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哲学ノートコミュの愛について(友達宛の手紙)

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愛ていうのはね、非常に抽象的で次元の高い概念だよね。愛なんてほんとにあるのか?この世には、実は、悪がはびこっていて、愛なんていうのは見かけでしかないのじゃないかって。愛が確実なものかどうかわかりにくいよね。

じゃあ、哲学的に「愛」っていうのをどうやって導きだすかっていう話だけどさ、近代合理主義では、神学(宗教)抜きに、「愛」っていうのは明確に定義できる。ここで、オレの専門分野のスピノザを引き合いに出すけれども、スピノザに「エチカ」って本があって、エチカは倫理学って意味なんだけど、その最後の結論として語られるのが「愛」ってことなんだよ。

「愛」っていうのは、この世のすべてのものを愛することだよね。この人を愛して、あの人を愛さないっていうのは、差別だから、本当の愛じゃないよね。人間は自然の一部だから、すべてを愛するってことは、人間も含む自然を愛するってことだ。

「人間も含む自然」ってあらゆる存在のことだよね。あらゆる存在というのは、神のことだ。だから、愛ってのは、神を愛するってことじゃないと嘘になる。神(自然)は、あらゆる事物のことで、人間存在も含むから、オレたちが神(自然)を愛することと、神がオレたちを愛することは同じ意味になる。わかるかな?つまり、神(人間を含む全自然)はいつでも、自分自身を愛してるってことになってる。

しかも、そうした神が自己自身を愛する愛ってのは、愛するが故に存在を生み出してるとも言えるよね。存在を生み出してる原因が神だから。つまり、愛ってのは存在してることと同じ意味ってことになるんだよ。だから、あらゆる存在がすでに神の愛なんだよ。だからこそ、愛は確実なものなんです。っていうか、愛ほど確実なものはない。愛は存在と同じレベルであるんだからね。しかも、人間も含むあらゆる存在(自然=神)を愛するってのは、じつは自分自身をも愛してることになってる。この愛の構造って凄いよね。結局、スピノザが「エチカ」で言いたかったのはこういうことなんだけどさ。ちょっとトリッキーだったけどわかったかな?かなり大雑把な概略で申し訳ないけど。
いちお、そこの「エチカ」の該当部分を引用しときます。

「第五部 定理三六 
神に対する精神の知的愛は、神が無限である限りにおいてではなく、神が永遠の相のもとに見られた人間精神の本質によって説明されうる限りにおいて、神が自己自身を愛する神の愛そのものである。言いかえれば、神に対する精神の知的愛は、神が自己自身を愛する無限の愛の一部分である。

 証明 精神のこの愛は精神の働きに数えられなければならぬ(この部の定理三二の系および第三部定理三により)。つまりこの愛は精神が原因としての神の観念を伴いながら自己自身を観想する働きである(この部の定理三二およびその系により)。言いかえればこの愛は(第一部定理二五の系および第二部定理一一の系により)人間精神によって説明されうる限りにおける神が〔原因としての〕自己の観念を伴いながら自己自身を観想する働きである。ゆえに(前定理により)精神のこの愛は神が自己自身を愛する無限の愛の一部分である。Q・E・D・」

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