ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

島津武将列伝コミュの新納忠増

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
【新納忠増】(にいろただます、?〜1608)
忠元の次男。名は次郎九郎・弥太右衛門尉、官は左京亮。子に忠清・久運、二女(島津久元の女・上井兼道の女)。

 兄忠尭が肥前深江城攻めで戦死すると、天正12(1584)年、島原の合戦で初陣を果たした。同14(1586)年、忠元の名代として豊後へ向かい権現城・滑之城を落としている。翌年島津家が秀吉に降伏すると、父の忠元とともに人質として上洛した。同18(1590)年、甥の忠光が上京すると帰国。朝鮮出兵にも加わった。
 慶長5(1600)年、関ヶ原の戦いが起こると島津義弘に従い合戦に参加。美濃出兵中に石田三成が大垣城へ退却しようとしていることを知ると、義弘は家臣の多くが墨俣に出陣していることを理由に彼らの退却を待つよう三成に告げる。その際に一人退却しようとする三成の馬の轡をとり押し留めようとしたのがこの忠増と川上久智と言われている。義弘が関ヶ原から撤退する際には長寿院盛淳の呼びかけに応じ島津久元・毛利覚右衛門らとともに殿として残った。後に大隅山田の地頭に任命される。慶長13(1608)年、同地にて死去。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

島津武将列伝 更新情報

島津武将列伝のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング