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サハラ・エリキコミュのティナリウェン、そしてカダフィ

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去年の11月、タッシリナジェール砂漠で録音されたアルバム。
ティナリウェンのメンバーはマリのキダル出身で、故郷では、マグレグ アルカイダ(AQMI)による誘拐事件が近年増加し、外国人立ち入り禁止になっていたから、アルジェリアのタッシリを録音の場として選んた訳だった。3週間くらい砂漠で立てたキャンプでは、ニジェールからも反乱時代のトゥアレグ仲間が沢山訪れて来た。トゥアレグは、マリ、ニジェール、アルジェリアそしてリビアのサハラ砂漠にまたがる遊牧民で、密入国して、国境の向こう側にいる親戚を訪れるために何千キロを走るのは普通である。そこで、バンドリーダーのイブラヒム「アブレボン』が若い頃ジャネットで暮らしたことがあって、25年ぶりの地元のトゥアレグと再会した。アブレボンも、ティナリウェンの最初期のメンバーと共に、70代の終わりから、マリからアルジェリアへ出稼ぎに来ていた。そしてさらに国境を越えて東へ行き、リビアまで辿り着いた。

当時、カダフィ大佐はチャッドとの戦争もあって、軍を広げようとし、トゥアレグの若者を歓迎していた。73年、そして84年は、酷い干ばつが2回もサハラ砂漠を奪い、トゥアレグの遊牧生活の終わりになった。町の境に避難していた多くの若者は、昔、サハラの王様だった彼らの民族の惨めな姿を耐えられず、リビアに出稼ぎに行き、カダフィの軍に入った。実は、カダフィは西洋や政府に反抗的なトゥアレグが好きで、リビアの国境は閉まっていた頃も、トゥアレグなら身分証なしでも入れたという話は多くの友達から聞いていた。カダフィ大佐もベルベル族ということもあって、トゥアレグの戦士を関係ない戦争に巻き込んだこと一方、彼らに不可欠な軍の訓練を与えたに違いない。あの頃、リビアにいたトゥアレグの若者は、剣とらくだのことしか知らなくて、振れたことない近代的な世界を覚えるために残った。彼らには、故郷に帰って、独立したサハラの国土を得るために戦うことを決めていたからだった。

ティナリウェンのメンバーも、カダフィのキャンプでカラシニコフをいじりながら、様々な地域から来ていた民族の文化に触れて、今まで聞いたことないレゲーやロック音楽も身につけた。何年後、サハラ砂漠に帰ったトゥアレグは、政府と反乱を起こし、ティナリウェンは詩を書き、ギターを弾いてトゥアレグの未来を音楽で想像した。 エレキギターもカラシニコフと同様に、カダフィに受け継いだ革命の武器となって、悲しき、美しき音楽のジャンルになった:「ギター」音楽だ。
ティナリウェンの反乱の声も、ギターも、当時カダフィがトゥアレグの見方でなければ、世界に広がることはできなかっただろうな、と思うとちょっと感動する、、でも、そんなこと、誰も気にしないよね〜

「独裁者のカダフィ」、、 トゥアレグの友達が彼のこと「気違い」と言っても、尊敬していた。私もカダフィが死んで、寂しい。西洋の偽善的な民衆主義より、まだ彼の方がましだった、、


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