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境界と侵犯コミュの無意識(エス)/自我/超自我

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内田樹「寝ながら学べる構造主義」
「二つの部屋の敷居のところには、番人が一人職務を司っていて、個々の心的興奮を検査し検閲して、気に入らないことをしでかすとサロンには入れないようにします」(「精神分析入門」)
フロイトはこの番人の機能を「抑圧」と名づけました。

フロイトによれば、精神分析治療は、患者が無意識的に抑圧している心的過程を意識化させることで、症候を消失させることをめざしています。(「番人」が追い返していた「抑圧された心的過程」を「意識の部屋」に連れ出せば、症候は消失する、というのがフロイトの治療観です)
「意識化」というのは、要するに「言説化」ということですから、分析治療とは、「これまで誰にも話したことのない<ほんとうの自分>について物語を語る」こととも言えます。


小此木啓吾「フロイト」
超自我の基本機能は、自我を監視する役目を果たすことで、正常者における道徳的な良心、罪悪感、自己観察、自我に理想を与えることなどの機能を営むが、さらにまた夢の検閲官、被害妄想における監視者などさまざまの形であらわれる。

フロイト「自我論集」
エスには、自我に対して愛や憎しみを表明するいかなる手段もない。エスは自らの望みを言うことができない。
エスは統一した意志をもっていないのである。エスの中ではエロスと死の欲動が闘っている。一方の欲動が他の欲動に対してどのような手段で防衛するかは、すでに明らかにした。エスは無口で強力な死の欲動の支配下にあり、死の欲動は休息を望みつつ、快感原則の指示に従って平和を乱すエロスを終息させようと望むと考えることができる。

岸田秀「ものぐさ精神分析」
いずれにせよ、人間集団は不安定である。集団は無限に拡大しつづけることはできないし、それを支える共同幻想は各人の私的幻想を完全に吸収することは決してできない。各人に分有された共同幻想は超自我および自我となり、共同化されずに残った私的幻想はエスを構成する。このエスが、共同幻想にもとづく集団の統一性を内部から危くする重大な要因となる。

浅田彰「構造と力」
カオスの中に放り込まれた人間は、過剰/欠如にたまりかねて、ひとつの叫びをあげる。この叫びは、いちはやくシニフィアンの貯蔵庫にすくい取られ、象徴秩序の側に回収される。そのとき、しかし、必ずやすくい取りきれなかった部分が残り、それが無意識として同時に生成するのである。sujet という殻の中の満たされぬ隙間に渦巻いているものこそ、この無意識なのである。論理の運びから明らかなように、無意識は有機体の深部から湧き上がって来るのではなく、常に言葉の場との関連において生成する。とは言え、それが象徴秩序に必然的に伴う外部としての性格をもつことに変わりはない。以下、象徴秩序と外部のカオスとの関係は、意識と無意識、あるいは、象徴的なサンスの場と欲動の流れの場の関係として、分析されることになる。

コメント(7)

フロイトは初期には精神を
無意識/前意識/意識
という概念に分類し、中期以降に
エス/自我/超自我
という概念に分類したようです。
エス、自我、超自我にはそれぞれ無意識的な成分があり、エスのみを無意識とイコールで結ぶのは間違いなのかなと思います。
他所でつぶやいたものです。

11/04 23:42:46
マンガなどにおいて、仲間ではない敵のザコは沢山死んでもなんとも思わないけど、主人公の味方や友が死ぬと重大な事として受け止められる。命に格差があるって事か。

11/05 15:14:14
主人公に近い味方の重要人物は人間味あふれる正義の存在として立派に描かれ、敵のザコは非人間的な悪の存在として雑に描かれているからとかかな。



08/04 05:40:53
RT なにを言っているんだ…? >「大学の新歓コンパではよくある話かもしれないが、亡くなったのが東大生となると話は別だ」 (日刊ゲンダイ) http://t.co/veazLByJ

08/04 05:41:40
岸田秀の「ものぐさ精神分析」で書かれていた「日常性とスキャンダル」を思い出した。

08/04 05:44:14
偏差値の低い学校(集団のエス)で不祥事が起こっても誰も気にかけないし報道もされないけど、偏差値の高い学校(集団の自我理想)で不祥事が起こると注目を集め報道される。
他所で書いたものです。

[3305] 精神分析と時間 Re:時間の存在
▽ 2012/7/24 (火) 07:20:14 ▽ とく

精神分析でも「エスには時間が存在しない」という考えがあるそうです。
下の村上龍の文章はその精神分析の考えをもとにしたものかもしれません。

村上龍「恋愛の格差」から
去年は時間の経つのが速く感じられた。歳をとるにしたがって時間の経過が速く感じられるようになるというが、昨年は特にそうだった。理由ははっきりしている。息子が大学に行って、家を出たからだ。家族が一人家からいなくなって、共同体が縮小し、基本的な関係性もそのサイズが縮小した。
それが良いことか悪いことかわからない。だが時間経過の感覚が他者に関係しているのは確かだと思う。一人で部屋に閉じこもって外部との接触を持たない人は、ひょっとしたら時間の経過がわからないのではないだろうか。

おいしい食事やワインを飲むときは一人よりも誰か親しい人間がいたほうが楽しい。いい音楽を聴いたり、面白い映画を見るときも同様だ。
家族が一人増える。あるいは家族そのものが生まれる。つまり結婚する。または同棲する。定期的に会い、同じ家か、同じ部屋か、同じベッドで一緒に過ごす時間が人生のベースになる。つまり、一緒に生きていく、というニュアンスだが、そういったもっとも親しい他者との関係の中で、わたしたちは時間の経過の感覚を持つ。
そういったもっとも親しい人間が、病気になったり、入学したり、転職したり、あるいはその人と一緒に旅行に行ったりする。あれは三年前の四月だった、あの年の春は桜の開花が遅かった、あの夏は暑かった、あの海はきれいだった、そうやってある時間の感覚、時間の経過の感覚がその人に刻まれる。

恋愛も、時間とその経過をわたしたちに刻む。恋愛の相手と出会った頃のこと、その季節、その頃ヒットしていた歌、その頃起こった大事件、世界的なニュースなどをよく憶えているものだ。一緒に行ったレストラン、映画、旅行なども強く記憶に刻まれる。
大切な人と共有した時間がわたしたちの主要な記憶を作る。だから、出会いや別れは人生の重要なファクターになる。

▼ タキ衛門さん
> まあまあ、面白かった。
> http://www.youtube.com/watch?v=2yMlqLn2BQ8

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