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小説家たちの酒場コミュの第三章 謎

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 二階へ駆け上がるとガタイの大きな男がうつぶせに倒れていた。
 頭から血を流している。…息はあるようだ。床には男の血で文字が書いてある。

 D O N ’ T R E L A T E M E

 …かかわるな?

コメント(22)

楽師の男の声がした。

「誰だ!」

かなり面子は変だが、単純に酒を楽しんでいた。
そんな中に穏やかじゃない空気が一面貼り詰める。

私は知っている。他には誰もいない筈だという事を。
猫でも帰ってきたのかとも思ったが、猫ごときに楽師もそんなに声を荒げたりはしないだろう。

「様子を見に行った方が良いんじゃないのか、マスター?」

Mr.キートンがそう促すとマスターは2階の階段を駆け上がって行った。

‥本当に問題の多いBARだ。

どこに居たって私にはいつも問題が付き纏う。
病院を抜け出してきた身だ。警察事にさえならなければいいのだが‥

「首輪の次は何かしらね?」

思考とは逆に、厭味ったらしい声が出てしまった。
「姐さん。首輪の次は屋根から落ちてきた男さ、だろ?」

おどけて自分の顔を指差し、笑って言ってみる。「首輪の次は何かしらね?」と言ったcopyCATはなんだか不機嫌そうに見えた。ううん、さわらぬ神に祟りなし。
………と考えたわけでもないのだが、俺はスツールを回して降りた。Panchoもマスターも戻ってこない階段のほうに、足をむける。

見上げてみてもよくわからない。こちらを見ているMr.キートンとcopyCATに肩をすくめて見せると、俺は軽い足取りでとっとっと、と階段を登った。ロザリオと鍵とプレートのペンダントトップが3本一緒くたになってはねる。ついでに、ドヴォルザーグの『ユーモレスク』を音をはねさせながら口ずさんだ。いちばん市民権を得ている7番変ト長調。ピアノ弾きたい、という気がちらっとよぎる。しかし今、この選曲は不釣合いだったらしい。

「…ふゥん」
我ながら冷徹な声がこぼれる。

マスターとPanchoのもとにたどり着いて眼に飛び込んできたのは死に掛けの男だった。死体ならぬ瀕死体。床にぐったりうつぶせて、傷は――頭か。深さは――まあココからじゃようわからん。頭は血がいっぱい出るし。

男の手の横に血文字で何か書いてあるらしかった。悪趣味だ。しかし俺は日本語以外のリテラシーを持っていないから解読不能だった。複数語は話せるがどうにも字は読めない。英語でさえそうなのだ。あの白猫のメモも実は「見た」以外の何物でもない。
その場にいる――瀕死体も含めて――人タチに、俺は尋ねた。
「これなんて?……あぁ、というかコレ誰ですか?」
「さぁ…?こっちが聞きたいよ」
 
 また怪我人が増えた。しかもかなり重症のようだ。
 あの暗号と関係があるのかはわからないが、今度のメッセージはずいぶん直接的な表現だ。私の行動にクギを刺しているのだろうか。もともとこんなめんどうなことに絡むタチではない。ここでひくべきか。 
 とにかく今はこの誰だかわからない男を助けてやるか。私は額に手を当ててしばらく考えて口を開いた。

「Panchoさんよ、手当てが終わったらここで何があったか説明してくれよな」
(何が起こったのか説明してくれって言われてもなぁ・・・)

背の高い男は三十代前半と言ったところか、頭から血を流し誰がどう見ても致命傷を負っている重態だ。
軌道を確保させるために仰向けにし、少し頭を触ってみたが感触からして何か鈍器のような物で殴られたと考えて良いだろう。

(気になるのは、気配を感じなかったのにまるで魔法のように現れたって事なんだよな・・・)

救急セットを鳥に二階に上がったらいきなりマスターの部屋と思える場所から物音がして、誰だと叫んでみたドアが開いて男が前のめりに倒れたってわけだ。

「これだけなんだけど信じてもらえるかどうか・・・」

とりあえず救急セットから包帯と薬を取り出して応急処置を始める。男の呼びかけるのが普通だが、どう考えてもこの人の意識はレベル?・・・医学的用語でぶっちゃけ意識がぶっ飛んでる状態のこった。だから呼びかけは最初から諦めて治療に専念する。

(歯医者なのになんで専門外の仕事ばかりなんだ?)

世は皮肉で構成されている・・・。
手早く処置を済ませると、奥の自分の楽器を置いた部屋のベッドに寝かしつけた。男に変化はない。外見は東洋系だが、中国系統だと思う。
間違いなく分かるのはこのベッドに寝かしつけたまま夜が明ければ、朝にはホトケさんになっちまうってことだ。

「じゃあ説明しに行きますか。やれやれ」

にわかには信じがたいことだ。でもこの店の雰囲気からしてあり得ないことじゃない。それに、これぐらいで驚くような人物も自分を含めてこの場にはいない。

一回に降りるとその場にいた全員の視線がいっせいに俺に突き刺さった。

「お熱い視線、楽師冥利に尽きるってか?あの男はまだ大丈夫さ。病院には絶対に行かないと三途の川を今夜中に渡っちまうがね。俺だって何がなんだかわかんねーよ?」

さて、この説明で納得してくれるかどうか。
 まず階段を降りてきたマスターと華影に話を聞き、その後降りてきたPanchoからも話を聞いたが、事態はさっぱり掴めなかった。特に積極的に事態を掴もうとも思わなかった。トラブルは確かに私の商売だが、今階上にあるトラブルが商売になるとは思えなかったし、ここにいる面々に私の職業を披瀝することにはマイナスしか感じなかった。
 判ったことは上の階に死に掛けの男がいることと、その男はマスター・華影・Panchoの三人は知らない人物だと言うこと、床には血文字で「D O N ’ T R E L A T E M E」と書かれていることくらいだ。

「何にせよ、救急車は呼ぶべきだろう」
 思いついたことをそのまま口にしただけだが、これは絶対だと思えた。放っておけば死ぬと言うのなら、流石に放っておけないだろう。しかし問題もある。警察を呼ぶかどうかだ。
 私はここにいる面々を一人一人見回してみる。
 copyCAT、彼女は病院から「脱走」してきたばかりだという。Pancho、楽師で歯医者だそうだが、この男からはどうも堅気らしくない雰囲気が漂っている。華影、このBARの壁を昇っていた不審人物だ。何が目的だったのかは未だ不明だが。

「で、マスター、どうするんだ。警察を呼ぶと言うなら、少なくとも私はここで大人しくしていよう。私がいても担当官の心象を悪くするくらいしか役には立てんとは思うが、マスターが善良なる市民の義務を全うしたいというのなら仕方がない。だが……」

 もう一度全員を見回してみる。
 copyCAT、Panch、華影はマスターが善良な市民の義務を全うしようとしたらどうするつもりだろうか。そもそもマスターはどうするつもりなのか?

 私? 私は「我関せず」だ。最低限の協力はするが、その他は知ったこっちゃない。金にならないトラブルにはなるべく関わらないようにするのは、探偵でなくとも普通の処世術のはずだった。
 サイレンの音が聞こえてきた。これ以上は私たちの手には負えないと判断し、警察を呼んだのだ。
 まさか最近空けたばかりの店に捜査の手が入るとは思ってもみなかった。店の外に出て警官に事情を説明した。もう夜が明けはじめている。
「まあ中へ入ってくださいよ、なかなか凄惨な現場ですから」

 警官を店の中へ引き入れた。店の中にいた者たちは全員1階に集まっていた。私はその警官とふたりで2階へ上がった。
 階段を上がりきってしまった…。?? 現場はここだったはずだが。血文字がない。
「で、どこなんです?」
 警官がせかす。
「いや、たしかにそこなんですがね…。とにかくさっき話した男に事情を聞いてくださいよ」
 私は男が寝かされている部屋のドアを開けた。す〜っと風が吹き込んでくる。小窓のカーテンが揺れている。
 
 部屋はもぬけの空だった…。
‥あぁ、何て事、警察沙汰になってしまうなんて。
さっさと街を出ていくべきだったわ。


幸いにも警察は私が脱走患者だという事は知らないらしい。

マスターと共に2階へと上がっていった。

もどかしい時間が流れる。
こうしている間に私の情報が病院から漏れてしまったら‥

そう考えると気が気ではなかったが、私以外にもどう見ても楽師には見えない男や堅気には見えないMr.キートンや屋根から落ちてきた華影という男なども居るのだ。

しばらくの間は安心していてもいいだろう。
私はそう判断して黙っている事にした。
俺は屋根に登っていた不審人物だが、要は殺人(未遂)犯にされなければ良かった。
そこでほかの客と一緒に1階に残っていたわけだけれど、俺は何とか笑いだすのをこらえてその場に立っていた。
そのとき俺は信じがたいというような、面白そうな顔をしていたかもしれない。なんだかみんなが、とても優しいような気がして。それがなんともいえず顔が笑ってくる。マスターが死に掛けに対してとった対応にしてもそうだし、警官というのは結局は一般市民のために尽力している素晴らしい人々なのだ。それがやたらコワイ顔しているのを見ると、なんとも倒錯的な気分になるのだろう。

優しいといえば、その男を殴ったやつだって優しい。
鈍器で殴る、なんて明確な殺人行為としてははっきり言ってぬるいのだ。殺るならもっときっちりやるべきだ。原始人かアンタは、と言いたくなる。殴られたほうにすれば迷惑な話。やたらイタイ思いして死ななくちゃならない。

「………、!?」

俺はがばっと振り返って窓のほうを睨みすえた。
タダナラヌ感じが背中を這った、から。

……電話が鳴った。
「トゥルルルルル…トゥルルルルル…」

 下で電話が鳴っている。
 
 panchoがここにいたはずの男を寝かしてからまだ10分ほどしかたっていないはずだ。目を離した隙に消えてしまったのか。 その間、1階へは誰も降りていないし、あのケガで2階から飛び降りたのか。しかし、降り場所には狭い中庭があって塀は高くて常人には上れない。とがった柵もある。まさか飛び越えたわけもないだろう、華影じゃあるまいし。
 
 警官はあきれた顔で、
「警察もヒマじゃないんですがね」
 と言った。
 私はイライラしてきた。
「鳴ってますよ、電話。私はこれで帰らせてもらう。まったく、いい大人がタチの悪いイタズラはやめてほしいね」

「あんたも警官なら電話の相手ぐらい確かめていってもいいだろう」
 私は1階へ警官を連れて降りていった。
 傍にいた華影の様子がおかしい。後で事情を聞くか、今は電話が先だ。私が受話器に手をのばした瞬間、切れてしまった。

 警官は何も言わず帰った。とにかく華影に話を聞こう。

「トゥルルルルル…トゥルルルルル…」

 また…。私の行動をどこかから観察しているかのように思えた。
「ガチャッ」 
 今度は切れない。
 …電話の主は聞いたことのない女の声だった。
「そちらにキートンという男はいらして?」
「さあね」
「あら、キートンじゃなかったかしら?でもお金は受け取ったんでしょ?」
「さあ人違いじゃないか」
「あらそう、じゃあ誰かそちらにおじゃましてないかしら?」
「あいにくこの店には客なんてこないんでね」
「あら、たくさんいるじゃない、お客さん…」
 ヒヤリとした。背筋が凍る。
「…誰だ?」
「あ、そうそう。彼は連れ戻したから…」

「ガチャッ」
 私は自分で電話を切ってしまった。
 キートンをここへ使わした依頼主だろう。間違いない。   「彼」というのは連れ去られた男のことか。我々に何か伝えようとしていたのか。少なくとも、あの男を殴ってメッセージを残した人間と、連れ去った人間がこの店にいたことになる。
 こんなことに巻き込まれたのだ。探偵は口が堅いだろうが、あの依頼主について知っていることを話してもらうか。

 私はキートンだけを奥の部屋に連れていった。
 やがて警官がやってきたが、彼は早々と退散していった。
 どうやら死に掛けの男と血文字がなくなってしまったらしい。幾らなんでもそんなはずがなかった。マスターたちは酒のせいで集団幻覚でも見たのだろうか?

 気が付くと、華影が初めて見せる緊張した面持ちで窓を睨み付けている。窓の外には何も見えない。誰かがいる気配もない。一体、どうしたと言うのか?

 電話を受けていたマスターが私を呼びつけ、奥の部屋へと誘う。私はいい加減帰りたい気分だったが、とりあえず従うことにした。

 電話の内容をマスターから聞かされて、酒のせいで眠りこけていた職業意識が目を覚ました。内容から考えれば、さっきの電話の相手は私の元依頼人以外にあり得ない。しかし、彼女がこんなことをする理由が全く判らない。そして私は、せめて倒れていた男の人相くらい確認しておくべきだったと後悔しはじめていた。

 窓から周囲の様子をうかがってみるが、見張られている様子はない。私の元依頼人はかつてこのBARをお付きのメイドに見張らせていたが、彼女はド素人だ。私が気づかないはずがない。では、それなりのプロに見張らせているのか? 一体、何のためにこんなことをする? デルタ絡みなのか、やはり。それとも私には想像もつかない別の理由だろうか?

 携帯を手にとって元依頼人にかけようとして、すぐに思い止まった。もし本当にこれが彼女の仕業なら、それこそ思う壺かもしれない。私は携帯を仕舞うと、マスターに言った。

「Panchoと華影もここに呼んでくれ。二人からも話を訊きたいし、頼みたいこともある」
俺は窓を睨みすえて、しばらく動かないでいた。

もう変な感じはほとんどない、室内に目を戻すのが妥当ところ。でも何か落ち着かない。何か見られているような、首の後ろをなでたくなるような感じだ。加えて、マスターが受けていた電話のことがある。

あまりといえばあまりなタイミングに思わず全身とげとげのハリネズミ状態になりかけたが、なんとか一瞬で収めることができた。PanchoやMr.キートンが――場合によってはマスターもだけれど――気付いてないといいなぁ、とちらりと思う。しかしともかく、電話の鳴ったり切れたり、マスターの受ける機会なんかの頃合が、なんとも言えず気に入らない。腑に落ちない。

その非符合性がどうにも気持ち悪くて、俺はいらいらしてきた。
さっさと指示を出してこない組織のこともある。

独り癇癪ををもてあましているところで、マスターがMr.キートンを呼んだ。しばらく奥の部屋に行っていたかと思うと俺まで呼ばれる。Panchoも一緒なのか。警官も早々に帰って行ったことだし、なんか異常なことでもあったのか。

俺ははじめと変わらない笑顔をうかべて、2人の呼び出しに応えた。
 私はひとり2階へ上がっていった。部屋に入り、連れ去られた男の寝ていたベッドに腰掛ける。
 あの電話の女は私への見せしめのために、わざわざ人をひとりよこしたのか。あんな演出をしたから足がつくまえに男を連れ去ったのだろう。あのメモを回収できなかったのがあちらにとって誤算だったのだろうか。
 実際、あのメモをすんなりキートンに持って帰らせていれば事を荒立てずにすんだのかもしれない。あのメモの内容がキートンへの報酬だったのだろう。私のせいではあるが、キートンがまだここにいるということはあちら側と切れたということになるだろう。
 これ以上深く関わった者にはあの男がされたような制裁が待っている、ということか。だが、ここまできたらこのままにしておくのもおもしろくないな。
 華影とPancho、二人を呼んでまず訊いたのは倒れていた男についてだった。現場の状況は自分で見に行けば事足りるはずだ。警官の手はほとんど入っていないことはマスターに確認済みだった。
 特に男の怪我の具合についてはしつこいくらいに繰り返し質問した。この建物の二階から自力で脱出したのでなければ、男は何者かに連れ出されたことになる。しかし、そんなことが可能だとは思えなかった。それに私の元依頼人が、わざわざこのBARに死に掛けの男を寄越してまた引き取る、などという珍妙にして悪趣味な真似をするとは正直思えなかったのだ。
 しかし、二人の答えは相変わらず重症を負っていたことは間違いない、という一点張りだった。二人の話で判ったことは、何故か二人とも大怪我をした人間を割りと見慣れている、ということだけだった。本人たちは意識していないかも知れないが、何気ない言葉の端々からそれが窺えた。私は「死に掛けの男がさっきまで二階にいて、いつの間にかいなくなった」という話を信じざるを得なくなった。そして重症人を見慣れている(らしい)二人に対しての不信感は大きくなった。やはり二人ともまっとうな人生を歩んできてはいない人種のようだ。しかしそれはこの際どうでもいい事柄だった。
 
「さて、二人に実は頼みがある。一時間の間だけ、このBARから離れて欲しい。Pancho、あんたは表通りを西に、華影、あんたは逆の東に向かってくれ。私も現場を調べ終えたらすぐに別の道を選んでBARを出て行くことにする。一時間後にはここに戻ってきてくれ」
 二人が揃って「何のためにこんなことをする?」と言いたげな表情を見せたので、こう付け加えた。
「いちいち二人の素性を問いただしたりしないが、あんたらのことだ。自分が尾行されてるかどうかぐらいは判るんだろう? この悪趣味な茶番は誰に向けて成されたものか、それが知りたいのさ。今のところ私に向けて、という向きが濃厚だが、思い込みで判断したくないんだよ。手間を取らせるだけの報酬は私が支払おう、あまり法外なものを期待されても困るがね」
 昨夜から急速に目減りしていく財布の中身を労わりながら、しかしそんな素振りは少しも見せず私は笑ってみせた。
何ともおかしな事態に引き込まれたものだ。
だが、自分には好都合な事に失う物など何も無い。
一瞬の内に現れ、そして消えた男の事にもそうだが、このキートンという男にも興味を覚えた。
こうなったらとことん付き合ってやろうという気持ちになった。

(この華影のにーちゃん、そして俺の事も見抜くなんて・・やっぱタダモンじゃないねー)

俺は右手で後頭部を掻くと、首をボキボキと鳴らせ答える事にした。骨が軋む音で聞こえているかどうか解らない。

「いいぜ。そん代わし報酬はいらねー。酒をもう一杯、そして言える範囲でいいから、あんたの知っている事を教えてもらおうか」

何か敵意のある者がこちらを狙っているのなら、せめてその正体ぐらいは知っておきたい。マスターはそれを承知済みらしい素振りを見せているが、今の段階では何も話さないだろう。
だけど、どうしても今後の保身のためには知っておかなければいけない最低限の情報というものがある。
否が応無しとは言え、巻き込まれた身だ。これぐらいは良いだろう。

「今すぐとは言わねーよ。帰ってきたらでいいさ。ま、教えてくれなくても別に問題はねーけどな。ただし酒だけは頼むわ♪」

踵を返して付け足す。
未知なる相手との勝負は初めてじゃない。お互いの手の内が分からない以上、相手と自分の立場はイーブンだ。不利でなければ、現時点で何も解らなくても先手を打つ方法はいくらでもある。
俺は二階へ上がると、フルートの入っているケースを持って降りた。copyCATのお嬢さんは静かに窓を眺めているだけで一度も振り向きもしなかった。華影のにーちゃんは何も返答しないままだが、恐らく同じ選択を取るだろう。

「先に行ってるぜ。華影のにーちゃん」

BARの人物は全員、なぜ楽器のケースを持って行くのだという疑問に満ちたまなざしを俺に向けていた。
俺は静かに出口に向かいながら、言い慣れたセリフを吐く。

「娯楽を共にしてきたが、同時に苦楽も共にしてきた相棒なんでね、こいつは」

セリフの意味は理解しなくていい。
少なくとも、今のあんた達は。
雨が上がり、満月の光が町を仄暗い程度に降り注ぐ中、俺は歩を進め始めた。

「月光浴には最高だな」
 窓から外を見下ろすとでかい男が店を出て夜道を歩いていく。panchoだ。 
 連れ去られた男はあの女にキートンに渡ったメモを回収してくるようにでも頼まれたのだろうか。しかし、メモはどこかへ消えてしまった。男は女の依頼を達成できなかったということになる。そして後からやってきた何者かに殴り倒され、連れ去られた。
 それにしてもやっていることが滅茶苦茶だ。計画性がまるでない。しかし、手際がいい。まるでこちらの行動が手にとるようにわかるようだ。男を連れ去った人間がまだこの近くにいるのかもしれない。
 とにかく、今は皆一緒にいたほうが安全だろう。私はまた1階へと降りていった。
楽師の男に華影と名乗った男、二人が二階へと上がって結構な時間が経った。

カウンターに一人残されて事態も飲み込めないまま酒を煽るのは何だか気がひけた。
が、関わらない方が身の為だろう。
どうしてここに集まる男達というのは総じてあんなに変な人間なのだろうか。


楽師の男が私に一瞥をくれてが店を出ていったが、私は何も知らぬ振りをして窓の外を眺めながらグラスを傾けていた。

そうこうしてる内に今度はマスターが階段を降りてきた。


「今度は何があったのかしら?皆して家出でも?」


私は酒の力で饒舌になっていた。
ずっと無関心を装っていたが、好奇心の方がほんの少し勝ってしまったようだ。

深刻そうなマスターの顔に気付いていながらデリカシーのない質問をぶつけた。


「それなら私はこの店の留守番といったところかしら?」
「…ふーん」

俺がMr.キートンの話を聞いての第一声はこれだった。
第三者が聞いたら「ふーん、て」という感じだろうが、俺としては思わず安心していたのだ。俺はフリーランスではない、飼われているようなものだから。「頼みがある」と言われたときには、上におうかがいを立てなきゃいけないようなものだったらどうしようかなぁ、と心配だったわけだ。でもこれぐらいだったら問題はないはず。

「先行ってるぜ、華影のにーちゃん」
Panchoはさっさと言いたいことを言って、楽器を片手に降りていった。楽器については、多分魂の半分みたいなもんなのだろう。

俺はキートンに向き直り、ふざけて敬礼して言った。
「イエス、サー。ご依頼承りましょ。表通りを東ね。家帰って風呂でもあびてきます」
笑ってターンしかかったが、
「あぁそう、俺も金はいらないや。Panchoさんと同じく情報公開を求めます。……いつも金ずくで仕事してるわけじゃないしね」

微妙な表情のMr.キートンに笑って、酒は任意で、と付け足して俺は階段を下りた。1階にはマスターとcopyCAT。さすがにマスターも深刻な顔だ。そのマスターに俺はカードを投げて、
「戻ってくるつもりだけど。それ、担保ね」
2人に手をふって、俺は正しく出口から店を出た。
「それなら私はこの店の留守番といったところかしら?」

「ああ、君は私とここにいたほうがいい」

 彼女のような人間を置いて私もどこかへ行くわけにはいかないだろう。2人が出て行って、さっきまでにぎやかだったこの店も静かになっていた。
 私は沈黙をやぶった。
「現場から何か出てくると思うのかい?」
私はキートンにたずねた。
「現場から何か出てくると思うのかい?」
 マスターが私に訊ねる。難しい質問だった。
 マスター、Pancho、華影の話を全面的に信頼するなら、現場である廊下からは何も出てこないはずだ。しかしそれでは、男を殴り倒し、かつ僅かな隙に連れ去った者は超能力者か魔法使いということになってしまう。現実的に考えてあり得ない。
 ただし、凶行に及んだ場所が別の場所ならまだ可能性は出てくる。それはそれで問題は山積みなのだが……。
「何はともあれ、調べてみないと何とも言えんよ」
 そう答えて階段を昇る。マスターも後からついてきた。

 現場である廊下にはすぐに辿りついた。掃除したばかりみたいにぴかぴかだ。端から端まで目を皿にして捜索してみたが血文字も、いや、血痕一つさえ見つけられない。少なくとも倒れていた男が襲われたのは廊下ではなさそうだ。血と言うものは意外に飛び散るもので、気づかないところに必ず残っているものなのだ。もちろん念入りに掃除をすれば別だが、そんな時間はなかったはずだ。
 それに後頭部を殴打されて気絶する、なんてことは映画などではよく見かけるが、現実にはほとんどあり得ない事態だ。殴られた時に脳挫傷でも起こせば別だが、それなら男は虫の息、悪ければ死んでいなければおかしい。
 いきなり気絶するほどの怪我ではなかったが、失血のせいで殴られたしばらく後に気を失った、というのもおかしい。大量の出血を伴うような怪我をして叫び声や悲鳴に類するものを上げなかったのは何故なのだ、ということになる。もし叫び声や悲鳴を上げていたならすぐ下の階にいた四人が誰も気づかなかったのは更におかしい。このBARは二階で誰かが歩く音さえ聞き取れる建物なのだから。
 返す返すも倒れていたと言う男を一度も確認しなかったことが悔やまれる。が、全て後の祭りだ。

 私が廊下を調べている間に、マスターは彼なりの推論を私に聞かせた。私は一度も職業を明かさなかったはずだが、すでに察しをつけているらしいのには驚いた。しかし私はそれほど積極的に身の上を欺こうともしてこなかったから、これまで起きたことを検討して読み取ったのかもしれない。案外鋭い御仁だ。
 ただ、マスターが語る今の事態の推察には賛成しかねた。

 一通り廊下を調べ終わり、めぼしいものは何もないことを確認した。
「困ったな、何もない。何処か他所で殴り倒した男を連れ込むのも困難だし、それを連れ去るのはほぼ不可能なはずだ。だとすれば……」
 消去法でいけば、残る可能性はあと一つか二つくらだ。だが、私はその可能性に当たる前にやるべきことがあることを思い出した。

「すまないマスター。念のためにあの首輪、電子レンジでチンしてくれ。五秒間ほどで良いから」
 明らかに訝しげな表情でマスターが私を見つめる。そりゃ無理もない、と思い直し、私はこう付け加えた。
「あの首輪の仕掛けは私も全て把握しているわけではないのだがね、精密機械なら何だろうとそれで壊れるはずだ。もしマスターの言う通り、犯人が私の元依頼人で、我々の一挙手一投足まで窺い知ることができるとしたら、だ。あの首輪に盗聴器でも仕掛けてある可能性は高い」
 アレは一週間で電池切れになっているはずだが、何しろ製作者はあの情報屋だ。どんな『おまけ』の機能がくっついてるか判ったもんじゃない。だがそれが電子部品の類なら無効化するのはそれほど難しい作業ではない。

「さて、それでは私はとりあえずそこの路地裏から北に向かって歩いてみるとするよ。マスターはcopyCATと一緒にここにいてくれ」
 そう言い残して私も華影とPanchoに続いてBARを離れた。

 華影は、Panchoは、そして私は小一時間ほどの散歩でどんな事態に出逢うのだろうか。その間にBARでは何が起きるのだろうか。それとも誰も異常な事態には出逢わないのか。しばらく歩きながら推察を重ねてみたが答えは出なかった。

「ケセラセラ、なるようになる」
 自分に言い聞かせるように呟いて、私は明け方の路地裏を独りで歩いた。
 キートンは店を出ていった。
 電子レンジでチンしてくれだって…? ハハッ、なんだかおかしくなった。
 まあ言われたとおりやってみるか。たしか5秒ほどだったな。私はあの首輪を皿の上にのせてレンジにかけてみた。

 ピッ。ブーン…。皿がまわりだした瞬間、首輪は縮まりだした。そして見えなくなるほど小さくなってしまったかと思うと、今度は一気に張ち切れんばかりに膨れだした。
 チーン! 5秒たった…。これ以上熱し続ければ破裂していただろう。しかしそれはもう原型をとどめておらず、首輪のカタチをしていなかった。

 なぜ一度縮んだのだろうか?…そうか!あのとき私が腕につけたときも!そして、外れた前の日の夜、ひどく気分が悪かったのを覚えている。これは偶然ではない。

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