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ヘブライ語原文で聖書を読むコミュのアロンとその息子たちの任職

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★68 2011年07月22日 15:50 佐伯さんの提言

僕の読解力が足りないのでしょうが、新改訳聖書を読んでいて、指示語が何を指しているのかよく分からないことがしばしばあります。
 例えば、今エゼキエル書を読んでいるのですが、16章63節…
「それは、わたしが、あなたのおこなったすべての事について、あなたを赦すとき、あなたがこれを思い出して、恥を見、自分の恥のためにもう口出ししないためである。」
の中の「これ」は何を指しているのでしょうか?
 「あなたのおこなったすべての事」を指しているのかとも思いますが、それならば、「これ」ではなく、「これらのこと」とでもして欲しいところです。

★69 2011年07月22日 17:15 LucifeR

> 68 佐伯さん
あなたが引用していない、直前の文で記述された何事かである可能性は?


★ 70  2011年07月22日 17:49  HK. J.

原文を見ると、どうも直前の62節の「契約」のような気がします。

63節自体の「思い出す」には目的語となる代名詞がついていません。
「すべての事」に対応するような、複数形の代名詞が、この節の前後にはありません。

新改訳が「これ」といっているのは、「契約」を指しているのではないでしょうか。

いずれにせよ、新改訳の「これ」に対応する語は、原文にありません。

) b v g d h w z ch T y k kh l m n s ( p f ts q r S sh t


[12] wa haqimoti )ani )et-beriti )ittakh
weyada(t ki-)ani YHWH
[13] lema(an tizkeri wavosht
we lo) yihyeh-llakh (od pitxon peh
mippenei kelimmatekh
bekhapperi-lakh lekhol-)asher (aSit
ne)um )adonay YHWH

英語直訳 you (f.) は女性単数を意味します「貴女」=エルサレム・シオン

12
and-I-shall-establish I covenant with-you(f.)
and-you(f.)-will-know that I YHWH
13
so-that you(f.)-will-remember and-you(f.)-will-get-ashamed
and not there-will-be to-you(f.) still opening of-mouth because humiliation-of-you(f.)
in-act.of.covering-of-mine to-all-that you(f.)-have-done
utterance of-LORD YHWH

★ 72 2011年07月22日 22:06  HK. J.

で、エゼキエル16章に戻りますが、エゼキエル書に特徴的な言い回し−−「神なる主 アドナイ・YHWH」 )adonay YHWH とか、「主のみ告げ ネウム・YHWH」 ne)um YHWHとかは、何度も何度も 繰り返しして出て来て、文章で読んでいると、なんだかクドいと感じたりするのです。

しかし、情感が高ぶって、いつのまにか詩歌のリズムになっている預言書の多くの部分は、どうも視覚的に捉えるよりも、聴覚的に構成されているように思われます。

そう思って、読んでみると、このリピートされるフレーズは、聴く者にメッセージの節目を伝えるマーカーなのだと解することができます。

すると、この59節から62節までの部分も、直前の 58節が、−主の御告げ− というフレーズでいったん切れて、「契約」「恥」「覚える」という単語が繰り返されているので、62節の「覚える」という動詞に目的語がないとはいえ、ソドム・サマリヤと、イスラエルが違う点 −−− つまり、契約のことだということが推測できるのではないでしょうか。

文脈を追っていけば、推測できることなのに、佐伯さんのおっしゃるとおり、「これ」という、かえって曖昧な、原文にない代名詞を挿入したのは、誤訳とはいわないまでも、変に漢文訓読ふうの言い方で、紛らわしいですね。

また、新改訳でも、詩文であると翻訳者が認識している部分は、ベタに活字が並ぶのではなく、段落分けと、節ごとに行代えがなされています。ヘブライ語聖書の詩歌の特徴は、「対句」、「語呂合わせ」、「似た意味の単語の連想による、アイデアの連鎖」、「(原文での)アクセントのある音節の数の塊(強勢のリズム意)」などです。

新改訳は基本が節ごとに改行しており、詩歌の部分は更に十分に余白をとって、詩文であることを示していますので、そういう原文の特徴が、文字の並び方からも感じられるような工夫をしているといえるかもしれません。

★、73 2011年07月22日 22:34   佐伯

>HK. J.さんへ

 なるほど、「契約」を指していますね。気が付きませんでした。
 こういった国語力というのはどうやったら身に付くんでしょう。
 理系人間にはどうやっても無理なのでしょうか…。

 新改訳も頑張ってはいるんでしょうが、次のような箇所はどうでしょう。

(出エジプト記29章26〜28節)
「あなた(=モーセ)はアロンの任職用の雄羊の胸を取り、これを奉献物として主に向かって揺り動かす。これは、あなたの受け取る分となる。
 あなたがアロンとその子らの任職用の雄羊の、奉献物として揺り動かされた胸と、奉納物として、ささげられたももとを聖別するなら、それは、アロンとその子らがイスラエル人から受け取る永遠の分け前となる。それは奉納物であり、それはイスラエル人からの和解のいけにえの奉納物、すなわち、主への奉納物であるから。」

 指示語がたくさん出てきますが、第3文中の「それ」は何を指しているのでしょうか?
 「奉納物として、ささげられたもも」を指しているのでしょうが、かなりの違和感があります。
 「それ」ではなく「そのもも」とでもして欲しいところです(また読み違えかな?)。

★ 74 2011年07月23日 00:01   HK. J.

直訳の悪弊が 如実に出た箇所ですね。

★リビングバイブルの訳は すっきり頭に入ります。

26 それから、アロンの任職の雄羊の胸を取り、ささげ物をする手つきで神の前に揺り動かす。 それは自分のものにしてかまわない。
27・28 雄羊の胸とももは、アロンと息子たちに与えなさい。 イスラエル人はいつでも、和解のための感謝のいけにえのうち、胸とももは神へのささげ物として、アロンと息子たちに与えなければならない。

★もっとひどいのは、ものみの塔の「新世界訳」−−もう、ほとんどまともな日本語の文章になっていません:

26 「また,あなたはアロンのためのものである任職の雄羊の胸を取り,それを振揺の捧げ物としてエホバの前に揺り動かすように。それはあなたの受け分となるのである。 27 こうしてあなたは振揺の捧げ物の胸と神聖な分としてのその脚を神聖なものとして取り分けなければならない。それは揺り動かされたものであり,また任職の雄羊から,すなわちアロンのためのもの,またその子らのためのものから寄進された分である。 28 そしてこれは,イスラエルの子らの守るべき,定めのない時に至る規定によって,アロンおよびその子らのものとなるのである。それは神聖な分だからである。それはイスラエルの子らの納めるべき神聖な分となる。彼らの共与の犠牲の中からの,エホバのための彼らの神聖な分なのである。

★原文は、淡々と、雄羊の胸・脚(もも)の肉の捧げ物の叙述です:
26
laqaxta )et-hexazeh me)eil hammillu)im )asher le)aharon
wehenafta )oto tenufah lifnei YHWH
wehayah lekha lemanah
27
qiddashta )et xazeh hattenufah
we)et shoq hatterumah
)asher hunaf wa)asher huram
me)eil hammillu)im
me)asher le)aharon ume)asher levana(y)w
28
wehayah le)aharon ulevana(y)w lexoq-(olam
me)et benei yiSra)el
ki terumah hu)
uterumah yihyeh me)et benei-yiSra)el
mizzivxei shalmeihem
terumatam leYHWH

・・・・・まぁ、聖書の原文自体も、そもそも 犠牲に関する規定の細目ですから、面白みのない文章であるのは確かです。でも、悪文ではないと思います。

コメント(7)

★ 76 2011年07月23日 09:02  佐伯
>HK. J. さんへ

 リビングバイブルの訳によると、新改訳の「それ」が指しているのは「胸ともも」であり、「胸ともも」は「アロンとその子ら」のものということになりますが、それではおかしくないですか?
 「胸」は「あなた(リビングバイブルでは自分=モーセ)」のものなのだから…。

★ 77 2011年07月23日 09:03  HK. J.

聖書の日本語訳文が わかりづらいと思える、ひとつの理由には、普通にネイティブが話す日本語が代名詞や、長々しい修飾語を嫌う一方で、外国語から訳した日本語は、まさに代名詞・修飾語のオンパレードになるから、ということもあるでしょう。

外国語では、補足的に、後ろにつけることのできる関係節を、日本語に訳すときは、限定的な形容詞であるかのように前のほうへひっぱりだすか、頭から訳していって、名詞をまず訳してから、「それは〜〜なのである」と後付けにするしかありません。

「xxx is YYYY, which is ZZZZ」
訳し方 その1: xxxは、ZZZZであるところの、YYYYである。(修飾語を前に引っ張り出す)
訳し方 その2: xxxは、YYYYである。「これは・それは」 ZZZZである。(頭から訳す)

2のパターンの訳し方だと、関係詞を「これ・それ」で受けることになるので、その指示対象が判らないと、修飾・被修飾の関係が宙ぶらりんになって、意味不明になりますね。

この出エジプト記の文も、ちょうどこのパターン。訳し方が下手だと、日本語の訳文の中で、主語が何なのか、述語が何なのかが、修飾語のなかに埋もれてしまって、わけがわからなくなります。
句読点の打ち方や、適宜、(代名詞ではなくて)名詞を繰り返すなどの、テクニックが必要です。

日本語の聖書の中では、神様を「彼」という人称代名詞で受けることを避けて、だいたい、名詞を繰り返して、「神」「主」と訳しているのですが、同じテクニックは他の箇所でも もっと活用されても良いはずだと思います。

★ 「国語力」を問うなら、まず翻訳者の国語のセンスが 問われるべきだと思います。「新共同訳」は国語としての文体の顧問の委員がいたはずですが(小川國男など)、「新改訳」の翻訳委員会は原文を理解する学者はたくさんいても、文章を推敲する人の意見が、「原文に忠実」の鉄則の前に あまり取り上げられていないのかもしれません。

★ 78 2011年07月23日 09:13  HK. J.

犠牲を扱うのは、アロンとその子孫の、祭司の専任の役目ですよね?

モーセは祭司に任命されてはいないと思いますが、神様は祭司であるアロンに対する祭儀の細目指示をモーセにまとめて語っており、この箇所では便宜上、「おまえ(男性単数)」で 祭司とモーセを いっしょくたに 指し示しているのではないかと思います。

モーセがみずから犠牲を捧げるという記述が、聖書にはありましたっけ?
まぁ、モーセも、アロンの兄弟で、同じくレビ族の成人男子ですので、祭司の役目を行なっても、たぶん、「律法違反」には ならなかったのではないかと 思いますが。。。。


★ 79 2011年07月23日 10:06  Kazist

( )に入れて「もも」だけにかかるようにした場合はこんな感じなのかな。

29:27
あなたは聖別しなければならない。アロンとその子たちの任職の雄羊の胸とももを。
すなわち揺り動かした揺祭の胸と、
ささげたもも(これはイスラエルの人々から永久に、アロンとその子たちの受くべきささげ物であって、イスラエルの人々の酬恩祭の犠牲の中から受くべきもの、すなわち主にささげるささげ物である)とを。

★ 80 2011年07月23日 11:50   HK. J.

27
we qiddashta そしてお前は聖別すべきである
. )et xazeh hattenufah を 胸(肉) その・揺り動かすことの
. we)et shoq hatterumah そして・を 腿 その・奉献物の
.. )asher hunaf wa)asher huram ところの それは揺り動かされる そして・ところの それは奉献される
... me)eil hammillu)im から・雄羊 その・任職
.... me)asher le)aharon ume)asher levana(y)w から・ところの・アロンに<属する> そして・から・ところの・彼の息子たちに<属する>

つまり、主要部だけ取り出せば
「そしてお前は胸と腿を聖別すべし」

続く部分は、その修飾語です。
原文の「アシェル」というのが、関係代名詞です。
で、その関係節(従属文・修飾語)の中の動詞 hunaf と  huram は、単数形ですので、「胸」と「腿」は物としては別々のはずですが、この文章の中では「ひとかたまり」として捉えられているようです。

二つのものを、ひとかたまりにして、単数形の動詞で受けるというのは、ヘブライ語ではよくあることです

28節の頭で、一旦、we hayah という動詞がはいって ちょっと切れた感じです。  

★ 81 2011年07月23日 12:08   HK. J.

28節
wehayah le)aharon ulevana(y)w lexoq-(olam
me)et benei yiSra)el

ki terumah hu)

uterumah yihyeh me)et benei-yiSra)el
mizzivxei shalmeihem
terumatam leYHWH

ここも、主語・述語という構造を抜き出すと、三つの文になります。
<そして・それ(男性単数)はなる> アロンに属するもの そして 彼の息子たちに属するもの 永遠のおきてにより の許からの・イスラエルの子ら

<なぜなら 奉献物であるから それ(男性単数)は>

<そして奉献物 それ(男性単数)はなるであろう>
の許からの・イスラエルの子ら 
から・犠牲(複数) 彼らの和解の捧げ物(複数)の 
彼らの奉献物 YHWHへの

27節で出てきた「腿・胸」の肉をひとかたまりのものとして、28節で「それ」(男性単数の物質)で受けているのだと思います。
★ 84 2011年07月23日 23:35  佐伯
>HK. J.さんへ

 出エジプト記29章1〜37節において語られた式次第にのっとって、レビ記8〜10章において、実際にアロンの任職式がおこなわれています。
 今問題になっている任職の雄羊について見ると、
?出エジプト記
 脂肪と肝臓の小葉と腎臓と右もも → 祭壇の上で焼いて煙にする
 胸 → モーセが受け取る
 胸?ともも(当然、残った左ももであろう) → アロンとその子らの永遠の分け前となる
 ただし、残った肉(胸と左ももを含むかどうかは不明)は結局全部アロンとその子らが煮て食べる
?レビ記
 脂肪と肝臓の小葉と腎臓と右もも → 祭壇の上で焼いて煙にする
 胸 → モーセのもの
 残った肉(胸を含むかどうかは不明) → アロンとその子らが煮て食べる
 左ももについては特に記述なし

 ということで、結局よく分かりません。

★ 85 2011年07月24日 15:43  HK. J.

#84 佐伯さん
聖書の訳の問題でなく、モーセ五書の構成と解釈に関わる問題提起でありますので、申し訳ありませんが、わたしにはお答えする能力がありません。

キリスト教の立場の注解ですと、結局、犠牲はなんらかの意味でキリストを象徴しているという結論で片付けられてしまうので、実際に、神殿を建てて、動物の犠牲を捧げる祭儀を復活させようとするユダヤ教の立場の解釈をネット上で探してみたほうが、佐伯さんの疑問を解く鍵になるかもしれません。

ネットでちょっとさがしてみたら、こんなのがありました:
http://www.ehow.com/about_6625858_wave-offering_.html

ここから下は、キリスト教の立場の注解の、検索結果:
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&client=firefox-a&rls=org.mozilla%3Aja%3Aofficial&q=aaron+consecration+ordination+contribution+Leviticus&aq=f&aqi=&aql=f&oq=

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&client=firefox-a&rls=org.mozilla%3Aja%3Aofficial&q=sacrifice+aaron+waving+offering+high+priests&aq=f&aqi=&aql=f&oq=
★ 91 2011年07月24日 21:13   佐伯

 今日、新共同訳聖書を本屋さんで買ってきたので、これを使って問題の箇所を再検討してみようと思います。

#68について

 エゼキエル書16章63節は、新共同訳では次のようになっています。

 こうして、お前がおこなった全てのことについて、わたしがお前をゆるすとき、お前は自分のしたことを思い起こして恥じ、自分の不名誉のゆえに、二度と口を開くことはできなくなる」と主なる神は言われる。

 ということで、新共同訳は僕と同じ解釈でした。
 解釈の是非はなんとも言えませんが、読み易さでは新共同訳に軍配が上がるようです。

★ 92 2011年07月24日 21:17   HK. J.

人によっては、現在のイスラム教徒の建てた「黄金のドーム(岩のドーム)」は、第二神殿の至聖所の位置からずれていると考えていて、イスラム教徒の建築物を壊すことなく、神殿を建てることが可能だという考えを持っているそうです。

以下のサイトに、第二神殿の平面図と、現在の航空写真を、重ねた画像が紹介されていますが、人によっては、この写真の北側の樹木の植えられている部分が、至聖所の位置ではないかと想定しているようです:
http://www.templeinstitute.org/birds_eye.htm

聖書には、エルサレムのモリヤの丘に神殿を建てられたことが書かれていますが、エルサレムに神殿を建設すること自体は、荒野での幕屋の建造と異なり、神様の命じたことではありませんでした。それは、ダビデの発案で、ソロモンが実行したことでした。

だから、モリヤの丘の上であれば、全く以前の神殿の位置と正確に同じところに、第三神殿を無理に建てなくても良さそうな気が、わたしはします。

クリスチャンとして、イエスさまの預言の言葉や、エゼキエル書の幻の神殿が、いったいどのように実現するのか、わたしは、たいへん関心をもっています。
★ 93 2011年07月24日 21:41   佐伯

#73について

 こちらの方は、新共同訳でもはっきりしません。
 出エジプト記29章26〜28節

 次に、あなたはアロンの任職の雄羊の胸の肉を取り、奉納物として主の御前にささげる。それはあなたが受けるべき分である。あなたは、アロンとその子らの任職のための雄羊の献(ささ)げ物のうちから、奉納物の胸の肉と礼物(れいもつ)の右後ろ肢(あし)とを聖別しなさい。それは、不変の定めにより、イスラエルの人々からささげられた物のうちアロンとその子らの分となるべきものである。なぜなら、それは礼物だからである。それは、イスラエルの人々が主に対する献納物として、和解の献げ物のうちからささげる物である。

 任職の雄羊の右後ろ肢は、22〜25節で焼いて煙にしたはずなんですが、また出てきています。
 「それ」は胸肉と右後ろ肢の両方を指しているように思われますが、それなら、「それら」と言って欲しいです。
 もっとも、そうすると、第2文と矛盾しますが。
 おそらく、原文に矛盾があるのでしょう。
 このような箇所には注釈を付けるべきであると思われます。


★ 94 2011年07月25日 00:30   HK. J.

わたしもよく理解できていないので恐縮ですが、、、、

レビ7:32、33では、人々が持ってくる、和解の捧げ物の中から、右の後ろ肢はアロンとその息子たちのもの−−すなわち−−祭司のものであると言われています。

8章27節で、また右の後ろ肢が出てきて、「聖別せよ」と言われていますが、これは、時間的に前後しているというよりも、むしろ後から補足の注記として、燃やして煙にする前に行なうべき動作なのではないでしょうか。

新共同訳は、26節の冒頭を「次いで」という言葉で始めていますが、原文は、かならずしも、時間的な前後関係を示すわけではありません。

和解の捧げ物と、任職の捧げ物は、共通の部分が多いようです。

レビ7:31では、和解の献げ物の場合、「まず宥めの香りを上らせるために脂肪を焼いて煙」にして、「それから」胸の肉、また、右の後ろ肢が祭司にあたえらるべきであると書かれています。

任職の 右の後ろ肢・腿 shoq ha-yamin も、同様に、まず、脂肪の部分を焼いてしまってから、それから、改めて、祭壇で祭司自身のための献げものとして焼かれたのかもしれません。
任職は一回限りで、腿肉も主のものとされたのですが、類似の和解の献げものはこの後も引き続き献げられるもので、その度ごとに胸肉と共に、祭司の分け前となったのではないでしょうか。

・・・わたしも、やっぱり、このへん、よくわかりません。アメリカのユダヤ人出版協会のトーラー注解シリーズも読んで見ましたが、よくその説明が理解できません。
腿肉については、一旦、祭儀の執行者であるモーセが取り分けてから、改めて、モーセから祭司に「礼物」として贈られたと書いてあるのですが、それが主エジプト記の記述とどう調和するのかが、わかりません。

なお、日本語の「これ・これら」「それ・それら」は、単数・複数を区別するのにはあまりに直訳すぎると、翻訳者が考えているのではないでしょうか。漢文訓読の「之」が単数・複数を兼用しますし、文語調の法律の条文でも、複数の事物を指して、「これ」という言うことがありますから、間違った日本語ではないと思います。
★ 95 2011年07月27日 00:50  HK. J.

以下、The Torah - A Modern Commentary - Union of American Hebrew Congretation の注解を参考にしています。

レビ記7章29〜37節当たりを読み返しています。

30節 和解の献げものは、献げる本人が捧げなければならない。
32節 献げものから、右の腿は最初に「礼物」として与えなければならない。

37節は 献げものの種類を列挙しています。
burnt offering
meal offering
sin offering
guilt offering
offering of ordination
sacrifice of well-being

Jewish Publication Society of JPS Torah シリーズの注解書「出エジプト記」が本の山のなかで行方不明なので、見つかったか、29章の注解をチェックしています。

和解の献げものの訳し方や、揺り動かす献げものとはなんなの、実は確実のことはわかっていないようです。だとしたら、推測も含めて第三神殿の祭儀例祭は進めていくべく、マニュアル化が進んでいるでしょうかね?

http://www.jewfaq.org/qorbanot.ht
なんだかね、このトピで、妙に、スペインやイタリヤ産の、生ハム食べたーいと思った私は、不信仰ものです。

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