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境界と侵犯コミュのモテない/モテ 愛されない人/愛される人 孤立/連帯

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エーリッヒ・フロム「愛するということ」から
孤立しているということは、他のいっさいから切り離され、自分の人間としての能力を発揮できないということである。

人間のもっとも強い欲求とは、孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいという欲求である。この目的の達成に全面的に失敗したら、発狂するほかない。

愛は、人間のなかにある能動的な力である。人をほかの人びとから隔てている壁をぶち破る力であり、人と人とを結びつける力である。愛によって、人は孤独感・孤立感を克服するが、依然として自分自身のままであり、自分の全体性を失わない。

幼稚な愛は「愛されているから愛する」という原則にしたがう。成熟した愛は「愛するから愛される」という原則にしたがう。未成熟の愛は「あなたが必要だから、あなたを愛する」と言い、成熟した愛は「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」と言う。

自分自身の個性を尊重し、自分自身を愛し、理解することは、他人を尊重し、愛し、理解することとは切り離せないという考えである。自分自身を愛することと他人を愛することとは、不可分の関係にあるのだ。

他人にたいする態度と自分自身にたいする態度は、矛盾しているどころか、基本的に連結しているのである。これを愛の問題に重ねあわせてみると、他人への愛と自分自身への愛は二者択一のようなものではないということになる。それどころか、自分自身にたいする愛の態度は、他人を愛することのできる人すべてに見られる。

香山リカ「<じぶん>を愛するということ」から
「だれかを愛する」ということの最初は「私を愛する」だということです。しかも、その「私を愛する」は「ダメな私を愛する」ではなくて、「何でもできる世界一の私を愛する」というかたちで経験されなければならないのです。

斎藤環「ひきこもりはなぜ「治る」のか?―精神分析的アプローチ」(少し違う)
自信とは、自分に対する肯定的感情です。つまり愛の一種です。では、どうすれば自分を愛することができるでしょうか。がんばって立派な社会的地位を得ること?そうではありません。それは過程にすぎません。自分を愛せない人が、それでも自分を愛するためには、まず他人から愛されなければなりません。そして他人から愛されるためには、他人を愛さなければなりません。自分を愛することができない人は、しばしば他人を愛することもできない。ならば、どうすれば他人を愛することができるのでしょうか。難しいことですが、決して不可能ではありません。愛すべき他者との出会いを遠ざけないようにすることです。他者との親密な関係抜きでは、なかなか安定した自信は回復できません。

ヘッセ「荒野のおおかみ」参考にしかけたけどやめる

村上春樹「1Q84 Book2」から(少し違う)
「僕には一人の友達もいない。ただの一人もです。そしてなによりも、自分自身を愛することすらできない。なぜ自分自身を愛することができないのか?それは他者を愛することができないからです。人は誰かを愛することによって、そして誰かから愛されることによって、それらの行為を通して自分自身を愛する方法を知るのです。僕の言っていることはわかりますか?誰かを愛することのできないものに、自分を正しく愛することなんてできません」

ニーチェ「ツァラトゥストラはこう言った」から
あなたの自分自身に対するうまくいかない愛が、あなたの孤独を牢獄に化しているのだ。

中山元「思考の用語辞典―生きた哲学のために」から
お前を俺達のメンバーとして認めない。ここから出ていけ。排除する(exclude)とは、ある共同体からこんなふうに放逐することだ。たとえば仲間うちのサークルから排除する。

暴力はぼくたちにとってもごく身近なものである。知らず知らずのうちに他者に暴力をふるっているかもしれないからだ。たとえばぼくたちは学校で、親しい友人たちとグループを作る。そのときそのグループから排除された他の人々がいる。親しいグループを作るという友愛の行為の背後で、知らないうちに他者を排除し否定する暴力を行使しているかもしれないのだ。

赤坂憲雄「異人論序説」から
「われら」という意識を共同化している圏域=共同体、その外部に疎外された「かれら」こそが、ファルマコン=第三項であり、異人なのである。異人とは内部と外部のはざま、それゆえ境界に立つ。

檜垣立哉「生と権力の哲学」から
フーコーには、「排除」や「禁止」という働きを、議論の軸とする傾向が強い。「排除」されたものへの、シンパシーといえるようなロマンティシズムが、その中心をなしていることは疑いようもない。

サン=テグジュペリ「人間の土地」から
道路は不毛の土地や、石の多いやせ地や、砂漠を避けて通るものなのだ。道路というものは、人間の欲望のままに泉から泉へと行くものなのだ。

村上春樹「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」から
郵便配達夫が赤いスーパー・カブに乗ってやってきて、玄関のわきに並んだ郵便受けに手際よく郵便物をふりわけていった。眺めていると、どっさりと郵便物をつめこまれていくボックスもあれば、まるで郵便物のこないボックスもあった。私のボックスには彼は手も触れなかった。見向きもしない。

村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」から
「私、あなたの為に言ってるのよ。誰かあなたの為に何か言ってくれる人、他にいる?どう?そういうこと言ってくれる人、他にいる?」
「いない」と僕は正直に言う。一人もいない。

姜尚中「悩む力」から
愛とは、そのときどきの相互の問いかけに応えていこうとする意欲のことです。

クリシュナムルティ「自由とは何か」から
愛があるところ、そこには義務的掛かりあいはありません。

水野敬也「夢をかなえるゾウ」から
「『愛の反対は憎しみやない。無関心や』言うやろ」

金原ひとみ「アッシュベイビー」参考
愛されない存在はいらない存在だろうか。

村上龍「コインロッカー・ベイビーズ」参考
その声は、こう言っている。Eは不必要だ、EをAB達は必要としていない。

ドストエフスキー「地下室の手記」参考
AB達には何も関わらない事なのさ、Eが身を滅ぼそうが、滅ぼすまいが。

サリンジャー「ライ麦畑でつかまえて」参考
「そいつはE次第さ。Eが自分の生涯をどうしようと、おれたちの知ったこっちゃないからな」

コメント(20)

人間の実質が精神の言語的構造なら、文章の内容が美しく豊かな人は人間的にも優れていて、文章の内容が醜く乏しい人は人間的にも劣っていると判断されるのかなと感じています。
知的に劣り文章が醜く乏しい人は、知的に優れ文章が美しく豊かな人から、
男なら、イカ・キノコ・ゴキブリ・ハゲ・カッパ・カバオ君・創価・朝鮮人・チョン・在日・ラーメン屋・パチンコ屋・さおだけ屋
女なら、貝・在日
などと言われて蔑まれそうに思います。


文章から感じられる魅力の高低による人の差別的待遇について、文芸誌に載っていた作品を引用改造して表現してみました。

Eは文章ブスのバカ
http://www.geocities.jp/toku2501/amichan.html
集団から孤立しているが、美しく愛してくれる人がいる存在、というのはフィクションのみでしか存在せず、愛してくれる人というのも作品の外でだけなのかな、と思います。
そういうタイプで私の好きなキャラは、
綾波レイ(エヴァ)、長門有希(「涼宮ハルヒの憂鬱」)、森野夜(乙一「GOTH」)
などです。

フィクションの中のキャラへの愛を語るのは↓のトピの方が適してるかもしれませんが。

脳内彼女/リアル彼女
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=56439903&comm_id=1381399
高校倫理用語集から
・自己愛
自分や自分の世界を愛して、それにひたる自己満足や自己陶酔を意味する。ナルシシズム(narcissism)とも呼ばれ、水に映った自分の姿にあこがれて水死し、水仙に姿を変えたギリシア神話の美少年ナルシスに由来する。フロイトによれば、愛の欲求は最初は自分自身に向けられてナルシシズムとなるが、やがて外の対象に向けられて他者への愛が生まれる。人間は誰でも自己愛を持ち、社会と交流する健全な自己愛は生きる原動力にもなる。しかし、他の者を自己愛を満たす手段にしか見ず、世界と自己愛的にしか関われなくなる過度の自己愛は、自己に閉じこもり、他者とともに生きるうえで障害になる。青年がテレビゲームの仮想現実の世界に没頭して、周囲に無関心になるのも自己愛の一つである。精神分析学者の小此木啓吾は、幼児的な自己愛のカプセルから抜け出るために、自分の満足が同時に他者にも満足を与え、相互の欲求を満たす愛のコミュニケーションが必要であると説いた。

・死の本能(タナトス) tanatos
事物を解体し破壊しようとする死への欲求で、対象への攻撃欲としてあらわれる。フロイトは、破壊的なタナトスの欲求と、人間を結合し統一するエロスの欲求を、人間の二つの根源的な欲求とした。生あるものは無生物の状態から生まれたものであるから、死への本能は根源的な無生物の状態にもどろうとする欲求とも考えられる。エロス(性の欲求)とタナトス(死の本能)は心の中でからみあいながら働き、性愛においては男女が親密に一体化しようとするエロスの面と、相手を攻撃して支配しようとするタナトスの面があらわれる。生へと向かうエネルギーであるエロスは、死へと向かうタナトスの欲求を中和する働きをする。

・神の愛(アガペー)
アガペーは、ギリシア語で愛を意味するが、キリスト教においては神がすべての人間に平等に与える無差別の愛、無条件の愛をさす。イエスは、天にいます父なる神は悪人にも善人にも日をのぼらせ、正しき者にも不義の者にも雨を降らせて、すべての人を平等に愛する愛の神であると説いている。神の愛(アガペー)は、神にそむいた罪人である人間をも救う神の無償の愛、つまり見返りとしての対価を求めない、恵みとしての与える愛である。神の愛に生かされた人間は、その神の愛にこたえるために神を愛し、隣人を愛するべきである。キリスト教の教義においては、神の愛は人類の罪を贖うために身代わりとなって十字架上で犠牲になったイエスの贖罪の行為において、明らかに示されている。

・隣人愛
「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ」という、イエスの説いた愛。神の愛(アガペー)に生かされた人間は、その愛にこたえるために、神の愛にならっておのれの敵をも含めて、すべての人を平等に愛するべきである。隣人愛は、人生で出会った人の呼びかけに応じて、救いの手をさしのべ、その愛によってすべての人をみずからの隣人へと変えていくものである。キリスト教では、神の人への愛、人の神への愛、人びとの愛など、無差別で無償の愛はすべてアガペーと呼ばれる。

・慈悲
仏教における普遍的な命への愛のこと。慈(マイトリー)とは、いつくしみであり、他者に楽しみを与えること。悲(カルナー)とは、あわれみであり、他者の苦しみを取り除くこと。人間に限らず、動物や草木に到るまで、生きとし生けるものすべての幸福と平和を願う心。仏陀は我執やものにとらわれる心を捨て、進んですべての生命を愛することを力説した。
2ちゃんねるの孤独な男性板で書いたものです。

愛について語ろう
58 :名前は誰も知らない:2011/11/04(金) 01:47:39.44 ID:vrGN/5oh0
ありのままで生きていけたらいいよね

60 :名前は誰も知らない:2011/11/04(金) 11:26:56.14 ID:vrGN/5oh0
他者にとっての(言語としての)自分、これを他者はその人の実質という。
自分にとっての自分、これを他者はその人の自惚れという。

神の恩寵から見放された無力な受難の中にいる、寄る辺なき孤独な存在は、過去における他者の語らいの中に埋もれ、言葉を発さずまなざしのみを自己表現の手段としている。

61 :名前は誰も知らない:2011/11/04(金) 20:00:27.46 ID:vrGN/5oh0
警察右翼の在日に対する盗聴盗撮に関する反応は、魅力の差異、親密な対人関係の有無、監視対象者の在日の持つ知識、その他多くの要因によって異なる。政治難民として人権やプライバシーや通信の秘密を希望する在日に対して、言語表現から知性が感じられないとして「ここはお前の日記帳じゃないんだ、チラシの裏に書いてろ」と排除し、反日工作員として犯罪者扱いされ、警察右翼の加害者が拉致被害者として警察に保護されている事を問題視する声は、在日が確認できる環境では聞いた事がない。

63 :名前は誰も知らない:2011/11/22(火) 23:23:37.19 ID:9NeDTJ850
言語とは、その人間の表現であるとともに、人間そのものを形成してゆく。
ゆえに表現の価値をにないえぬ言語は、すなわち偽りの言語であり、それ自身、弱さである。
言語とイメージは、相互媒介的なものである。

集団心理は個人心理に支持され、個人心理は集団心理に支持される。
個人を取り巻く人間環境は、その人の心を映す鏡である。

心理と行為が一致して善い行ないを継続すれば、善い結果が返ってくる。

77 :名前は誰も知らない:2012/02/20(月) 23:11:11.06 ID:2fCxHEvI0
魅力が感じられない者は他人から愛されず冷遇され、
魅力が感じられる者は他人から愛され厚遇される。
魅力が感じられる者へ注がれる愛はエロスで、
魅力が感じられない者へも注がれる愛がアガペーなのかな。
魅力が感じられないという理由で冷遇されたり、苦しい状況に置かれているのに
放置されている者へキリスト教徒が愛を与えないように、AA(警察アート)サロン板では、「書き込みして〜なら神」というスレがいつもスレ一覧の上の方にあるのかな。神を冒涜する発言をする者など助けるには値しないという理由を与える為の、在日に対する誘導スレかな、と思っている。

http://uni.2ch.net/test/read.cgi/alone/1317301648/
32 :名前は誰も知らない:2011/10/07(金) 14:16:29.29 ID:8+Y1Fnqg0
小谷野敦「友達がいないということ」から
精神分析とかカウンセリングとかいうのは、科学的根拠に乏しく、つまりそれで治るという見込みは薄い。日本では精神分析医というのはあまりいないが、米国では一時期大流行していた。とはいえ、いずれも、友達とか、個人的なことを相談できる相手がいない場合の話し相手にしているのが実情ではないかと思う。といっても、もちろん、カネはとられる。セックスの相手がいない相手に、カネで相手をするのが娼婦なら、友達がいない相手に、カネで話し相手になるのが精神分析医やカウンセラーである。こんなことを書くと、侮辱だと言って怒る人がいるかもしれないが、それは娼婦に対する侮辱である。

40 :名前は誰も知らない:2011/10/09(日) 01:30:21.49 ID:2iJv0OSXO
>>32
娼婦を侮辱して何が悪いんだ?

41 :名前は誰も知らない:2011/10/09(日) 02:52:19.83 ID:uiV2a9pb0
>>40
職業に貴賤なし!人間は平等だ!

42 :名前は誰も知らない:2011/10/09(日) 05:07:51.49 ID:2iJv0OSXO
>>41
あるだろ
頭イカれてんのか?

43 :名前は誰も知らない:2011/10/09(日) 06:15:35.48 ID:uiV2a9pb0
>>42
もし人間が平等でなく職業に貴賤があるなら、あなたはだいたいどの辺に位置しているんですか?

44 :名前は誰も知らない:2011/10/09(日) 07:03:11.19 ID:2iJv0OSXO
>>43
デタラメな文章だな
そんなことより職業に貴賤が無いのは何故か弁明してみろよ

45 :名前は誰も知らない:2011/10/09(日) 07:38:52.54 ID:uiV2a9pb0
>>44
差別をしない人に、なぜ差別しないのか聞いても意味ないと思うけど
差をつけるから意味が生まれるわけで
あなたは職業に貴賤があると思っているなら、自分が賤しい身分の職業に就いているのか、高貴な身分の職業に就いているのか、何をもって人を上下に分類して、その分類体系の中では自分はどのへんなのか、答えれるよね

49 :名前は誰も知らない:2011/10/10(月) 00:37:18.54 ID:IZF/Z0tx0
職業に貴賎はある。賎しい仕事なんぞいくらでもある。たとえば金融とか
たとえばギャンブルとか。
ついでに貴賎とは隣くらいだが、地位の差や世間体も確実にある
通常それが貴賎と言われてるかも知れん
乙一「きみにしか聞こえない―CALLING YOU」から
昼休みになると、よく図書館を訪れた。教室には居場所がなかったし、学校内でわたしを受け入れてくれる場所はそこだけだった。

正直に言うと、久々にだれかと会話したことがわたしに充実感をもたらした。

だれも近寄る人間はいなかった。早く死ねばいいのに、と、だれもが口にした。

乙一「さみしさの周波数」から
自分は何のために生きているのかわからない。もしも明日、突然に自分が消えてしまっても、だれも気づかないかもしれない。

乙一「暗いところで待ち合わせ」から
日ごろから、自信のかけらもなかった。自分の姿は、どこかがおかしいのではないかと、いつも不安だった。どこかで笑い声が起こると、自分が話題にされたのではないかと、いつも怯えていた。

これまで自分は、人との接触を避けるように生きてきた。会社の同僚たちとも、クラスメイトたちとも心を通わせなかった。心のどこかでは、まわりで群れているものたちを軽蔑していた。そのくせ孤立して攻撃されると、深く傷つくのだ。

乙一「失踪HOLIDAY」から
目的の文字を印刷物の中から探すという作業はなかなか根気の必要なことだった。それは大海の中から金魚を探すようなもので、飽きっぽいわたしは文面を短くしてその労力を最小限にする方法を選んだ。

中田永一「百瀬、こっちを向いて。」から
しかしレベル2の僕は何かのマニュアルにそったような設定しかおもいつかないのだ。

「わたしたちって、くらいのかな」
北村さんが心配そうな顔をすると、西沢さんがはげました。
「そんなことないよ。だいじょうぶだよ。本の世界はすばらしいよ」

教室では休み時間になると、気のあう者同士があつまり、大小さまざまな集団が形成される。たとえばスポーツが得意そうな男子のグループ。ひときわ華やかで化粧品や外見に気をつかっている女子のグループ。いつもゲームの話ばかりしているような全員メガネをかけているグループ。
わたしは地味で目立たない女子グループの一員だった。
他所でつぶやいた事ですが・・・


カオス/象徴秩序、理想自我/自我理想、小文字の他者a/大文字の他者A、想像界/象徴界、異人/共同体

コピー/オリジナル、下位/上位

人間の心は二元的に作られているという事をなだいなだが書いていたけど根拠はなんだろう。私は二元的世界観で劣位の項が自分に当てはまるように思っているけど。二元論は前近代の思考だと浅田彰は「構造と力」で書いていて、「「歴史の終わり」を超えて」でのジジェクとの対話では訂正が入っていた。

こういう話を世間で人気のある人はネットでは書かない。人気のない者か人気のない者の間で人気のある人は書いている。人気のない者で言語的奇形の人が書いているのも目につく。

人気のない者が思想書を手にする事で人気のある者に対して優越感に浸る、教養の排他性と慢心がそこに現れる。

こういう話を友達が多くてモテる人はネットで書かない。関心が無い。友達が少ないかモテない人とそういう人たちの間でモテている人は書いている。友達が少ないかモテない文章ブスが書いているのも目につく。モテない人が思想書を手にする事でモテる人に対して優越感に浸る、というのはある。

友達多くてモテる人で思想書を読む人がいるとしたら、その人は人気のないモテない人の間で人気のある人なのだと思う。
愛について語ろう
94 名前:名前は誰も知らない :2012/06/23(土) 20:43:28.80 ID:tEUNN2cV0
相手に関心を持ち肯定的な言葉をかけて要求に応えようとする態度?
逆に言うと
相手に無関心で否定的で言葉をかけず要求を無視する態度が愛の欠如かな
孤独な男はもう慣れている他者の振る舞いかな?

95 名前:名前は誰も知らない :2012/06/23(土) 20:54:44.24 ID:tEUNN2cV0
どこに行こうとヒトは似たもので、ある程度ヒトに共通する基準で
愛されやすく友達が多い人と、愛されず友達が少ない人がいるように思う
明るい人は友達が多く、暗い人は友達が少ないのかな
明るい人は感情表現が豊かで、暗い人は感情表現を抑制気味
という特徴があるのかな
愛されない環境では感情表現が乏しくなるように思う

97 名前:名前は誰も知らない :2012/06/24(日) 15:54:22.76 ID:+tdKJ1wZ0
>>94
>相手に無関心で否定的で言葉をかけず要求を無視する態度が愛の欠如かな

他人とか嫌いな身内に対してはこういう態度を取ってしまうな、どうしても
愛が欠如するとコミュニケーションが途絶してしまうのかな、と思う

98 名前:名前は誰も知らない :2012/06/24(日) 21:43:10.29 ID:cT/sSA7U0
接触可能な範囲にいる魅力的な美人とは積極的に関わり沢山コミュニケーションをしたいし、
要求があれば可能な限り応えようとする。
同じ事がネットの情報の流れでも言えるのではないかと思う。
必ずしも外見上に優れている人ではなくても、文章から魅力が感じられる文章美人はモテて、
周りはちやほやしていい情報が流れ込んで行く。要するに愛される。
逆に文章から魅力が感じられない文章ブスは非モテで、相手をしてくれる人はいない状態で、
孤立した状態で放置される。要するに愛されない。
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/alone/1317301648/l50

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