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境界と侵犯コミュのスケープゴート/羊の群れ/羊飼い

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羊の群れは権力のあるものに従う者達、羊飼いは羊の群れの行動をコントロールする力を持った者、スケープゴートは羊の群れから追放された者です。

村上春樹の短編集の「レキシントンの幽霊」に収録されている「沈黙」という作品があるのですが、それで言うと、
 主人公/顔を持たない群衆と化したクラスメイト/青木
になると思います。数年前に読んだ記憶にもとづいて書いてますが。
また村上春樹の「ノルウェイの森」では、
 レイコ(精神病者)/近所の人達/美人で有能だが病的な嘘つきの少女
になると思います。

なんだか文学作品を利用して何らかの概念を説明するなんて、評論家みたいですが。


中山元「フーコー入門」では
・司牧者 pastorat という言葉は、羊飼いと司祭という二つの意味を含んでいる言葉である。ヘブライ民族やエジプト王国では、民は羊であり、王や民族の指導者は羊飼いであるという比喩がよく使われた。羊飼いは、羊の面倒をみることを務めとし、羊が安全に守られるように配慮する。羊飼いは羊のために存在するのである。

・司牧者は、もはや羊たちの幸福を本来の目的としていない。来世における魂の救済という餌によって、羊たちをみずからの支配下におくことを目的としているのである。この倒錯した支配の構造については、すでにニーチェが『道徳の系譜』で、「禁欲主義的な司祭」 の支配のからくりを暴いていた。

・すべての国民を絶え間なく監視しようとする生-権力は、信徒の心の中まで覗きこむ司牧者の権力と、瓜二つにみえるのである。

・フーコーは、この司牧者権力は、生かす権力でありながら、殺す権力よりもさらに残虐で暴力的になりうる権力だと考えた。これがバイオ・ポリティックスの分析以来のフーコーのプロジェクトにおける一つの結論である。

・フーコーは、理性を重視し、理性の合理性を重視する社会が、野蛮に陥り、もっとも非理性的な行動に走ったのは、近代的な国家という装置を発明したこの西洋の社会だけが、一握りの司牧者が多数の人々を羊の群れとして保護する奇妙な権力のテクノロジーを引き継いでいることにあると考えている。

コメント(9)

さっき、川上未映子の「ヘヴン」を読み終わりました。
Blogに書いた感想を載せてみます。


いじめがテーマの小説。
スケープゴートは恣意的に選ばれる、仕返しをまねくような親密な共同体の絆が、犠牲者に欠けていることが必要なだけである、というようなルネ・ジラール関係の本の言葉を思い出した。あと、いじめにはそれが行なわれている事実を知りその状況を変えようとする良識を持った第三者の介入が必要なように思った。
物事の善悪とそれをするかしないかの判断は関係なく、ただ欲求があるだけでその欲求の実現のために他人をどれだけ巻き込み自分の都合のよいように事を運ぶができるかだけだ、というのは、魅力がないために他人を引き寄せる力を持たず攻撃されても反撃しない人はやられるがままになる、という現実を感じさせられた。
コジマは最後どうなるのか、読者の想像にゆだねているところがある。
百瀬という登場人物の姿はイケメンを想像してしまう。乙一の「GOTH」の主人公のような。
どこに行こうと人間というのは似た者で、運命的にスケープゴートとして扱われ傷つけられ追放される、という体験を繰り返す人がいるのではないかと思います。
そういう人は、追放する側に対して仕返しをするような親密な人間関係の絆を共同体内で築いてない、という特徴があり、スケープゴート役は誰でもいいわけではないように思います。
ある程度共通する基準で仲間を作りやすい人と仲間を作りにくい人がいて、仲間を作るには、他者がその人に自我理想となるような魅力を感じ取れるか、という条件が必要なのではないか、と思います。
誰に対しても無条件で愛したり、尊重したりするというのは、ヒトとしての性質上不可能ではないかと思います。
和田秀樹「人間関係は「感情」で動く」から引用改造
仲間意識はわたしたちの人生を楽しくさせるために大切なものであり、仲間意識がわたしたちのこころを弾ませたり、意欲をかき立てたりしてくれます。
それと同時に、仲間意識には怖い側面もあります。仲間と認識していない相手がどんなにひどい状況に置かれていても、関心がはらわれず、ウチワの人間には働かせる倫理的判断も停止させることもあるのです。
魅力が感じられないと判断されてしまえば、論理も発言内容も心に入らなくなります。魅力が感じられないと判断された相手がどんなにムチャクチャな待遇を受けていても、閲覧者は「それがどーした、どうでもいい」と受けとめてしまいます。
その結果、「魅力が感じられない人はバカで、死のうがどうでもいい」と感じてしまうのです。
こういった話で関連する思想用語は、ルネ・ジラールのスケープゴートとジョルジョ・アガンベンのホモ・サケルだと思います。

魅力による判断は、入力する情報すら偏らせてしまいます。
警察右翼の悪意ある目で見られている「韓国人」は、悪い情報を中心に集めてAA(警察アート)で表現されてしまいます。
魅力が感じられないアカの他人に対して、「愛も言葉も関心も向けなくていい、表に言葉で出さなくていい」という空気に支配されて行動するのはやめようといいたい。

わたしたちは、自我理想の位置にある権威と魅力を感じる人のことばなら素直に聞き入れ言うことをききます。
「この人いいな」と思っている相手には、穏やかな感情をもつからです。
それによって、相手の論理や説得を受け入れることができます。
逆に、「こいつ、イヤだな」と思っている相手のことばは、どんなに論理的に正しくても同意しないし「うるせーバカ」と思います。つい、見下したり無視したりすることが多いのです。
人との関係は、一度感じた相手の「程度」で決まってしまう事もあります。その印象は感情的なものでしかなくても、それが認知の仕方にまで影響を与えてしまいます。
その人の程度の印象を逆転するのはなかなかむずかしいことです。
小此木啓吾「人間の読み方つかみ方」から引用改造
国内の秘密を誰に話し誰に話さないかによって、ウチワとヨソモノの区別が分かれる。どのような環境でも、警察右翼にとって、ある秘密を国民の誰に話し、誰に話さないかというパターンができあがっている。
そして何人かで秘密を共有し、そのグループ以外には漏らさないことによって、そのグループは同志的な結合関係をもつ。これがウチワである。それ以外の人間はヨソモノであり、警戒の対象になる。
昼間は学校や職場で何事もないような顔でつきあっているが、重要事項の多くは、根回しや決定が事前にこのネットワークによってウチワの中で決められている場合が多い。こうした場合、権力者側のウチワの中に属する者と、ヨソモノとしてこの情報網からはずされる者とに分かれてしまう。
警察の力を使った情報の収集は重視され、その入手した秘密の情報はウチワで共有する事も重視されている。
ウチとソトの論理が引き起こす集団心理の一つが、スケープ・ゴート(いけにえの羊)である。集団が団結力を強めようとすればするほど、お互いに良い面で結束しようとする。お互いが同じ集団のメンバーであることによって、お互いをウチワとみなし、ヨソモノよりも良く思おうという心理作用が働く。
しかし、どんなに良く思おうとしても、お互いの中には必ず何かしらのネガティブな面が起こってくる。それをある程度否認することによって、団結力を強める。この場合、そのネガティブな部分はどこかで処理されなければならない。そのためにスケープ・ゴートを集団内につくる。つまり、同じ集団の中にウチワとヨソモノをつくる。
一般に集団というものは、集団の外に敵を見つけて、その敵に対して憎しみを強めれば強めるほど集団の内部は団結していく。ところが、その集団内部の感情の吐け口として、今度は内部にスケープ・ゴートをつくるということになる。たえずその両方の作用が同時に働いている。

小寺聡「もういちど読む山川倫理」から
争いを生みエスカレートさせる要因の一つには、異質な者を排除しようとする、人間の心理がある。
人間が集団を形成すると、そこに「ウチ」と「ソト」の差別の意識が生まれる。共通の文化や伝統をもつ仲間のウチの集団は、自分たちとは異なる文化や伝統をもつ他者を異質なソトの集団として排除しようとする傾向をもつ。ソトの集団を異質なものとして排除することによって、ウチの集団の同一性を主張し、結束を高めようとする。哲学者のベルクソンは、そのような排他的な集団を閉じた社会と名づけている。
他者の集団への差別には、自分たちの集団を正当化しようとする心のメカニズムが潜んでいる。ウチの集団の優位性を主張するために、ソトの集団が劣っていると決めつけ、差別や蔑視を行う。
そこでは、自分たちがもつ悪や弱点などのマイナスのイメージを他者に投影し、他者を攻撃することによって自分たちの正しさを主張するスケープゴートの心理が働いている。スケープゴートは、他人の罪を身代わりとなって背負う者のことで、『旧約聖書』に由来する。このような閉ざされた心が、戦争や民族紛争をエスカレートさせる要因となっている。
孤独だし読書しようぜ十三冊目
(私)821 :名前は誰も知らない:2011/07/20(水) 23:37:01.95 ID:xzhWVHhM0
百頭の羊のうちの一頭が群れを離れて、どこかにいなくなってしまったら、
多くの羊飼いは九十九頭の為に一頭を捨てる。
迷っている一頭は誰からも声をかけられず、本の世界に助言を求める。

822 :名前は誰も知らない:2011/07/21(木) 00:00:47.24 ID:igFBhCkm0
なんぢらの中たれか百匹の羊を有たんに、若その一匹を失はば、
九十九匹を野におき、往きて失せたる者を見出すまでは尋ねざらんや。
ルカ15:4

823 :名前は誰も知らない:2011/07/21(木) 02:35:10.99 ID:UBA25LMm0
羊は羊飼いへの服従している事に耐え切れず、群れから飛び出し、
本当の自由を手に入れ、日増しに野生化し、なんとその羊は皮を被っていた事に気づき
羊の皮を脱ぎ捨て、狼になりましたとさ。 おわり。

825 :流薔園園長 ◆DxgwL./BZw :2011/07/21(木) 20:18:34.61 ID:oxVDajtlP
「政治」とは「99匹の羊の為に一匹を捨てる」思考であって
それに対して「芸術」や「文学」は「その一匹の行く末」についての思考なのだ

(私)832 :名前は誰も知らない:2011/07/21(木) 22:07:24.42 ID:g+yPNb2m0
羊飼いの言うことをきかない一頭の羊は、
九十九頭の羊と羊飼いによって見下され群れから追放され、
傷ついた羊は書庫にひきこもり、大量の本のテクストの断片の組み合わせで、
自分のモノガタリを書き記す。

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/alone/1304217710/l50

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