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日詩会コミュの「1」から始まる物語、その第四話

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四月の茶がま

「お父さん。これ、なんだか知ってる?」
「これは茶がまだろう。これでお湯を沸かして、お茶を入れるんだよ」
「なんだ、知ってたか」
「そりゃあ知ってるさ。だって、ここの名産はお茶だからね」
「うん、この前、社会の授業で習った」
「そうか。……学校は楽しいか」
「うん。……ねえ、この茶がまって、タヌキになるのかなあ」
「なんだ、それ」
「ほら、ぶんぶく茶がまだよ」
「うーん、これは違うんじゃないか」
「つまんないなあ。変身したら面白いのに」
「見続けていたら、いつか変身するかも」
「ほんとう?」
 小学生くらいの男の子とその父親は、散歩の途中だったのか、市庁舎の駐車場の奥にあるコンクリート製の茶がまを見上げながら話をしていた。
 穏やかな春先のの微風が、父子の髪の毛を少しだけ揺らして通り過ぎる。
 二人は、それからしばらく茶がまの前で佇んでいた。
 その日から、この茶がまのある駐車場は父子の散歩コースになった。

「松永さん、行こうか」
 長坂克夫は声をかけると、懐中電灯を手に取った。
「はいよ」
 松永義人も同じように懐中電灯を手にすると、守衛室のドアを開けながら、残っている二人の守衛に軽く手を上げた。
 松永と長坂は地下一階の守衛室を出ると、時間外出入口の重たいガラスのドアを開け、庁舎の脇にある階段を、ゆっくりと地上へと上りはじめた。
「あったかいというよりも、なんだか暑いねえ」
 制帽を被り長袖の制服を着た松永が、生温い夜気の中で言う。三月はかなり不安定な天候で、四月に入って落ち着くかなと思っていたら、気温が十度ちょっとだったり、二十度を越す夏日があったりと、安定しない日々が続いていた。
「まったく、こう暑かったり寒かったりすると、身体の調子が狂っちゃうよ」
 痩せて長身の松永に比べ、長坂は背が低く腹も出ており、階段を上り切ったところで早くも制帽の縁に汗が滲み出してきたらしく、制帽をずらすと額の汗を拭った。その手の動きに合わせて懐中電灯の光が辺りに揺れた。
「あっ」
 松永が小さく言い、自分の持っている懐中電灯を、今長坂が照らした方向に向けた。駐車場の先にある茶がまが、光の輪の中に浮かび上がった。
「どうした」
 長坂も同じように懐中電灯を向けたので、二つの光の輪が茶がまをくっきりと浮かび上がらせた。
「いや、何かが見えたような気がしたもんだから……」
 松永は言いながら、駐車場全体を右から左、左から右と何度か照らした。駐車場の入り口は夜の九時に、出口は十一時に閉まっており、一〇〇台ほど入るスペースには数台の車が残っているだけだった。
「なんにもないぜ」
「気のせいか」
「ああ、早く巡回しちゃおう」
 長坂は巡回を終わらせて、早くクーラーの効いている守衛室に戻りたいらしく、松永をせかしながら駐車場から庁舎の裏側へと、せかせかと歩き出した。
 松永は長坂の背を追いながら、もう一度駐車場の奥の茶がまを照らした。さっき、茶がまのそばに白いものが見えたような気がしたのだが……。
 駐車場から始まって、市庁舎の裏に廻り、駐輪場、小さな公園、入り口のエントランス。松永と長坂は、ゆっくりと小一時間ほどかけて巡回し、再び駐車場の前に出た。
 もう一度、松永は確かめるように茶がまの方向に向けて懐中電灯を照らしてみたが、闇の中に茶がまがあるだけだった。

 一人の男が茶がまの前に立っていた。
 茶がまの横に延びている茶の木の畝に、細かい雨が静かに降りかかっている。傘をさしていない父親の髪の毛を濡らしている雨が、大きな粒となって首筋を伝わったが、男はぬぐいもせず、じっと立っていた。夏が終わったわけではなかったが、雨のせいだけではなく空気は冷たかった。
 ふと、雨がやんだ。いや、雨がやんだのではなく傘がさされたので、男に雨がかからなくなったのだ。
「また、ここだったね」
 男に寄り添うように、大きな黒い傘をさし出した女が言った。
「辛いのは、パパだけじゃないんだよ……」
 女は、男の背中に強く拳を打ちつけて言った。
 男はなにも言わなかった。
 背中を叩きながら、女は男の顔を見上げた。見上げる目は潤んでいた。見上げた男の目には、雨の雫とは違う水滴が光っている。
「今さら、ここに来ても、しょうがないでしょ。いいかげんにしてよ!」
 女の激しい言葉に、男は力なく「ああ……」とだけ呟いた。
「さ、帰ろう」
 女は男の背中を抱えると、茶がまから引き離すようにして、歩き出した。傘が傾いて女の身体にも雨がかかったが、女はぐいぐいと男の背中を押しながら歩いた。男は、押されるままに、とぼとぼと歩かされるだけだった。

「松永さん、これから、うちにおいでよ」
 ロッカールームで制服を脱いで私服に着替えながら、長坂が話しかけてきた。長坂の身体から漂ってくる汗の匂いに鼻をしかめながら、松永は答えた。
「いやあ、ちょっと……」
「なにさ、どうせ家に帰っても一人なんでしょ。うちに来れば、まあ、不細工だけど女っ気もあるし、それなりの朝飯も用意できるよ」
「いや、長坂さんの奥さん、可愛らしいじゃないですか」
「そ、そお。うちのやつ、可愛い?」
「可愛いですよ。料理も美味いし」
「いやあ、嬉しいなあ。そのセリフ、うちのやつに言ってあげてよ」
「それは、長坂さんが奥さんに言ってあげてくださいよ」
「自分で言うのは照れくさいもんだよ。だから松永さん、うちへ来て言ってあげてよ」
「いや、ほんとに……」
「そう……」
「あの、また近いうちに、必ずお伺いしますから」
「ほんとだね?」
「ええ」
「あのさあ、あの……細かいことに立ち入るつもりはないけど、もう奥さんと別れて何年になるの。その原因になった子どもの事故だって、もう気にしなくていいんじゃないの」
「それは……」
 松永の顔が、一瞬険しくなった。
「あ、ごめん……。ちょっと言い過ぎちゃった。あはは……。気にしないで」
 取り繕うように長坂が慌てて言った。
「すいません。気を遣わせて」
「あ、いや、いいのいいの。でも、次に誘ったら、次は来てね、へへっ。じゃあ、お先に」
 長坂は汗の匂いを残して、ロッカールームからそそくさと出て行った。
 松永のこめかみにも、暑さのせいではない小さな汗が噴き出していた。

「あなたが……、パパが、忘れられないのはしょうがないと思う。でもね、それは私も同じなの。だから、健介が亡くなったことは、私だって、私だって辛いんだよ。その辛さを、あなたは……私と分かち合おうとはしてない。してないよ。責任とか、そういうのじゃなくて、よっちゃんは、自分だけの悲しみの中にしか浸ってない。私の悲しみとか辛さは、よっちゃんの中にはないよね」
 妻の言葉に、松永は、
「そんなことはないよ」
 と、小さく答えることしか出来なかった。
「ううん、そうだよ」
 妻の香織の言葉に、松永はさらに小さな声でしか答えられなかった。
「……もしかしたら、そうかも」
「そうかも、じゃなくて、そうなんだよ。よっちゃんはずるい」
 香織の呼びかけが、「あなた」から「パパ」に変わり、「よっちゃん」に変わったことを松永は、季節が移り変わるような、しごく当然なことのように感じていた。松永の心の中には、香織との間に生まれた一人息子の健介を、交通事故で失ってしまったことだけしかなかった。
 自分たちの子どもが、何の挨拶もなく突然いなくなったことに、妻の香織も同じような辛さや悲しみを感じていると松永は思っていた。だからこそ、健介と頻繁に散歩に行っていた市役所の駐車場の奥にある茶がまを、時間のある限り訪れることを香織も許してくれていると思っていた。
 それを「ずるい」と言われた。辛さを共有していると思っていた。香織の思いではなく、言葉だけが刺さるように感じられた。
 その夜、松永は香織を残して家を出た。勤めていた事務機のリース会社も辞めた。しばらくして、友人の伝手で市役所の警備の仕事に就くことになった。茶がまを見ることで悲しみを再確認したかったのか、思い出の中の健介をいつまでも感じていたかったのか、自分でも分からなかった。

 長坂のあとを追いかけるように、松永は地下の守衛室から裏階段を上って地上に出た。四月の眩しい青空が広がっている。
 地上に出ると、左手に駐車場が広がっており、朝の八時過ぎだというのに次々と車が駐車場を埋めている。その奥にあるコンクリート製の茶がまを見た松永の足が、思わず止まった。
「健介……」
 茶がまの前で、小さな男の子が茶がまを見上げるように立っていた。
 そこへ、駐車場の出口へ向かおうとしていた一台の乗用車が急ブレーキをかけた。
「健介!」
 松永は声を揚げると、走り出した。
 誰かが、松永より早く子どもに駆け寄り、大きな声を出した。
「危ないでしょ、広太! もう!」
 男の子は、駆け寄って来た若い茶髪の女に、
「ママ! これ、茶がまって言うんだよね。これ、タヌキになるんだよね」
 と、のんびりと答えた。茶髪の女は、急ブレーキで停まった車の運転手に、申し訳なさそうにお辞儀をすると、
「もう! タヌキになる前に、広太が車に轢かれちゃうわよ。ママから離れちゃだめよ」
 茶髪の若い母親は、広太と呼んだ男の子の手を引くと、あたふたと駐車場から市役所の入り口へと向かった。
 二人は、駐車場の入り口で立ち止まっている松永と擦れ違った。
 ざあっと風が吹き、駐車場に植えられている何本ものソメイヨシノから花びらが降ってきた。
「ありがとう、パパ……」
 男の子の声が聞こえたように思った。松永は、通り過ぎた男の子と母親を振り返った。男の子の手は、しっかりと母親に握られていて、二人は楽しそうに笑い合っていた。
 顔を戻す、茶がまはいつもと同じように静かに佇んでいた。
 突然、香織に会いたくなった。
 茶がまにも、茶がまを見ている松永の身体にも、いくつもの桜の花びらが降り続けていた。

コメント(4)

映画「ママの遺したラヴソング」が浮かびました。しっとりとした短編で、心が動きました。

茶がまがまるで生きているように描かれていて、いいですね。
ミントさん
「ママの遺したラヴソング」は知りませんでした。
アル中の初老の元教授、っていうのがいいですねえ。

静かに流れる時間…そんな情景を書いていきたいです。
ジョン トラボルタが元教授を演じているのですが、とってもいい味を醸し出しています。ニューオリンズの自然と人間の優しさが描き出されています。娘役の
スカーレット・ヨハンソンが、瑞々しくて素敵です。

GTさんの第5話も楽しみです。
ミントさん
ジョン・トラボルタって、歳取ってからのほうが、断然いいですよね。
DVDを借りてきて観てみます☆

次のお話も、書いていますのでお楽しみに☆

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