recipients, diseased kidney from living donor/patients. Abstract for ATC 2007
6. P. Pedotti et al.: Epidemiologic study on the origin of cancer after kidney transplantation. Transplantation 77(3): 426-28, 2004
7. V. Kumar et al.: Robbins=Cotran’s Pathologic Basis of Disease, 7th ed., Elsevier-Saunders, 2005, pp.978-99
8. 福沢諭吉:文明論之概略. 岩波文庫, 1991, pp. 21-22
9. 永末直文:クロースアップ 生体肝移植への道程. ミクロスコピア 7(2): 84-88, 1990
10. 永末直文:てがみ 裕弥ちゃんが問いかけたもの 残したもの. ミクロスコピア 7(4): 248-49, 1990 (なお同氏は島根大学医学部教授を定年前に辞職され、福岡市の私立病院長として健在である)


「病腎移植」を支持する。 難波紘二
難波先生が広島医師会雑誌に載せられた論文を転載します。

私は病理学者・生命倫理学者として「病腎移植」を支持する(?)
  鹿鳴荘病理研究所 所長 広島大学名誉教授 難波紘二
5. 【学会調査の論理構造:高原発表の欺瞞性】
 今回の「病気腎移植」について、厚労省のお墨付きをえた腎臓病学会と移植学会の幹部は、昨年11月末の時点で「カルテ保存義務のある過去5年」の症例をチェックし、「病腎移植禁止」の結論を出す予定だったことは前回に述べた。これだと、01年10月以後に行われた件数は、14件(市立宇和島病院3例, 宇和島徳洲会病院11例)しかなく、12月中に結論が出せるはずであった。
 12月16日までに設置された調査委員会は、次の通りである。
 市立宇和島病院(委員長深尾立 千葉労災病院長)
 宇和島徳洲会病院(委員長貞島博道 同病院長)
 呉共済病院(委員長田邊昇 弁護士・医師)
 香川労災病院(委員長井上一 同病院長)
 これらの委員会には、移植学会と泌尿器学会から専門委員が派遣された。
 臓器提供のみに関与し、調査委員会が設置されなかった5病院(岡山県の北川病院、吉永病院、協立病院、川崎病院、広島県の三原日赤病院)については、厚労省直属の調査委員会(委員長相川厚 東邦大教授)が別個に組織され調査を担当した。
 高原史朗阪大教授は、相川委員会の委員の一人だが、1/15愛媛新聞によると委員長を押しのけて「調査結果を踏まえ関係学会が連名で声明を出すか、ガイドラインを作る」という見通しを話している。また市立宇和島の専門委員である野村芳雄大分大学名誉教授(泌尿器科学会派遣)は、1月18日記者会見し、「直径3cm以下の癌なら本人に戻すのが常識」と声明している(1/19愛媛)。この野村発言の妥当性は後に検討する。
 なお、市立宇和島と宇和島徳洲会病院の場合には、調査委員会のなかに「医学的妥当性」を判断する「専門委員会」が設けられた。この間のメディア報道では、調査委員会と専門委員会の上下関係や権限について、きちんとした解説や報道がなされず、専門委員会の勝手な記者会見をそのまま報道したため、世間は大いに混乱したと思われる。
 例えば、市立宇和島病院の専門委員は1/18の時点で「ネフローゼ腎を移植したケースで、タンパク尿が持続した」とあたかも移植腎が機能しなかったかのような発表をしている。
 1月20日松山市の講演で筆者は、「病腎移植症例は少なくとも36件以上」と指摘した。この指摘を受けて市立宇和島が調査をやりなおし、2月1日、筆者が発掘した5例に加えさらに6件を公表した。これで市立宇和島25件、宇和島徳洲会11件、呉共済6件で合計42件となった。市立宇和島に「カルテ保存義務のない症例」が22例も見つかったのだから、この時点で「カルテチェックにより妥当性を判断する」という当初の基本方針は崩れたはずである。病理標本とその検査依頼書、病理診断書しか残されていない場合に、手術の妥当性を判断できるのは専門の病理学者だけである。にもかかわらず、同病院では調査委員に病理学者を加えるという措置をとらなかったし、学会側もその必要性を認めなかった。そもそも調査は全症例を確定してからスタートすべきだったのである。しかし「樹を見て森を見ない」という移植学会の調査方針に変更はなかった。
 3月26日、まず厚労省直轄の相川委員会が臓器提供のみに関係した5施設6件について、「全例が医学的に不適切である」という結論を発表した。(しかし4件を提供した香川労災では、同院の調査委員会は「医学的に妥当」という結論を4月11日に出す。)
 3月30日高原史朗日本移植学会「幹事」(朝日3/31)は厚労省で記者会見し、「市立宇和島病院が集計したデータをKaplan=Meier法で統計処理した数値を、同様に解析した移植学会の生体腎・死体腎データと比較した」と称する結果を発表した。
 このデータには、二つのまやかしがある。
 第一は、病腎移植の件数は全部で42件あるのに、まだ彼らの追跡調査が完全でなかった市立宇和島病院の25件だけを解析対象としたことだ。同病院ではカルテ管理ができておらず、調査委員会に病理学者も入っていない。症例4の死亡診断書は私たちが発掘したのである。
 第二は、生データと計算方法を明示していないことである。周知のように、移植学会の「腎移植臨床登録」は東大医学部の「健康科学・看護学科」疫学・生物統計学教室(現東大大学院医学系研究科 健康科学・看護学専攻 生物統計学/疫学・予防保健学)が長年担当している。腎移植臨床登録データと比較するためには、ここと同じ計算法を用いなくては意味がない。しかし、高原データは阪大内で処理されたもので、「腎移植臨床登録」のデータ解析担当者が解析したものではない。その解析法も公開されていない。
 カプラン・マイヤー法は、「不完全なサンプルから長期経過を予測する」方法の一つであり、一定の年ごとに生データを「検閲する」のが特徴である。これによって分母と分子が定められるので、検閲方法(他病死や追跡不能例をどう扱うか)により計算値が変わる。
 そのことを承知している私たちは、東大の担当講座に「腎移植臨床登録」と同じ手法で42件の症例の生着率・生存率の計算をしてほしいと依頼した。一旦は快諾をえたが、数日後になって「移植学会の許可がおりないので、協力できない」と回答があった。そこで同講座が下請けに出している民間統計会社を紹介してもらい、そこが解析したものが4/16産経で報道された生着率・生存率のグラフであり、いずれも生着率に関しては死体腎の成績と有意差がないものとなっている。
 生存率に関しては、病腎移植の10年、15年生存率はどうしても劣る。というのは、レシピエントの平均年齢は健康腎移植では30代にあり、死体腎では待ち時間があるので40代にある。ところが病腎移植ではこれら二つが失敗するか、そのチャンスもなかった人を対象としているので、50代に平均年齢がある。この「年齢差」の要素を補正しないで、予後曲線だけを単純比較してもあまり意味がないのである。初回腎移植からの生存率を計算すれば、成績は抜群によくなる。
 要するに、高原発表は翌3月31日に「四学会共同声明を出す」という既定路線を貫くために必要だったのであり、学問的には詐欺であり捏造の一種で、医学史に汚点を残した。
 6. 【ドナー不足に対処するための国際的動向】
 呉共済の光畑医師による「癌の腎臓移植4例」の症例報告は、英文論文として米国のTransplantation誌(月2回刊)に投稿されすぐに採用された。(2/10に中国新聞等が報道) 42件の病腎移植に関する学会報告は当初、今年の5月9日のAmerican Society of Transplant Surgeons (ASTS:全米移植学会)の年次総会の演題として発表される予定だった。この演題は〆切後に追加応募して採択されたもので、それだけドナー不足に悩む米国の移植関係者から注目されたのである。(このことは3/1の中国・産経・東京新聞等が報じた)
 ところが日本移植学会は、3月13日付けでASTS会長宛に演題却下を求める公式レターを送付した。その結果、3月24日に会長から「本年度の演題としては不適切で、来年度にしてはどうか」という婉曲的却下の通知メールが届いた。4/29の四国新聞(本社高松市)は移植学会田中紘一会長のインタビューを第5面全面を使って掲載している。その中で記者の問いに答えて、「圧力をかけた事実はない。事実関係を先方に伝えただけ。あとは向こうの判断にまかせた」と述べている。が、これも虚偽である。送られた手紙自体が事実関係について多くのウソを述べているが、もっとも重要なのはその結語で、”It is judged this report(万波演題を指す) is not appropriate as the paper of ASTS annual meeting.”と書かれている。つまり日本移植学会は万波演題の発表に圧力をかけて、それを潰したのである。
 光畑論文にも「編集部に手紙を送り、掲載取り消しを求める」(3/14朝日)と匿名の移植学会幹部は述べているが、その手紙が出されたとしても役に立たなかったのであろう。光畑論文は6月15日刊行号に掲載される1)。言論の自由(Freedom of Speech)を重んじる米国人が脅しに屈したのが異例であり、4月18日に東京でゆっくり食事しながら話す機会のあった元ASTS会長ホワード夫妻は「却下せずに、会場で議論すべきだった」と述べた。
 山陽新聞は「揺れる移植医療」という50回予定の特集を今年になって連載開始した。その第三部「アメリカからの報告」では、米国の移植医療の現状が詳しく報じられている。そこでは「正常の臓器などない」というコンセプトが述べられ、病気のある腎臓や高齢者の腎臓がどしどし移植に使われている。「二重腎移植(Dual Kidney Transplantation)」というのは、機能が半部しかない腎臓を二個移植して、レシピエントを生かす方法である。HBVやHIV陽性の臓器でも、レシピエントがすでにこれらに陽性であれば使用されている。
 今、米国では「LYFT: Life Years From Transplantation from a donated organ」(移植後の期待生存年数)という概念が、UNOS(全米臓器配分ネットワーク)の配分原理として採用されようとしている。これには1)患者を選択する、2)移植施設の技量評価、が含まれている。
 「最大多数の最大幸福」というジェレミー・ベンサムの社会正義原理に依拠するなら、当然そうなるだろう。日本移植学会のような「悪平等主義」とは異なるのである。要するに、「病腎移植」には「癌の臓器を用いても、再発・転移が起こらなかった」ことと「ネフローゼ腎を移植に用いたら機能した」という事実を除けば、医学的に新しいものはない。
 四国新聞のインタビューで田中紘一氏は「病腎移植についてはデータがなく、評価不能」と述べている。データはある。42件のドナーとレシピエントについて、私たちは可能な限りの追跡調査を行い、絶えずそれをアップデートしている。その生データ一覧は厚労省にも送られている。それを無視し、発表を妨げているのが移植学会と腎臓病学会なのである。
 それに「評価不能」なのなら、なぜ「原則禁止」という判断が出るのか?しかも臓器を提供した香川労災では、「摘出に問題はなかった」という調査委員会の結論が4月11日に出ている。また呉共済の調査委員会の結論はまだ出ていない。宇和島徳洲会の委員会は、「身内が外部委員に含まれていた」という批判を受けて、新たに調査委員会を発足させ再調査する予定となっている。つまり、どう見ても「病腎移植調査」は終了していない。
 それなのに、どうしてことを急ぐのか?目的ははっきりしている。国会で継続審議中の「臓器移植改正法案」の二案のうち、「ドナーカードをもっていなくても、家族の承諾があれば脳死・心臓死からの臓器提供を可能とする」という河野案(息子から生体肝移植を受けた議員)を成立させようとしているからだ。
 かつて東欧諸国では剖検率が100%であった。それは法律で「死体解剖をしないと埋葬許可を出さない」と定めていたからだ。社会主義が崩壊した今、この法律がどうなったか知らない。「第三者から提供された臓器は法的ルールの有無に関わらず公共のものである」(06/12/3朝日および「週刊医事新報」2))と言い切る大島伸一氏は、「臓器提供に応じないと、火葬許可証を出さない」という法制定を理想としているのではないか?
7. 【病気腎移植を認めると、どれだけの腎移植が可能になるか】
 組織培養と臓器移植の先駆者アレクシス・カレル(Alexis Carrel: 1873-1944)は母国フランスではその研究が認められず、米国に渡りロックフェラー医学研究所で研究を続けた。そして1912年、米国で最初のノーベル医学生理学賞を受賞した。彼が開発した「微小血管の三点縫合法」は今日でも移植における血管縫合の基本として使用されている。受賞に満足することなく、大西洋横断初飛行で知られるC. リンドバーグと共同研究し、「潅流ポンプ」(人工心臓)の開発に取り組んでいる3)。「文明の進歩なるもの、その初めはいずれも異端妄説である」4)フランスで異端妄説とされたカレルの先駆的研究により、今日の移植医療の基礎が築かれたことを忘れてはいけない。
 日本移植学会の幹部は、「移植に使えるほどの腎臓なら、患者に戻すのが常識」と主張した。その主張が現実とはほど遠いことは、藤田学園大学の堤寛教授(病理学)の調査で明らかとなった。腎癌のため、4つの大学病院を含む14の公的病院の病理部に提出された941件の摘出腎臓を調べたところ、4cm以下の腎癌が部分切除されていたのは、平均で30%, 中央値で17%だった。つまり圧倒的多数の例で腎癌は全摘されていた5)。
 広島県医師会には「腫瘍組織登録制度」という他府県にない立派なシステムがある。県内で病理診断された腫瘍組織(良性は書類だけ、悪性は標本も)を登録保存している。そこで過去4年分の「登録年報」を調べ、腎癌、腎盂癌、尿管癌の病理組織診断別の件数を明らかにし、堤教授に送り「病腎移植を認めると、年間何件の腎臓が移植に使用できるか」を試算してもらった。残念ながら、広島県の組織登録率は100%でない。福山など県東部の登録率が低く、コマーシャルラボに検査に出されたものは登録されていない。
 そのことを加味すると堤氏の試算は「あくまで最低値」である。県の人口を日本の人口に換算し、それに堤データによる「利用可能率」を掛けたものだが、大まかな推計は可能となる。それによると、全国で毎年6,660件の腎細胞癌が手術され、そのうち直径4cm以下のものは3,210例(48.2%)で、この83%が全摘されているとすると、その数2,664例になる。そのうち半数が移植に使用できる(ドナーとレシピエントの了承に基づいて)とすると、1,332個が使用可能となる。また、尿管癌は全国で2,220例あり、全例が腎摘出の対象となっている。この1割が移植可能だとすると222例となり、両者を併せると1,554個となる5)。この数は、2005年の死体腎と脳死腎の移植実績160件の10倍に匹敵する。腎動脈瘤や尿管狭窄などのデータがないが、これらも再利用できれば、移植可能な腎臓の実数は年間2,000件を突破するであろう。
 そういう「宝の山」が目の前に転がっているのに、それに気づかず「病腎移植潰し」に狂奔し、「お上」の威光にすがって、法改正で臓器を確保しようとしている移植学会の幹部たちを、私は哀れに思う。法を変えても、日本人の死生観を変えることができないかぎり、「死後の臓器提供」を飛躍的に増やすことなど出来はしないだろう6)。
8. 【結論:ドナーの不利にならない生体臓器移植がありえるのか?】
 12/14/06の読売は、02年秋京大病院で娘に肝臓を提供した母親が、死亡したことを報じている。当初、肝左葉切除に限られていた生体肝移植が、成人に拡大されるにつれて、右葉が使用されるようになってきた。この母親は肝臓を取られすぎて死んだのである。同日の朝日は、群馬大学で夫に肝臓を提供した妻が、「医療ミスのため半身不随」になったことを報じている。善意の骨髄移植に応じた若い女性が、骨髄液採取後、骨髄脂肪細胞が血管内に遊離し、それが脳に多発性栓塞を起こしたため、死亡した例もある。死に至らなくても、肝臓や腎臓を提供すれば、腹部に大きな瘢痕が残るので、見てくれは悪くなるし、季節によってはそれが疼くこともある。
 「移植医療ではドナーの保護が何よりも優先される」と大島伸一氏は主張している2)。上記の事例を見ると、何と白々しい言葉だろう。「日本医事新報」の同氏の論文については、「そもそも一国でしか通用しない倫理なるものが、ありえるのか?」と輸血学会評議員から鋭い反論が寄せられている7)。「論理と倫理は基本的に同じものであり、それらは自分自身に対する責務以外のものではない」(オットー・ワイニンガー) 8)
 広島の安佐市民病院は全国の病院でもいち早く「インフォームド・コンセント(IC)」に取り組んだ。ICについての本の監修者である岩森茂病院長は後書きで「<説明と同意>は単に口頭伝達に留まらず、文書化しておかないとValid Consent(法的に有効な同意)にならない」ことを強調している9)。もともと文書によるICは医療訴訟の多発に困った米国の医師たちが、自己防衛の手段として開発したもので、民間病院でありながらノーベル賞受賞者を多数出しているメイヨー・クリニックには、今でも文書によるICはない。
 今回の事件で「ヘルシンキ宣言」10)が新聞記者によりいろいろ言及されたが、果たして全文をちゃんと読んでいるのだろうか?
 「人類の健康を向上させ、守ることは、医師の責務である。医師の知識と良心は、この責務達成のために捧げられる」(Article-1)
「医学の進歩は、最終的にはヒトを対象とする試験に一部依存せざるをえない研究に基づく」(A-4)
 「ヒトを対象とする医学研究の第一の目的は、予防、診断および治療方法の改善ならびに疾病原因および病理の理解の向上にある。最善であると証明された予防、診断および治療方法であっても、その有効性、効果、利用しやすさおよび質に関する研究を通じて、絶えず再検証されなければならない」(A-6)
 「現在行われている医療や医学研究においては、ほとんどの予防、診断および治療方法に危険と負担が伴う」(A-7)
 これは2400年前の「ヒポクラテスの誓い」11)が現代風に訳され、修正されたものにすぎず、その精神は昔と変わっていない。その精神を一言でいえば英語で“Do No Harm”(患者に害を与えるなかれ)となる。そもそも「健康臓器移植」はこの精神に違反している。
 これに対して、「病気のため臓器を摘出する」のは、患者の福利のためである。その臓器を「自分のもの」と主張する患者は、バージャー病や糖尿病による壊疽のため切断した足についても同様の主張をし、腐った足を引き取る義務が生じるだろう。摘出した胆石をほしいという患者がいるくらいだから、病気腎の提供を拒否する人がいても不思議ではない。
 しかし、提供に同意があり、リスクを承知でそれを「移植して欲しい」という人がいるかぎり、それを行うことはヒポクラテスの倫理にもヘルシンキ宣言の精神にも反するものではない。現場の医療は医師と患者の信頼関係で動いている。それが成立していないときに医師の身を守るものとして「書かれたIC」が初めて必要になるのである。
 先日「余命6ヶ月」と宣告されたある大学教授からセカンド・オピニオンを求められた。持参した書類等のなかに、A4用紙2ページにわたる細かい字でびっしりと書かれたICがあった。生物科学の一分野を専門とするその人に「貴方はここに書かれてあることが理解できてサインしたのですか?」と聞くと、「さっぱりわからんが、仕方がないのでサインした」と答えた。それが多くのICの実際であろう。
 私は万波誠医師らの行為のすべてを是認するつもりはない。「瀬戸内グループ」の一番の問題は、自分たちの行為が「実験である」という意識がなかった点にある。それを意識できていたら、もっと違ったやり方をしていただろう。手元に光畑医師の91年の病腎移植を大きく報じた読売のコピーがあるが、その隣にはベタ記事で「田中紘一氏の生体肝移植13例目の患児が無事に退院した」という記事が載っている。恐らく田中氏も大島氏もこの記事を読んだはずである。この時彼らが異議を唱えていたら病腎移植はなかった。16年前には、美談として容認された医療が、何で今頃になって「犯罪」呼ばわりされるのか、筆者にはそれが不思議でならない。
 引用文献
1) N. Mitsuhata et al.: Donor Kidneys with Small Renal Cell Cancer or Low-grade Lower Ureteral Cancer Can be Transplanted. Transplantation (in press)
2) 大島伸一:病腎移植の何が問題なのかー「二つの医療」と医師集団の責任. 日本医事新報No. 4324 (07/3/10), p.106-114
3) A. カレル(桜沢如一訳):人間 この未知なるもの. 角川文庫, 1964
4) 福沢諭吉:文明論之概略. 岩波文庫、1991
5) 堤寛:腎不全治療の日本における近未来(口頭発表). 国際腎不全シンポジウム2007, 4/17-18/2007, 大阪・東京
6) 難波紘二:覚悟としての死生学. 文春新書, 2007
7) 霜山龍志:「病腎移植の何が問題なのか」を読んで感じたこと. 日本医事新報. No. 4330(07/4/21), p.84
8) R. モンク(岡田雅勝訳): ウィトゲンシュタイン ?. みすず書房, 1996(冒頭の引用句)
9)岩森茂(監修):よくわかるインフォームド・コンセントの実際. 金原出版, 1991
10)ヘルシンキ宣言:日本医師会HP, http://www.med.or.jp/wma/helsinki02_j.html
11)ヒポクラテス(小川政恭訳): 古い医術について. 岩波文庫, 1964, p. 191-92
追記:4/30愛媛新聞によると、深尾立氏は79年に制定された米国の「ベルモント・レポート」の倫理指針に基づいて「万波移植」を断罪しているが、同氏が84年に筑波大学で行った「脳死状態の精神病患者」からの糖尿病患者(1年以内に死亡)への「膵・腎同時移植」(殺人罪で告発され裁判となった)は、この指針に違反して行われた。この二枚舌を同氏はどのように説明するのであろうか。この事件の詳細は、精神科医で評論家の和田秀樹氏がブログで詳細に論じている。(http://www.melma.com/backnumber_18676_3430240/)

コメント(2)

ほっちゃれさん、
ビルエバンスさんの私もいただいてよろしいでしょうか。
ブログ掲載したいと思います。
私は、許可を取ってないですけど、ネットに出すってことは、より多くの人の目について欲しいとの考えだと解釈して、勝手に掲載してます。
ビルエバンスさんは、忙しい方で、この事のために時間を使わせることよりも、より多くの人の病気を治して欲しいので、勝手にやっています。
問題があれば、削除してくれと言ってくると思いますよ。
私のような人間と時間価値が違うので、それを考えての措置です。

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