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小説家たちの酒場コミュの第一章 客人たち

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 「アルバイトと常連客急募」
 
 アルバイトも、まだひとりふたり欲しいが常連客はもっと欲しいところである。
 翌朝、この張り紙をそのままにして開店準備をはじめた。

 昨夜からほとんど一睡もしていない私は準備が終わると、倒れこむようにしてカウンターのウラで寝てしまっていた。

コメント(25)

 結局私は白猫を見失ってしまった。最初から判っていた結果だ。都会に住む猫に追いつける人間などいないのだから。

 ろくに睡眠もとらず、翌朝になって私はまたBARに顔を出すことにした。
 別にあの白猫に固執してるわけじゃない。ちゃんとした目的があってのことだ。少なくともそのときの私はそう思っていた。
 どうせ閉まっているだろう、そう思ったが「CLOSED」の看板がどこにも見当たらない。それどころか営業時間を示すものもどこにも掲示されてない。24時間営業、なんて言葉が頭を掠めたが、すぐに頭を振って否定した。コンビニじゃあるまいし。
 試しに扉を押すと、真鍮のベルがカランと音を立てた。驚いた、開いている。
 店の中はありふれた場末のショットバーといった感じである。しかし店内は全体的に清潔感があり、朝の日差しが差し込んでいるせいか暖かな感じを醸しだしている。磨かれたグラスやボトル、ピカピカのカウンター。まるで開店したばかりのバーのようだ。いや、実際にこのBARは営業を始めてから一週間も経っていないはずだった。
「無用心なことだ」
 独りごちる。誰もいない。見ればキャビネットには結構なブランデーも置いてある。盗まれたらどうするんだ、などと他人事ながら心配になった。
 階上に住居があるのは建物の作りを見ただけで察しがついていた。カウンター越しに見える階段に向かって声を上げようとしてから、私は自分の間違いに気づいた。
 マスターと思しき男が、カウンターを挟んでちゃんとそこにいた。但し、崩れ落ちるようにキャビネットに凭れ掛かった姿勢で。微かに寝息が聞こえるから、いきなりサスペンスドラマみたいな展開にはなりそうもない。ただ寝ているだけだ。
(声をかけるのが親切なのか、寝かせておくのが親切なのか……)
 しばし、逡巡した。このマスターには色々と協力してもらうつもりでやってきたのだ。いきなり不興をかうような真似は避けたいものだ。
 やはり黙って立ち去ろうと決意したとき、階上、おそらくはすぐ上の2階から物音がした。人の足音だ、間違いない。こんなタイミングで建物内にいるということは、泥棒でない限りマスターの関係者だろう。家族とか、あるいは友人とか。
「やれやれだぜ」
 呟きながら磨かれた茶色のスツールに腰をかける。程なく足音の主はここまで降りてくるだろう。泥棒ならとっ捕まえてやるし、マスターの関係者なら代わりに私の用件を伝えてもいい。どちらにしろ、ここに足を運んだのが無駄にはならなかったようだ。私はカウンターの隅に重ねてあった灰皿を一つ引き寄せると、胸ポケットの煙草を一本取り出して火をつけた。
 ベルの音で目を覚ました。
眉間に皺を寄せて部屋の中を見渡し、空気を含んで広がった髪を撫で付けながら、とりあえずつぶやいてみる。
「ここはどこでしょう?」

 階下から、小さな物音が聞こえてくる。そこでようやく、ここがバーであることを思い出した。
 上掛けを跳ね除け飛び起きて、身支度もそこそこ階段を駆け下りる。
「マスターごめん。あたし爆睡しちゃ……」
 そこまで言いかけて、言葉を呑んだ。
マスターはちゃんとそこに居る。でも、もう一人そこに居た。
スツールにゆったりと腰掛けて、煙草を燻らす男性。
それがキートンとの出逢いだった――
 けたたましく二階から降りてきた女性は、私の姿を認めるとそのまま固まってしまった。そりゃそうだ、向こうから見れば私はかなりの不審人物だろう。
 その女性はオレンジっぽい茶髪とくりっとした瞳が印象的なまずまずな美人だった。どこかで見かけた何かに似ている気もしたが、それが何なのかさっぱり思い出せなかった。『マスターごめん』などと言っていたから友人や家族ではあり得まい。住み込みの従業員か、あるいは酔いつぶれて泊まった客か、どちらかだろう。だがそんな詮索より、まずは彼女の警戒心を解くほうが先だった。悲鳴を上げられたり警察を呼ばれたりしてはたまらない。
「失礼。鍵が開いていたのでね。驚かせたのなら、すまない」
 スツールから腰をあげながら、私は言葉を続けた。
「実はこちらのマスターにお願いがあってきたのだが、ご覧の通りマスターはお休み中でね。出直そうかと思ったんだが、君の足音が聞こえたのでね……」
 女性はまだ固まっている。私を値踏みするような無遠慮な視線が突き刺さってくるが、気にしないことにした。こういうとき、変にオドオドしたりすると逆効果にしかならない。私はなるべくゆったりとした動作に見えるように気を配りながら、上着のポケットから用意してきたものを取り出した。
 それは、一見何の変哲もない、黒い動物用の首輪だった。
「お宅で飼っている猫にこの首輪をつけさせてもらいたい。それもほんの一週間ほどの間で良い。ただそれだけの協力で法外な謝礼にありつける可能性もある。そういう話を持ってきた男がいることを、君からマスターに伝えておいてもらえないだろうか。後で出直したときに私から直接マスターに詳しい話をさせてもらうつもりだが」
 そう言って女性の反応を待ちながら、必要とあれば懐の福沢諭吉を数枚彼女に握らせなくてはならないかもしれない、などと私は考えていた。マスター同様、家族や友人でなくともマスターと近しいであろうこの女性に悪印象を与えるような事態だけは避けるべきだった。
「デルタに? それを? なんで?」

 大きな満月を、古びた洋館の屋根の上で、デルタと眺めていた。
歌うように喉をコロコロと鳴らし、月を見上げたままデルタが言った。
「キム、綺麗な月だね」
「デルタ? やっぱ、あなた喋れるんじゃん!」
「そうさ。でも、みんなには内緒だよ――」

 そこで目が覚めた。その数分後の出来事がこれ。
なので私の思考回路は、当然とんでもない方向へ転がる。

「ま、まさかそれは、一見変哲もない首輪と見せかけて、実はダイナミックな魔法が埋め込まれていて、デルタを悪の組織に売り飛ばそうとしているとかなんとか……」
 人差し指で首輪を指し、一気にまくし立ててから男性を見上げれば、苦虫を噛み潰したような顔で私を凝視中。
慌てて男性から視線を逸らし、わざとらしい咳払いをしながら髪を撫で付けた。
 穴があったら入りたい。でも店に穴があったら問題だ。
視界の隅に、小刻みに震える男性の姿が映る。もはや一刻の猶予もない……

 どうでもいい決意を胸に、決然とぎこちなく歩き出す。
どうにか目的の場所に辿りつき、少し屈んで囁いた。

「マスター、お客様ですよー」
 「…。ああ、客か」私はのそのそと起き上がった。
 普通の神経をもったマスターならこんなお客様の前で寝倒しているなど、言語道断だろう。弁解の余地もないはずだ。しかし私はそんなことを気にする人間ではない。

 「客?この店に客か。はは、そいつはおもしろい」
 とはいえ私は店に客が来た喜びを隠しきれずにいた。私はこのモノめずらしい客に目を向けた。その風貌からはどうもただ酒を飲みにきたとは思えない。男はこの暑い中、真っ黒のコートを着ておりいかにも怪しげな雰囲気だ。私も人のことは言えた義理ではないが、私からみてもそうなのだからよっぽどなのだ。
 私はキンバリーに、
 「この人はブランデーがお好みのようだから、いいのをあけてあげなさい」
と、聞いてもいないのに適当なことをいった。
 私は寝グセのついた髪をかきながら奥のシャワー室へと歩いていく。
 「猫のことだったら好きにしてもらっていい、キムにまかせる」
と、ドアごしに顔をのぞかせてつけくわえた。
 私は猫にも男の目的にも興味がなかったが、男のもっていた首輪はあの猫の首にぴったりとはまりそうだなと思った。何かあるのか、まぁあっても私には関係のないことか。…。
 私はしばし呆気にとられていた。
 難航するだろうと予想していた首輪の件が、実にあっさりと了承されてしまったからだ。当然理由を根掘り葉掘り聞かれるだろうと思っていたし、それに対する嘘の説明も三通りほど用意してきていた。それらが一切無駄になってしまった。
 いや、喜ぶべき事態に違いはないのだが。
 目の前では、キムがグラスにブランデーを注いでいる。こういう仕事に慣れてないのはすぐに判った。手つきがぎこちないとか、愛想の一つも振りまこうとしないとか、私が煙草を咥えてもライターを差し出そうとしないとか、そんなことが理由ではない。彼女はまるで麦茶でも注ぐかのように、グラスになみなみとブランデーを注いで差し出してきたからだ。
 水割りくらいなら頂いても構わないが、まだ日も高いうちからそんなものは頂けない。
「いや、まだ仕事の途中でね。今晩にでも改めて寄らせてもらうよ」
 グラス一杯分のブランデーの料金にしては多すぎる数枚の紙幣と黒い首輪をカウンターの上に置くと、私は席を立った。
「おつりは手間賃ってことで君が収めてくれ。マスターの了承も出たことだし、くれぐれも首輪の件はよろしく頼む。私ではあの猫に首輪をつけるのは不可能に近いからね。君なら安心だ」

 背後ではキムが抗議の声を上げているようだが、私はあえて知らん振りしてBARを出た。
 はてさて、夜までに猫に首輪が付いているといいのだが……。
ベルの音が鳴ると同時に店から男が出てきた。
私はちょうど良いと思い、だんだん狭くなっていくその隙間に体を滑り込ませる。
すれ違った時に、男がこちらを意味ありげに見ていたが、心当たりは無かった。

店に入ると、キムがなにやらご立腹の様子である。
さっきの男と何かあったのだろうか。恋人のようにはとても見えなかったが……。

テーブルの上には、グラスいっぱいに注がれたブランデーが置いてあり、口をつけたようには見えない。
しかし、私が気になったのはキムがテーブルの上から取り上げた物である。それは、猫用の黒い首輪だった。
私も以前は飼い猫で、首輪を付けていた時期もあったが、今は私の首には何もついていない。
別に首輪をつけるのが嫌だという訳では無いが、つける人間がいなかったのだ。
キムがそれをどうするつもりなのかは、その表情からはまだ分からなかったが、私はキムの傍に寄って声を掛けてみた。

「ニャ〜♪」
 フロから上がると猫がもどっていた。一晩中どこをほっつき歩いていたのだろう。さっきの男はもういない、帰ってしまったようだ。
 私は今朝から何も食べていないことに気づき、カウンターに置いてあるグラスをとりあげて飲みほしてしまった。
 
 キンバリーは首輪を手にとって猫を見ていた。
 なぜ首輪をつけるのか、その答えを男性に求めたけれど、のらりくらりとはぐらかされて、結局何も教えてくれないまま男性は店を去っていった。

 胡散臭い。臭すぎる。
 男性が置いていった、黒い首輪を無意識に掴みながら、頭の中で数々の妄想が広がる。
大体、首輪をつけさせただけで、法外な謝礼が貰えるって節からして怪しい。
どこかの年老いた豪富が、デルタによく似た猫を飼っていて、その猫が亡くなっちゃったからデルタを身代わりに……
だなんて展開だったらどうしよう。

 不意に視界の中にデルタが現れて、首輪を見ながら一鳴きした後、私を見上げた。
『キム、それどうするの?』
デルタにそう聞かれた気がして、肩をすくめて話し出す。
「わからない。首輪って、束縛を意味する物のような気がして。デルタには、自由であって欲しいの。でも、もし万が一だよ? デルタに何かあった時、首輪があったら知らせを受けることができるでしょ……」
 デルタに向かってつぶやいていると、シャワーを浴びたらしいマスターが店に戻ってきた。
マスターは徐にカウンターへと近づくと、男性が口をつけることのなかったグラスを持ち上げ一気に飲み干す。
付けすぎた香水のような、咽返るほどの強烈な匂いが漂った。

「マスター、これなんだけどね」
 首輪を持ち上げて振りかざすと、マスターが無言で頷いた。
「これをデルタにつけるだけで、法外な謝礼がもらえるらしいの。でも、私の好きにしていいって言ってくれたよね?」
 マスターとデルタの四つの瞳が、私の次の言葉を待っているのが解る。
 唇を突き出しながら焦らすように躊躇った後、ようやく切り出した。

「これはつけない。つけるなら、私が首輪を買ってくる」

そして、ずっと掴んでいた黒い首輪を、テーブルの上にそっと置いた。
「これはつけない。つけるなら、私が首輪を買ってくる」

キムはそう言った。
これには私も少し驚いた。この首輪を私につけると法外な謝礼がもらえると言っておきながら、付けないと宣言したのだ。
しかも、自分で買って来た首輪ならつけるなどという、よく分からないことまで言い出す。
この首輪を受け取った時に、どんな会話がなされたかは分からないが、そんなに怪しい物なのだろうか……。
私は頭を傾けながらその首輪を観察するが、特におかしな所は無いように思える。

ふと、キムを見ると、自分の宣言に満足したかのように何度も頷いている。その表情は……笑顔だった。
それで、私は少し分かった。

キムは私を心配してくれたのだろうと……。

まだ、出会ってから短い時間しか経っていない上に、私は猫だ。それなのに、法外な謝礼を放棄してまで私の事を心配してくれたのだ。
私は、柄にも無く胸が熱くなるのを感じた。長い間、自分が主人と思える人間には出会わなかったが、キムならそれでも良いのでは無いかと思えたのだ。
図らずも、私の本当の名前で呼んでくれたことも運命なのかもしれない……。
私は、キムが首輪を買ってきた時には、素直にその首輪を着けようと思い、キムの手のひらを舐めて、今の気持ちが伝わるように鳴いた。

「ニャ〜♪」



しかし、キムのセンスは独特なので、あまりに可笑しな首輪だったらどうしようかと、少し悩んだのは秘密だ……。
 キンバリーは店を出て行ってしまった。首輪を買いにいっただろう。ふとその首輪に目がいった。魔がさしたのか、私はその首輪をしてみたくなった。

 とても私の首には入りそうもないので、左腕にそれを通してみた。首輪はヒジの少し上のところにぴったりとはまった。

 …。何も起こらない。ガラにもなく私はこんなものに興味をもってしまったのか。しかし、何も起こらないのでその首輪というか腕輪に手をかけた。

 …!! はずれない!その輪は私の二の腕にガッチリとはまっている。見ると黒い腕輪は赤く変色していた。私はめまいがして、左腕を押さえたまま仰向けに倒れた。頭に猫の鳴き声が響いた……。

 
 事務所は閉まっていた。
 鍵を使ってドアを開ける。デスクの上の留守番電話のランプが点灯していたので再生してみたが、依頼人からの経過報告を聞きたい、という電話だけだった。
「ケセラセラ、なるようになる」
 とても依頼人には聞かせられない本音を口にしながら、私は黒いコートを脱いだ。途端に電話が鳴った。
「もしもし?」
「ヘイ、流石に仕事が速いな。お前ならラクショーだと思ってたぜ」
 情報屋からだ。
「何のことだ」
「こっちの端末に反応があったぜ。ちゃんと『外れ』の方に目印を付けられたみたいじゃないか。今頃、飼い主は泡食ってるかもしれないな。なにしろ首輪の色が赤く変わってるんだから。が、はめちまったが最後、一週間はゼッテー外れねぇ。これでお前も安心して『当たり』探しに専念できるだろ?」
 そうか、キムがあの白猫に首輪を付けてくれたらしい。押し付けるような形になってしまって少し気にしていたのだが、これは礼の一つも述べにBARに顔を出さねばならないようだ。
「しかし、信頼していいのだろうな。首輪の性能に関しては」
「大丈夫さ。この街なら全てカバーできる。隣町まで行かれると追えなくなるが、依頼人は絶対にこの街に自分の飼い猫がいると言い張ってるんだから、その前提で一週間、徹底的に調べなおしゃ良いだろう? それで『当たり』を引けば良し、ダメならダメで『やはりこの街にお宅の猫はいません』と自信を持って言えるじゃないか。そうすれば流石に奴さんも諦めるだろう。この街にあんな特徴的な猫が二匹以上も住み着いてる、なんて可能性はあまりに低すぎるからな」
 そう、全てはあの白猫が私の探している猫と瓜二つなのが原因だった。何しろ飼い主の家族ですら、あの猫を見たときには息を呑んだほどだ。それほど似ている猫が放し飼いにされているのは私にとっては迷惑千万だった。あの白猫に目印の一つや二つ付けたくなったとしても仕方ないだろう。
「『当たり』の方はとっくに他所の家で座敷猫になってる可能性もある。もともと座敷猫だったんだし」
「その可能性も考慮しなくていい。そう依頼人に言われたんだろ。ならそれでいいじゃないか」
「一週間経てば首輪は必ず外せるんだろうな?」
「ああ、それも絶対だ。何しろ、電池が一週間しかもたないからな」
「なら結構だ」
 そう言い捨てて私は受話器を置いた。
 デスクの引き出しを開けると、確かに仕舞っておいた弁当箱サイズの端末に反応があるようだ。携帯電話のパーツを流用した発信機があの首輪には仕込まれている。しかも端末は私の事務所のPCに情報を送っているので、『外れ』の猫の行動は逐一記録されていくことになる。これは『当たり』を引くための大切な布石の一つになるはずだった。
「さて、後はあのマスターがせめてキムに酒の出し方くらい講釈してくれていると助かるのだがな」
 夜には礼を述べにBARに顔を出すつもりだ。その時にまたストレートのブランデーをグラス一杯に差し出されては堪らない。BARで起こっていることなど知る由もない私は、そんな暢気な心配をしていた。
はぁ〜。

私はため息をついた……。一体何をしているのやら。
マスターは、何を思ったのか自分の腕に首輪をつけて、しかも気絶してしまったのだ。私が様子を見ていた限りでは特に苦痛を感じているようでは無かったが、腕が締まって血流が乱れたのだろうか……。
しかし、首輪が変色した理由も、マスターが気絶した理由もよく分からないが、一つ思ったことがある。

私がつけなくて良かった……。


まぁ、マスターについてはキムが帰って来てから何とかしてもらうとして、先程の男が気になる。
悪い人間には見えなかったが、私に首輪をつけさせることに何らかの意図があったのは確かだ。
あの男は、今晩にでもまた店に来ると言っていたから、その時に少しでも話が聞ければいいが、そう簡単にはいかないだろう。しかし、この惨状を見たキムが黙っているとも思えない。

さてさて、どうなることやら……。

私は、倒れたマスターとイスをそのままに、定位置である奥のテーブルの上で丸くなった。
キムが帰って来るまで、しばらく休むことにしたのだ。
どうせ客が来ることも無いだろうし、問題は無いだろう。

丸くなってすぐに深い眠りに落ちていく。
昨日あまり寝ていないせいだろう。私は抵抗せずに、睡魔にその身をあずけた……。
 「ガタッ」
 私は跳ね起きた。まだ少し頭痛がする。左腕をみると、、輪がない…。夢だったのだろうか。しかし左ヒジから上が異常に熱いのはなぜだ。カウンター裏の冷凍庫から取り出した氷を腕に押し当ててみると、氷はみるみるうちに溶けてしまった。
 「ち、どうもやっかいなことに巻き込まれてしまったらしいな」
 私は腕に耳を押し当てた。
 「チ、チ、チッ」
 中から時間を刻む針のような音が聞こえてくる。
 まったく、勘弁してくれ。 
 
 裏口からこそこそと店の中へ戻ると、見てはいけない光景を目にして、思わず携帯を握り締めた。
 へそ天。つまり、おへそを天井に向けた仰向けで、猫にあるまじき爆睡を繰り広げるデルタ。
「かわいい。可愛い過ぎる。激プリだ」
 頬が自然と緩み、ポケットの中で握り締めていた携帯のカメラ機能を起動させる。
あれこれと携帯の角度を変えて、ようやく好アングルからの激写に成功。
 シャッター音に驚いたデルタが、文字通り飛び起きて私を見上げるけれど
「甘いな。遅かったようだよ、デルタくん」
印籠を振りかざすお役人の如く、携帯をデルタの目の前に突き出してほくそ笑んだ。

 突然、背後で氷をまさぐる音がして、今度は私が驚いた。
恐る恐る振り向けば、自分の腕に耳を当てたマスターが、眉間に皺を寄せて独り言をつぶやいている。
「ち、どうもやっかいなことに巻き込まれてしまったらしいな」
 その言葉を聞いて、私の眉間にも皺が入る。
同意を求めてデルタを見れば、額のマークを微妙に歪ませながら溜息をついている。

 カウンターに置いた、あの首輪が見当たらない。
私が出かけている間に、一体何があったのだろう。
 こめかみ辺りを、人差し指で何度も擦りながら
「で、厄介なことって何?」
やはり溜息をついているマスターに向かって、単刀直入に切り出した。
 「…」
 私はうろたえると顔をさわるクセがあるようだ。私が倒れた場所なのか、床に小さなへこみがある。

 私は左袖をめくりあげてキンバリーの耳元へ腕を突き出した。
 「聞こえるだろ?」
 彼女は目を丸くしている。私は人が驚いているのを見ると冷静になるタチで、この身に降りかかった災難を冷静に受け止めている。いやむしろ何の不安もない。

 退屈しのぎにはちょうどいい。私は薄笑いをうかべた。この状況をあなどっているように。
 彼女は不安そうに見つめている。
 「なにも心配はいらない」

 そういえば、彼女も私も今朝から何も口にしていないことに気づいた。
 「…飲むかい?」
 棚を空けてグラスをとった。
 「ブランデーはこうやって入れるんだ。水を1としたらブランデーは1弱くらいかな」
 私は片方のグラスにそうやって注いでみせて、キンバリーにもやってもらうように促した。

 彼女が慣れない手つきでブランデーを注いでいく…。?なぜ気づかなかったんだろう。見ると、ブランデーがカウンターに染み出していた。

 グラスにヒビが入っていたのだ…。




 
■お断り■

 以下の連続投稿は、中断している一章から二章開始時点までにおけるMr.キートンの一週間分の行動を綴ったものです。
 私の提案を快く承諾してくださったマスターさん、白猫の三角さんには、この場を借りまして深く御礼申し上げます。
 閲覧者様方におかれましては、大変お見苦しいとは、どうかご容赦いただきたいと思います。また、二章に参加していただいている皆様におかれましては、今後の投稿において何か参考になる点があれば幸いです。

 最初は粗筋だけ、と考えていたのですが、気づけばとんだ長文になってしまいました。なるべくMr.キートンの行動をなぞるだけのものにするよう心がけて書きましたので、あえて説明されていない箇所が多々存在する、未完成のショートストーリーをこの場にUPすることになった失礼、この場を借りてお詫びいたします。
 もちろん、質問やツッコミなどの指摘はなるべく迅速かつ丁寧に行う所存です。

 お目汚しは百も承知ですが、お時間が許す方はご笑覧いただければ嬉しく思います。

                               Mr.キートン
『Mr.キートンの1週間』


     月曜日

 依頼人が飼っていた猫と特徴の合致する白猫は、いとも簡単に見つかった。「その猫なら最近開店したばかりのBARに住み着いている」という証言を複数の街の人間から得ることができたからだ。
 私がBARへと足を運ぶと、ちょうど店の前をうろついている白猫を見かけた。
 依頼人にさっそく連絡を取る。やがて依頼人の代わりに彼女の身の回りの世話をしているメイドがやってきた。白猫は依頼人とその母親(二年前に死亡している)以外にはあの家の誰にも懐かなかったが、そのメイドだけは例外的な存在だったそうだ。ちなみにそのメイドは依頼人も例外的に幾らか心を許している人物らしく、会話こそしないものの時々筆談などをしている、とのことだった。
 まずはBARの中にいる人間には話を通さず、遠目から白猫を確認してもらう。理由は簡単だ。もし今の飼い主がBARの主人で白猫を可愛がっているなら、白猫を手放したくない一心で嘘をついたり白猫を隠してしまったりしかねないからだ。実際にペット探しではこういうことが障害になって仕事をしくじるケースも少なくない。
 私は彼女が最初に白猫を見かけたときのリアクションを見逃さなかった。息を呑み、目を見開いている。まるでそこにいるというのが信じられない、とでもいうように。
「違います、デルタじゃありませんよ、あの猫」
 吐き出すように言葉にする。デルタとは依頼人が飼っていた猫の名前だ。
「何故そう思います? 特徴は合致しているはずですし、あんな猫がそう何匹もいるとは思えませんが」
「びっくりするほど似てますけど……。デルタはもう少し痩せてました。野良になって急に太ったりするはずないでしょう」
「野良じゃなく、あのBARで飼われているようですが」
「それにしたって、いなくなってたった十日ほどで目に見えて太るものでしょうか? それに歩き方が鈍重すぎます。もっと軽やかに歩く子だったんです。それに何だか雰囲気が……。」
 私は肩を竦めた。猫の歩き方や雰囲気がどうとか言われても正直私には判らない。違うと言われれば「ああそうですか」としか答えようがなかった。少なくとも、とりあえずは。

 その夜、BARの前を通りかかると、ちょうど白猫が私の目の前を何か咥えて通り過ぎていくところだった。無駄を承知で後を追ってみたのは何故なのか、未だに判らない。

 依頼人に確認をとってみたが、彼女は自分のメイドが違うと言うのなら絶対に違う、としか言わなかった。ご自身で確認していただきたい、と申し出てみたがその必要はないと断られた。私は仕方なく、もう一匹いるはずの白猫を探さねばならなくなった。
 そこで一計を案じることにした。
 私がほとんど便利屋として利用している情報屋に連絡を取り、発信機付きの猫の首輪を大至急用意してもらいたい、と依頼してみた。少し時間がかかるかと思ったが情報屋は「そんなものならすぐに用意できる。実は俺の芸術的作品がこないだ完成していてな、そいつを猫の首輪に取り付けりゃ良い。大丈夫、見た目はただの首輪にしか見えないよう完璧に仕上げておくぜ」と請け負ってくれた。怪しい機械を作らせたら右に出る者は皆無なのが情報屋の取り得の一つでもあった。
 私の計画とは、要するに『外れ』の猫の方の行動を逐一監視して把握しようというものだ。一見無駄な作業に思えるが、やはり必要な作業だった。
    火曜日

 朝一番に情報屋から首輪を受け取り、私はBARへ向かった。
 驚くことにBARのマスターはあっさり首輪を白猫に取り付けることを了承してくれた。マスターの言葉もあり、私はキムと言う女性(雇ったばかりのウエイターだそうだ)に全て任してBARを後にした。

 事務所に帰ると情報屋から連絡が入った。首輪は無事取り付けられたようだった。夜にでもキムに礼を述べるため、BARに顔を出すつもりでいた。

 夕刻、ばったりとキムに出逢い、BARで起きている一部始終を聞かされた。私の計画は思わぬ『事故』で頓挫しているようだ。それにしてもキムの話を聞く限り、首輪に妙な機能まで追加されているようだ。電話で情報屋に確認を取ってみたが繋がらない。一体どうなっているのか?

 夜、BARに行く予定は中止してまずは依頼人に連絡を取った。事の顛末を話すと彼女はひとしきり笑った後「それじゃあ貴方はしばらくBARに近寄らない方が良いわね、少なくともデルタが見つかるまでは」と言った。『外れ』の白猫に目印を付けそこなった以上、新たな手を打つ必要があると私は主張したが、依頼人は『外れ』の白猫は自分のメイドにそれとなく見張らせるので私には別のアプローチを取るようにと指示した。確かに『外れ』の白猫に必要以上に執着する理由はない。ただこの頃から私は依頼人が単にデルタという愛猫を探し出したいだけではないのではないか、という疑問を抱くようになった。
 その後、再び情報屋に連絡を取ると今度はあっさり繋がった。
「人間が着けただと? そりゃマズいことになったなぁ」
「何がどうマズいんだ」
「いやね、お前さんの仕事をいろいろとやり易くしてやろうと、発信機以外にも実はいろいろと仕掛けを施していたんだが、まさか人間がつけるとはねぇ。予想外だったぜ」
「質問に答えろ。何がマズいんだ」
「一週間ばかし猫の体調がものすごく悪くなって外を出歩けなくなる。そういうのを仕掛けたのさ。もちろん生命に危険はない。電池が切れれば元通りになるしな。予定通り猫に取り付けることに成功していたら、今頃お前は泣いて俺様に感謝していたこと請け合いだ。何しろ『外れ』の猫の行動を全く気にする必要がなくなるんだからな」
「そういうのを余計なお世話ってんだ。人間が着けた場合、健康を害したりする心配はあるのか」
「さあなぁ、そんなの試したことないし。多分大丈夫だと思うがな。猫でも一週間経てば元通りなんだから。ああ、そういう意味では良いデーターが取れるかもしれないな、初の人体実験だ」
「っの、大馬鹿!」
 自分でも驚くほどの大声で受話器を怒鳴りつけた後、叩きつけるように電話を切った。そういえば具体的にどういう仕掛けを施したのか何も聞いてないことに気づいたが、その夜はもう情報屋に連絡を取る気は失せていた。
     水曜日

 依頼人から電話があった。
 私に自分の屋敷と、彼女が所有する会社の社屋に自由に立ち入っても良い、という連絡だった。何のために、と問うと、もちろんデルタを探し出すためだ、と返事が返ってくる。彼女は一体私に何をさせたいのだろうか。

 依頼人の意向に従って、とりあえず彼女の自宅と彼女が所有している五つの会社を訪れてみる。猫が入り込んで出られなくなりそうな狭い場所、猫が登って降りられなくなりそうな高い場所を重点的に探して回ったが、何も見つからなかった。
 一箇所だけ封鎖されてしまっている場所が依頼人の自宅にあり、そこにだけは立ち入れなかった。依頼人の母親が事故死した場所で、事故以来ずっと封鎖されたままなのだそうだ。
 この確認だけで一日が潰れた。そして、この一日で依頼人の複雑な家庭環境を私は知ることになった。しかし結局依頼人が私に何を望んでいるかは判らないままだった。
    木曜日

 依頼人の父親が私の事務所を訪れた。
 今回の仕事から手を引いてほしいとのことだった。もし私が彼に従えば、依頼人が支払う予定の三倍の額を口座に振り込んでくれるのだそうだ。理由を問えば、たかが猫探しの為に社内に部外者(つまり私のことだ)を引き入れ、自由に調べさせるようでは困るとのことだった。外聞が悪いからずっと自宅で静養させていたが、今度こそ精神病院に連れて行く、あの娘は少しおかしいのだ、とも言っていた。
 私は依頼人の父親――いや、対外的にはそうなっているというだけの男の要請を断った。 男は依頼人の母親の間男に過ぎなかった男で、依頼人の母親とついに結婚することもなかったので依頼人とは赤の他人同然だった。しかし依頼人の母親と男は周囲には半ば公然の仲だったので、二人が同じ家に住むようになろうが、男が大した実績もないのに依頼人の母親の会社で出世を重ねようがそれほど気にする者もいなかったようだ。
 男が会社ではばを利かせ始めたのは依頼人の母親が事故死した後くらいからだという。男は急に頭角を現し始め、新たな事業計画を次々に会社に提案し、それは悉く上層部に受け入れられた。もちろんどれもこれもが成功を収めた。そんなこともあって、またもともと才気抜きん出たところもある男だったので、あっという間に出世していき、今やグループのNo.3なのだ。
 余談を重ねれば、No.2は依頼人の母親が事業での片腕的存在として重用していた男で現在のグループの代表。No.1は私の依頼人だ。私の依頼人は母親の所有していた全てを相続していた。母親は何故か自分の身に万が一のことがあったときの為に完璧に備えていた。お陰で母親が事故死したときにはまだ未成年だった私の依頼人は、成年と同時に母親の財産の全てを受け取ることができたのだ。全て、昨日の猫探しのついでで仕入れた話ばかりだった。

 申し出を断られた男は、しつこく私に食い下がってきた。
「金額が不満なのか。では五倍の額ではどうだ」
「金額は関係ない。依頼人を裏切らないことは私のポリシーの一つだ。僅かばかりの金と引き換えにしたくはないな。五千倍払うとでも言われれば私の心も動くかも知れんがね」
「娘は病気だと言ったはずだ。こんなことは止めさせてしっかりと静養させるべきなのだ。君が娘の身を心配してくれるのなら尚更私の申し出を受けるべきだろう」
「あんたの娘さんがどんな人物かは知らないが、私の依頼人は至って正常だよ。赤の他人が自分の家で主人面してたら、そりゃ飼い猫以外とは話さなくなるかもな。図々しくも主人面している赤の他人は当然として、そんな奴を受け入れている家人にも腹が立って仕方がないだろうな。あんただってそう思うだろう、間男?」
 そう言ってにっと笑って見せると、男は即座に真っ赤になって立ち上がった。私に掴みかかろうとしてきたが、私に足を払われたせいで派手に転んだだけだった。男を叩き出した後で、事務所に鍵をかけて私は出かけた。

 昼間の調査では大した成果は上がらなかった。相変わらず、デルタの行方は杳として知れない。ただ、気になる話を街で耳にした。首輪を付けそこなったあの白猫の名前もデルタ、ああいや『デル太』と言うらしい。最近になってキムがそう名づけたのだそうだ。何故『デル太』なんて命名したのかは判らないが、恐ろしいほどの偶然だった。

 夜になってチンピラ三人に絡まれた。全員を叩きのめした後で警察を呼んで引き渡した。チンピラたちが何者かに頼まれて私を狙い撃ちにしたのは明らかと言える状況だったせいか、こんな嫌がらせを受ける覚えはあるか、と警官に聞かれた。覚えがありすぎて困っているとだけ答えておいた。
 深夜には警察署を出て事務所に戻った。鍵を閉めて出たはずなのに入り口のドアが開いていた。何者かが家捜しでもしたようだ。私の事務所には金目のものはない。PCは自作したものだから売り払っても二束三文だろう。これまでの調査報告書もあるが、こちらは私以外には決して開けられないドイツ製の金庫の中にある。金庫は床と一体化しているので、バーナーでもないと持ち出せないようになっている。そのお陰かどうか、盗まれたものは何もなかった。
 とにかくさっさと眠ってしまいたかったので、警察に被害届けは出さなかった。
     金曜日

 私の仕事はあくまでいなくなった白猫を探すことだった。依頼人の家庭の事情を知ろうと、チンピラたちに襲われようと、事務所に空き巣が入ろうとそれが変わることはなかった。
 今日も街を、依頼人の自宅や会社をうろつく。成果は一向にあがらない。
 昼になってから依頼人に正直に経過を報告すると、彼女は「私の母のことを調べてみたら」などと言った。何のために、と問うてみたが「デルタと母は仲良しだったから、何か判るかもね」という答えが返ってきただけだった。そんな不確かな方法は採用できないと反論したら、貴方のやり方でも大して成果は上がってないようね、などと言われてしまった。
 依頼人の母親については簡単に調べが付いた。
 もともとやり手のキャリアウーマンだったが、経営破綻しかかったとあるグループの経営再生に携わり、これで大きな成功をあげる。このとき、そのグループの会長の目に留まり、やがて会長の婦人になった。数年後、夫が死亡すると(もともと老齢で、死因は自然死だった)その後継者に収まった。それと前後して私の依頼人が産まれている。
 そして二年前に屋敷内の階段から転げ落ちて死んでいる。私の依頼人はその現場を見て以来、デルタとしか話さなくなったのだとか。
 夜になって、私はBARを見張っているはずのメイドに連絡を取った。頼みたいことがあったのだ。
  土曜日

 私は午前零時を過ぎてから、こっそりと依頼人の自宅を訪れた。門は開いている。傍らには例のメイドがいた。
 私が彼女に頼んだことは、屋敷内にある封鎖されている場所――すなわち、二年前に依頼人の母親が転落死した場所に立ち入りたい、ということだった。
 門から屋敷に続く道はベンツでなら数分だが徒歩ではさすがに時間がかかった。その間、メイドは無言で私の後ろを歩いていたが、やがて沈黙に堪えきれなくなったのか言葉を紡いだ。
「本当にこんなことが必要なんですか。デルタがあの事故現場にいるとでも?」
「いや、おそらくはデルタはそこにはいない。私にはデルタという猫が何処にいるのか、もう判っている。月曜日だったかな、最初に見かけたのは」
 私の隣でメイドが身を固くするのがはっきりと判った。
「じゃあ、どうして?」
「さあね。ただ、居もしない『もう一匹のデルタ』を探させようとする私の依頼人や君の思惑は判るかも知れない。幾ら調べても何も出てこない公算も大だがね」
 私がそう答えると、それきりメイドは黙り込んでしまった。

 そして屋敷にたどり着き、真っ直ぐに封鎖されている場所へと向かう。件の階段に近寄れないよう、その階段に続く全てのドアに鎖と南京錠がかけてある。私はメイドが取り出した鍵を使って南京錠を開け、鎖を外して事故現場である本館裏口側の一階フロアへと向かった。

 予想した通りそこには長い階段があるだけのフロアだった。本館の裏口らしいが、通常の家屋の玄関が十個ぐらい入りそうな広さだった。今は窓から差し込む月明かりだけがそこを照らしている。照明はつけないように、とメイドに指示したのは私だった。
 私は階段をフロアから見上げてみる。一番上から転落すれば、かつよほど打ち所が悪ければ人も死ぬかもしれないが、正直言うと微妙だった。怪我ぐらいはするだろうが、ただ転落しただけで人間が死ぬのは難しそうな階段だった。
 足が何かを踏んづけた。カサ、と小さな音がする。見ると、枯れた花の残骸が私の足元に散らばっていた。
「おかしいわ。ここは封鎖する前にきちんと清掃したから、こんなものが落ちてるはずがないのに」
 メイドが言う。残骸の一つを手にとって見たが特に何も判らなかった。もともと花には詳しくないのだ、私は。
 不意に何かが階段の上に立った。その何かは月明かりに照らされて細長い影を階下に伸ばす。驚いて見上げると、そこにいたのはデルタだった。一体何処からこの場所に入ったのか。少なくとも私たちの後を追ってではないはずだ。それなら階上から現れるはずがない。
 デルタは口に一輪の花を咥えていた。呆気に取られている私とメイドの間を悠々と通り過ぎると、咥えていた花を床に置く。それから私たちの方を一度だけ意味ありげに見ると「ニャア」と一声だけ鳴いてさっとその場から身を翻した。そのまま私たちが入ってきたドアから出て行く。あっという間に闇に溶けてゆくその姿を私たちは慌てて追った。

 やがてある一室のドアの前に辿り着くと、デルタは足を止めた。息を切らせながら後からやってきたメイドが「奥様の部屋だわ」と呟く。奥様とは依頼人の母親のことだろう。私は彼女を促してその部屋を開けさせた。
 詳細は割愛するが、私はそこで小さな真鍮製の歯車を手に入れることになる。それをポケットに放り込み、そのことをメイドに口封じしてから部屋を出た。

 夜が明けてから依頼人に彼女の自室で逢い、一部始終を報告した。但し、歯車のことだけは伏せておいた。
「結局君は私に何をさせたいんだ。君の猫ならもう見つけた。それでも私に猫探しをさせようとするのは何故なんだ」
 デルタが間違いなくあのBARにいる白猫であることに関しては、メイドからも確認済みだった。口を割らせるのにはそれなりに苦労したが。彼女は私がデルタを見つけ出しても「あれはデルタではない」と言い張るように指示を受けていたのだ。
「今日は母の命日なの。デルタはきっと花を添えるためだけに帰ってきてくれたのね」
 依頼人はぽつりとそう口にした。続けて、こんなことも言った。
「今日までには、全てをはっきりさせておきたかったのだけれど」
「全て?」
「そう、全てよ」
 私たちはしばらくの間押し黙ったままで過ごした。
 やがて依頼人は立ち上がり、自分のデスクから小さな木製の箱を取り出した。
「ありがとう、オプ。貴方の仕事はもう終わりよ。報酬は後日必ずお渡しするわ。とりあえず今日はこれを持って帰ってちょうだい。貴方に必要のないものなら捨ててくださって結構よ」
 私は手渡された箱をじっと見つめてみた。上蓋を跳ね上げると古典的なオルゴールが中に仕込まれていた。しかし、オルゴールは音を奏でることはなかった。
「壊れているの。母が残してくれた沢山の物の中の一つよ。他のものは全て意味があって私に残してくれていたのに、これだけはどういう意味があって私に残してくれたのかが判らないままなのよ。どうして母は壊れたオルゴールなんかを私に託したのかしら」
「何かの謎かけかな」
「そうかもね。でも私には解けそうもないわ。貴方ならどうかしら」
「さてね」
 謎を解く鍵は私のポケットに入っているのではないか、そうも思ったがその場ではあえて黙っておいた。私は渡された木箱を自分の事務所に持ち帰った。依頼人に別れは告げなかった。どうせすぐに逢うことになるのは目に見えていた。

 事務所に帰り、木箱の中を詳しく調べてみる。電子部品の類はさっぱりダメだが、こういうアンティークに分類されるような機械弄りならば私もかなりのものだと自負している。オルゴールが作動しないのは、やはり歯車が一つ欠けているのが原因のようだ。ポケットの中の歯車を填め込んでみる。予想通りぴったりだった。
 オルゴールを作動させると「胡桃割り人形」が流れる。だがどこか妙な違和感がつきまとう「胡桃割り人形」だった。やがて曲の演奏が終わると木箱の底が開いた。メモ用紙のような物が舞い落ちる。確認してみると、意味不明な数字の羅列が記載されているだけだった。

 このオルゴールとメモがセットで暗号だったのだが、それについての詳細も割愛する。比較的簡単な暗号だったことだけ述べておこう。依頼人の母親が、娘である依頼人にあてた暗号なのだ。彼女に解けるものでなければ意味がない。

 昼間は、解読した暗号を元に事実関係の裏づけを行った。

 夜になって私は依頼人の屋敷を再び訪れた。
 大広間には私の依頼人とそのお付のメイド、そして間男だけがいた。重大な話があるので時間を割いて欲しいと私が彼らに申し出たのだ。
 私はその場所で、二年前に屋敷で起きた事故についての新たな事実を語った。概要だけ述べれば、依頼人の母親は事故死とは言い難い死に方をしたのだ。そしてそれには間男が密接に関わっている。ただし、これについても詳細は伏せておこう。機会があれば、いずれまた、だ。

 そして間男は、翌日には屋敷を追い出されることが決定した。
     日曜日

「結局、君は私に何がさせたかったんだ」
 いつかした質問を、私は依頼人に繰り返した。
「母はどうして死んだのか、ずっと知りたかったの。私は事故現場を見たとき、母が頭からものすごくたくさんの血を流しているのを見て倒れてしまったから、その後のことは知らなかったのよ。でも、時間を置けば置くほど死んでしまったのはおかしいと思えてきて……。自分でもいろいろ調べてみたけど、流石に限界があったわ」
「だろうな。デルタ以外と一切口を利かなかったのなら、それは尚更だ」
「だって、悔しいじゃない。いつの間にか母の代わりにこの屋敷の主人になるのが当然だ、なんて顔をあの男にされるのは。使用人たちもいつの間にか状況を受け入れてしまっていて、あの男に媚び諂いだしてさ。でも、デルタを探して欲しかったのも本当よ。あの子は私の唯一の相談相手だったから」
「君のお付きのメイドは? 彼女には相談しなかったのか。君は彼女を信頼していたようだし、筆談ででも何でも相談くらいできたはずだ」
「あの娘はメイドとしては優秀だし、この家でただ一人だけ私の気持ちを察してくれているようなふしがあったの。だから信頼していたし色々頼みごとをしたこともあるけど、彼女はあくまでメイドなのよ。それ以外のことはできないし、させるべきでもないと思っているわ。そういう意味では、今回は見張り役なんてさせて悪かったと思ってる」
「その彼女に、デルタを私が見つけても違うと言えなどと指示したのは何故なんだ」
「それは、まさか依頼した翌日に見つけてくるなんて思わなかったからよ。デルタは使用人たちが総出で探したこともあったのに見つからなかったのよ。それを簡単に見つけてくるんだもの。焦ったわ、貴方には色々と働いてもらうつもりだったから」
「それは二年前の事故の調査のことか? 何故最初から事情を話さなかった」
「あなたにはあくまでデルタ絡みで動いて欲しかったのよ。直接二年前の事故のことを調べていたら、あの男に色々警戒されちゃうかもしれないでしょう」
「やれやれ、私も舐められたもんだ」
 もし彼女が最初から事情を全て話してくれていたなら、無駄な回り道をせずに済んだものを。あの間男に気取られず調査を行うことなど私にはわけもないことだったと言うのに。
そのせいか、つい皮肉を口にしてしまった。
「で、自宅や社屋を調べろだの、自分の母親のことを調べろだのと指示を出してきたわけか。しかし結局は私は何も見つけることができなかった。なにしろ私が探していたのはデルタであって、二年前の事件の真相じゃなかったからな」
「そうかしら。ちゃんと事件の真相を解き明かしてくれたじゃない、貴方は」
「いや、不本意だが今回の事件で私は何も解決していない。事件を解決したのはデルタだよ」
 偽らざる本音を私は口にした。依頼人は大きく瞳を見開いて私をまじまじと見つめた後、小さく笑った。
「では、デルタは私にとっての三毛猫ホームズだった、ということね。オプ、貴方の役回りは片山刑事ってとこかしら」
「せめて本家本元のホームズとワトソンにしてくれ」
 私の苦情を依頼人は取り合わなかった。

 私は依頼人に調査報告書を提出した。
 そのデルタに関する項の概要だけ抜粋しよう。

     ※     ※     ※     ※     ※     ※

□デルタ
 生年不明。おそらくは五歳から六歳。街の住人の証言より、よく似た猫がとある老婦人のもとで飼われていたことが判明している。当時はほんの子猫だったそうだが、外見的な特徴からデルタと同じ猫と断じてほぼ間違いない。
 その老婦人がデルタを飼いはじめてからわずか一年ほどで死亡し、野良となる。現在はBARが開店しているその場所に住み着いていたが、餌を与えるものがいなくなったため難渋していたようだ。
 やがて私の依頼人宅に侵入したところを、故人である依頼人の母に見つけられ、その場で餌を与えられていらい、しばしば顔を出すようになり、そのうち住み着くようになる。依頼人とその娘、そして娘のお付きのメイド以外には懐かず、むしろ攻撃的な素振りすらみせることがあった。
 依頼人の母親が死亡してからもしばらく同じ家で飼われていたが、二週間近く前に行方不明になる。
 現在は古巣であるかつての飼い主がいた場所に戻っている。飼い主はBARの主人だが、デルタに対しては無関心なようだ。キムというウエイターにことの他可愛がられており、どちらが真の飼い主なのかは不明である。

     ※     ※     ※     ※     ※     ※

「ねぇ、デルタはどうして家を出て行ったのかしら?」
「さてね。そんなことは私には判らんよ。君は猫と話せるのだろう? ならば直接BARに赴き、自分で訊いてみてはどうだ」
「オプ、それは違うわ」
「何がどう違う」
 依頼人は艶のある表情で言った。
「私が猫と話せるんじゃないわ。私、デルタ以外の猫となんて話せないもの。つまり──デルタが人間と話せるのよ。デルタは文字通り、人間と会話できる猫なのよ」
 私はまじまじと依頼人を見つめた。依頼人は挑むような、それでいてどこか私をからかっているような、何とも表現しづらい表情で私を見つめ返している。
 しばらくの沈黙の後、依頼人が言った。
「ま、いいわ。あの子には散々愚痴を聞かせてしまったから、愛想を尽かされただけかもしれないしね。どちらにしろ、気が向けばあのBARに顔を出してみるわ」
「元の飼い主は君だ。デルタを連れ帰ろうとは思わないのか」
「いいのよ、元気でいてくれるのさえ判れば」
「そうか」
 それからしばらく、また沈黙が続いた。

 やがて依頼人は私に報酬を支払い、特別ボーナスとやらまで私に押し付けようとした。きっぱり断りきれなかったのは一生の不覚だ。

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