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日詩会コミュの「1」から始まる物語、その第五話

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たまご

「あのな、人生はハードボイルドなんだよ」
 リョウさんの、相変わらずの話が始まってしまった。
「いっかァ。ラーメン屋に行くと味玉だとか、うどん屋に行くと温玉だとか、なんだかフニャフナしたような玉子を喰わせるけどなあ……」
「リョウさん、フニャフナじゃなくて、フニャフニャ」
「るせーっ! フナフナでいいんだよ」
「あら、フナフナになっちゃったよ」
「こらっ、聞け!」
「へいへい」
「だいたいだなァ、世の中にはフナフナが多過ぎる。なんだっけ、あの草男だっけ?」
「くさおとこ?」
「そうだよ。肉を食べない男のことだよ」
「あー、それなら草食男子っすよ」
「草食男子ぃ? ま、いいや。その男子だ。なあ。女に手を出せないで、なんだかフナフナしている男のこったろう?」
「まあ、そうっすねえ」
「お前ぇもそのくちか? いつまでも結婚出来ねえで、なに、女に喰われるのを待ってるってのか?」
「あ、いや、おれは違いますよ。まあ、こう見えても彼女いるし……」
「てやんでぇ! いるんなら、早ぇとこ結婚して、孫の顔でも見せてやるってのが親孝行ってなもんだろう」
「まあ、いろいろと事情が」
「へっ,事情だぁ。ちゃんちゃら可笑しいねえ。事情が大事なのはピタゴラスだけでぇ」
「なんすか、それ?」
「あ、これだから小市民は情けねえなあ。ピタゴラスの定理ってぇの知らねえのかよ。ったくもう。習ったろう、学校で」
「すいません。学校で得意だったのは体育と給食だけだったんで」
「しょうがねえなあ……。ま、ともかく彼女がいるんなら、ちゃんと二人の将来を考えなくちゃなあ」
「そう言うリョウさんはどうなんっすか? そう言えばリョウさんって独身っすよね」
「バァロー、俺のことはいいだよ!」
「いやいや、人生の先輩として、なんかアドバイスしてくださいよ」
「だから言ってるじゃんかよぅ、人生はハードボイルドだって」
「いやいや、そうじゃなくって。そもそもリョウさんって家族っているんすか」
「……やなこと言うねえ」
「あ、すいません。だったら話、変えますけど」
「バァロー、いったん言い出したら、簡単に引っ込めるんじゃねえよ」
「すいません……」
「ま、いいさ。お前ぇがこうやって俺に付き合ってくれるのも何かの縁ってもんだ。すっげえハードボイルドを聞かせてやろうじゃねえの」
 リョウさんはそう言って、カウンターの向こうで汗をかいている大将に、生二つ、と注文した。
 店の中は、炭火からあがる焼き鳥の煙が、開け放した入り口から微かに入ってくる風に掻き回されて、薄く煙っている。
 リョウさんは生ビールのお代わりが来るまで、何も喋らなかった。
「へいっ、お待ち!」
 カウンターの向こうから、大将が生ビールのジョッキを二つ差し出した。
「まあ、飲め」
 リョウさんは軽くジョッキを合わせると、喉を鳴らして三分の一ほどの生ビールを飲んだ。フゥーッと息を吐くと、静かに話し出した。
「いいか、男には……どうしても避けちゃいけない場面ってのがある。逃げたいと思っても、逃げちゃあいけないんだよ。……それを、俺は、逃げちまった。そん時にな、俺は内藤陳を知ったんだ。知ってっか、内藤陳」
「すいません、知らないっす」
「知れよ」
「誰っすか?」
「芸人だよ。舞台でな『ハードボイルドだど』ってギャグをかます奴でな。……俺はそれまで、ただ笑って内藤陳のギャグを聞いてるだけだった。でもな、どうしようもなくって、逃げ出すしかなくって、オレのことを誰も知らない土地に流れて、そこで仕事にありついて、ようやく一息ついて、食堂で飯喰ってる時に、そこのテレビを見たんだよ。逃げ出してから一年近く経っていたさ。でな、そのテレビに内藤陳が出ていて、相変わらず『ハードボイルドだど』ってギャグをかましてたんだ。そん時思った。ああこいつは本当のハードボイルドだ、ってな」
 リョウさんの言ってることが、ちっともわからなかったので。「はあ」とだけ相づちのような返事をしたら、リョウさんは、そんな情けない返事を聞かなかったように話を続けた。
「なあ、ハードボイルドって分かるか?」
「なんか、あの……探偵小説っていうか……」
「バカッ! 卵だよ」
「へっ?」
「ほんとに、何にも知らねえ奴だなあ。茹で卵を食べたこと、ねえのかよ」
「そりゃあ、ありますよー。あの、小学校の遠足の時だとか運動会だとか、必ず茹で卵が弁当に入っていて、そりゃもう嬉しかったっすよ」
「だろ。でもな、臭くなかったか?」
「あ、そうそう、そう言えばそうでした。あの匂いがちょっと……」
「だろだろ」
「はい」
「俺もあの匂いがヤだった。だから、工夫した」
「工夫……っすか?」
「ああ」
「どんな?」
「卵には黄身と白身がある」
「はい」
「黄身の固まる温度と白身の固まる温度は違うんだ。知ってたか?」
「ええっー。あれって、白身も黄身も同じように固まるんじゃないんですか?」
「だから、お前ぇはバカだっつーの。固まる温度が違うから、温泉玉子だのなんだのってのが出来るんだよ」
「そんなもんっすかねえ」
「ああ、そんなもんだ」
 リョウさんは、またグビグビとジョッキの生ビールを飲んだ。それから、また話を始めた
「黄身も白身も、しっかりと茹で上げたのがハードボイルドって言うんだ。でもって、茹で上がり過ぎると臭くなるんだ。だからな、塩を入れて沸騰させたお湯に、生卵を入れるんだよ。そん時にな、生卵のとんがってないほうに画鋲かなんかを突き刺しておくんだ。あとは、自分の時間の感ってものよ」
「はあ……」
 リョウさんが何を言いたいんだか、さっきまでも分からなかったけど、益々分からなくなってきて、情けない返事をするしかなかった。するとリョウさんは見透かしたように、
「お前ぇ、俺の話が分かってねえな」
 濁った目をギョロつかせて聞いてきた。
「あ、いや……」
「ま、いいや。ともかく聞け」
「はい」
「えっと、どこまで話したんだっけ。……ああそうだ。感だよ、感。茹で卵の黄身を茹で過ぎないよう、しかもイヤな匂いのしないしっかりとしたハードボイルドに仕上げるには、感しかないんだ。タイマーで計ったって分からねえ。そんな感が、昔の俺には分かんなかった……」
 おっと、やっとリョウさんの人生の話に戻った。
「ポーチドエッグって、知ってっか?」
 ありゃ、また卵の話かよ、と思いつつ正直に「知りませんよ」と返事をしてしまった。
「ほんとに何にも知らねえんだなあ」
「すんません」
「まあ、知らねえってことは、これから知ることが出来るってことだから、まあ許そう」
「はあ、ありがとうっす」
 何を許してもらったのか分からなかったけど、そう答えておいた。
「いい態度じゃねえか。よし、許そう」
 リョウさんは、カウンターでひっくり返りそうになるくらい胸を張ってから、また話し出した。
「ポーチドエッグってのは、煮立ったお湯の中に、割った卵をそのまま落としたものだ。すぐ茹で上がるから、茹で卵よりは簡単だけどな。サニーサイドアップってのは……、あ、知らなくてけっこう」
 こっちをチラッと見たリョウさんが、諦めたように話を続けた。
「目玉焼きの方法にもいろいろあって、片面だけ焼くのをサニーサイドアップって言うんだよ。途中で引っくり返して両面をしっかり焼くのがターンオーバー。お前ぇはどっちが好きだ?」
「俺は、その、なんでしたっけ、サリーちゃん焼き! 半熟っぽい黄身を、おっとっとって言いながらご飯の上に乗せて食べるのが好きっすねえ」
「サリーちゃんじゃねえよ。サニーサイドアップだよ。ったくもう。っつーか、お前ぇがそんなこと言うもんだから、なんだか卵かけご飯が食べたくなったなあ……」
「いいっすねえ。大将に頼んでみましょうか」
 そう言ってからリョウさんを見たら、寝てた。
 ジョッキを握ったまま、もう片方の手の肘をカウンターにつき、すうすうと寝息を立てていた。
 ったくもう。――そう思いながら、結局今夜も、リョウさんの人生話を聞くことが出来なかった。
「リョウさん、起きて! 帰ろう」
 明日になったら、またリョウさんは卵の話をするのだろうか。いつものように『人生はハードボイルドなんだよ』ってなことを言いながら、別な話をするのだろうか。
 リョウさんが過ごしてきた人生に興味がないわけではないけれど、こうやって、いつもはぐらかされる時間が好きだから、仕事が終わった後、親子ほども歳の離れたリョウさんに付き合うことにしている。
 明日の朝は、何だっけ……サリーちゃん焼きにした卵を食べてみよう。ハードボイルドな卵は、リョウさんの人生話をちゃんと聞いてから作ってみよう。
「リョウさん、帰るよ」
 目をつむっているリョウさんの顔は、半熟に茹で上げた黄身のように、とても穏やかだった。

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