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フリードリヒ・ヘーゲルコミュの『精神現象学』「不幸な意識について」

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私のような者がトピを作成するのもいかがなものかと思いましたがみなさんにいろいろ教授いただきたく立てる次第であります。

『精神現象学』の「不幸な意識」を私(私たち・自己意識)は乗り越えることはできるのでしょうか。それが昔から解決できないでいます。
現象学の立場からいえば現象にすぎないと言われればそれまでです(イポリット)。

しかし、なんだか腑に落ちない自分がいます。
どう解決したらいいのでしょうか。
次は何を参考に読めばいいのでしょう。

本来なら自分で考え資料をさがすべきですが・・・

コメント(18)

普通はキリスト教と捉えられますが、ヘーゲルの不幸な意識の節は新プラトン主義の哲学に対応しているという学説(細川亮一『ヘーゲル現象学の理念』の説<↓>)があり、それを真に受けるならプロティノスなどを読むことを勧めますが、これはヘーゲル研究者を目指している方向けの話です。

<『精神現象学』内の章:対応する哲学者、
意識
感覚:パルメニデスからヘラクレイトス
知覚:レウキッポス
悟性:プラトン「ソピステス」

自己意識
生命:アリストテレス「霊魂論」
主と僕:アリストテレス「政治学」
不幸な意識:新プラトン主義(ストア主義、懐疑主義は文字通り対応)>

僕個人は不幸な意識を乗り越える必要はない、という意見です。分節化するならば、不幸を乗り越える必要はあっても、意識を乗り越える必要はないということです。前者を強調するならばマルクスなどの社会哲学を読むべきでしょうし、後者ならドストエフスキーを勧めます。
とはいえ『地下室の手記』でドストエフスキーは「意識は病気である」と言っていて、そう捉えるとさらに話は難しくなりますが。どちらにせよ国家、人倫によって乗り越えるというヘーゲルのベクトルとは逆です。
もしも不幸な意識の節の直前にあるストア主義の記述に共感できるようでしたらマルクス・アウレリウス『自省録』、懐疑派に興味があるようでしたらその後継者としてのヒュームがおすすめです。
また原理的に考えたいということでしたら、(ヘーゲル自身が乗り越えたつもりになっている)スピノザ『エチカ』もおすすめです。感性を克服する理性に興味があるようでしたら、カント(及びその解説者としての柄谷行人)をお勧めします。
以上、偉そうなことを書きましたが、本当は僕が教えていただきたいくらいで、、、
関本洋司さん

コメントいただきましてありがとうございます。しばらく勉強してませんでしたが、これを機会に、まずは『ヘーゲル現象学の理念』を読んで勉強をはじめたいとおもいます。

いろいろと教えていただきありがとうございます。

少し前に進めそうですm(_ _)m

>バッシーさん

『ヘーゲル現象学の理念』は癖のある専門書なので、(値段的な面でも)正直微妙なのですが、やる気を出していただくとこちらも嬉しいです。
少し古いですが金子武蔵の『ヘーゲルの精神現象学』(ちくま学芸文庫)が定番の解説書としてはいいのではないかと思います。
こちらはカントとの比較を行っている部分が興味深いです。

追記:
佐野正晴さんというかたが『精神現象学』マッピングというものを作成しておられます。
http://homepage3.nifty.com/luna-sy/re09.html
これを見ると、不幸な意識が啓示宗教のところでもう一度扱われていることなどの見当がついて便利です。
関本洋司さん

たびかさなるご指南をいただきありがとうございますm(_ _)m

佐野正晴さんの『精神現象学』マッピングなるもの、さっそく探してみたいと思います。
その他いろいろと教えていただいた本も読んでいきたいと思います。

ありがとうございます。

バッシーさん

>佐野正晴さんの『精神現象学』マッピングなるもの、さっそく探してみたいと思います。

3に貼り付けた画像がそれです。たいしたものではなくてすみません。一見簡素ですが役に立ちます。ご紹介したサイトの運営者に問い合わせると完全版?をwordで送ってくれると思いますが、、、

関本洋司さん

さっそく運営者の方にメールを送ってみました。

ありがとうございますm(_ _)m

何から何まで教えていただいてすみません(^o^;)

ヘーゲルは個人の自己実現について徹底的に自己意識の側から描写する。

自己意識は初めは他者を否定することによって自己を実現しようとする。
ストア主義、懐疑主義、不幸な意識といった独我論的な内面で自己価値を確保しようとする類型がこれだ。
しかし、このやり方では自己意識は自己の自己たることの理由を十全には得られない。
そこでこの類型は克服され、対他的関係の諸類型が段階的に試みられることになる。
青年期的な自己意識がたどる自我理想の対他的関係における最初の展開こそ恋愛である。
しかし恋愛は対面関係の内に閉じられていてそれ以上に進みえない。
そこで青年の自己意識はより普遍的な自己価値を求めて心胸の法則、価値ある自己像という類型へ移行する。
それは優れた自己から正しい自己に重心を移すことである。
朧月夜さんが引用されたニーチェの『偶像の黄昏』のその部分は、とても面白いものですね。
今、問題になっているイジメというのは他を否定することによって自己確証を得ようとする自己意識の、一番荒々しい低レベルな表れでしょうか?
自己確証を得たいと焦る者が暴力を使って自分に対する絶対的服従を他者から獲得する。
標的にされた者は死の恐怖も垣間見ながら何かを強制されたり、金品を盗られたりする。

人類の歴史の初期に見られたことが小中学校の未熟な人間関係の中でむき出しで現れている。
思春期以降の私たちは自己の欲望をとても大きく膨らませる。
しかし、人々との関係の中でそれを満たす術にその頃の私たちはまだ熟達していない。
それで私たちは自分の意識の内部だけで自分の自由を味わうという道――ストア主義、スケプシス主義(懐疑主義)、不幸の意識の三類型をたどることになる。
「自己意識が自分自身の中で二重になってしまうことは、精神の概念からすれば本質的なことだ。
それが今ここに現に顕れているわけだが、まだ統一されていないものとしてある。
〈不幸な意識〉とは、二重の、矛盾するだけの実在であるような自分についての意識である。」
(ヘーゲル)
(つづき)

「だから、この不幸な、自分の中で分裂している意識は、自らの本質であるこの矛盾がそれでも一つの意識であるせいで、
二重のうちの一方の意識にいながらもいつも他方の意識も抱えており、
統一の勝利と安定に自分は達したと思って一方の意識から脱して統一の中に入っても束の間、その統一からはすぐさま追い払われてしまう。
だが、この不幸な意識も、本当に自分自身に還り、自分と和解したならば、
生きるもの、現存するものに踏み至り、その時こそ精神の概念が立ち現れるのだ。」
(ヘーゲル)
(つづき)

「それというのも、その時の、分裂していない意識でありながら二重の意識であるということが、すでにこの不幸な意識自身に潜在しているからなのだ。
不幸な意識は一方の自己意識が他方を見ることであり、この自己意識自身は対立している両方であって、両者の統一は実はこの意識の本質なのだ。
ところがこの意識はまだ自らこの本質になりきっておらず、したがってまた両者を統一するに至っていない。」
(ヘーゲル)
〈不幸な意識〉は、自らの制約・苦悩を乗り越えようとする努力によって、カント的(そしてフィヒテ的)理性あるいは観念論へと生まれ変わる。成長する。

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