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どろ亀さんと二コルさんコミュの「偉大なるものを偉大ならしめた母なる森に感謝して」−山尾三省

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屋久島の森には、至るところに圧倒的な樹の生命力が溢れています。
それはふだん街中の公園や寺社の境内で見る木とはまるで別のもの。

森を歩いた中で息子が出会った老杉たちの中の1本に、
樹齢1,800年という「仏陀杉」の巨樹があります。
1,800年前といえば卑弥呼の時代。「この間読んだ「三国志」の時代だよ」と
言われた息子は、『えっ、そんなに大昔から生きているの』と、
とても驚いていました。

この巨樹の幹には他の巨樹同様に十数種もの別の木が着生しており、
共生の姿を見せています。

そしてこうした森の生産者たちを支えているのが森の底にひろがる
無数の苔。
さまざまな種類の苔こそはこの島の「森の母」というべき
とても大事な存在。
地面も岩も、倒木も枯枝も、木々の幹にも苔がびっしりと張り付いており、
巨樹や清流と共に深い森の中で生命のエネルギーを溢れだし、
素敵な協奏曲を奏でているのです。


以前、森を愛する作家高田宏さんが屋久島のことを書いた文の中で、
島の原生林や巨樹を愛した詩人山尾三省氏と縄文杉に関わる逸話が
紹介されていました。

山尾さんは、1977年屋久島の廃村に一家で移住し、
以後白川山の麓で田畑を耕しながら、2001年に亡くなるまで詩の創作を中心に
執筆活動を行っていた方です。

瀬切川地区の原生林の伐採を当時の営林局が決め、
地元の心ある若者たちがその阻止運動を進めていたあるとき、
その中の一人が山尾さんにこう問いただしました。

『「あなたは常日頃、縄文杉縄文杉と言っているが、
  今度営林局が伐るという8百haの原生林と、
  縄文杉のどっちかを残すということになれば、
  どんなものだろうか。
  あなたはどっちを選びますか」

 縄文杉はもちろん伐ってはならないものであり、
 瀬切川地区の8百haも絶対に伐らせてはならないものである。

 「両方とも伐らせないことを選びます」と私は答えた。
 「それであなたはどうですか」と今度は私が尋ねた。

 「僕は縄文杉を伐って、瀬切川流域を残す」
 彼は明確に答えた。』
 
この答えを聞いて、山尾さんは、自分の中で崩れてゆくものが
ありました。
縄文杉にのみこだわっていた自分の、いまだに観光客的な気分から
ぬけ切れないでいる個的な感覚が崩れていったといいます。

『彼の答えは、明確であった。
 
 瀬切川流域が残れば、当然縄文杉も残るのである。
 逆に、この流域が伐られ、また別の原生林が伐られ、
 全ての原生林が伐られて、
 その果てに縄文杉一本がこの島に取り残されたとしたら、
 それは無残というよりは、独善ですらある。
 
 屋久島の原生林があって、そこに縄文杉も自生しているのであり、
 その逆では決してない。
 これは人間を含む生態系についての根本認識であるはずである。

 私はその時より、縄文杉への愛と尊敬はいささかも変わらないものの、
 縄文杉と呼ぶより、「屋久島の森」と呼ぶことの方に、
 より深い意義と喜びを見出すようになった。』

この中に出てくる「僕は縄文杉を伐って、瀬切川流域を残す」と言って
伐採反対に強い信念をもった方、長井三郎氏は縄文杉のことを
「生まれては死に、死んでは生まれる無数の生命の流れを見つめ続けきた
 偉大なる生命体」と讃えています。

そして、それにつづけて、
「その偉大なるものを偉大ならしめた母なる森は、もっともっと長大な
 道のりを歩いてきたのである」
と誌しています。』


日本という急峻な山々が豊かな森に覆われて、
多様な生き物たちの生をつつみ、山裾に住む人々の暮らしを見守ってきました。
この母なる森に目を向ければ、いかに人の手が関わり、また離れたことで
惨憺たる荒廃の姿に変えてしまったかがよくわかることでしょう。

その恩恵を遠き先祖の時代から受け、また現代も受け続けている中で
自分の生命を育んでくれている森に感謝する気持ちを多くの人々が持ち、
再生に関わっていくことを願っています。

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