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小説家たちの酒場コミュの番外 ある探偵の憂鬱

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          プロローグ

 電話のベルで眼が覚めた。
 おもむろに手にした受話器に向かって「誰だ?」と訊いてみる。寝起きのせいか、声は掠れていた。
「よぉ、景気はどうだ。……と言おうと思ったんだが、聞くまでもなかったようだな」
 電話の相手が肩を竦める様子まで見えた気がした。腐れ縁の情報屋だった。
 強張った体をソファから起こしながら、ここが自宅ではなく事務所だったことを思い出す。この電話がもし一ヶ月ぶりでの新規の客からだったならさっきの電話対応は最悪というしかないが、この男なら上等すぎる対応だった。
「あいにくと景気は上向きだ。あんたの世話にはならんから、もう切ってくれないか」
「へへ、今日の朝食は?」
「まだだ」
「昨日の夕食のメニューは?」
「栄養剤の盛り合わせ」
「……俺の話を聞けよ、いい仕事があるんだ」
「あんたの世話にはならんと言った」
 そう言い捨てて電話を切ったが、すぐに急き立てるようなベルの音が事務所の中に木霊する。仕方なくもう一度受話器を取ることにした。
「いきなり切るなよ。いいか、依頼人は大富豪の娘、必要経費は好きなだけ請求OK、勿論明細は不要、おまけに成功報酬は破格ときてる。しかも仕事はいなくなった猫を探すだけ、お前なら楽勝な仕事だ」
「いなくなったペットは探さない。俺の数少ないポリシーくらいあんただって承知だろう」
「今朝の朝食の予定は?」
「……朝は食べない方針だ。聞かれる前に答えておくと、昼も食べないつもりだ」
「悪いことは言わん、ちゃんと俺の話を聞いたほうがいい」
 情報屋はまるで子供に教え諭すような猫なで声を出してそう言った。

     ※     ※     ※     ※     ※     ※

 私が仕事を干されたのは他でもない、同業大手の違法行為を世間様に暴露したことがきっかけだった。
 その同業大手とはテレビにもたまに顔を出す全国規模の探偵社で、私がこの街の片隅で細々とやっている零細探偵社にも仕事をよく回してくれていた。私はとある事件の調査中にたまたまその探偵社の不正に気づいた。暴露したのは社会正義のためでも名声欲に駆られたからでもなかった。
『どうせこんな稼業だ、誰に嘘をついても誰を裏切っても構わない。しかし、依頼人にだけは嘘をつくな、裏切るな』
 私に探偵としての全てを教え込んだ男がそう言っていて、私がそれを記憶していたから。理由なんてそれだけだった。

 そして私はその事件で依頼人から幾許かの報酬と、業界から爪弾きにされるという待遇を手に入れた。
 それから一ヶ月、私の事務所の電話が鳴ることはなくなっていた。

     ※     ※     ※     ※     ※     ※

 受話器の向こうで情報屋はまだ何か言っている。私はそれを遮って言った。
「良いだろう、話だけは聞こう。引き受けるかどうかは依頼人から直接話を聞いてから決める。それで構わないな?」
 この決断が凶と出るか吉と出るか、今はまだ判らない。しかし私も食うためには働かなければならないのは事実だった。

コメント(2)

          一

 その邸宅の門の前に私が立ったのは、まだ約束の正午に十分以上も前のことだった。
 大げさな装飾の施された呼び鈴を押すと、しばらくしてベンツに乗ったお迎えが門の向こう側からやってきた。それに乗り込み、邸宅の玄関に辿り着いたときには正午を数分過ぎていた。依頼人は富豪の娘とは聞いていたが、呆れかえるほどの大邸宅だった。
 執事に先導されるまま邸宅の中を数分も歩かされて、私はやっと依頼人が待っているという大広間に通された。
 そこは大広間などという呼称が謙虚にすぎるほどの場所だった。バスケットコートが五面は取れそうな広さのその空間の中心に、テニスコートが二つくらい設置できそうな重々しいテーブルが置いてある。部屋の四隅にはおそらくはとても芸術的でとても価値があるに違いない彫刻が置かれているが、私には理解不能の代物だった。壁には数枚の絵画がかけられていて、おそらくはこちらも結構な作品なのだろうが、全てが前衛芸術的作品で私の感性には合わないようだった。
「やぁ、よく来て下さったね」
 テーブルの一番奥側の席に腰掛けていた男が私に声をかけた。私と男の距離はまだかなり離れていたが、男の声はよく通った。両脇に妙齢のメイドを従えて、椅子に座ったままの姿勢で男は言葉を続けた。
「君が彼の言っていた探偵さんかね? ふむ、弁護士などとは幾人か付き合いがあるが、君のような職業の人間と出逢うのは初めてだよ。彼が言うには随分な腕利きだそうじゃないか。いや、逢えて光栄だよ」
 彼とはおそらく情報屋のことだろう。あんな怪しげな男と面識があるくせに探偵と逢うのは初めてだとは恐れ入る。
「私のような職業の人間とは生涯出逢わないのが幸せでしょう。トラブルとは無縁の日常を送ってらっしゃる証左に他なりませんから」
 素っ気無く嫌味を含ませたつもりだが、男は気にした様子もなかった。或いは単に気づかなかっただけか。執事の薦めるままに私もテーブルに着く。男の左斜め前くらいの位置だ。そこで初めて私の対面に二十歳前後の少女がいることに気づいた。
「失礼ですが、こちらが私の依頼人になるかもしれない方ですか」
 少女の方を見ながら男に問う。この部屋の調度など比べ物にならない豪奢で豊かな銀髪と、この部屋の調度に比べれば地味なワンピース姿が印象的だった。私の無遠慮な視線が少女は全く気にならないようだった。そもそも少女は私のことなど見ていなかった。というより、世界のどこも見ていないような虚ろな目つきだった。
「うむ、私の娘でね。この娘の飼い猫がいなくなってしまって、少々困っているのだよ」
「判りました、それでは後はこちらのお嬢さんから直接お話を伺いましょう。依頼人とは直接話すのが私のやり方ですので」
 男は少し鼻白んだような素振りを見せた。そして暫くの間逡巡した後、こう言った。
「それは無理だ。娘は誰とも話さない。━━少なくとも、いなくなった猫以外とは、誰ともね」

     ※     ※     ※     ※     ※     ※
 私の依頼人候補は猫以外とは話さないと言う話だった。
 また、依頼人の父親や使用人たちは、彼女の飼っていた猫を嫌っていて、猫の方も依頼人以外の家人のほぼ全てを嫌っていたことが判明した。
 そんな状態では猫探しなどままならないのは明らかだったので、私は依頼を断ることにした。だが、立ち去ろうとしたしたところで依頼人候補が言葉を紡いだ。他でもない、私に向かって。
「私があなたの飼い主では、不足かしら?」
 その言葉は、依頼人候補の父親に対して私が言った「探偵など依頼人の飼い犬のようなものだ。しかし犬にだって、飼い主を選ぶ権利くらいはある」という台詞の言葉尻を捉えたものに過ぎなかったが、私は答えてみることにした。
「ドックフードは要らないし、首輪はゴメンだ。気に入らない人間と口を利く必要はないが、私とも口が利けないのであれば、やはりゴメンだ。私は超能力者ではないのでね」
「判ったわ。ドックフードじゃなくて、報酬を払えばいいのよね? 首輪もつけないわ。それに貴方とはちゃんと話すことにする。それじゃあ、貴方はこれから私の飼い犬ってことでいいわね。人間と話す気にはならないけど、飼い犬なら何の問題もないわ」
「恐れ入った台詞だな」
 苦笑しつつそう答えた。家人たちの全員がおろおろしながら私たちを見守っている。
「では貴方の名前はオプにしましょう。探偵なんだからそれが良いわ。呼びやすいし」
「私の名前はMr.キートンだ」
「あら、飼い主が名前を決めるのが当然じゃなくて?」
「……勝手にしてくれ」
 そうして私は、初めて逢うタイプの依頼人に雇われてしまった。
 もちろん、二度と出逢いたくないタイプの依頼人でもあった。

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