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【東京弁】 コミュの東京弁を考える!

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と銘打ちまして、
東京弁について、皆さんといろいろ考えてゆきたいと思います。

「ごきげんよう」

これは山手言葉でしょうか。
学習院のあたりでは、ごきげんよござんす、といった挨拶がごく日常的に交わされているといいます。
しかし我々は普段、「こんちは」を使うのがもっぱら。
はたして「ごきげんよう」とは一体なんなのか!?

コメント(13)

ごきげんよう・・・は知らないけれども、

今日(こんにち)「一番・・・」という表現はもともと東京弁で言うと「一等・・・」と表現していました。

「一番ウマイ」>「一等美味しい」
「俺が一番!」>「あたしが一等」

というように。


その他、「・・・作って」というのは「・・・こさえて(こしらえて)」と言っていました。

「犬小屋を作って」>「犬小屋をこさえて」
「そろそろ君たちも子供つくりなよ」>「そろそろお前さんたちも子供こさえなよ」

といった具合です。

他にもいろいろあると思います。

ちなみに上記発言は私の祖父がしょっちゅう口にしてました。
>たろー さん
私も、「ごきげんよう」
これにはあまり馴染みないですね〜
でも、江戸っ子である漱石の小説には、
たしか三四郎だったと思いますが、
沢山「ごきげんよう」がでてきたと思います。

で、これからは私見ですが、
下町育ちの人間は多分ですけどね、
挨拶に「こんにちは」を使うことは
あまりないような気がします…

というのも、全員ではありませんが、
象徴的な下町人間は、とても馴れ馴れしい気質が常ですから、
「おい!元気か」ですとか、
「よ!最近あまり顔みねーな?」ですとか、
やや一方的な【挨拶】をする可能性が、
とても高いと思いますよ。

>若旦那 さん

それわかります!
私の祖母も使ってます。

「お弁当こさえた」
「電車に乗ったら一等端に座る」とか。

それと、こういうのもありますよね?

広島県  > しろしまけん
コーヒー > こーしー
百円   > しゃくえん
左    > しだり

何故なんでしょうかねー
不思議でたまりませんが、
実のところ私自身も、
「ひ」がいえなくて……
「し」になってしまう時が多々あります。笑。
お邪魔します。
 「ごきげんよう」のご挨拶は、学校で中高6年間習慣付けられておりました(因みに、学習院ではないですよ)。どうにもこれが、馴染めませんでしたねえ。ただ、授業の始まりと終わり、登下校時の挨拶すべて、発する方も受けるほうもこれ一つで済む、という便利さはありましたが。

 学校が設立された当初からの「ご挨拶」のようですが、元居留地という場所がら、ミッション系で、すかしたお嬢が集っている学校、との印象がありました。入学前から、「ガラッパチの自分には向かないなあ。いやだなあ。まあ、親の見栄以外の何モノでもないな。コンチクショー。」と思っていた通りの学校でした。案の定、類友がいて助かりましたけれど。

 もともと、神田の商家育ちだった祖母に、「挨拶が『ごきげんよう』だってさ。」とぼやいたところ、「へえー、そりゃ驚いたねえ。アタシが通ってた神田の女学校は、そんな挨拶しなかったけどねえ。」と言ってました。無理もありません、彼女の通ったのは、下町の商人の娘ばっかりが集っていたため、校風も自ずと違います。学校を出たら、外交官の女房や、役人の女房になるとか、自分も留学する、なんて想像の外でしょう。和文タイプや簿記、算術を覚えて、商いしっかり、という在校生のニーズに合わせた校風でしたから。
 
 http://silver.or.jp/tanshin/business/b051206.htmlというご意見もありますが、こういう、「御機嫌よう」を日常会話に挟める階層と、商人・職人の階層とは挨拶も違っていたと思います。お江戸でも、上つ方では使われていた言葉でしょうが、下々同士ではこうした言葉を日常的に使う習慣はなかったでしょう。
 
 余談ながら、高三のときの担任の先生が、新任当時のとまどいを述懐したときのことを。

「何がビックリしたって、この学校の挨拶が『ごきげんよう』だったなんて事前に聞いていなかったから、教室に入って教壇に立ったときに、全員が『ごきげんよう』と言ったときは、腰が抜けたね。床から30センチくらい飛び上がった気がしたよ。」

 さもありなん。
ホンモノの江戸っ子の皆さんの話ったら、これ以上のものぁありゃしませんよ^^!
わたくしゃ拝見できて嬉しい限りでございます。
>たろー さんへ

最近このコミュを見つけ参加させてもらったのですが、
こういうのなかなか面白くてよいですねぇ。

 ”ホンモノの江戸っ子” ですか……
私はですね、↑に成るには、
まだまだ、20年ほど? 時間が足らないんですが、
それでも、下町育ち、下町気質、下町言葉、
これ愛する心とても濃い!
と自分では思っているんですよ。笑

なのでまた何かしら面白い話があったら、
トピック挙げてくだされ。

そしたらですな、
口からでまかせ、屁理屈、能書き、
そんなのを並べてみたいと思いますからー (^^)
>tahiさん

いらっしゃいまし^^
いえね、なにを隠そうこのわたくし、生まれはたしかに祖父と父と自分で三代続けて東京だが、育ちは祖父と父ぁ東京だが自分は埼玉なんでございますよ。
そんなわけで、自分ぁエセの江戸っ子なんですが、しかしこのコミュニティに参加くだすってる皆さん、三代どころかずーっと、江戸の頃から東京に住んでる方々などいらっしゃいまして……やっぱりそういった方々の話ぁホンモノで、これまた実に面白いんですよね^^

わたくしからも、皆さんに、面白い話があったらどんどん書き込んで欲しいと思っているんですよ、常々。


そこでまた一つ、(さきほどの話題は丸投げして申し訳ないのですが、皆さんに参加して欲しい気持ちからそうしました)、
皆さんに聞きたいことがあります。
江戸っ子の皆さん、
皆さんの祖父母さんはもちろん、戦前生まれでございましょう。その祖父母さんたちの祖父母さんともなれば、もはや幕末生まれか、もっと前の生まれですよね。
すると江戸湾に来航した黒船を見たってな話、官軍が江戸城のまん前まで迫ったってな話、上野の山で彰義隊が奮戦したってな話を見たってな話などもあるんでしょうかね・・・?!
>たろー さん

漱石風にいうと「瓦解」の頃の東京ですかぁー
となると、さすがに……
文献を頼らざるを得ないのでは?と思います。

私の家系をたどってみても、
曾祖父曾祖母の生まれが明治38年です。
で、その曾祖父曾祖母が東京に来たのは、
第一次大戦の頃だと聞きました。
(それまでの私の血はいわゆる「地方」ですよ。^^)

まあでも、
最近会うことが少なくなったのですが、
小学校時代の友人に聞いてみたらですな、
もしかしたら「瓦解」の頃の東京について、
何かしらの「先祖の逸話」を持っている、
あるいは知っている者のもいるかもしれません。

というのも、
私が卒業した小学校はですな、
第2次大戦後「東京都」に土地を寄付した、
地元豪農の土地に建設されたものでして、
その当の地元豪農はですな、
恐らく10世代くらいは、東京の東側、
荒川と中川と江戸川がつくる三角州に居るようです。

ですから、そのような家なら、
「瓦解の頃の面白話」
これも何かしら持っているかもしれませんなー
すいやせん、
お返事の文章を書いたのですが、昨夜ミクシーのほうがなんか調子悪かったらしく、全部消えちまいました…。

後ほどお返事いたします。

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