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丸木砂土 - 秦 豊吉についてコミュの澁澤龍彦との奇妙な因縁

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はじめまして。
少し迷ったのですが、トピ立てさせていただきます。よろしくお願いします。

渋沢栄一の孫にあたる渋沢華子さん(故人)が1997年に『徳川慶喜最後の寵臣 渋沢栄一―その一族の人々』(国書刊行会)という本を出されていまして、その中で丸木砂土こと秦豊吉氏の思い出を語っておられます。
まだ小学生だった時分、京都の祇園で「父」と秦氏が会合する際に同行したことや、日劇ダンシングチームの舞台稽古を見学したことなど・・・
華子さんの「父」とは東京宝塚の会長を務めた渋沢秀雄です。したがって、この関係はごく自然なことなのですが、興味深いのは華子さんはあの澁澤龍彦(本名:渋沢竜雄)の遠縁でもあるということです。
澁澤龍彦・・・そう、「日本でサドと言えば」のあの人です。
龍彦は秦氏の存在は当然知っていたしょうが、親類を通じて間接的に関わりがあったことを知っていたかは定かではありません。しかし戦前・戦後の「二人の日本のサド」を繋ぐ奇妙な因縁についてはしっかり記憶に留められておいて然るべきだと思います(実は華子さんの本の該当個所も龍彦について人から尋ねられたことが契機で書かれたのであります)。

なお蛇足ながら。
華子さんの本では秦氏は東大法学部独法科卒となっています。ANDYさんは独文卒とされていますが、華子さんの方がやはり間違いでしょうか?ちなみに盟友の渋沢秀雄氏は1892年生まれで法学部卒です。この点につきまして、よろしければご確認お願いいたします。

コメント(2)

デコッ八(スサヒデ)さん
質問にお答えします:
豊吉さんは、東大独文科に入学しドイツ文学に没頭しましたが、社会人となった場合には、法学部ではなくてはと理解して法学部に編入して法学部を卒業しました。

当時のことですので、独文科も卒業していると理解しています。但し、最終的には、東大法学部卒業です。

また、私自身も豊喜氏については知らない面も多々ありますので、是非、今後とも情報交換が出来ればと思います。
ANDYさん
遅くなり恐縮ですが、ご回答ありがとうございました。
おかげで疑問が氷解しました。秦氏はやはり大変な教養人だったのですね。

ところで古書店の目録で「旅窓新書13演劇スポットライト」(1955年)なる著作を見つけてから気になり、そこで大学図書館のサイトで検索をかけてみたのですが・・・驚きました。翻訳以外でもあれほど多分野にわたって自著を残されているとは!
「秦豊吉」で検索しても「丸木砂土」作品が出てくるのはご愛嬌です(笑)。
では、今後もよろしくお願いいたします。

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