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公開書簡コミュのサロンとは何か

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 公開なのですから、意見がある人は、誰でも書き込んでください。

コメント(8)

 鹿鳴館サロンについて、どうあるべきか、どうあってはいけないか、そうした論争をしたら、これはあまりにも私が有利です。そこで鹿鳴館サロンではなく、ただのサロンとはどうあるべきなのか、どうあってはいけないのかについての話をしたいと思います。
 もちろん、そこで言うところのサロンというのは鹿鳴館サロンにはなってしまいます。何しろ、私たちはフランスのサロンの事情など知らないのですから。

 私ねえ、こう思うんですよ。
 基本的にサロンというのは、何をしていてもいいのだ、と。朗読会のときにお煎餅を食べていたっていいのだと思うのです。それを咎めるのは違うと思うのです。ただ、それを咎める人がいるのも、、また、自由だとも思うのです。昔は映画館でもお煎餅を食べている人が少なくありませんでした。一部の映画評論家たちが映画館では食べる音の小さなポップコーンにしようとキャンペーンを行って、いつしか映画館ではポップコーンを食べるようになったのです。
 でも、そのポップコーンさえ煩いと言う人たちが出てきました。ポップコーンもなくなるかもしれません。
 食べながら映画を観るのはとにかくマナーがなってない、と、そう言われればその通りなのです。でも、映画って、きちんと正座して観るようなものなのかな、と、私はそう思うのです。ある程度はお互いが許容しあうべきなんじゃないかなってね。
 どこまでは許容の範囲なのか、そうした問題だと思うのです。
 そこで、あなたは個人的にそうした行為をする人を軽蔑すると書いたわけですが、それはあなたの個人の問題だから、それでいいのだと私は思います。私はあなたに軽蔑されても、痛くも痒くもありません。むしろ、はいはい、軽蔑されるような男です、と、そう答えるだけです。まあ、実際に、そうですしね。どうせモテませんし。

 そして、あなたの言うように、あなたにはサロンに来るな、と、そう言う権利はないわけです。ただ、誤解のないように言いたいのですが、そんな権利は私にもないのです。この手のサロンでは経営者や運営者が、しばしば、そうしたことを言うようですが、私はそれは違うと思うのです。批判はしても、来るなとは言わない、それがサロンだと思うのです。ですから、来るな、とは誰も言えない、なのです。
 本当は、私が勝手に、私のサロンだから、もう、あなたはサロンに来ないでください、と、そう言ってしまえばいいことでもあるのです。公開でなく、こっそりとね。でも、それはしないからこそのサロンだと私は考えています。
 私ねえ、朗読している人の横で煎餅を食べるのは、やっぱり失礼だとは思います。でも、そうしたことがあってもいいのだとも思うのです。そこは私は許容の範囲です。違いますか。
 今回の問題は、私はそこではなく、なんだか、あたかも自分が指導的立場でもあるかのような振る舞いのほうにあったんじゃないですかね。朗読会が脱線し、エロ話になったり、趣味の話になったりすると露骨に嫌な顔をして、朗読にもどそうとする行為は、主催者でもとってはいけない行為なのです。脱線もまたサロンでは許容の範囲だからなんです。
 サロンの朗読会というイベントは、平常時に行われるイベントですから、それと知らずに来る人もいるのです。知らずに来てもいいイベントなのです。ですから、知らずに来てしまった人が、その日、どうしてもサロンで話をしたいことがあったら、私たちはそれを聞かなければならないのです。それもまた許容の範囲だと私は思うのです。それを朗読会なんだから、おまえのつまらない話を早く止めて朗読させろ、と、そうした態度の人があなたは許せなかったのではないでしょうか。
 しかし、あなたの性格では、そうは批判できないから、結果として間違った指摘になってしまったのではないかと私は思うのですが、違うでしょうか。
 私たちの気に入ったサロンの逸話に緊縛研究会なのに緊縛もせず、緊縛の話もせず、F1の話で終わってしまった、というのがあります。サロンではしばしばその同じ話が出ます。それはこの逸話がサロンを象徴しているからです。
 朗読の日に朗読はしないで、別の話題で盛り上がって、それで終わってしまってもいいはずなのです。サロンなのですから。それなのに、あたかも、そうした行為がいけないかのように振舞われた、あなたが感じている違和感はそっちだったのではないでしょうか。違うでしょうか。私にはそう思えました。
 煎餅は実はどうでもよかったのではありませんか。
 今夜、私があなたについて弁明させてもらった内容と同じものを今、読ませてもらいました。まるで、申し合わせたように同じものでした。煎餅は間違った喩えで、実はどうでもよく、たまたま目の前にあった印象を出してしまったものに違いない、と、私は今夜の舞衣さんのサロンで言ったところです。
 その通りでしたね。
 私ねえ、こう思うんですよ。
 人の話というのは、その真意を少しは思って聞くものだとね。聞く耳を持たずに反論する人が私は嫌いなんですよ。
 あなたが誰かのことについて非難をしたとき、私はそれがどういう意図によるものか考え、そして、おそらく、その文章の中には少しばかり感情的な部分、行きすぎの部分があったのではないかと推理しながら、それを読んでいました。最初に間違いを指摘したのは私でした。以前のときもそうでした。そして、私の指摘はその通りのものでした。今回の煎餅の話も、私の指摘した通りでした。
 非難された人もね、聞けばいいんですよ。冷静になってね。
 私は聞かれれば、ちゃんと答えています。いつだって、誰に対してだってね。ところが、今回も、質問しておいて、それに答えたのに、それに対しては無視ですよね。そうしたことは失礼なんですよ。でも、その人はそうしたことを失礼だとは思わないようです。
 せっかく、こうして意見交換する場所まで設けても、そこにも出てこないわけですしね。誠実じゃないんです。もっと言うなら卑怯なんです。それなら、わざわざイベントを妨害するような発言しなくてもよかったんです。そう思いませんか。
 いえ、止めましょう。この欠席裁判のような話は面白くありません。
 私ねえ、サロンというのは、限られた空間と時間で論を遊ぶ場だと思っているんですよ。ですから、そこでは、少しばかりの無礼講はありだと考えているのです。何を発言したっていいんですよ。
 そうだなあ。たとえば格闘技なら、あのボクサーはフックが下手過ぎる、あれじゃあ勝てない、と、ボクシングなんかやったことない人が言っていてもいいわけですよね。あなたが好きな野球だって、あのバカ監督はだめだ、どうしてそこで代打なんだ、バカか、と、素人が言ってもいいわけでしょ。いえ、そうしたことを素人に言わせるからこそのプロだったりするわけですよね。
 だから、作家や作品はサロンでは貶されるべきだとさえ思っているんです。ファンはファンとして、貶していいんです。敵チームには貶されバカにされるからこそのプロなのだと思うんですよねえ。
 ただし、それだけにサロンにはルールがあって、そこでの議論を持ち出さないというのがあると思うんです。
 私もねえ、プロ格闘家の悪口など言うわけですが、プロ格闘家の前では言いませんよ。それに、私がその格闘家の悪口を言っていたなんて本人に告げ口されても困るわけです。そんな可能性がないと思えばこその悪口なんですからね。そして、プロはそれを承知のプロなんです。アスリートも政治家も作家もね。
 私は、しばしば作家やミュージシャンの悪口を言っていますが、その悪口を言っている人に実際に会ったら、その人の前では悪口は言いませんよ。怖いからではなく、本人を目の前にしたら、やっぱり尊敬しているからなんですよ。そんなものでしょ。
 競馬でこけた本命馬の悪口は言いますよ。負けたけどよく頑張ったなんて言いませんよ、このバカやろう、金返せって言うわけですよね。でも、その馬や旗手を前にしたら、よく頑張った、負けたけどいいよ、と、そう言うし、実際にそう思うものですよね。
 ですから、サロンでの議論を外に出されても困るわけですよね。ときどき私はサロンを面白くするために好きな作家を嫌いだと言ったり、嫌いな作家を好きだと言ったりもしているんですからね。
 そうそう、林真理子がそうですよね。私はよく彼女の悪口を言っていますが、悪口の時に「林真理子先生」と、言ってしまって、聞いている人を混乱させたりします。本音は好きだから、つい、うっかり先生と付けてしまうのです。そんなこともあるでしょ。

 そうそう、煎餅のことですが、朗読の時に煎餅を食べていたっていいわけです。でも、実際には、ほとんどの人は無意識に食べることを止めているものなんです。煎餅はいけないと決める必要などなく、そうしたことは無意識に止めるのが人間で、それでも煎餅を食べる人がいたとしても、それは別にいいわけです。
 同じことは緊縛研究会にも言えました。自分が縛ることにしか興味がなく、他人が縛っている間はそっぽ向いていて、自分の縛る順番を待っている、と、まさにカラオケ緊縛です。
 それはつまらないですよね。鹿鳴館はそうしたくない、それが朗読でも緊縛でもね。

 ただ、なんだか今回は煎餅が悪者になってしまったので、仕方ない、責任をとって、私もあなたも次回の朗読会には煎餅を持参するしかないですよ。私はざらめ煎餅にします。煎餅には罪はなかったのですから。
 ある田舎の村で煎餅職人のじいさんがお地蔵さんがひもじかろうと煎餅をやりました。その晩、戸口で音がしたので出て見ると米俵が置かれていました。じいさんは感謝して煎餅をたくさん焼いてお地蔵さんにやりました。
 その晩、米俵の数が増えていました。地図もありました。おじいさんは感謝して、煎餅をますますたくさん焼いて、地図にあった全てのお地蔵さんにやりました。たいへんでした。三日かかりました。
 四日目の晩。米俵で家がつぶれていました。煎餅を焼く道具もつぶれていました。お地蔵さんに感謝して、二度と煎餅は焼きませんでしたとさ。
 何のたとえか分からないですよね。
 何だかお地蔵さんに煎餅を供えてはいけないよってたとえにも読めますよね。
 本当は怨みと感謝はきりがないので途中で止めとかないと大変なことになるよってたとえ話を私が作ったものです。
 たとえるのって、かんたんなようで実は難しいんですよ。分かりやすくしているようで、かえって話を複雑にしてしまったりするんですよ。
 今回の件もね。
 おそらく、まきさんは、他人が朗読している間ぐらい、せめて聞くという態度はしようよ、聞いていて居眠りしちゃうのは自然だけど、おしゃべりしたり煎餅食べたりするのは、相手の話を拒絶しているように見えてしまうから止めようよ、と、そうしたことが言いたかったんだと思います。つまり、朗読している人に気を使えないような人を軽蔑すると言いたかったのだと思います。
 ところが煎餅のたとえ話で、朗読会で煎餅を食べるのはマナーがなってない、と、そうした話になってしまったんです。たとえ話は難しいんです。私も、日常的にたとえる必要のない話をたとえて、練習していますが、たいていはたとえ話、いらないよねえ、と、そう言われます。難しいものなんですよ。
 話は少しもどって、彼のことを、いや、正確には、今回のような事象について語っておこうかな。そろそろ、この公開書簡も終わりのような気がしますしね。もちろん、今回の件でないところのものは、これからも続けたいのですが、今回の件はとりあえずいいかな。

 私ねえ。美学があわないというのがあるような気がするんですよ。ケンカっていうのも、私にとってはひとつの美学でね。ときどき私も他人相手に怒鳴ったりするんですけど、怒鳴りながら、今、自分はこの声のトーンでだいじょうぶか、ここは、少しクールに声を抑えたほうがよくないか、と、そんなことを考えるわけです。美学なんですよ。
 サロンでは私が格闘技なんかやっているものだから、いろいろ誤解があるようなんですけどね。実は、私、子供の頃から今にいたるまで、まあ、殴り合いなんてケンカは一度もしたことがないんです。そこまで感情をむき出しにするって、なんか、格好悪くないですか。
 でも、引きもしません。負けても引かないが私の美学なんです。負けないは美学じゃないんです。負けないなんてかんたんなんですよ。だって、負けないためには闘わなければいいんですからね。

 今回、もっとも驚いたのは、逃げ回る威張りん坊ってところなんですよ。オレは頭いい、オレは女にモテる、オレは凄いって言っておいて、じゃあ、闘ってみようよ、と、やると、オレは強いから闘わないって逃げちゃったんです。驚きました。
 そもそも、今回の読書感想会からそうでした。少し、自分の意見が通らなかったからって、逃げるように帰って、帰りぎわに捨て台詞吐いて、逃げたくせに、女の子相手に、わいわい騒いでオレはあいつらより強い、あいつらはダメだって言いまくったわけですよね。それなら女の子ではなく、あいつらの一人、たとえば私にメールしてくればいいんですよね。サロンでの話し合いで、まだ、納得できない、こう思うってね。
 あるいは個人がいやなら、こうした公開の場でやればいいんですよ。公開でやっているかぎり公平じゃないですか。ここなんかこれだけ内部話になるのに、全体公開で、誰もが読めるんですからね。
 ところが、相変わらず女の子としか話をしないで、あげく、ようやく私に質問したかと思ったら、すたこらさっさとまた逃げたんですからね。そういうのって恥ずかしくないのかなあって思うんですよねえ。
 まあ、結果として、私はモテないし、彼はモテモテらしいので、間違っているのは私の美学で、そんなものがあるから私はモテないのかもしれませんけどね。逃げるほうがスマートなのかもしれませんよね。でも、私には理解できないんですよ。ヒステリックに叫んで、逃げるという彼の行為がね。
 子供の頃ね。私は両親がめったに家にいない子供でね。何か問題があると相手の子供は母親連れて私を責めに来たものでした。母親の大きなスカートの後ろに隠れて、おまえが悪いんだからなって怒鳴るんです。言い返そうとすると母親が前に出るんです。大人は怖いから言い返せない。
 彼もね。女の子たちにモテモテだから、その女の子たちに私たちの悪口を言えば、女の子たちが自分を守るんだと思ってたんじゃないですかね。ところが、サロンの女の子たちは、そんなことしないから、そんなことをしてくれるところに逃げ込んだんじゃないですかね。
 卑怯だと思うんですけどねえ。
 まあ、美学が違うから仕方ないのかな。
 私は、ここで、こうして、誰の反論でも、いつでも、待っているし、誰であろうと逃げるつもりはありません。最後まで、答えて行くつもりです。どんな難しい問題でもね。
 それが私の美学ですから。

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