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13世紀の世界史コミュの[管理]ご挨拶用

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はじめまして。管理人です。自分の趣味からこのようなコミュニティーを立ち上げてしまいました。当初の目的では私個人の個人的な情報収集のためでしたが、もし良ければ皆さんと意見交換が出来れば良いと考えております。今後ともよろしくお願いいたします。

コメント(11)

はじめまして。

私はオスマン帝国史に主な関心を持っているので、13世紀はモンゴルの征西によりアナトリアへのテュルク系遊牧民の移住の第二波が起こるなど、14世紀以降のオスマン帝国の台頭を準備した時代として興味があります。

浅学の身ですが、このコミュニティでいろいろと勉強させていただきたいと思います。
>タカマサさん
はじめまして。13世紀のオスマン帝国というかトルコ族というと創始者オスマン1世の父エルトゥールルが帝国の基礎を作っていた時期ですよね。モンゴルの征西と撤退によってアナトリア半島に空白が生まれ、オスマン帝国が伸張する機会が出来たという解釈で宜しいのでしょうか?

オスマン帝国についてはほとんど知らないので、ご教示頂けると嬉しいです。

まだまだ小さなコミュですが、これからも盛り上げていきましょう。
>純さん
レスが遅れて申し訳ありません。
まだ勉強を始めたばかりで詳しくないのですが、簡単に知っていることだけ……

>モンゴルの征西と撤退によってアナトリア半島に空白が生まれ、オスマン帝国が伸張する機会が出来たという解釈で宜しいのでしょうか?

モンゴルの進出で、当時アナトリアを支配していたルーム・セルジューク朝が衰退し、そのためにオスマン朝をはじめとするテュルク系の諸君侯国が自立していったのは事実です。
ただ、「政治的空白」というとやや語弊があるかもしれません。つまり、中小の勢力が割拠する戦国時代のような状況になったわけで、オスマン朝も当初は、あくまでそうした勢力のうちの一つに過ぎませんでした。他の強力な勢力として、例えば南アナトリアのカラマン君侯国は、最終的に15世紀後半に至るまでオスマン朝に対抗し続けます。
また、オスマン朝というとやはり「アナトリアに興り、その後バルカンに進出していった」というイメージがあるかと思いますが、どちらかというと「まずバルカンで力をつけてから、その後アナトリアでも支配権を広げていった」というイメージの方が事実に近いようです。

私の言った「テュルク系遊牧民の移住の第二波」というのは、この時期、モンゴルの支配を嫌ったテュルク諸族が、次々とアナトリアに移住してきたことを指しています。
(ちなみに、「第一波」というのは、1071年にセルジューク朝がビザンツ帝国を破ったマンジケルトの戦いの後、アナトリアへのトルコ人の最初の移住が起こったことです)
この第二波の移住の結果、過剰な人口を抱え込んだアナトリアのテュルク系諸君侯国は、戦利品や新たな領地を求めて活発な征服活動を行ない始めます。こうした動きの中から、オスマン朝のバルカンへの進出も起こっていくわけです。
>タカマサさん
長期出張に行ってたためレスが遅くなり申し訳ありません。

>中小の勢力が割拠する戦国時代のような状況になったわけで、オスマン朝も当初は、あくまでそうした勢力のうちの一つに過ぎませんでした。

なるほど、戦国時代ですか。もしお暇でしたら諸勢力のいくつかを紹介していただけると嬉しいです。
はじめまして。
13世紀の東西交渉史に興味を持っている者です。
いろいろ教えて頂ければうれしいです。

よろしくお願いいたします。
はじめまして。
グローバルヒストリーに興味があります。
特にモンゴル帝国により成立したユーラシア交易ネットワーク
が好きです。
よろしくお願いします
はじめまして。
スペインを中心とした歴史探求者です。
イベリア半島トピ立てもお願いします。
…あ4年だけ13世紀だ(笑)

まがいなりにもハルジー朝の勉強をしています。よろしくお願いします。
はじめまして。
大学で東洋史を学んでいます。
宋代史を中心に海域を通してのボーダーレスな交流に興味があるので、「世界史」の視点がビビっときました。

よろしくお願いいたします。

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