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+人生・子育て語ろうの会+コミュの『立派な父親になる』

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児童書の売り場を見ていたら、小さな学問の書シリーズの中に『立派な父親になる』林道義氏著(東京女子大学教授 深層心理学専攻) 童話屋2001年発行があったので、読んでみました。
『シリーズの中にお母さんに関するものは無いのに、お父さんなんだ?』と思いました。
 
 この本のおもしろいところは、大人に向かって書いている本ではなく、子どもに向かって書いているところです。漢字には全てひらがながふってあります。価値観の固まった大人になってからではその行動を変えることは難しいからでしょうか・・。柔軟性や向上心のある男性にはぜひ読んで頂きたい本ですね。76ページの薄い小さな本です。o(^-^)o

 そしてまた、男の子を産み、多くの時間を一緒にすごし育てるのは、多くの場合お母さんです。父親というもののあり方を再確認したり、男の子を将来立派な父親に育てるためにも、参考になる本だと思います。

 『世の中の男性がみんなこのような父親だったら、全ての家庭が幸せに満ちあふれているであろう』と思います。

 母親向けの育児書はたくさんありますが、『本来このように父親が立派であったなら、育児書なんて読む必要など無いかもしれない』と思えてきます。男の子を立派な一人前の人間に育てるためには、父親が立派な父親であってくれると、母親は子育てが楽であると言えそうです。

<父親が立派であることの必要性>
 
「 男の子たち、立派な父親になろう。なぜなら、子どもというものは、立派な父親を必要としているものだから。

 君たち自身の心の中をじっと素直に見つめてみれば、必ず立派な父親を求めていることに気づくはずだ。
 だから、君たちが自分のお父さんを立派だと思える人も、思えない人も、‘自分は立派な父親になろう’と努力すべきだ。

 なぜ子どもに立派な父親が必要なのか。それは人間には、少しでも良くなろう、高まろうという向上心がある。とくに子どもは向上心が強い。立派な人間になりたいという心がある。そのとき模範が必要になる。その最初の模範になるのが父親なのだ。

 人間は自分の中に、しっかりとした価値基準すなわち自我を持たなければならない。自我を発達させるためには、模範を必要とする。なぜなら、自我というものは、自然に(本能的に)与えられているものではなく、周りから模倣(もほう)することによって、それを少しは自分なりに変えたりしながら取り入れて、育っていくものだからである。・・・

 父親の自我が立派であれば、子どもはいろいろと目移りする必要もなく、父を模範にすることができる。そういう子どもの心は安定しており、安心して高い上品なものや美しいものを追及することができる。

 ・・・心理分析をしてみると、悪ぶっている人ほど、じつは心の奥のほうでは善なるものや美しいものを求めているものである。」

<よい子とエリートの定義>

「 本当の‘よい子’とは、主体的な判断力もあり、精神的な強さもあり、勉強でも運動でも努力する子、思いやりのある子どもを言う。

 ところが世間で言われる‘よい子’とは、親の言うがままに生きていて主体性がなく、過保護によってひ弱になっているというような子どもをイメージして言っているようだ。

 本当の‘よい子’ではないものを‘よい子’と呼んで、‘よい子’を問題視する風潮は、本物の‘よい子’をなくすように作用するので危険である。」


「 同じように世間ではエリート攻撃が盛んである。・・・しかし、正確に言うなら、悪いことをした者たちは、少しもエリートではないのである。・・・

エリートとは、なによりも道徳的に高潔でなければならない。その上で能力に優れている者をエリートと言うのである。・・・」

<家族の中の父親の役割>

「 家族の中における父親とはまさにエリートでなければならないし、リーダーでなければならない。何よりもまず自身が立派な人格を持つエリートになるように努力しなければならないし、子どもを正しく導くリーダーでなければならない。

 なぜなら、父親は、子どもが人間として最低限必要な価値観を持てるように、子どもをしつけなければならないという、大切な役目を担っているからである。父親は、子どもを‘健全な心身と、正しい判断力と、強い責任感を持ち、他人を大切にし、他人と協力できる’大人に育てあげる責任を負っているからである。

 父親は、家族の中では、いい意味での‘ガキ大将’でなければならない。つまり家族の価値観や‘我が家の憲法’を提示し、やるべき事を指示し、みなで協力して仕事をする時には配置を決め、ルールを決める。

 しかし、このような模範的なことばかりするわけではない。ちょっと危ない冒険に誘ってみたり、面白いアイディアを出してみなを楽しく遊ばせたり、強い個性をもってみなを引っ張っていく魅力を持っている。父親は自由で柔軟な発想によって、子どもたちに夢を与えることも必要だ。」

<立派な父親とは>

「 立派な父親とは、妻や子どもを愛する、大切にする、守る、可愛がる、恵みを与える人である。よく子どもの面倒をみる、子煩悩(こぼんのう)な父である。家族を大切にしない男は父とは言えない。

 子煩悩な父は、小さいときから子どもの世話をするし、子どもとよく遊ぶ。このことは、子どもとのあいだに心と心のつながりができるので、とても大切なことである。

 子どもが少し大きくなると、子どもに‘教える’父になる。自分の得意なことを、生活技術にしろ、趣味にしろ、また人との付き合い方にしろ、礼儀作法にしろ、なんでも教えたがる父親は、大変すばらしい父である。‘子ども思い’の証拠である。・・・
 
 子どもは親からなにかを教わることを、とても喜ぶ。年齢が小さいときほど、親と一緒になにかができるということが嬉しいのである。親の愛情を肌で感じることができるからである。だから父親はできるだけ子どもと接触する機会を持たなければいけない。

 ただし、親が教えることに熱心になりすぎてはいけない。一生懸命に教えようとすると、つい怒ったり、無理強いしたりするので、子どもはそのことが嫌いになってしまいやめてしまうので、逆効果である。
 子どもに教えるときには、上手にならなくても、好きになればいいというくらいの気持ちが大切である。・・」

「 自分の家族だけでなく、みんなのためを考えるのが父親の立場として大切である。

例えば、自動車の排気ガスで言えば、ディーゼルガソリンを使えば費用は安くすむが、みんなが被害を受けることになる。たとえ費用がかかっても、無公害車にするのが‘公共の視点’を重んずる態度である。自分だけの得を考える利己的な態度ではなく、全体(みんな)のためを考えることを子どもに教えるのは、父親の役目である。自分の子どもだけの幸せを望む者は父親の資格がない。父親は常に公平・公正なうそ偽りなきまっすぐな心を持ち、社会のみなが一緒に幸せになれる道に導いていくべきである。」

「 父親は民族の文化を子に伝え、民族に特有の美しい感性を伝えていかなければならない。・・・この美的感覚は、季節ごとの行事によく現れている。・・・父親はそっせんしてこれらの行事を行うことによって、民族に特有の宗教心や道徳的美的感覚を子どもの心に植え付けていかなければならない。」

「 父親は子どもに礼節(日常生活の行儀作法=挨拶の仕方、食事のマナー、目上の人への敬意の示し方、敬語の使い方など)を教えなければならない。」

「 しつけの中で最も基礎的で大切なのが、規則正しい生活習慣を身につけさせる事である。規則的な生活をしている子どもには秩序感覚が育ち、自分で自分の始末ができ、自立していくことができる。
 生活習慣の中で大切なのは、‘起きる時間、寝る時間’‘三度の食事の時間’‘乳幼児の場合はおやつと昼寝の時間’‘大きい子の場合は帰宅時間、門限’を決めておく事である。

 生活習慣が不規則になると、・・・不登校のもとになったりする。この秩序感覚ができていないと、学校に行っても1時間座って授業を受けることさえできない人格になる。・・・こういう子は、高校生くらいになると、遅刻はするわ、授業中におしゃべりはするわ、勝手に出て行ったり、ときには飲み食いする者もいるという状態に成りがちである。大学生になると、先生が黙っていれば‘なんでもあり’になってしまう。

 規則正しい生活は、子どもが小さいときだったら、ごく簡単に習慣づけることができる。秩序感覚が十分に育っていると、道徳や社会規範、行儀作法を教わると、ごく容易に習得できる。しかし秩序感覚がない子どもは、行動を制限されたり型にはめられることを過度に嫌うので、挨拶1つとってもなかなか身につかないのである。」

「 もう1つ基礎的で大切なしつけは、‘うそを言ってはいけない’というしつけである。・・・われわれ人間は他人を信用できるものとして暮らしているし、そうでなければ約束も取引もできなくなってしまうし、友達もできなくなってしまう。」

「 しつけを実際にするのは、一緒にいる時間が多い母親だという場合も少なくない。しかし父親がきちんと母親をバックアップしないと、母親のしつけもうまくいかない。父親がどういう態度を示すかによって、子どものしつけが成功するか失敗するかが決まってしまうと言っても決して言い過ぎではないのである。

 子どもがうそをついたり、悪い事をしたときには、父親が断固として叱る。こうしたけじめをつける仕事は、父親がやってこそ重みが出るのである。‘道徳・礼節を語らない男を、父とは呼ばない’と言うべきだ。」

「 父親の役目として大切なのは、子どもを大人にするという役割である。大人とは、物事を客観的に見て、状況を正しく判断でき、また自分の感情をコントロールして、利己的でなく、他人と協調して全体の利益と調和をはかることができる人のことである。

 人間は大人になるためには、一定の訓練を必要としている生物なのである。しかも、その大人になる訓練も、・・だいたい10歳くらいまでに済ませておかないと、ひどく難しくなる。20歳代前半くらいが限界で、そのあとではほとんど不可能になる。」

「 生まれてから発達する部分は、大脳の中にある前頭連合野である。ここは自我や社会的知性といった高度な精神生活をつかさどるところであり、ヒトを人間にする脳領域である。
 この部分を成熟させるためには、公正なルールのある集団の中におかれ、幼い頃からいろいろな人間関係の中でもまれて、社会性を身につけていくことによって実現される。恥という感覚も、放っておいたのでは発達しない。豊かな人間関係を体験する中で、‘自分がどう見られているかに気を配り’、また‘自分の行動が他人にどういう影響を与えているか’に気を配る精神活動が育つのである。

幼児性を克服させるためには、行儀作法を教えるなどのしつけが必要になる。挨拶や礼儀などの型を教える事は、人間関係の作り方の基本を教えることになる。また、他方では精神的な強さを持たせるための鍛錬(たんれん)も必要になる。家族を守り、まとめていくためには、強靭な精神が必要になる。それを養うためには一種の訓練が必要であり、ときには強制が必要になる。」

「 子どもを容易にしつけるためには、父親に健全な権威が必要である。
 そして、父親が健全な権威を持つためには、子どもに要求する姿勢を、なによりも親自身が自分で実行してみせることである。
 さらに大切なのは、父親が子どもから好かれていることと、尊敬されていることである。
 
 そういう父親であれば、子どもをしつける場合にも、実力行使をする必要は全くなく、‘こうすればいいよ’とか‘これはしてはいけないよ’と言えば、子どもは素直にきくことができるのである。

 父親の権威について、もう一つ大切なことは、無理に権威を維持しようとしないことである。
子どもが成長するにつれて、父親の権威は次第に落ちていくのが自然である。それは子どもが順調に成長している証拠であり、望ましいこととして受け容れなければならない。
 とくに大切なことは、間違いだと分かったら、素直に認めて訂正したり謝ったりすることである。そうすれば、子どもはかえって父を尊敬するし、少なくとも軽蔑することはない。
 また、もし子どもが自分以外の他人を尊敬しはじめたり、他の価値観をもって批判してきたら、それを子どもの成長の一過程として暖かく寛大に認めてやるだけの度量を持つべきである。そうすれば、子どもは父を決して軽蔑したり、低くみることはなく、少なくとも‘古い’けれども‘1つの価値’として尊敬するはずである。」

「 父親の権威がゆがむと子どもはどうなるか。内容がないのに、ただ地位が上だというだけで命令したり威張ったり、支配したりしてもよいと考える人が父親になると、子どもにたいして‘過度に厳格な父’になる。・・・こういう父を持つと、子どもは思春期になると必ずといっていいほどに過度に異常に反抗的になる。・・・すなわち、父親や父親に似た人物に大しては異常な反発を見せるが、それとは違う権威に対しては異常なほど無批判にこびたり従ったりしてしまう。・・・こういう人は、目の上の人には下心を持ってぺこぺこと取り入るくせに、いったん自分が権力者の位置につくと、ひどく威張ったり無用な命令を繰り返したりして、権力を誇示する傾向がある。」

「 父親自身がきちんとしたしつけを受け、教えるべき正しい規範や秩序感覚を身につけているのであれば、立派な父親になるための努力は必要はなく、生まれつきもっている子どもへの愛情が妨げられずに出るような環境を整えれば、自然にできるものである。・・・ただし、自分が正しいしつけを受けてこなかった人は、不利な条件のもとにいるが、その不利をはねかえして、悪循環を自分のところで断つという覚悟で努力してもらいたい。」

それから、「 子どもの心の発達にとって、感動したという体験は非常に大切である。なぜなら、感動したことのある子どもは、世の中にはすごいことがあるとか、すばらしいものがあるという感じを心にきざみつける。美しいもの、崇高なものを見たり体験した者は、少しでもそれに近づきたいと思い、自分もそうなりたいと願うものである。高い目標を持った者は、必ず心を磨くようになる。

 父親を考える番組で、子どもたちが父親に‘お父さんは毎年海や山に連れて行くが、ちっとも面白くない。ディズ二ーランドに行く方がよっぽどいい’という苦情を言った。その時、父親たちにこういう意味のアドバイスをした。

 自然のすばらしさを味あわせようという気持ちは正しいし大切だ。しかし、ただ自然の中に連れて行きさえすれば、子どもたちが自動的に自然を味わうかというと、そんなことはない。子どもたちは自分の力で自然を味わう能力が開発されていない。・・・だから父親の方が工夫して、子どもたちを自然に親しませ、そのすばらしさに気づかせるように努力しなければならない。

 自然の中に連れて行って、子どもが不満をもつということはありえないのだ。それでも不満を持つということは、父親の怠慢以外のなにものでもない。あるいは、子どもの感受性がそこまで失われているということだから、親はそのことをよく反省し、生活を根本から考え直さなければならないのだ。」


本当に『なるほど』と思います。健全な権威のあたりは、『学校の先生にも当てはまるかも』と思います。

最後のページに、童話屋の社長さんの言葉があります。

若い読者に
 ぼくたちが住んでいる地球は、広大な宇宙の太陽系第三惑星と呼ばれる青い星―美しい楽園だ。楽園には摂理がある。春が来て冬が来る、朝があって夜がある。鳥はうたい、木は繁り、果実は実る。人は生まれ、生き、死ぬ。億という歳月をかけて地球は楽園になった。先祖たちは、土地を耕し木を植え水を養って、ぼくたちの世代に楽園を引き継いでくれた。
 その楽園に異変が起きている。人間の欲望は止まるところを知らず、森を切り、大気を汚し、愚かな戦争を繰り返し、生態系の循環を乱してしまった。このままでは千年を経ずにして地球は崩壊してしまうだろう。
 子どもたち、21世紀に生きるぼくたちに課せられた仕事は、この楽園の摂理を学び、心にひそむ欲望のありかを知り、抑制し、知恵を出し合って、この青い星、地球をなんとかしてでも子孫に引き継ぐこと、と心に決めよう。―学ぶとは、胸に誠実を刻むこと。そして、ともに未来を仰ぐことだ。

便利で自己中心的な生活も見直せる部分は見直し、せめて地球崩壊を加速させない生活ができる大人に子どもたちを育てていければと思います。

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