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「深〜い」本・映画・音楽コミュの映画;Batalla en el Cielo (Battle in Heaven) 2005

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原題; Batalla en el Cielo (2005)
英題; Battle in Heaven

98分

制作国; メキシコ、フランス、ドイツ

監督;  Carlos Reygadas
制作;  Philippe Bober、 Susanne Marian、 Carlos Reygadas、 Jaime Romandia、 Joseph Rouschop
脚本;  Carlos Reygadas
音楽;  John Tavener
撮影;  Diego Martínez Vignatti

出演;
Marcos Hernández    マルコス
Anapola Mushkadiz    アナ
Bertha Ruiz       マルコスの妻
David Bornstein     アナの男友達、ジェミー
Rosalinda Ramirez    ヴィッキー
El Abuelo         警察署長
Brenda Angulo      夫人
El Mago          説教師
Francisco 'El Gato' Martínez ガソリンスタンドの男
Diego Martínez Vignatti サッカー選手
Alejandro Mayar     刑事

ネットで日本語でのデータを探したが無く、また本作に関する記述も少なかったものの下のブログにその簡潔な記述があった。

http://plaza.rakuten.co.jp/cinemausagi/diary/200707300000/

本作を金曜夜のオランダ国営テレビで深夜映画としてかかったものを観た。

初めの何分かを見過ごして若い女の顔のアップ、それに続いて片目からこぼれる涙のようなところから観始めた。 上記のブログの記述でそれが本作の最後のシーンと繋がるものなのだと理解した。 映像、音響、 それに人々の肉体、とストーリーの淡々としたペースに映画の真実を観たように思う。 なんとも陳腐な表現だがメキシコの現実をヨーロッパ風味で撮るとこうなる、というような秀作だ。 映像というのは色、形、動きでありその視覚に訴える記号だ。 それに音と言葉が加わる。 それが他の感覚と混ざると一定の効果を我々の脳に生起せしめ、統合部で、いい、とか、美しい、これはかなわない、というような結論めいた思いに結実する。

生と死に性がからみ日常の中でそれらが攪拌されるとこの場所ではこうなる、という一つの可能性が提示されるのだが、そこにメキシコの豊穣さと生命力がはっきり胚胎している本作はメキシコ映画というジャンルの中ではその歴史に名前を覚えられるべき場所を与えられているのではないか。 それに巷に溢れる映画媒体のなかでも本作は映画的真実を祭る殿堂に収められるべき作品である。 

ネットであちこち見ていてなぜ日本のなかで本作に関する言及が少ないかという理由を想像すると、それは多分本作中の性表現が大きなハザードとなっているのだろう。 本作が規制されるものだと誰かが判断したとしたらその事自体が日本の映像文化を豊かにするハザードとなっていることを人は自覚すべきだろう。 それを自覚している個人でも日本の妙な「色ボケ」映像が巷に氾濫する中では本作の性描写を仕方が無い、と諦めるのだろうか。 嘗て60年代後半にパゾリーニの「デカメロン」を劇場で見て裸の尼僧たちの恥部が黒いボールで処理されておりそれが画面を忙しく動き回るのに笑い転げた記憶があり検閲の間抜け加減に「デカメロン」がドタバタの喜劇になったことを思い出しかえってそれが逆に作者の意図を強調するように思ったものだ。 性描写でいえば大島渚の「愛のコリーダ」の完全版での幾つかの性器映像、セックスシーンを思い出したのだが本作ではリアルさという点では大島を凌いでいるようだ。 しかし、これも80年代と21世紀、それに文化の違いが認められるし大島的道行きと本作でもカトリックの殉教、贖罪と救済ということの文化背景の違いがあるのかもしれないものの人間存在の性が語る豊かさを今更ながら実感させられたのだ。

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