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境界と侵犯コミュのsmall/big

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ふと思い立ってネットでつぶやいたことですが・・・



自分の体験を妄想として処理する思考回路は持っておくべきだろう。

多くの人は他人の大小を気にして、それによって態度を変えるようだ。身体的な大小ではなくて、心理的な存在としての大小。

妄想として処理するという態度も、「キミは小さいからそんなビッグな存在みたいな事が起こるわけないでしょ」という判断があるのだろう。

ビッグかスモールかという判断による差別的待遇は、多くの人に支配的思考形式として染み付いている。私の思考は「悪しき平等主義」とでも呼ばれるのだろうか。

コメント(15)

ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」から
・かれらには、その誇りとするところのものがある。これらに誇りを与えているもの、それをかれらは何と呼んでいるのか?教養と呼んでいる。

・自己を維持する必要上、人間が事物のなかに、はじめて価値をさしいれたのだ。――人間が事物に意味を、人間的な意味をはじめて与えたのだ!だから、かれは「人間」と呼ばれるのである。すなわち「評価する者」と。評価することが、創造することなのである。よく聞きなさい、あなたがた創造する者よ!評価そのものこそ、この世で高く評価され珍重される宝にもまさる宝である。評価によってはじめて価値が生じる。評価がなければ、存在の胡桃はうつろであろう。

・かれらが自己を高め向上させるのは、ただ他人を低めようとするためなのだ。

・美のなかにも、闘争と不平等があること、力と優越を求めてやまぬ戦いがあること、このことを、かれはきわめて明瞭な比喩で、ここでわれわれにおしえてくれている。

・わたしが生あるものを見いだしたかぎり、そこにはかならず力への意志があった。そして服従して仕えるもののなかにさえ、支配者となろうとする意志があった。
弱者が強者に仕えるのは、より弱い者に対して支配者になろうとする弱者の意志が、かれを説き伏せるのだ。このよろこびだけは、かれは捨てようと思わない。
そして、小さなものが、自分よりももっと小さなものに対して支配のよろこびと力を味わうために、自分より大きなものに身をささげるのと同じように、最も大いなる者も、さらに身をささげるのであり、それは力のよろこびを味わうために――生を賭けるということになる。

・わたしはわたしの思想によって、いぜんかれらの頭の上を歩いている。たとえわたしが、あえてみずからの過誤におちいろうとも、やはりわたしはかれらより上にいて、その頭上を歩いているだろう。
なぜなら、人間は平等でないからだ――正義はそう言う。そして、かれら学者にはわたしの欲するところを、欲することが許されない。
ツァラトゥストラはこう言った。

・いまの醜い人間も、自己を愛していた。自己を軽蔑しながら愛していた。――かれは大いに愛する者であって、大いに軽蔑する者なのだ。
わたしはあれほどに自己を軽蔑する者に会ったことがなかった。あれもまた高みだ。

・あなたがた、「ましな人間」たちよ。わたしによって学ぶがいい。広場では、だれひとり「ましな人間」などを信じる者はいないということを。あなたがたが広場で語りたいなら、いくらでもやるがいい!だが賤民は目をぱちくりさせて言うだろう。「われわれはみな平等のはずだ」と。
「あなたがた、『ましな人間』たちよ。――賤民は目をぱちくりさせてこう言うだろう、『「ましな人間」などは存在しない。われわれはみな平等だ。人間は人間である。神のまえでは――われわれはみな平等だ!』」
神のまえでは!――ところが、その神が死んだ。賤民のまえでは、われわれは平等であることを欲しない。あなたがた、「ましな人間」たちよ、広場を去ることだ!
2030-08-15 自己愛本柱
ひきこもり・ニートにありがちな特徴(独断と偏見)
1、積読本(難解系)が多い
2、どんな本や人(難解系)を知っているかという事を示したがるが、自分のそれらに対する具体的な感想はほとんどない
3、学問のどんな分野にも手を広げる(本を積む)がどの分野の知識も初心者どまり
4、mixi で加入しているコミュニティは難解系の人物がずらりと並ぶ
5、はてなアンテナではネット論壇系の人達がずらりと並ぶ。自分の知り合いは含まれておらず、片思いの相手ばかりが並ぶ
6、根拠の無いナルシシズムを生き延ばせようとしている、でも実力を付ける為に努力しない
7、論壇系知識人の追っかけをやっている。(講演会やイベントには参加せず、論壇系の人の新しい出版物が出たらそれに飛びつく、でも感想なし)
8、大学には行ってないが、そこらの大学生より頭がいいと思っている
9、言葉遣いが不自然、感情の豊かさを感じない
10、疎外された経験があり、それで結構傷ついている
11、親に見捨てられたと思った経験がある。子供の頃に親から充分な承認を与えられていないと思っている
12、心の病を患っている人に比べると、心の深い傷らしきものが見当たらない
http://d.hatena.ne.jp/Toku/20300815#p5


コグレマサト、いしたにまさき「ツイッター 140文字が世界を変える」から
ツイッターのフォローとフォロワーズ数は、よっぽど律儀に相互フォローをし続けない限り、どこかで必ず不均衡な数字になります。
フォロー<フォロワーズ
フォロー>フォロワーズ
という二つの状態です。
これはそのまま、情報強者と情報弱者という二極化の状態を示すことになってしまっています(個人的にはこの状態は必ずしもいいことだとは考えていません)。
水野敬也「夢をかなえるゾウ」から
「ええか?ほんなら聞くけど、人はどんな人のところに集まると思う?」
「どんな人って……そりゃ好きな人のところでしょう」
「じゃあどういう人を好きになんねん」
「そりゃ、人それぞれでしょう。好みがありますから」
「ちゃうな。今からめっちゃ重要なこと言うから覚えとくんやで。ええか?人は、自分の自尊心を満たしてくれる人のところに集まるんや」

「周囲から嫌われて足引っ張りまくっとるやつが成功するわけないやん。たまたま何かの拍子でうまいこといっても最終的には足引っ張られて蹴落とされるやん。人間のそういうネガティブな感情はほんま怖いんやで」

「成功したいんやったら絶対誰かの助けもらわんと無理やねん。そのこと分かってたら、人のええところ見つけてホメるなんちゅうのは、もう、なんや、大事とかそういうレベル通りこして、呼吸や。呼吸レベルでやれや!二酸化炭素吐くのと同じくらいナチュラルにホメ言葉言えや!ええか?今日の課題は『人のいいところを見つけてホメる』や!分かったか!」
竹田青嗣「自分を知るための哲学入門」から
・ひとは、自分で自分に意味を与えることはできず、ただ他人の視線によって自分の何であるかを決定される。
ひとは誰でも「内面」のうちに他人の知らない「ほんとうの自分」をひそかに抱いているが、生活のリアリティは、いつもこの自分の中のもうひとりの自分を無化するのだ。そこでは自分とは、単に他人が見たところの何ものかでしかなくなる。

・個人の中の内的な信念、「正しさ」は、それ自体として生き延ばされても何の意味も持たない。それは、具体的な人間の関係の中でつねにその妥当を試されるときにだけ、またそういう努力の中でだけ、はじめて人間的な信念として意味を持つ。そのように現象学は教えるのである。

・自分自身が聴く自分の歌は、他人が客観的に聴いているその歌よりいつもうまく聴えているものだ。これが人間のロマン的幻想のありようである。


竹田青嗣「哲学ってなんだ」から
・ヘーゲルによれば、人間の「自己意識の自由」(私への欲望)には一つの逆説がある。それは、「私への欲望」は自己価値への欲望だが、しかしそれは「他者の承認」ということを通してしか実現しない、ということだ。

・人間は「自己価値」を、「他者の承認」によってしか、つまり社会的な「承認のゲーム」を通してしかつかむことができない。

・人間関係は基本的に「承認のゲーム」である。他者たちから一定の承認を得ることで、はじめて人は自己価値を確認できるし、また一定の社会的地位を実現することができる。どんな人もこのことを暗黙のうちに知っているので、自己のルールと他者のルールを調整しながら生きている。

・簡単に言って、人から愛される資質と能力や才能をもっている人は「承認ゲーム」でまずうまくやっていける。これは不公平な現実だが、いまのところこれに文句を言ってもはじまらない。他者との関係でなざかうまくいかない人は自己自身と折り合っていないことが多く、自己了解を試みてみる理由があるわけだ。

・他人の声の中でつねに自己のあり方を配慮しつつ進むということが人間の「承認ゲーム」の内実であり、したがってそこに「関係のエロス」の源泉があるということだ。

・友だち関係は「承認ゲーム」という性格を強く持つ。親子関係は親のほうからの一体性の幻想があるので、いわばできない子ほど可愛いといったことも起こる。しかし友だち関係はある意味でフェアな承認関係であるから、さまざまな能力がつねに評価の対象になる。なんでもできる子どもはみんなから一目置かれるが、そうでない子はバカにされたり差別されたりする。

・友だち関係はつねに「自己価値」を確認しあい、またそのことに挫折する領域でもある。つまり友だち関係は、楽しさを交換しあうエロス関係であるとともに互いの価値を認めあう承認ゲームである、という本質をもっている。
自分をbigな者と見なすのは
誇り、プライド、自尊心、ナルシシズム
それらの根拠となり、他者から承認を引き出すのが
教養、能力、収入、身体的美しさ、性格の良さ
なのかな
twitterで本人がフォローしている人より他者からフォローされている人が圧倒的に多い人がbigな人なのかな。
そういう人には芸能人が多いようだけど。
注目されているって事が心理的な存在としての大きさを表しているのかな。


岸田秀「ものぐさ精神分析」から
昔の神話の神々が果たしていた役割を今は芸能人が果たしているように思われる。芸能界は、ほかでは許されないことが許される一種の別世界であり、そこでくりひろげられる結婚と離婚、栄光と落胆の物語、つまり男と女がくっついたり離れたり、金や名声を得たり失ったりする物語は毎週大々的に、貪り読まれる。演劇、文学などの社会的機能も同じところにあると考えられる。また、かつての遊郭や赤線区域も、ほかで許されないことが許される別世界として設けられていた点では同じである。

職業的ストリッパーの明らかに仕組まれたヌードの誇示よりも、ふとした機会にちらと見えた、上流家庭の美しい若い娘、すなわちわれわれの世界の上位の一員のヌードの方がはるかにエロティックであるのと同じ理由から、われわれは、別世界の人ではなくわれわれの世界の一員で、かつ自分より上の社会的地位と名誉をもつ者が隠しもっている穢れたものを暴き出すことに異常な興奮を覚える(自分より下の階層の者は多かれ少なかれ穢れたものの範疇に入っており、彼が隠している穢れたものを暴いても対比効果が小さい)。
権威を感じるのがbigな存在で自発的に従い、他者に自分の大きさとして認識しているのより小さく見られるか、他者が本来のその人の大きさと感じるよりbigであるかのように振る舞うと、権力をふりかざしたり暴力をふるって、「おまえは小さい、程度が低い、私より下だ」と主張するのかな。
bigな存在の特徴は、力・魅力・実績を持っている事。
力が無いのにbigと見なされる人はいないという事。

bigでないのにbigであるかのように自己主張すると、
「生意気」「しゃしゃり出てくんじゃねぇよ」「バーカ、ひっこめ」
とか言われるのかな。
多くの人が目を通す公の場で言語化され表現され記録されるというのは、bigな人にのみ許された特権的な事なのかな。


フーコー「監獄の誕生 監視と処罰」から
長らくの間、なんらかの個人性は―下層社会のそれは―、記述の対象の水準以下にとどまってきた。注目され、観察され、詳しく物語られ、絶え間のない書記行為によって毎日跡づけられるということは、一つの特権的事態であった。ある人間の年代記、その生涯の物語、その生存の流れにそって書かれる歴史記述は、その強権をほめたたえる儀式の一部になっていた。
過大評価、過小評価、背伸び、等身大、誇大妄想
どれもsmall/bigに関する言葉ですね。

相撲では幕下力士の対決には見ている人も反応も少ないけど、
横綱の試合になると見ている人も反応も多くなる、
というのもbigかsmallかの判断によるのかな。
「愚者/凡人/賢者 下位/対等/上位」トピックでも書いたものですが、


宮台はいくつかの著作で「いい大学、いい就職、いい結婚、いい人生」みたいな事を子供に教えるバカ親が〜、とか言ってるけど、そうした価値観はこれまでもこれからも続くし、そこからズレた価値体系を持ち出しても「敗者を酔わせるウソの価値観」と見なされるだけのように思う。

魅力の高低による差別は人がヒトである限り続くと思う。

「自分の魅力を磨かないと見下され差別されたり疎外される」という現実を教えず「人間は平等だ」というウソを教える親の方が子供にとって有害に思える。そして世の中の中心的な価値観では「学歴と職業による差別的な階級があり、その階級で示される能力の高低により差別されたり優遇されたりする」

「知的能力による差別的な階級があり高位の者は優遇され、下位の者は不遇な状況に置かれ差別される」という価値観は生物として組み込まれているのではないかと思う。



32 :名前は誰も知らない:2011/10/07(金) 14:16:29.29 ID:8+Y1Fnqg0
小谷野敦「友達がいないということ」から
精神分析とかカウンセリングとかいうのは、科学的根拠に乏しく、つまりそれで治るという見込みは薄い。日本では精神分析医というのはあまりいないが、米国では一時期大流行していた。とはいえ、いずれも、友達とか、個人的なことを相談できる相手がいない場合の話し相手にしているのが実情ではないかと思う。といっても、もちろん、カネはとられる。セックスの相手がいない相手に、カネで相手をするのが娼婦なら、友達がいない相手に、カネで話し相手になるのが精神分析医やカウンセラーである。こんなことを書くと、侮辱だと言って怒る人がいるかもしれないが、それは娼婦に対する侮辱である。

40 :名前は誰も知らない:2011/10/09(日) 01:30:21.49 ID:2iJv0OSXO
>>32
娼婦を侮辱して何が悪いんだ?

41 :名前は誰も知らない:2011/10/09(日) 02:52:19.83 ID:uiV2a9pb0
>>40
職業に貴賤なし!人間は平等だ!

42 :名前は誰も知らない:2011/10/09(日) 05:07:51.49 ID:2iJv0OSXO
>>41
あるだろ
頭イカれてんのか?

43 :名前は誰も知らない:2011/10/09(日) 06:15:35.48 ID:uiV2a9pb0
>>42
もし人間が平等でなく職業に貴賤があるなら、あなたはだいたいどの辺に位置しているんですか?

44 :名前は誰も知らない:2011/10/09(日) 07:03:11.19 ID:2iJv0OSXO
>>43
デタラメな文章だな
そんなことより職業に貴賤が無いのは何故か弁明してみろよ

45 :名前は誰も知らない:2011/10/09(日) 07:38:52.54 ID:uiV2a9pb0
>>44
差別をしない人に、なぜ差別しないのか聞いても意味ないと思うけど
差をつけるから意味が生まれるわけで
あなたは職業に貴賤があると思っているなら、
自分が賤しい身分の職業に就いているのか、高貴な身分の職業に就いているのか、
何をもって人を上下に分類して、その分類体系の中では自分はどのへんなのか、
答えれるよね

49 :名前は誰も知らない:2011/10/10(月) 00:37:18.54 ID:IZF/Z0tx0
職業に貴賎はある。賎しい仕事なんぞいくらでもある。たとえば金融とか
たとえばギャンブルとか。

ついでに貴賎とは隣くらいだが、地位の差や世間体も確実にある
通常それが貴賎と言われてるかも知れん
スラヴォイ・ジジェク「「テロル」と戦争 <現実界>の砂漠へようこそ」から
巨大な悪い恐竜が、いかに大きな者がルールをことごとく破り、どんなにお行儀が悪く、どんなふうに寄る辺なき小さな者たちをぺちゃんこにしてしまうかについて歌う歌の一つに、次のようなものがある。
お前は大きい/だから何でもぺちゃんこ/お前の周りの小さなものは何でも
小さなものは見上げるさ/お前が見下げてるあいだはね……
お前が大きいと、万事快調……大人が作ったルールはみーんな/お前には無関係
杉田敦「境界線の政治学」から
・アガンベンは、境界線を引く行為を、主権的権力の作用と呼んだ。この主権概念は、従来の政治学や法学が前提としてきた主権概念よりも広いものである。何かを選ぶことによって他のものを排除する、そのこと自体を主権的としているのである。

・政治の目的を、「人が人に対して狼である」自然状態からの離脱に見出したホッブズこそは、近代の政治的な枠組みを最も鮮明に示した人物である。しかし、ある境界線の内部から自然状態を排除することは、境界線の外部との間に自然状態を生み出すことと引き換えであった。国内政治と国際政治は、こうして表裏一体のものとして成立する。

浅田彰「構造と力」から
・セミオティックなカオスの象徴秩序への侵入。これは象徴秩序のイデオロギーの最も嫌うところである。このイデオロギーが侵犯のテーマに関して示す忌避の身振りを手がかりに、このイデオロギーを解体していくこと。

岸田秀「ものぐさ精神分析」から
・精神病者は、その私的幻想のほとんどを共同化し得なかった者である。彼は、自分の住む社会の共同幻想をいったんは外面的に受け容れるかもしれないが、それは彼自身の私的幻想と何の内面的つながりのないものであり、彼はそこに彼自身の私的幻想の共同化を見ることができない。また彼は、彼と同じくその私的幻想を社会の共同幻想に共同化し得なかった人たちと組んで別の共同幻想をつくるということもできない(それができれば、彼は、成功するにせよ失敗するにせよ、革命家となるであろう)。彼の私的幻想は、彼一人の自閉的世界のなかで増殖し、一応適応している偽りの外面をついに突き破って躍り出てくる。はたから見れば、それが発狂である。発狂は、ある意味で、私的幻想の、失敗した共同化の試みであると言える。彼の私的幻想が妄想と呼ばれるのは、他の誰一人としてそこにひとかけらの共同性を見なかったからである。

新宮一成「ラカンの精神分析」から
・多少とも象徴化された観念の中には、人が自分を社会化するために選ぶ標識、つまり自我理想が含まれている。

・ラカンにおける他者は言語という他者であった。

斎藤環「ひきこもりはなぜ「治る」のか?―精神分析的アプローチ」から
・「鏡自己―対象」の段階では、誇大な自己に対して母親がそれをいけないとか、謙虚であれとか、そういうふうに押さえ込む必要はない、ということです。ただ、子どもの自己をありのままに映し返してあげるだけで、自己愛の誇大性がだんだん調整されていく。現実的にトーンダウンしていくわけです。これが、この理論のポイントです。

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