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哲学ノートコミュの「エチカ」第1部 神について

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『「属性」とは知性が実体についてその本質を構成していると知覚するもの、と解する(定義4)』

「実体」の本質を知性が知覚するためのものを「属性」という

ある実体(現象の根底にあるもの)を知性が知覚するための「属性」は、ある実体を「それ以外に考えられないもの」として区分する

したがって、同じ「属性」で、別の「実体」ということは考えられない
『(・・・)同一属性を有する二つあるいは多数の実体は存在しえない(定理5)」

「■あらゆる実体は必然的に無限である(定理8)」

(定理8の証明)
『同一属性を有する実体は一つしか存在せず(定理5により)、そしてその本性には存在することが属する(定理7より)。ゆえに実体は本性上有限なものとして存在するか無限なものとして存在するかである。しかし有限なものとして存在することはできない。なぜなら、有限なものとして存在すればそれは同じ本性を有する他の実体によって限定されなければならず(定義2により)、そしてこの実体もまた必然的に存在しなければならないのであり(定理7により)、したがって同一本性を有する二つの実体が存在することになるが、これは不条理だからである(定理5により)。ゆえに実体は無限なものとして存在する。Q.E.D.』

まず「属性A」が有限を担っているとする

そこで「実体A」が有限であるとき、当然「実体A」に属する「属性A」があるはずである

したがって「実体A」は「属性A」を担っているので有限に

けれども、「属性A」を担う実体は「実体A」しかありえない
(同一属性を有する二つあるいは多数の実体は存在しえないから)

有限を担っている「属性A」を持つ実体がほかに存在するとすれば、「同一属性を有する二つあるいは多数の実体は存在しえない(定理5)」のに、有限を担った「属性A」を持つ有限な「実体」が多数存在することになるのでおかしい

「同一属性を有する二つあるいは多数の実体は存在しえない(定理5)」のに『実体の本性には存在することが属する(定理7)』というのは、定理が矛盾している

ここから「あらゆる実体は必然的に無限である(定理8)」といえる

(「あらゆる実体は必然的に無限である」の定理8はエチカ導入部でも、とくに難解だと思われるので、スピノザ自身によっても多くの説明がなされている)

■スピノザにとって、「実体」とは無限である

「実体」substance 

>スピノザは、神をおいて実体はないと考えた。スピノザは、持続の概念の下に様態(後述)の存在のみを説明し得るのに対し、実体の存在は永遠の概念の下にのみ説明されうるとしている。またスピノザにあっては、延長と思惟はデカルトと異なり、唯一の実体である神の永遠無限の本質を表現する属性である。そして、個別のたとえば物体は延長という属性のひとつの様態である。いわば、パラメータの項が属性であり、その項を満たす値が様態なのである。この場合、属性が異なるもの(スピノザの体系に従えば、これは勿論、実体ではなく様態である)は互いに作用できない。このように考えるとき、精神と物体は同一の実体の異なる属性における表現なのであるから、精神と身体の相互作用というデカルト的問題はそもそも生じない。(心身平行論)

>ヘーゲルはスピノザの唯一の実体である神は自己原因であるという考えを批判的に継受しながら(★スピノザの幾何学的方法 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=46617022&comm_id=140576)、実体は、絶対知へと自己展開する精神であり、主体として考えるべきだとした。ここでの主体概念には、人格的な、行為や対立の担い手という意味がそれまでの古代や中世とは異なり付与されている。現実Wirklichkeitに存在するものは合理的であり、その相互対立の弁証法によってますます絶対知の完成へと自己展開していく。そのような意味で、実体は対立を乗り越えて完成へと向かう主体なのである。

>ニーチェは実体を、生成の観点から批判した。


スピノザにとっての「実体」とは、無限であり、自己原因であり、永遠なるものであり、つまりそれは「神」である

『「神」とは、絶対に無限なる実有、言い換えればおのおのが永遠・無限なる本質を表現する無限に多くの属性から成り立っている実体、と解する(定義6)』

神とは、無限に多くの属性から成り立っている実体である

ちなみに『実体の本性には存在することが属する(定理7)』ので、神は存在する(と彼は定義する)(←エチカにおける神の存在証明)

『すべて在るものは神の内に在る、そして神なしには何ものも在りえずまた考えられえない(定理15)』

実体は自己原因である(★別項目 真理へのアプローチ 幾何学的方法)

コメント(3)

(1)定義3) 実体とはそれ自体にのみ依存、そしてそれが存在するためにそれは他の何物も必要としないもの
(2)定理5)この宇宙には同じ性質や属性をもつ実体は二つ存在することはできない。(実体は常に一つである。)
(3)定理7)実体は存在するということをその本性としている。
(4)定理6)実体は他の実体から生み出されることない(自己原因causa sui)。(prop6).(from 5,or 2,3)
(5)定理8)実体は無限である(from 4,2)(prop8)
(6)定理13)絶対的に無限な実体は不可分である。(from 5, 11)
(7)定理14)神をのぞいて何も存在しえない(prop14).
(8)定理19)神は永遠であり、神の全ての属性は無限である。(prop19)
(9)定理15)神は全てを包含する(prop15)
(10) 実体は自然と同一である; 実体は神と同一である; よって神は自然と同一で; また実体は神または自然である(God-or-Nature).
(11) 実体(God-or-Nature) は二つの主要な属性(attribute)を持つ: thought and extension.
(12) 実体(God-or-Nature) は無限であり、広がりを持ち不可分である; substance is indivisible; it cannot consist parts.
注意
スピノザの真理導入(神の導入)の方法は、あやうい。スピノザの真理は、方法によって後から引き出されるというもの。デカルトの方法序説の転倒。(ヘーゲルの批判)
ピエールマシュレのまとめ
(★スピノザの幾何学的方法 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=46617022&comm_id=140576)

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