幕末の英国艦隊の砲撃戦に端を発した薩摩藩留学生団の一員として、慶応元年、森は英国に留学する。このとき森は19歳である。この留学の目的は西洋の兵用技術を学ぶことであった。ところが森はあるきっかけで、英国滞在中の米国のある神秘家に邂逅することになった。スウェーデンボルクの流れを汲むキリスト教神秘主義に基づき、米国内で「新生社」(The Brotherhood of the New Life)という宗教結社を運営していた心霊主義者トマス・レイク・ハリス(Thomas Lake Harris: 1823-1906)である。この邂逅は決定的であった。森は、仲間ら数名とともに、米国に渡り、新生社に入り、ハリスのもとで、宗教生活を行うことになる。新生社は、葡萄園や葡萄酒工場を共同で運営し、信者は四六時中仲間と無報酬で労働に従事する一種の共産主義的コミュニティーであるが、キリスト信仰を通して宗教と社会の改革を求めるものであり、既成教会のキリスト教は徹底的に否定された。森は1年弱このコミュニティーで「神の奴隷」として、労働に従事した。彼ら留学生をハリスに引き合わせたのは、英国初代駐日公使オルコックの秘書として来日滞在中に水戸藩浪士に襲撃されて重傷を負った経験があり、帰国後英国で代議士を勤めつつハリスに従学していたローレンス・オリファントであった。林竹二は、ハリスとオリファントとの往復書簡を綿密に調査し、森有礼を初めとする幕末留学生と彼らとの交流を卓抜に考証している。ところで、このハリスとはいったい何ものか。僕の手元にあるコナン・ドイル卿の"The History of Spiritualism, vol. I, II"及び、Nandor Fodorの"Encyclopaedia of Psychic Science"によれば、苛烈な性格の持ち主でどこかデモーニッシュなところがあったようである(ドイルの記載などを読むと見方によっては山師のようにも思えてくる。)。霊媒でもあるらしく、そのような霊的能力を用いて自動書記による詩も書いたらしい。既成の世俗化したヨーロッパのキリスト社会を堕落形態として、それに対する再生と改革を提唱していた過激な人物だったらしい。森が出会ったキリスト教は、欧米社会のtypicalなそれではなく、そのような欧米社会の超克を目指したラディカルなそれであったということになる。