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科学社会学/知識社会学コミュのすちゃらか科学社会学/知識社会学・入門講座

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・はじめての人でもわかる科学社会学/知識社会学・入門です。
・科学社会学/知識社会学に関心ある人が少しでも増えるのが目標です。
・細かい話はなるべく抜きにして、「ぶっちゃけ」でやります。
・聞き慣れないコトバや専門用語についても「ぶっちゃけ」解説します。
・きまぐれかつ不定期です。全体構想もありません。
・ネット上のリソースをなるべく活用して、抜けるところはどんどん手を抜きます。
・テキストはとりあえずありません。でもネタ帳はそのつど紹介します。
・いろいろ間違ったことを言うかもしれません。つっこみ・指摘などよろしくお願いします。
・感想、コメントを歓迎します。学問の理想は対話です。

コメント(2)

Q:知識社会学ってなんですか?
A:知識を社会学することです。
Q:いうと思ってました。でも,答えになってないですよ。
A:もうひとついうと、知識社会学は、知識が社会によって左右される、と主張し、それを前提に知識と社会の有り様の関係を研究したりする。
Q:でも、知識が社会によって左右される、なんて当たり前じゃないですか。知識は人間が作り出して持つものだし、社会はそういう人間が集まって作るものなのですから。
A:ところが、知識が社会によって左右される、なんて不躾なことをいうのは、当時はマルクス主義者しかいなかった。
Q:そうなんですか。
A:「存在は意識を規定する」。って知らないか。その人がどんなことを考えるかは、その人がどんな社会的経済的状況のもとに置かれているかによって決まる。
Q:あんまりです。それだと、昔のアイドル雑誌にあった、アイドルと同じ食事をして同じウンコをしよう、といったバカ企画みたいですよ。
A:ところが当時の知識人たちは、知識はそうした世俗のごたごたからは独立したものだと思っていた。それは、「知識人」と言えるくらいに知識を身につけるには、高価な書物や他の知識人が集うサロンにアクセスできることが必要だし,第一多くの時間を食い扶持を稼ぐために費やさなくても済む(その分知識を身につけたり生み出したりするのに時間が回せる)社会的経済的状況が必要だった。すなわち、世俗のごたごたから無関係でいられるような「特別な状況」が、知識人の必要条件だったのだ。
Q:知識人はそれを忘れて「当たり前」だと思ってしまった?
A:忘れて、というか,捨象して(抜きにして),知識の有り様はこうあるべきだという形で,普遍化してしまった。そこに「知識が社会によって左右される」なんて不躾なコトバを投げつけられた訳だ。
Q:どうして不躾なんですか?
A:当たり前だけれども、わざわざ言わないと,言外に取り決められていることを,はっきり口に出すことは,不躾以外の何ものでもないよ。
Q:すると、知識社会学は,マルクス主義者の不躾をルーツとするのですね。
A:「知識社会学」というコトバを使いだしたマンハイムも,マルクス主義の流れを汲む者だ。マンハイムをもって「知識社会学」の誕生とするのは、彼がそのコトバを自覚的に使った他に、マルクス主義者にとっては「悪口」でしかなかった「知識が社会によって左右される」「存在が意識を規定する」という主張、あるいは「イデオロギー」というコトバを、悪口でなく、中立的な分析装置として提示したからだ。
Q:イデオロギーってよくわかりませんが、悪口なんですか?
A:「よい子のイデオロギー」を参照したまえ。マンハイムにとっては、イデオロギーはもはや悪口ではない。

よい子のイデオロギー
http://thought.ne.jp/html/text/socio/04id1.html

A:マンハイムが非難されるのは、せっかく知識社会学なんてはじめたのに、その対象から数学や自然科学を抜いてしまったことだ。
Q:つまり、知識は社会に左右されるけど、科学という知識は別扱いにした、と。
A:だからこそ、科学も含めた知識社会学が、とりわけ科学知識を対象にした社会学が,のちに生まれることになるのだけれど、それはまた別のお話。
A:マルクス主義者たちにとって「イデオロギー」という言葉は二重の悪口だった。ひとつは,意識が「土台」すなわち経済的諸関係によって決定されるという点を指す言葉。もうひとつは,支配階級の支配をあたかも普遍的に正しいものとして示し,現実の矛盾を覆い隠す「虚偽意識」としてのイデオロギー。
Q:では,誰がどういった理由で,イデオロギーという覆いをはねのけて,現実(の矛盾)を正しく見ることができるのですか。
A:マルクス主義者によれば,革命の担い手となるプロレタリア階級がそうできる。中国のマンガで,知識人階級である僧侶が妖怪にだまされまくって,何故だからプロレタリア階級らしい実践家の孫悟空は妖怪のまやかしにだまされない,っていうちょっとへんな西遊記があるけど。当然,プロレタリアに組するマルクス主義や科学的社会主義も正しい
Q:あの西遊記,三蔵法師は名前さえ呼ばれず,ただ「僧侶」と呼び捨てされるんですよね。
A:マンハイムは,マルクス主義におけるイデオロギーの見方をさらに徹底し,プロレタリア階級の知識もまた,「真正な科学]であるというよりも、彼らの立場や,属している階級,集団によって制約されていると考えた。そして,およそ社会的知識や思想は,それを発展させたものがどの集団や階級であれ,すべて社会的に制約されていると主張し,これを「知識の存在被拘束性」と名付けた。
Q:どうしてマンハイムは,自然科学を知識社会学の対象からはずしたんでしょうね?
A:科学は特別,そして科学者=知識人は特別だとしたかったからじゃないかね。知識の存在被拘束性から自由な存在,それが科学者=知識人であり(それ故に,人々それぞれの「知識の存在被拘束性」を指摘することを含む,特別な役割を社会で果たすことができる),彼らが生み出す知識が科学である,と。
Q:なるほど。科学者=知識人も「知識の存在被拘束性」を被るとしたら,そんな知識人のひとりであるマンハイムのいう「知識の存在被拘束性」という理論も,「知識の存在被拘束性」を受けていることになっちゃいますものね。なんか,関西の子どもたちが口げんかでよく使う「アホいうもんがアホや」みたいな話ですね。
A:けれどもね,知識が社会の影響を受けるというのと,その知識が間違っている,というのは同じではない。社会の影響を受けたからといって,その知識が間違っているとは限らない。
Q:そりゃそうですね。
A:マートンが,科学の社会学をはじめるとき,この点でもマンハイムを批判した(第一点目はもちろん「科学」を分析の対象からはずしたことだ)。そして「知識が社会の影響を受ける」ということと「その知識が間違っている」ということを,とりあえず切り離しで,始めることにした。
Q:さっきの「アホいうもんがアホや」を回避するためですか?
A:そうだね。科学的知識の真偽が社会のありようによって変わる,となれば,相対主義と呼ばれて科学者から反発を喰らうだろう。マートンは,絶妙な位置にとどまることで,そのことを回避した。
Q:科学の中身に踏み込まないで,何ができるっていうんですか?
A:いろいろさ。たとえば科学者たちを取り巻く経済的・社会状況が,科学者の生産性(指標としては発表された論文の数などが使える)にどういった影響をあたえるか,とかね。個々の研究の評価は,その科学の内部でこれまでどおり行えばいい。科学の社会学は,科学の外に立って,社会と科学の在り様をいろいろに分析することができる。

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