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急行列車コミュの特急列車と急行列車の差

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国鉄が全盛期(昭和55年以前)の時には、特急列車と急行列車には厳然たる差があった。
昼の部の特急列車は固定窓に完全空調の上に回転式クロスシートなのに対して、急行列車は開放式の窓にボックスシートである。

停車駅にも差が付けられていて、特急列車は基本的にその県の代表駅とかその地方の大きな駅しか停まらないのに対して、急行列車は比較的大きな駅とその地方では細目に停車するといった差があった。

夜の部は特急列車が全車両寝台車で新型なのに対して、急行列車は旧式の寝台車の上に、座席車がボックスシートが基本だった。
時間帯サービスでも特急列車は目的地直行が基本であり、目的地への時間帯サービスが優先されているのに対して、急行列車は細目に客を拾い、寝台車は直行旅客、座席車は区間旅客向けに分かれている傾向があった。
急行列車は編成が3タイプに分かれていて、寝台車オンリー、寝台車+座席車、座席車オンリーである。

コメント(92)

>>[050] 昭和40年代後半はまだ国鉄が優位に立っていて荷物輸送も郵便小包か、国鉄貨物であり、トラック輸送も発達していませんでした。
これは急行列車全盛期であり、丁度大卒の若者が団塊の世代(昭和21年〜昭和25年)の時です。
>>[52] もう1列車当該区間を同様に停車する列車に「きりしま101・102号」がありますが、それは宮崎始終着で宮崎-国分間は主要駅停車ですのである意味仕方ないこともありますが、81・82号に関してはこの区間でそれはないだろって感じで見ています。少なくとも姶良市の中心である帖佐は別としても姶良と重富は2本も停車する必要はないと思っています。地元の方の反応はわかりませんが。
国鉄が坂道を転落するように、分割民営化に至ってしまったのは、高速鉄道である新幹線の莫大な建設費や東京圏通勤五方面作戦の整備費用やローカル線建設維持費用回収に伴う昭和51年の5割値上げが発端です。
その結果として航空機が普及してしまいました。
>>[054] さらにこうなったのは、JR九州の状況にも原因があるとおもいます。
日豊本線は博多〜大分、大分〜宮崎、宮崎〜鹿児島に3分割されたような輸送体系で、やはり九州自体からして高速バスが発達しているような状況だから、地元の客を拾わないとやっていけない状況にあるかと思います。
昭和51年の辺りからは航空機に対抗する為には昼行列車で3時間が勝負であり、夜行列車は航空機の最終便より遅く出発し、航空機の初便より早く到着するのが勝負の時代になりました。
特急列車と急行列車の差は昼行列車はスピード&サービス、夜行列車は時間帯サービスに差があるといえます。
東北・上越新幹線開業前までの特急列車で運行本数の多かったを上野発であげて行くと、平(常磐線)・仙台(東北線)・山形(奥羽線)・新潟(上越線)・長野(信越線)までが昼行列車のメインで、急行列車は支線区直通サービスなどを中心とした、特急列車の補完輸送といった差がある。
特急あいづが1往復なのに対して、急行ばんだい・いいでが合わせて6往復あった所からわかる。
夜行列車は寝台特急列車がメインの扱いであり、夜行急行列車は寝台特急の網の目になっているような所を輸送する補完列車の扱いであった。
事実、急行列車は編成を細かく分けると5タイプあった。
さらにプレ夜行区間、夜行区間、ポスト夜行区間がありそこで一人二役、三役をこなすのに、都合の良い編成が組まれていた。
昼の特急列車と急行列車の違いをあげると、以下の通り。
特急列車は直通旅客第一なのに対して、急行列車は地方交通線への直通旅客に対するサービスがあり、同じ方面の幹線の補完輸送サービスの急行列車同士を併結している、パターンが多い。

これは地方交通線の優等旅客サービスであると同時に、穴を開けない為のサービスであるといえる。
乗客層に差があったと思う、料金の差、利用目的の違いは反映されていたかと
>>[062]
特急列車と急行列車の料金の上限は急行列車は201キロなのに対して、特急は601キロであるといった料金差であること。

特急列車は指定席主力なのに対して、急行列車は自由席主力といった差がありました。

昼行列車は特急と急行では停車駅にも差がありました。

夜行列車は特急は寝台車オンリーで新型なのに対して、急行は座席車主体に寝台車は旧式といった差があるのと、同一区間でもやはり停車駅でも差がつけられていて、有効時間帯でも差がつけられていました。

寝台特急北陸と夜行急行能登のケースはこの典型で、14系寝台車使用の北陸と10系寝台車使用の能登は新旧の差で¥1600相当といった料金差に跳ね返りました。

それともう1つ似たようなケースは特急あけぼのと急行津軽のケースで、あけぼのが時間帯の良いのが秋田なのに対して、急行津軽1・4号は弘前、津軽3・2号は新庄といった時間帯サービスの差が料金の差となりました。
急行列車の安易な特急列車格上げが失敗に終わったケースがある。
ワースト1は寝台特急安芸号で周囲とのバランスやビジネス客(呉への造船所)目当てで急行音戸からの特急格上げは失敗に終わりました。

ワースト2は寝台特急北星号で余剰客車有効活用を理由とビジネス客(新日鉄釜石)目当てで特急格上げしましたが、東北新幹線への転移が明らかな為に、僅か7年で終わりました。

ワースト3は寝台特急紀伊号で余剰客車有効活用と東京からの伊勢・志摩(三重県)、南紀(和歌山県)への直行旅客向けに格上げしましたが、残念なことに急行列車と格が変わらないことが原因となって、僅か9年で終焉しました。
窓が開く、開かないって違い、旅やテツには小さな事じゃないかも知れませんね
>>[065]
接客設備の差は大きいです。

それが原因でビジネス客を中心にボックスシートの急行列車が嫌われてしまい、特急列車へ客が集中してしまいました。

夜行列車も似たようなもので20系客車が嫌われたのは、寝台幅が52センチと狭い上に三段式だからです。
このことが原因となって昭和51年の銀河、天の川、新星の寝台急行列車。

昭和52年の十和田3・4号の準寝台急行化に転用。

昭和53年の準寝台急行のだいせんをはじめとして、12系の組合せでは急行かいもん・日南・さんべ・ちくまへ転用が進められて、最後の昭和55年秋のあけぼのを最後に特急列車から撤退して行きました。
しかし私は言いたい。ボックスシートこそ、国鉄急行のシンボルだと
ボックスシートの12系客車を最後に急行型車両の製造を打ち切られています。

さらに普通列車でも転換クロスシート車が入る位だから、急行型車両は特急型車両や近郊型車両と比較して見劣りするようになったのは事実です。
>>[067]
確かに国鉄急行列車は昼の部はボックスシートが基準だといえます。
実際に普通車は昼も夜もボックスシートでした。
特急列車と急行列車は料金の上限が決まっていて当時の急行料金の上限が201キロ、特急料金の上限が601キロであるといったことも大きな差であるといえます。
夜の部は特急列車と急行列車は時間帯サービスに差がつけられていて、目的地に直行するのが寝台特急列車なら、急行列車は地域できめ細かく停車するのが多いといった差があります。

さらに特急列車は当然だけど全車寝台車なら急行列車は座席車も連結されています。

特急はくつるが東京からの北海道連絡なのに対して、急行八甲田は南東北対北海道連絡。

特急ゆうづるは電車が北海道連絡、客車が北東北なのに対して、急行十和田は常磐線沿線〜北東北といった差が付けられている。

特急北星が岩手県なのに対して急行新星が宮城県といった差が付けられている。

特急あけぼのが秋田直結なのに対して、急行津軽1・4=秋田〜弘前。
津軽3・2=山形〜秋田。
鳥海=鶴岡〜羽後本荘。
天の川=新潟〜酒田(佐渡連絡)。
特急北陸=金沢直結なのに対して、越前=富山〜福井。
能登=糸魚川〜金沢。
妙高=長野〜直江津。

特急つるぎが新潟直結なのに対して、急行きたぐには富山〜新潟といった差があります。
同一区間であった寝台特急北陸と夜行急行列車の能登は車両のみならず、色んな所でも差があった。
富山での高山本線、高岡での氷見線・城端線、金沢での七尾線との接続は急行能登よりも寝台特急北陸の方が優先されていたという点である。

上りは成田空港へ一番の京成のスカイライナーを乗るのには北陸の方が都合が良い。
>>[19] 、確かに都会の夜行列車にはプレ夜行区間には、そうした隠れた使命もあります。
夜行列車で電車で走らせていた列車は昼行急行の夜間回送という1面もあります。
客車列車における寝台列車は夜間の荷物輸送兼務列車という1面もあります。
急行ちくまは特急しなのの夜行版であり、急行だいせんは特急まつかぜの夜行版ともいえます。
大阪〜長野や大阪〜出雲市は距離的には急行の守備範囲だともいえます。
寝台急行銀河が急行のまんま存置された背景には、新幹線の他には長距離特急との値段や接客設備との兼ね合いがあつたともいえます。
東海道ブルートレインは食堂車や個室A寝台の列車もあったからです。
今思うと東海道線の銀河を除く夜行急行が運行出来たのは、荷物・郵便輸送があったからかと。
特に新聞輸送はある意味「本命」でしたから…でも、全国紙の朝刊を東京や大阪で刷る必要が無くなり、最寄りの地方都市で刷れる様になりましたし、郵便輸送も分割民営化直前に廃止されたので、一気に消えてしまいましたね。
夜行急行列車が多く残存出来たもう1つの理由は急行列車に限りワイド周遊券やミニ周遊券に限り自由周遊区間入口まで利用可能で、これが追加料金の掛かる特急列車との大きな違いだったといえます。
>>[77] これはトラックによる輸送に切り替えられた一面が大きいといえます。
東北・上越新幹線開業の時の特急増発組ははくつる、あけぼの、急行鳥海改め出羽は八戸、弘前、羽後本荘辺りでの時間帯が良い上に車両需給の関係がある。
急行残存組は八甲田・十和田は特急はくつる・ゆうづるに対してのエコノミーによる補完。
急行津軽は山形・秋田方面で季節急行おがは津軽のサポートである。
急行天の川は新潟・鶴岡方面である。
急行能登は特急北陸が長岡経由なのに対して長野経由であるのと、特急北陸が富山・金沢直結なのに対しての幅広い範囲での補完。
急行妙高は長野・上越方面。
やはり上野発の夜行列車気質はそう簡単に変わらないのがわかる。
特急列車と急行列車は当然だけど客層の差も大きいといえます。
特急列車の多くはビジネス客なのに対して急行列車の多くは周遊券旅客や地方から都会に遊びに行く人や季節労働者や夏はスキーで冬は登山です。
信越本線系統の例をあげると特急あさま・白山と急行信州・妙高で昭和53年の復刻版時刻表で見ると停車駅に差がありました。
特急は上野、大宮、高崎、横川、軽井沢、小諸、上田、戸倉、長野、妙高高原、直江津。
急行は上野、赤羽、大宮、熊谷、高崎、横川、軽井沢、中軽井沢、小諸、上田、戸倉、屋代、篠ノ井、長野、黒姫、妙高高原、新井、高田、直江津が基本停車駅であるといった点が大きな違いだといえます。
昭和43年の時点は特急料金が¥1200=1201キロなのに対して急行料金が¥500=1001キロであるのに対して昭和53年の時点は特急料金が¥3100=801キロなのに対して急行料金は¥800=201キロであるのに対して昭和63年の時点では特急料金が¥3500=801キロなのに対して急行料金が¥1200=201キロというのを見ると特急料金と急行料金の差が10年毎に開いて行く上に昭和43年の時点は急行列車全盛期だったのが昭和53年、昭和63年の10年毎の時刻表で見ると急行列車の特急格上げによる料金値上げが横行していたことが解る。
もう1つ昭和43年の時代は特急列車には食堂車であり急行型電車にはビュッフェがあり、中には朝食サービスの営業をしていた夜行列車もあった位です。
昭和53年の時代は食堂車の営業は特急列車のみに絞られた時代で、昭和63年の時代は食堂車は特急北斗星と東京〜山陰・九州のブルトレに絞られたから列車での食事サービスが特殊なサービスになっていったかが解る。
昭和43年の時代の寝台車は昼夜兼務の企業戦士である583系が導入された時である。
昭和53年の時代の寝台車は特急列車に二段式寝台が導入されて旧式寝台車は特急列車から追放されて急行列車に格下げ使用された時代である。
昭和63年の時代は個室寝台が導入されたり、夜行快速がグリーン車廃車発生品の座席を再利用したりして快適に移動する時代で電車寝台の特急はくつる・ゆうづるの他に客車三段式は急行能登・ちくま・だいせんのみである。
急行銀河の20系化に伴う座席車廃止のもう1つの理由はドアの開閉作業による負担の重さが乗務員に嫌われたのと座席車は大垣夜行があるといった理由があるからです。
常磐線系統の特急ゆうづるは基本停車駅が上野・水戸・青森のみなのに対して急行十和田はこまめに主要駅に停車することに相当の差があるといえます。
東北本線系統は急行八甲田が寝台車が外されたことから考えると寝台電車特急はくつる・ゆうづるとの北海道連絡の待遇差が直行旅客から急行八甲田が嫌われた要因であるといえます。
特急列車と急行列車では飲食にも差がありました。昼の長距離特急に食堂車が多く連結していたのは落ち着いて車窓を楽しみたい層に向いていたのに対して急行列車は停車時間を利用して駅弁を買う層や車内販売によるワゴンサービスを利用する層に向いていたといえます。
特急列車は速達輸送なのに対して急行列車は地域間連絡という所にも性格的に差がありました。 
東海道新幹線の開業して4年後の急行列車全盛期の昭和43年の時点の東京〜新大阪で見るとひかりが3時間10分なのに対してこだまは4時間だから、在来線の特急列車と急行列車はひかりとこだま位の差があったといえます。
夜行列車が活躍した区間を見ると昼の特急列車で3時間、急行列車で3時間40分がボーダーラインだといえます。
特に寝台列車が活躍した区間は昼の特急列車で4時間、急行列車で4時間40分の辺りがボーダーラインだといえます。
特急列車と急行列車の差はもう1つは特急列車がドア及びデッキが1ヶ所なのに対して急行列車がドア及びデッキが2ヶ所という所にも大きな差があったといえます。
特急列車は元々からして回転式クロスシートの上に定員乗車前提の上に長距離乗車なのに対して急行列車は元々からしてボックスシートの上に詰め込み構造の上に途中駅での乗客回転を考慮してあるという所にも大きな差があるといえます。
デッキが狭いと途中駅での乗降そのものからして大変だけどデッキが広いと途中駅での乗降は確かに楽だといえます。
特急列車と急行列車の違いは料金体系に表れているといえます。
急行列車は、普通列車に対する速達料金であるのに対して、特急列車は、急行列車に対する速達料金の他に、特別な接客設備(回転式クロスシート、完全空調の車両)に対するサービス料だといえます。
昼の特急列車は指定席主体、急行列車は自由席主体というイメージなら、夜の特急列車は寝台車、急行列車は指定席、普通列車は自由席といった違いがあるといえます。

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