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公開書簡コミュのサロンに対する質問

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 公開書簡の真意

 鹿鳴館サロンがこのコミュを設けたのは、当然のことながら集客が目的だった。最近、日記や別のコミュで、サロンのコンセプトや、サロンのテーマカラーの話や、どうして鹿だったのかという話になった。鹿鳴館は全ての疑問に答えられるのだ。それだけのコンセプトと準備を持って作られているのだ。
 鹿鳴館サロンにある物たちのちぐはぐさ、それにさえ理由があった。鹿鳴館サロンにはお金がない。裕福な資金は少しもなかった。どこにもお金をかける余裕なんかなかったのだ。だから、有り合わせで何もかもをやらなければならなかった。今のサロンも皆の手によって作られている。皆という中には、たまたまプロもいただけで、業者を頼めるような余裕がサロンにはなかったのだ。
 そのとき、舞衣さんがこう言ったのだ。
「誰れかの格好いいなんかやったって、お金がかけられなければ格好悪くなるんだ。でも、皆の格好いいが集まったら、それは格好いいじゃないか」
 そこからはじまったのだ。
 私は私が格好いいと思う物をサロンに持ち込んだ。それがスタートだった。
 そうしたことを尋ねてもらいたかったのだ。
 そうすれば、サロンとはどんなところだろう、と、そう思う人たちの参考になると考えていたのである。このコミュをサロンのコミュと分けたのは、そうした深い意味については、知る人と知らない人がいたほうがいいと考えていたからなのだ。
 サロンでは、こんなことが許されるのか、サロンでは、こんなことは許されないのか、こんなイベントはやっていいのか、サロンでジャズが好きなのは誰だったのか。執事や舞衣さんはジャズなのか違うのか。運営は本当のところどれぐらい苦しいの

コメント(8)

執事さん

こんにちは(^-^)
前回のトピックで山猫さんが倒れたので、この隙をついて公開書簡に挑戦させていただきます。

といっても、理論的に話すのは苦手ですので討ち死に覚悟です(笑)

サロンの真意について少しお聞かせください。

私がいつもサロンに感じるメッセージは「真剣に遊ぼう」です。

お店というのは、勿論やる方のコンセプトがあってそれを発信し続けるのでしょうが、実際場の雰囲気を作るのは、お客様だったりします。

私はいつもこの公開書簡を見ていて、ハラハラします。また読書感想会で意見が対立しても、ドキドキします。皆さん真剣に語られますから。

その結果いろんな感動をいただいています。

このあたりの感情は、私だけでしょうか?そう感じることも、真剣な遊びの一つでしょうか?
 鹿鳴館も鹿鳴館サロンも私ではないし、舞衣さんでもないのです。正確に言うなら、私も舞衣さんもお客の一人なのです。皆さんとどこが違うかと言えばお店に落とすお金の額なんです。私たちがもっともお金を遣っているお客、すなわち、一番のヘビーユーザーだということなのです。どんな遊びでもお店でもそうですが、ヘビーユーザーほど発言権は強いものですよね。
 ゆえに、私や舞衣さんの発言権は皆さんよりは少しばかり強いのです。しかし、同じユーザーという立場ではあるわけなんです。

 ですから、他のヘビーユーザーから私はしばしば叱られているのです。読書感想会では私の強い批判精神によって、かえってお客を減らしているとか、縛り自慢したい男性がサロンではバカにされるので来なくなっているとか、そうして叱られています。いつも反省しているのです。
 サロンはお店ではありません。鹿鳴館というものを残したいと思っている人、その前は鹿鳴館というものを復活させたいというものが集まって、その復活や維持運営を行いはじめただけのものなのです。
 サイトの運営費用やサロンの維持費やイベントの開催費用などを皆がカンパしているというものなのです。これはビジネスではなくムーブメントなのです。そして、このムーブメントからビジネスを起こそうとする試みなのです。
 ただ、あまりこのことが理解されないだけなのです。

 私はしばしば遊びといいます。鹿鳴館はきちんとしたビジネスではありませんから、これは、まだ、遊びなわけですね。そして、私は遊びだからこそ、真剣でなければと考えているのです。かくれんぼだっておにごっこだって、野球だってサッカーだってトランプだって囲碁だって将棋だって、文学だって、数学だって、それが遊びでも、いえ、遊びだからこそ真剣にやらなければ面白くないんです。
 何でも真剣にやれず、少し手を出しては飽きて次のことをやる人は、本当の遊びが分からない人です。人生のつまらない人なのです。
 ですから、鹿鳴館という遊びを私たちは真剣にやっているのです。お客を減らすと皆さんに叱られながら、私は文学にもSMにも真剣に取り組み、批判精神を旺盛にしているわけです。ビジネスなら、私も、いろいろな人の縛りを見て、いいですねえ、すごいですねえ、と、ただ、そう誉めあい、やらせで、縛られ好きな女の子をおいて、そこに行けば女を縛れるから、と、そうしたお店にします。
 縛りのイベントでさえ女の子の参加がないかもしれない、そんなものはビジネスではだめですよね。でも鹿鳴館ではありなのです。それでも男だけで、縛りについて豊かに語れる、楽しく遊べる、それが鹿鳴館だと思うのです。いえ、それが鹿鳴館でなければいけないのです。

 ここでひとつ告白しておきますが、私がオーナーだから私はイベントに参加しているのではりません。私はオーナーではなくユーザーですからね。つまり、私は好きだからイベントに参加しているのです。ですから、私が参加しなくてもイベントはイベントなんです。それは十分にありなのです。私にも鹿鳴館のイベントに参加する権利はあるのです。しかし、私だから鹿鳴館のイベントには参加しなければならないなんて義務はないのです。ゆえに、私が参加したくないからという理由で鹿鳴館のイベントを止めさせる権利も私にはないのです。
 主体は鹿鳴館で、私は今、そのジャッジメントを任されているだけなのです。
 理由は今は私が鹿鳴館の執事だからなんです。私は鹿鳴館の奥田ではないのです。
執事さん
お返事ありがとうございました。サロンにしばしば顔を出している私でさえわからない事があるものですね。こうした機会がなければ、改めてお聞きすることもないでしょう。私はこういった場所の雰囲気は、ユーザーによって作られると思っていました。ですが執事さんがヘビーユーザーであるということには、考えも及ばなかった次第です。もしかしたら、私だけが勘が鈍いということかもしれませんが。他のヘビーユーザーさんの気持ちは、私にもわかります。私は、鹿鳴館の併走者でありたいといつも思っているからです。これは、本当にわがままで自分勝手な言い分ですが、心が折れそうな時に救ってくれるような場所が他に無いのです。ですから、鹿鳴館が存続するためにも、出来るだけ執事さんに、まあるくぶつからずにいてほしいと、願ってしまいます。
昔はビジネスを考えずに店をやってる、気概のある親父がよくいました。言葉がなくても筋の通った思いは、自然と理解されていました。今はコミュニケーションができなければ、理解されなくてあたりまえです。もしかしたら、そういう店に行く客は、客の玄人だったのではないでしょうか。

「真剣に遊ぼう」これは、私の感覚に間違いではなかったようです。鹿鳴館に行くきっかけも、大人の遊び心をサイトの中に見たからです。執事さんが告白されるまでもなく、好きだからイベントに参加されているのは、感じられるものです。私も、ひとつ告白をします。この公開書簡という場に、いつか参加したくて仕方なかったのです。真剣に書簡というものを書いてみたかったのです。失礼かもしれませんが、これもひとつのかけがえの無い遊びでもあると思っています。
 昔、ある雑誌に「遊び続けろ大人たち」というタイトルで記事を作りました。ものすごく好きな企画でした。確かサブタイトルは「遊びの達人たちに会いに行く」というもので、私が自ら取材に出ていました。当時は編集長という肩書きながら自らビーチラグビーや草レースの取材に出たのです。それほど好きな企画だったのです。
 最近は、何かに熱中しているという人が少なくなったように思います。ほどほどに遊べるんです。それは素敵なことですが、私は面白くないんです。そうした素敵な人には興味がないんです。
 大人なのにプラモデルを作っている人も、いつまでもバンドを止めない人もバカです。でも、興味がつきないんです。いつまで話を聞いていても飽きないんです。
 ほどほどに遊べる人は、利口ですよね。でも、そうした人たちは仕事も恋愛もセックスもほどほどなんです。狂えないんです。熱狂しないんです。そんな人生って面白くないですよね。
 今日、サロンで、合理的なものを追求したら不景気になるのは当然だ、という話が出ました。私もその通りだと思います。合理的に考えるなら、テレビを見て新聞を読んで理論書だけ読めばいいのです。詩や小説なんか読む意味はありません。合理的な生き方に納まれないから人は面白いのです。
 だから私は、緊縛美だとか、Mの安全だとかと言って、縄目ばかり気にしている最近の緊縛の風潮が嫌いなんです。そりゃ綺麗でしょう、合理的でしょ、安全でしょ、でも、面白いですか、って思うわけですよ。そんな学校の授業みたいな縛りを習って、自分は優等生だ、誰それに習ったって自慢気に言うの、なんだかみっともなくないですか。
 それなら、縛りなんか下手でもいい、M女を縛るときに、へへへって気持ち悪く笑う人でもいい、そのほうが私は好きなんですよ。M女には嫌われるかもしれませんが、そもそもM女に好かれる縛りというのが私は嫌いなんです。
 私は執事さんに縛られてよかった、と、言われたくないんです。むしろ、あんな人には二度と縛られたくない、と、言われる人になりたいんです。そこまでには、まだまだ至りませんけどね。

 だから、私は、まるくはなれないのです。いえ、むしろ、どんどん尖って行くのだと思います。仕方ないことなのです。
 そうして私が尖っていればこそ「心が折れそうな時に救ってくれるような場所」にサロンはなれるのです。まるい私のところに来ることができるような人はどこのハプバにいてもサークルにいてもサロンにいても平気だからなんです。そんなところから落ちこぼれた人でもいられる最後の場所が鹿鳴館サロンであれば、当然、尖っているしかないのですよ。

 正直、苦しいです。毎日、毎日、止めたい、と、へこたれています。それでも、這い回りながら、なんとかかんとか毎日を乗り越えているのです。妥協はしません。妥協するぐらいなら、こんなことをはじめるべきではなかったのですからね。苦しいのは覚悟の上で、討って出て来たのです。
 朗読会が鹿鳴館です。読書感想会が鹿鳴館です。カードトークが鹿鳴館です。びっくり企画が鹿鳴館です。O嬢イベントの企画会議が鹿鳴館です。緊縛研究も、癒しも、ウクレレの日も、鞭も、ゲームも、鹿鳴館です。少なくとも、私は朗読会などというものが一年以上も続いたマニアサロンやサークルを知りません。読書感想会も一年以上です。毎月、休まず続けているのです。それが鹿鳴館サロンであり、それを作ったのは、私たちユーザーなのです。
 もし、鹿鳴館サロンにオーナーというものがあれば、きっと、そうはならなかったと思います。もっと合理的に、効率良く稼げるよう改善が要求されたことでしょう。オーナーなんかいない、誰も儲けない、全てをサロンに還元して、皆の隠れ家、アジトを作る、それが鹿鳴館なのです。
 以前にmimi。さんが言っていました。
「私はサロンに執事さんがいなくてもいいの。舞衣さんもいなくてもいいの。この部屋があって、この本があって、この音楽があれば、それでいいの」
 その通りなんです。鹿鳴館サロンは私がいなくても、舞衣さんがいなくても鹿鳴館サロンなんです。いつか私が出入り禁止になるような、そんな鹿鳴館サロンに、私はしたいのです。
執事さん
私は、随分と失礼な発言をしておりました。あまり意識せずに言った言葉ですが、これは相手によっては、「なんてやつだ」と思われます。「執事さんも舞衣さんもいなくていい」というのは、そこにお二人の思いがあるからです。ドアを開けた瞬間の匂いや、それぞれ違うグラスや、さまざまな所に、お二人のメッセージがあって、それを感じるのが楽しいのです。本は、ほぼ私にはわかりません。フランス的な本だとか、そのくらいしか。でも、これらを選んだ人の気持ちに触れているということに、心安まるのです。1つ1つの語らないものたちによって、雰囲気は作られているのです。そしてユーザーもその雰囲気の1つなので、姿勢を正して感じるべきだと思うのです。そんな訳で私はここで寝てしまったり、あまりだらしないと、つい小言を言ってしまいます。余計なことと思いつつです。

話は変わりますが、私が小学生の頃、日本進学と四谷大塚をかけもちしてまして、寝る暇もない日々を送っていました。私はこの時、勉強づくしの日々の中で「宇宙人との交信」遊びを思いつきました。単純な遊びで、毎日宇宙人からメモが届きます。「深夜、浜町公園で待つ」といったものです。これは自分で書くんですが、筆箱の中に入れて、ドキドキするわけです。ある日、この手紙を学校に落としてしまい、大騒ぎになったことがありました。親が呼び出されて手紙を見せられました。「これは娘の字です」と言ってただの妄想と片付けられましたが私にとっては、忙しい時間をぬった遊びだったのです。それ以来、忙しい日々ほど遊びを思いつく自分に気づきました。勉強や仕事に熱中し、その合間に遊びに熱中したのです。

今の世の中は、すべてが便利になり、人は自由になる余裕ができました。たくさんの遊びや遊び場が無償で提供され、もっともっとと多様化されてきています。その時代で生きると言うことは、遊びは考えたり作り出すよりも、選べば良いのです。私はそれでは「つまらないではないの」と思ってしまいます。
SMも緊縛も同様に考えます。用意されたSMはSMではないのです。真剣に相手との距離感や考えを推し量る遊びなんです。でも、最初の頃は、SM=愛という、今考えると恥ずかしい事を臆面もなく言っていた自分がいました。今自分が求めてるのは、真剣な遊びです。このあたりについて深く書くと、危険ですので、これはまたお会いした時にお話いたしましょう。

このお手紙の中で、執事さんが、尖っていなくちゃいけない理由は理解できました。まるくすることは、今回はあきらめます。でも、人というのは、また歳を経てどう変わっていくかわかりませんので、しばらくは傍観させていただきます。
「苦しいのは覚悟の上」。そんな風におっしゃると、私は泣きそうになります。これはまた執事さんの話術に騙されているのかもしれませんが、やはり泣きそうになります。私自身も、逃げたいと思っても逃げられない場所にいるので、良くわかります。傷をなめ合うのは嫌いです、執事さんも同様と思います。もしかしたら私自身まあるく見えるけど、実は尖った人なのかもしれません。


 サロンには私も舞衣さんも必要ない、というのはかなり本音なのです。サロンが維持運営できれば、本当に私も舞衣さんもいらないし、いるようじゃだめなんです。今日は誰の日だっけ、という程度がいいのだと思います。
 たとえば、緊縛にしても、私には私の緊縛に対する強い思いがあるわけですが、しかし、それはそれでいいのです。私と対立する考えの人がサロンで緊縛イベントをやっていたってかまわないのです。きっと、私は悪口言っていると思いますけどね。
 たとえば、読書感想会なんて、それこそ、私は多くの人と対立するわけですよね。でも、それでいいと思うのですよ。違う意見の人が一緒に笑って話せるから、違う意見がケンカできるんです。仲間しか入れないようなサークルでケンカすることは危険過ぎるんですよ。ですから、私は仲良しサークルに鹿鳴館サロンをしてもらっては困る、と、これだけはもう、うるさく言い続けているのです。嫌いな人とも一緒になるから鹿鳴館サロンなんです。

 もちろん、私も舞衣さんもヘビーユーザーであることは、いつまでたっても変わりません。いろいろな仕掛けをすることでしょう。でも、それはユーザーの一人としてやるのであって、オーナーにならんとしてやることではないのです。オーナーということになると、これはまったく違うものになります。私たち以外の人はお客さんということになりますからね。それは鹿鳴館の根底を覆すものなのでできないのです。
 鹿鳴館は、皆がゲストからホストを目指す場所ですからね。最近はやっていませんが、そうした意味で、mimi。さんの企画は面白かったんですよ。はじめて鹿鳴館サロンに来る人をもてなすためのびっくり企画ね。あの小芝居ごっこは面白かったんです。ああした企画は、できれば私は参加せずに、あとから話を聞いたり、ビデオを見せられたりするのが好きです。もう、素直に観客になって楽しみたい企画なんです。

 そうして、私がいないイベントや舞衣さんのいないイベントがあって、いつか、私も舞衣さんもいないイベントもあって、それでも鹿鳴館サロンは鹿鳴館サロンなんです。それは素敵じゃないですか。
 私は執事として毎日サロンにいますが、私の日、つまり、奥田忠志の日は誰かが執事になっているとか、そんな日も、その頃にはできるのかもしれませんよね。
 私はコミュニティの牽引役というのは必要だと思うのです。現に今、こうやって執事さんは鹿鳴館について「こうありたい」と語ってくれているわけで、指針がなくなれば、どんな上質なコミュニティも人々の心の闇に飲まれ彷徨ってしまうのではないかと思うわけです。私が企画したことも、この執事さんの「こうありたい」があったから出来たもので、どこでも出来ることではありません。

 コミュニティというのは、二面性があると思います。1つは「仲良しグループ」執事さんがお嫌いなものですね。これは仲良しの反面、排他的になっていくような気がします。どちらかと言えば、同年代、同じ職業などを持ってる場合に起こりやすい。そしてもう1つは距離感をもって「なんでも言えるグループ」これが執事さんが望むものと思います。違う年代、違う職業、違う価値観が一緒に何かを語ったりできるものです。こちらは育つとともに、フェードアウトしてしまう人を作ることがあります。

 私もこの後者のコミュニティが好きです。でも、論議を交わせる方がいなくなってしまうと、前者の「仲良しグループ」だけが残ってしまうという危険性があります。うまくコミュニティを育てるには、いまだ正しい手法などないんですが、私が思うに「牽引役」が必要だとは思います。そしてそれをサポートする「補助役」。また「ご意見番」のように時々客観的に物事を判断できる役とか。

 そう考えると、目指すコミュニティの原点は江戸時代の長屋のようですね。執事さんは嫌われものの大家さんで、舞衣さんは井戸の周りにいるお上さん、私は、訳ありの後家さんみたいなものでしょうか。それぞれ主役ではないんですが、必要な役割を持っていて、お互いに助け合ったり、ケンカしたり、大笑いしたりする。時々そこの住民にスポットがあたり、そんな時は、大家さんやお上さんは出てこない。そんな感じが普通に出来たら楽しいですね。

 私は一度企画をやってしまうと、それで燃え尽きちゃいます。どんなに面白くても再度はできないのです。もう充分に満足してしまうので、また終わった瞬間から新しい企画を考え始めます。だから、読書会を1年間も継続させていくというパワーは相当なものが必要だと思います。今はその牽引役をpinoさんが引き受けたりしてるわけですから、ある部分は一人歩きを初めているのだと思います。

 私は継続が得意なんです。止めないことを得意としているのです。はじめたら止めないのです。ただし、限度を越えてやることもしません。いい加減なんです。ですから、止めない、と、言っても、けっこう単純に挫折したり、諦めたりもします。
 それでも、普通の人よりは、かなりねばり強いでしょうね。
 そして、言うだけ、というのが何より嫌いなんです。言ったらやるというのが私のスタイルなんです。体重を落とすことは難しいことではない、と、言った以上は、実際に落としてみせます。落としてみせたでしょう。言うだけで、自分も昔は減量などしていたんだ、と、そこにすがるのは嫌なんです。昔ではなく、今でも、ほら、できたでしょ、と、やれないと嫌なんです。
 ですから、鹿鳴館サロンでも、朗読は面白いんだ、エロなんだ、と、主張した以上、それが浸透するまではやり続けたいんですよ。
 読書感想会も、読書と、それを皆で議論することは楽しいんだ、と、主張したので、その楽しさを本当の意味で浸透させるまで続けたいんです。
 書くこともそうです。書くことは楽しいし、書くことにはどんな性よりも刺激的なのです。そう主張したので、それが浸透するまで続けたいんです。
 鹿鳴館サロンでは話をすることは、どんなプレイよりも刺激的で興奮するのだと主張したので、それを浸透させているのです。実際、話をするだけで刺激的なことはたくさんありますが、逆に、どんな過激なプレイをしても、そのプレイの話を誰にもしなかったら、刺激なんか薄れてしまうものですよね。私はそう思うんですよ。
 美味しいものを食べたら、そりゃ、食べた瞬間は美味しいし興奮するかもしれませんが、その美味しいなんて忘れてしまいますよね。その興奮がいつまでも残るのは、その美味しいという体験を誰かに語るからですよね。性も同じだと思うんですよ。話さなければ何を体験したって意味なく忘れさられていくだけだと思うんですよ。
 ところが、最近のマニア世界は体験するところは、いくらでもあるわけですが、それを会話できるところがないんです。もちろん、居酒屋の猥談のようには会話できるでしょうが、きちんとした会話にはならないわけです。そこで、体験をきちんと話すことのできる場所。体験を詩や小説や写真として語れる場所。そうした場所を作りたかったのです。

 楽しい体験を一緒にしましょう、という話だと、これは仲良しサークルでなければ困るわけですよね。でも、いろいろな体験を表現する場所を作りましょう、という話なら、これは、共同作業でいいわけですよね。仲良しである必要ないわけです。
 たとえば、こんなことです。カラオケボックスでわいわい騒ぎましょうよ、と、言う場合、これは仲良しのほうがいいですよね。いがみあっていては楽しくないと思うのです。しかし、コーラスグループを作ってコンサートしましょう、というのなら、これは仲良しでなくてもいいわけですよね。むしろ技量とかが問われるわけですよね。鹿鳴館サロンが求めているものは後者なんです。
 サロンは会社の愚痴や家族の愚痴を言って発散して、皆で笑い合い慰め合う場所じゃないわけなんです。そうした場所なら、仲良しだけのほうがいいわけです。でも、サロンは、何かやろう、何か新しいことを見つけよう、何か考えよう、としているわけですから、何かを持っている人なら、性格の合わない人でもいいわけなんです。全身タイツで話をする人でも、全身ラバーで話をする人でも、それはどうでもいいわけです。ですから、私は、興味のない性嗜好の人に対しては興味がない、と、はっきり言ってしまうのです。関心のあるふりをしないのです。私が性嗜好として興味のない人にこそ、サロンにはいて欲しいからなんです。だって、その嗜好については私が他の人に説明することはできないわけですからね。
 そして、私が否定して、その人が良さを語る、という図式があれば、それがサロンとしては面白いと私は思うのですよ。それは読書も同じです。私が嫌いなものも読書感想会では取り上げますよね。自分たちが好きな本の話しかしない、というのなら、これは仲良しサークルでなければ困るわけです。好きと嫌いが対立するから話は面白いわけです。
 こいつ、いい加減、殴ってやろうかな、と、そのぐらい思って、それでも、本の話が終わったら、そんな感情がなくなって、あれ、こんなところでは気が合うんだって、思うのがいいわけです。
 読書感想会で、真剣にある本について話をしている人の中に全身タイツの人がいたり、全裸の人がいたり、縛られている人がいたりしたら、その光景は私は好きなんです。バカですが、そのバカは好きなんです。

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